私立シードゥス学院 小さな紳士の名推理

1年生トリオが澄ました上級生と喧嘩した理由は!? 『私立シードゥス学院 小さな紳士の名推理』序話試し読み #2
「薬屋探偵」「うち執」などで大人気の作家・高里椎奈さん。待望の新作『私立シードゥス学院 小さな紳士の名推理』は、全寮制の学院を舞台に仲良し1年生トリオが謎を解く寄宿学校ミステリです。10月23日の発売を前に、カドブンでだけ特別に新作の序話を配信いたします!
>>前話を読む
2
生徒が登校すると、寮は真夜中以上の静謐で満たされる。
取り分け学習室は無音に近い。
キッチンや個室には清掃や洗濯、軽食の補充等に管理業者が出入りするが、学習室が使われるのは十九時から二時間設けられた学習時間に限られる。
一席ずつ仕切りを立てて、学習机が連なっている。戸口の近くには猫足の円卓があり、研究課題などの共同学習に使われた。
平素は寮付教師と生徒が和やかな論議で囲む円卓も、今は沈痛な緊張感に包まれている。学舎に比べて寮はモダンな建物だから、彫像のガーゴイルに見下ろされたり、歴代校長の肖像画に睨まれたりといった威圧感がないのがせめてもの救いだ。
獅子王、弓削、日辻の三人を座らせて、天堂自身も空いた椅子に腰を下ろした。
「如何なる理由があろうとも物理に訴える手段は正しくありません。道理と腕力に相関関係がない事は理解出来ますね」
天堂が諭す間、日辻と弓削は決して視線を合わせようとしない。
日辻は体こそ大きいが
獅子王だけが毅然と姿勢を正して、両手を膝に置き、天堂を見つめた。
「つまり、寮監も事情の斟酌なく暴力的な断罪はしない、と受け取って差し支えありませんか?」
彼の整然とした語り口に、天堂は僅かに眉を持ち上げた。
「君のように賢い人がどうして手を出すに至ったのだろう?」
「今本先輩が殴れと言ったからです」
また、獅子王の真っ直ぐな目が言動との齟齬を生じさせる。
天堂は二人を見た。
「本当です」
日辻が答えながら弓削を横目に捉える。弓削が僅かに頰を膨らませた。
「殴れるものなら殴ってみろ、と言われました」
「何故、今本さんはそのような挑発を?」
この質問には三人が顔を見合わせて、誰も率先して話そうとしない。
「始まりから聞く必要があるようですね」
天堂が居住まいを正して腰を据えると、日辻が億劫そうに口を開いた。
「ぼくはこの私立シードゥス学院に入れた事を誇りに思っています。父も祖父も当校の卒業生で、人生で最も有意義で貴重な五年間だったと話してくれました」
日辻の様に家族で代々、母校を同じくする生徒は多い。入学条件に、保護者が一定圏内に在住する事という項目がある為、自然と選択肢の上位に数えられるのだろう。
「君が学院に敬意を払っている事は理解しました。心配せず話してください」
「あ、寮監の優しさを疑ってすみません」
「…………」
天堂は思わず笑顔を固まらせて無言になった。薄々勘付いてはいたが、明言されると複雑な気持ちがする。
弓削と獅子王は素知らぬ顔をしている。日辻は気付いているのかいないのか、指先で前髪を分けて利発そうな眼差しと桃の実の様に丸い額を露わにした。
「今朝の七時より少し前、ぼく達はベル当番をしていました」
「ベル当番。一年生が一週間交代で二人ずつ担当するのでしたね」
「はい。起床時刻にベルを鳴らして各階を廻ります」
日辻は丁寧に説明をしてくれたが、天堂とて無論、覚えている。
時計台の鐘と並行して、寮にも遅刻者が出ないよう起床を促す係がいた。慣習で一年生が当番を受け持ち、下級生の階から巡回する為、最上級生はそれが聞こえてくるまで微睡む時間を得られるようだ。
「僕達が階を移動している時、ラジオの音が聞こえました」
「ラジオの音?」
「だと思います。スポーツの試合らしき歓声でした」
「妙ですね」
天堂が眉根を寄せると、三人も一様に厳しい面持ちをした。日辻は何かに怯えるように肩を窄め、弓削は目を逸らして何度も居住まいを正している。真正直に明言したのは獅子王だった。
「寮内に於いて娯楽機器の個人所有は禁止されています。ぼく達がそれらを使用出来るのは居間のみです」
