小説 空の青さを知る人よ

日本中を温かい涙で包み込む……。映画「空の青さを知る人よ」いよいよ明日公開! ノベライズ試し読み⑦
いよいよ明日公開! 映画「空の青さを知る人よ」小説版の試し読みを特別に配信!
お堂に現れた生霊“しんの”は、なぜかお堂から外に出ることができない。
あおいは彼からとんでもない解決策を提案され……!?
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* * *
「でも、まあ、時間がたっちまったもんは、しかたねえよな!」
あおいの心配を余所に、しんのは軽やかにそう言った。
「現状受け入れんの早いね」
感心したように言った正嗣に、しんのはゆっくりと立ち上がった。あおいは咄嗟に手にしていた数珠を持ち上げる。
「いや、受け入れさせてくれたのはお前のおかげだよ」
正嗣に歩み寄ったしんのが、屈んで彼の頭をわしわしと撫でる。
「どう見たってみちんこのミニチュアだもんなあ!」
しんのの手を乱暴に払って、正嗣があおいを振り返る。
「とりあえず幽霊じゃないね、実体あるし」
「でも、じゃあ……」
あおいは訝しげにしんのを見た。彼には足もあるし。足音だってした。体温も、ある。側にいると、息遣いがはっきりと伝わってくる。
「生霊、かな?」
ぽつりと、正嗣が言う。
「生霊?」というあおいとしんのの声が、ぴったり重なった。
「ほら、よく言うじゃない、誰かに強い気持ちがあると、無意識のうちに生霊飛ばしちゃうって」
「知ってる! それで相手を呪い殺しちゃったりするんだよね!」
言いながら、あかねの顔が思い浮かんだ。
「あ……」とあおいはしんのを見た。
「しんの、あか姉にふられたから……」
「その未練から生まれちゃったのかもね」
正嗣も納得した顔で頷く。ところが、とうのしんのは晴れやかな顔で自分の膝を叩いた。
「何言ってんだ」
勢いよく立ち上がったかと思ったら、ニッと口角を上げてあおいと正嗣を見下ろす。
「未練もなにも、まだなーんも諦めちゃいねーよ、俺は!」
仁王立ちして、偉そうに腕組みまでして、こう続けた。
「いろいろ考えて決めたんだよ。とりあえず東京出てビッグなミュージシャンになってよ!
あかねをど派手に迎えにこようって!」
拳を握ったと思ったら、大きく両手を広げてしんのは言う。お調子者で、ちょっと馬鹿で、でも真っ直ぐなしんのらしい発想だ。
そうだ。あの頃のしんのなら、きっとそう考えたんだ。
「なに、この無駄ポジティブ……」
思わずあおいは呟いた。正嗣が大きく首を縦に振って、奇妙な生き物でも前にしたようにしんのを見上げた。
自分がビッグなミュージシャンになること。あかねを迎えに来られること。
未来の自分を何一つ疑っていない顔だった。
「なのに! なんでこんなことになってんだよ! あかね、今三十一なんだろ? 三十一って……!」
三十一歳のあかねを想像しようとして――上手くいかなかったのだろうか、しんのが息を吞む。
「おい、あかね、結婚してねーよな⁉」
躙り寄ってくるしんのに、あおいは後退った。
「う、うん」とあおいが頷くと、しんのは「おっしゃ!」と拳を握る。
「って、あんま喜んじゃいけねーよな。早くもらってやんねーと」
「……会ってみる?」
恐る恐る、あおいは聞いてみた。驚いて目を瞠ったしんのは、直後、
「アホか!」と声を張った。
あおいがムッとしたのなんて気づく素振りもなく、しんのは続ける。
「会えるわきゃねーだろ! 俺の話聞いてなかったのかよ。ちゃーんとビッグなミュージシャンになってから……」
「ビッグかどうかはわかんないけど、もうなってたよね?」
思い出したように、正嗣が「ね?」とあおいを見る。
「ああ、確かに。三十一歳のあんた、一応ミュージシャンになってた」
あれが、しんのの思い描くミュージシャンの姿なのかと言われたら、絶対に違うだろうけど。
そう言ってやろうとしたのに、しんのは目を見開いてあおいと正嗣を見つめていた。
目玉スター一号の目は、きらきらと輝いていた。
「すっげえぇー!」
静かで、どこかひんやりとしたお堂の中に、しんのの熱っぽい声が響き渡る。反対に、あおいの胸はさーっと冷たくなっていった。
「俺、ちょっと行ってくっから」
飛び跳ねるようにして、しんのがお堂の戸を開ける。まさか、このまま三十一歳の自分に、三十一歳のあかねに会いに行くつもりか。
演歌歌手のバックバンドをやっている自分を見たら、彼はどう思うだろう。
「ちょっ――」
あおいが腰を浮かしかけた瞬間、しんのは開け放った戸から「んじゃ!」と手を振って出ていこうとした。秋の冷たい風が吹き込んで、あおいの前髪を揺らした。
けれど次の瞬間、何もないはずの場所でしんのはびたん!
