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試し読み

全寮制の学院では、寮生同士の衝突も日常茶飯事……? 『私立シードゥス学院 小さな紳士の名推理』序話試し読み #3

「薬屋探偵」「うち執」などで大人気の作家・高里椎奈さん。待望の新作『私立シードゥス学院 小さな紳士の名推理』は、全寮制の学院を舞台に仲良し1年生トリオが謎を解く寄宿学校ミステリです。10月23日の発売を前に、カドブンでだけ特別に新作の序話を配信いたします!


私立シードゥス学院 小さな紳士の名推理


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      3

「問題の解決は各寮内でお願いします。学校側からは以上です」
 性別問わず、その芸術的な美しさに頭を垂れてしまうであろう笑顔を携えて、酷薄な指示が下された。
水上みなかみさん、それではあまりに薄情ではありませんか」
寮監ハウスマスター
「! はい」
 サイドへ流した前髪の影で、冷たい青のアイシャドウが瞬きをして、彼女の眼差しから光だけを消す。
「学院に属する者同士、私の事は『校長』と」
「失礼しました。水上校長」
「それでこそ学院の一員です」
 彼女の賢さが言外で、天堂に圧力を掛けた。
 一員として学院に尽くす事。自分の立場を弁える事。
 水上は学校を預かる校長で、寮の瑣事には関わらない。これは寮監の天堂が、寮内で収めるべき問題である。
「三名の遅刻については記録上不問とします。後はよしなに」
 水上が立ち上がる。革張りの重厚な椅子が微かな音をさせて皺を伸ばし、息を抜く。話は終わりだ。
「よろしくお願いします」
 天堂は回れ右をして戸口へ引き返した。
「こちらこそ、よろしく。寮監」
「? はい」
「生徒達の為に、他寮に誇れる寮にしてあげてね」
 天堂の頭の中を見透かしているかのように、水上が微笑みで速やかに釘を刺した。