平素は異なる一人称を使うのだろう。獅子王のぎこちなさは、しかし人称のみで、語り口調も話の内容も竹の様に真っ直ぐな芯が通っている。
「確認の為に聞きたいのですが、階段の近くには何がありますか?」
「五年生の個室です」
「君達は、五年生の誰かが寮則に違反してラジオを持ち込んだと考えたのですね」
獅子王が気の強そうな黒目を密やかに動かして、弓削、日辻と視線を交わす。
「……そうです」
天堂は得心が行って頷いた。
当校の学生寮では、四年生までは複数人の共同部屋が割り当てられるが、五年生は受験準備などに専念出来るよう個人部屋が与えられる。人目を盗みやすい環境に疑いを持つのは極自然な発想と言えた。
天堂がテーブルの上で組んだ手の右の人差し指を立てると、三人の注意が素直にこちらを向いた。
「もうひとつだけ確認させて下さい。犯人探しをする前に私や
天堂は問いかける自身の声が喉で微かに強張るのを感じた。
彼が寮監に就任して日の浅い新任である事は否めない。しかし、寮母の
ところが、弓削の反応は天堂の予想と異なっていた。
「どうして寮監に話すの?」
「
「ですか?」
獅子王に注意されて、弓削が思い出したように敬語を付け足す。
「どうしてって……寮生を監督するのが寮監ですから」
「寮監。寮には寮の、生徒には生徒の秩序があるんです。ぼく達は寮監と同じくこの秋に入学したばかりですが、寮での振る舞いは父と祖父から学びました」
態度の上は従順な日辻から天堂に対して距離を取る姿勢が垣間見える。
生徒には生徒の秩序がある。
まだ天堂は感覚として受け入れられない。生徒の秩序は寮の秩序であり、それらは全て校則に基づき、延いては刑法民法、憲法へと帰属する。互いに相反する筈はないのだが。
「分かりました。ひとまず話を終いまで聞きましょう」
「ありがとうございます」
日辻の礼に合わせて、獅子王も小さく、弓削は上体ごとお辞儀をした。
「ラジオの音は階段に近いほど音量が大きく聞こえました。階段側の個室は今本先輩の部屋です」
「本人に直接、話をしたのですか?」
「はい。音が外に漏れていた事を知らせたところ、何故お前達が聞いている、盗み聞きをしたのか、と反対に詰め寄られて、ぼく達もムキになって反抗的な態度を取ってしまったと反省しています」
「違反は違反ですからお気持ちは解ります。それで波風が立って先程の発言に?」
「そうです。『殴れるものなら殴ってみろ』と挑発されて、獅子王が……」
「売られた喧嘩は買います」
三人の中で最も小柄な獅子王が、最も視線を上げて言う。
「それも『生徒の秩序』ですか?」
「個人の在り方です」
「お気持ちは……解ります」
天堂には寮監の立場と個人感情の狭間から苦い了承を示す事しか出来なかった。
「寮監。獅子王は退学にならないですよね?」
弓削が素直な眦を僅かに下げる。隣に並ぶ二人の表情も硬い。
寮則違反が事実なら処罰を受けるのは今本の方だ。しかし、彼が怪我を負わされている点も看過する訳にはいかない。
天堂が眉根に力を入れて三人を見ると、怯える気配が伝わってくる。
彼らにとっては入学後初めての大事件だろう。天堂にとってもまた、就任後初めての難問である。だが、頭を抱えて立ち止まってはいられまい。若者が五十人も集まって生活をすれば、これからこのような事態は次々と起こるに違いなかった。
「情報を精査して、公平な対応を取ります。日辻さん、弓削さん、獅子王さん」
「はい」
三人の返事がぴったりと重なる。
「先生方には私から連絡をしておきます。二時間目から授業に戻って下さい」
「……はい」
今度は降り始めの雨みたいに、三人はばらばらに答えて立ち上がった。日辻と弓削が先に退室して、最後に獅子王がドアノブを押さえる。
「寮監」
「!」
「騒ぎを起こしてすみませんでした」
謝罪して扉を閉めた獅子王の瞳には、反省より後悔より、憤りに似た色が塗り込められていた。
(つづく)
▼高里椎奈『私立シードゥス学院 小さな紳士の名推理』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322005000369/