と何かに――透明な壁のようなものにぶつかって、その場に倒れた。
落ち葉の香りのする風が、変わらずお堂の中に吹き込んでくる。
三十一歳の本物の金室慎之介と一緒にいるであろうあかねは、今頃何をしてるのだろうか。あおいは、ふと考えた。あまり楽しい雰囲気になっている予感はしなかった。
「やっぱり、出られねえ……」
床に倒れ込んだまま、しんのが呻く。正嗣が恐る恐る戸に近づき、ひょいと外に向かって手を差し出した。見えない壁にぶつかることもなく、正嗣の体はお堂を出入りできた。あおいも試してみたけれど、やっぱり同じだった。
しんのだけが、見えない壁に阻まれてお堂を出ることができない。
「ここから出れないとか、生霊ってより地縛霊?」
しんのを振り返って、あおいは呟いた。
「私と初めて会ったときも、こんな感じでお堂から出られなかったみたいだし」
「それがわかってて、よくあんだけ勢いよく突っ込むなあ」
ちくしょう、と繰り返すしんのを正嗣が見下ろす。やれやれ、とあおいは小さく溜め息をこぼした。
でも。
「願い、叶うんだな」
ぶつけた額を覆っていたしんのの両腕の隙間から、妙にしみじみとした声がこぼれる。蛍が目の前を飛んでいったような、そんな錯覚をした。
彼の声は、温かい光をまとっていた。
「あのとき、俺、思った。早く高校卒業して、早く東京に出て、早く未来になって。早く、あかねを迎えに行きたいって。その日がとっとと来ねえかなって。だからさ、生霊だとしてもさ、俺が生まれた理由は、きっと恨みなんかじゃねえ」
しんのが勢いよく体を起こす。側に屈み込んでいた正嗣が驚いて尻餅をついた。
「とにかく! よくわかんねぇけど、わかることは一つだ」
しんのが右手の人差し指を立てる。左手の人差し指も、立てる。二本の指を、そっとくっつけた。二人の人間が、肩を寄せ合うみたいに。
「未来の俺とあかね、二人がくっつけばぜーんぶ丸く収まるだろ?
そしたら生霊の俺は、本体にびゅーんっと戻る」
今度は両腕をロケットのように頭上に掲げて、しんのはにかっと笑った。あおいは「いや……」と口を開きかけたまま、言葉を続けられなかった。
未来の自分とあかねをくっつける? そんなの……そんなむちゃくちゃな展開が、あって堪るか。
ああ、でも、そういう突拍子もないことを言い出すのが、しんのだった気がする。妙に納得してしまって、あおいは肩を竦めた。正嗣も同じような反応をする。
「頼んだぜ、目玉スター!」
しんのの目が、突如あおいを向く。キラキラとした、十三年前と同じ澄んだ目だ。
「……え?」
あたし? とあおいは自分の顔を指さした。しんのは「他に誰がいるんだよ」と大きく頷いた。
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▶額賀澪『小説 空の青さを知る人よ』| KADOKAWA
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映画情報
映画「空の青さを知る人よ」
2019 年 10 月 11 日(金)全国ロードショー
吉沢亮 吉岡里帆 若山詩音/ 松平健
落合福嗣 大地葉 種﨑敦美
主題歌:あいみょん(unBORDE / Warner Music Japan)
監督:長井龍雪
脚本:岡田麿里
キャラクターデザイン・総作画監督:田中将賀
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