 学校からアドバイスを得られないのであれば、寮の関係者を頼る他ない。天堂は内心ではそう考えていた。
 全寮制と一口に言っても、全校生徒が寝食を共にするのは人数の面から不可能だ。生徒達は各学年十人ずつに分けられて、五学年五十人がひとつの学生寮ハウスに集められる。
 天堂が寮監を務める学生寮以外にも四寮が存在していた。
(校長の口振りではまるで……)
 天堂が抱えるもやもやとした疑念とは裏腹に、学院の中庭の何と美しい事だろうか。
 踏み心地の好い砂利が敷き詰められた小径を囲むのは青々とした芝。
 ガーデンベンチに腰かけて格子の背凭れに身を預ければ、遠景に木立を望み、背後に佇む低い丘には薔薇が空を仰いでいる。中庭に面した外廊下には等間隔に並ぶ柱が影を落として、生徒達の笑い声が断続的に日向に輝いた。
 制服は獅子王らと同じブレザーだが、ネクタイの色が異なる。
 学年ではなく、寮ごとに着用を義務付けられる意味。
 天堂の頭上を心のもやもやに似た雲が流れていく。緑風に人工的な香りが含まれた気がした。
「こんにちは」
 砂利道を行き交う生徒の一人がベンチの前で立ち止まる。
 天堂は背凭れから上体を引き起こした。
「どうも、こんにちは。君は?」
特別寮ウィオラーケウス、寮長の早乙女さおとめです」
 彼がしなやかな所作で右手を胸元に当てると、袖口からスパイシーな香水が薫る。黒地に紫色のラインが入ったネクタイは、確かに特別寮の生徒だけに着用が許された柄だ。
「早乙女さん。他寮の子まではまだ覚えられていなくてすみません。私は――」
青寮カエルレウムの天堂寮監ですよね」
 反対に自分が知られているとは思わなかった。驚く天堂に、早乙女が優美な笑みを浮かべる。
「御心配なく。我々、奨学生スカラーはそれぞれの分野で功績を上げる事が義務付けられた精鋭です。いずれ自然とお耳に届くでしょう」
「楽しみにしています」
 天堂が微笑み返すと、早乙女は大公に仕える騎士の様に恭しく身を屈めた。大仰だが奇を衒って見えない動作は、彼が生まれた時からそうしていたかのように自然だ。校則に従った髪型は大差なくなるものだが、明るい髪色の所為か、柔らかな癖が与える印象か、毛先が風と戯れるだけで華がある。
 優雅な動作に意識を惹き付けられて、天堂は気付けば早乙女の端正な顔立ちから目を離せなくなっていた。
「寮の事で何かお困りですか? これでも寮長の端くれ、ぼくでよければお力になれるかもしれません」
「御親切に、ありがとう」
「お隣いいですか?」
「私の方が生徒の相談を聞かなければならない立場だというのに、気を遣わせて申し訳ないです」
 天堂は三人がけのベンチの左側に寄った。
 優しく靭く健やかな精神を宿す。
 学院が掲げる理念を体現した手本の様な生徒である。彼の意見は天堂より生徒に近く、学院での経験も頼りになるだろう。
 早乙女がベンチに並んで腰かけて、屈託のない笑みを綻ばせたので、天堂は徐に口を開こうとした。
「実は」
「こんにちは、寮監。お疲れ様です」
 会話を遮る無遠慮な挨拶に、天堂と早乙女は同時に木立の方を振り仰いだ。
「瀬尾……」
 同じ方向を見る早乙女の表情は、天堂からは見えなかった。だが、声には確かに剣呑な響きが滲んでいる。
 天堂は咄嗟に唇を結んだ。
 瀬尾が革張りの本を左手に持ち替えた。
「図書室に立ち寄った足で昼食のお迎えに伺えればと思っていました。寮監さえよろしければこのまま御案内します」
「少し待ってもらえませんか? 早乙女さんとお話をし始めたところなのです」
「それでは、ぼくも同席させて頂きます。問題はないな、早乙女?」
 瀬尾の影が重なって、早乙女の目元が暗く落ち窪んで見える。翳りの奥から睨め上げる眼光がまるで別人の様に鋭い。瀬尾の口調は平素と変わらず穏やかだったが、彼が早乙女が纏う空気を変えたのは間違いなかった。
 天堂を除け者にして、二人が向かい合う。
「瀬尾さん。早乙女さん?」
 どう間に割り込んだものか。天堂の困惑の外から、身体ごとそれをやってのけた生徒がいた。
「瀬尾先輩、寮長に何の御用ですか!」
 ベンチに座る早乙女を背に庇い、早乙女に立ち向かう。まだ細い首がシャツの襟元を余らせて、ジャケットとズボンも関節の辺りにだぶつきが見えた。
 襟章は二年生、ネクタイは黒に紫色のライン。前髪を眉の下で切り揃えて、細く癖のない髪が耳元まで覆う後頭部はバスケットボールの様に丸い。
「公正と安全を期する為、寮生の立ち合いを要求します。即ち、ぼく、角崎つのざきの」
「こちらに特別寮、及び早乙女を追及する意思はない」
 瀬尾が速やかに答えたが、二年生は引き下がらなかった。
「どうだか。他寮は何かと特別寮を目の敵にしますからね! ぼくたちは成果を認められて入学を望まれた奨学生スカラーです。一般生徒や、況して奨学生バーサリーに妬まれようと、わが身を守り、学院で本分を全うする責任があります」
「角崎」
 弓なりに反らした彼の背中に早乙女が手を添える。そんな小さな仕草まで雅やかだ。
「早乙女寮長、御安心を。ここはぼくが代わって対応します」
「大丈夫だ。ありがとう」
 早乙女が微笑むと、角崎の態度が漸く刺々しさを弛める。早乙女はベンチから立ち上がり、半身を返して天堂に目礼した。
「お力になれず残念です。また機会があればお話ししましょう」
「あ、ああ。そうだね」
「それではお二人とも、ご機嫌よう」
「失礼します!」
 早乙女が恭しく挨拶をすると、角崎が三方を見比べてそれに倣う。彼らはジャケットの裾を燕尾服の様に流麗に翻して、校舎の方へ去っていった。
 中庭の静穏に明るい日差しが降り注ぐ。そよ風に薔薇と木々の小枝が揺れる。
 天堂は我知らず深く呼吸をした。吐息の後に虚ろが残った。
「寮監」
「はいっ」
 反射的に顔を上げて、天堂は目を剥いた。
 見下ろす瀬尾の表情が硬い。
「寮の問題は寮内で収めるのがこの学院に於ける鉄則です。生徒個人に関わる話を不用意に他言されぬよう御留意願います」
 瀬尾は決して声を荒らげなかったが、拍子を打つように淡々とした語り口は、懇願より命令の色が強い。
 どうやら天堂は、この温厚な生徒の表情を厳しくさせる禁忌に触れかけたらしい。
「ごめんなさい」
 天堂は膝に手を置いて頭を下げた。
 瀬尾はくどくどと説教を重ねる事はしなかった。
「特別寮と一般寮は反目しているのですか?」
「切磋琢磨する目的では、互いに意識する事もあるでしょう。一方で残念ながら、一部の奨学生スカラーが他の生徒を軽んじているのも事実です」
奨学生バーサリーも学院から学費を免除された優秀な生徒では……」
奨学生スカラーは一般基準を上回る特技を以て学院に支援される生徒です。奨学生バーサリーは学力が一般基準に達している事を条件に、金銭援助を受けて入学が叶った生徒になります」
「特別寮の子達にとっては、一般生と同じなのですね」
「一般寮で暮らす全ての生徒が格下そうなのでしょう」
 瀬尾が科学のレポートみたいに淡々と述べる。天堂は少しだけ、寮の問題は寮内で収めるという鉄則の理由が解った気がした。
奨学生バーサリーは我々の青寮カエルレウムにもいます」
「そうでしたね。弓削さんと今本さんも……」
 思い出して、天堂は瀬尾が牽制をチラつかせていた事に気が付いた。
「曲がりなりにも寮監です。奨学生スカラーでも奨学生バーサリーでも態度は変えません!」
「当然です」
 時計台の鐘が鳴る。
 連なる校舎に反響して、無人の寮にも届いているだろう。
「昼食の時間です。御案内エスコートします」
「ありがとう。よろしくお願いします」
 天堂が寮長の日課に礼を言うと、瀬尾が革張りの本を右手に持ち替えた。

(つづく)

高里椎奈『私立シードゥス学院 小さな紳士の名推理』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322005000369/


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