私立シードゥス学院 小さな紳士の名推理
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事件は、寄宿学校で起こる。King&Prince永瀬廉主演で映画化された「うち執」シリーズの高里椎奈、新作始動! 『私立シードゥス学院 小さな紳士の名推理』序話試し読み#1
「薬屋探偵」「うち執」などで大人気の作家・高里椎奈さん。待望の新作『私立シードゥス学院 小さな紳士の名推理』は、全寮制の学院を舞台に仲良し1年生トリオが謎を解く寄宿学校ミステリです。10月23日の発売を前に、カドブンでだけ特別に新作の序話を配信いたします!
序話 起床ベルが鳴る前に
問
その事件で、皆が困ったり怒ったり怖がったりしました。
犯人は見つかりましたが、大人は有耶無耶にして隠してしまいます。犯人も罰を受けずに解放されました。
けれど、文句を言う人は誰もいません。
何故でしょう?
序話
1
この学校で最も勤勉な者と言えば、敷地の中心に聳える時計台だろう。
学園の全てを眼下に一望し、荘厳な鐘の音は隅々まで響き渡って定刻を報せる。学舎の厳粛な佇まいのゴシック建築に似合いの低音だが、伝え鳴る先は学舎のみならず、講堂、体育館、図書館、博物館、劇場、売店、食堂、温室、そして、ここ学生寮も例外ではなかった。
一日の始まりは七時、起床を告げる鐘で寮内は慌ただしく動き出す。五分もすれば朗らかな声が聞こえてくるのだから、十代の子ども達は活力の塊だ。
彼はそういう訳にはいかない。
数年前に成人を迎えて、休日には二度寝の雅を嗜む。規則通り七時半に朝食を摂る為には、生徒らより三十分は早く起きなくては胃が目を覚まさなかった。
冷たい水で顔を洗って眠い瞼を叩き起こす。頭を擡げると我ながら簡素な顔立ちが鏡に映って、無為に作った笑顔をタオルで押さえた。幸い、聞き分けの良い髪は耳に掛かる程度の長さがあっても手櫛で大人しく整える事が出来る。
彼はシャツの襟にループタイを通して、寮章をあしらったカメオのタイ留めを第二ボタンの高さまで引き上げた。タイ留めはカフスボタンと揃いで、就任時に学校から贈られた特注品だ。裏返せば金の名前が刻印されている。
R.Tendo――
コンコンコン。
「
樫の扉が立てる音は耳に心地よい。呼びかけた声も落ち着いた中低音で、天堂の表情を自然と微笑ませた。
扉を開けると、思った通りの生徒が姿勢を正して佇んでいた。
「おはようございます、
濃紺のジャケットに合わせるネクタイは青緑色。隙なく着こなした制服に比べると黒髪は校内では伸ばし気味だが、前髪は眉に掛かりこそすれ睫毛に触れる事はない。湖面の様に静かな眼差しは何処か謎めいた雰囲気すら感じさせて、見る者を無意識下で惹き付けた。
「朝早く申し訳ありません」
「確かにランチのお迎えには早い時間ですね。相談事ですか?」
「御相談……いいえ、やはり御報告と言うべきです」
瀬尾が言い淀む。彼には率直な印象を抱いていたので、天堂は不躾に首を傾げそうになった。
「中に入りますか?」
「こちらで。早急にお伝えすべきと考えます。どの道、寮内には今頃、知れ渡っているでしょう」
寮を執り仕切る寮監が最後とは随分と出遅れたものだ。天堂は嫌な予感がして、笑顔を保ったまま心の準備をした。
「ではここで」
促した天堂に、瀬尾が視線で頷き返した。
「一年と五年の寮生が負傷しました。拳での喧嘩です」
「もっと急いて良いのでは!?」
天堂は廊下に出ようとして、ジャケットを取りに部屋に戻り、袖を通しながら歩き出して、場所を聞いていなかった事に思い至った。
「瀬尾さん、案内をお願いします」
「落ち着いて下さい、寮監。人類が衝突せずに共存する事は不可能です」
規則には寮内を走ってはならないとあるが、瀬尾の歩みはあまりに緩やかである。
天堂は足踏みしたい気持ちを抑えて、彼が隣に並ぶのを待った。
「君の落ち着きが崩れるのを見てみたいものです」
「目玉焼きは潰して食べる方が好きです」
大人びた瀬尾の横顔は生真面目で、天堂が彼の冗談に気付いた時には階段をすっかり上り切っていた。
子供の時間は密度が濃い。心身共に日一日と有り様を変えて、一年も過ぎる頃には目を瞠る成長を遂げるだろう。
本校、私立シードゥス学院は、特に進化著しい十三歳からの五年間、学業及び生活を共にする全寮制の教育機関である。
学校では教師が、寮では専任の職員がサポートに当たるが、天堂が務める寮監もその一人。文字通り寮生の監督をする役職だ。
寮母は生活面を補佐して、寮監は秩序の維持に務める。
学校との連携指導、私物の取り締まり、休日の外出許可、心配事の相談。そして、諍いの対処も寮監の役目だ。
十三歳の一年生と十七歳の五年生とでは体格もまるで違うから、天堂の想像は深刻にならざるを得なかった。雛鳥を石で打つようなものだ。雛にも石にも傷が残る。前途ある若者に負わせて良いはずがない。
「こちらです」
瀬尾が案内を終えるまでもなく、騒ぎの中心は明らかだった。
廊下から室内を覗き込んでいた数人が、天堂と瀬尾に気付いて壁際に身を潜める。
瀬尾が窘めるように彼らを一瞥して戸口に立った。
「一件に関わりのない者は退室せよ。短時間に押しかけて食堂の方々の手を煩わせては、我が寮の名折れとなるぞ」
寮長の叱責が号令の様に寮生を動かす。まず戸口に近い者達が退室し、散乱した本やカードゲームを片付ける者達を瀬尾が制止して戻らせると、疎らに居座る物見高い者達も首を竦めて足早に廊下へ出た。
残ったのは四人。
Ⅴの襟章を付けた五年生と、対峙する三人はⅠの襟章を付けている。
「え……」
天堂が喉に詰まらせた疑念を、先に言葉にしたのは瀬尾だった。彼は四人を順に視線で追って、ソファで固まる一年生の方を見た。
「よもや三人がかりではあるまいな?」
「とんでもない。
率直に答えたのが一年生にしては長身の生徒で、天堂はまた密かに驚いた。体格から考えて、拳を振るったのは彼だと思っていたからだ。
それほどに五年生の有り様は散々だった。ネクタイの結び目が解けてはだけたシャツのボタンは幾つか飛んでいる。ジャケットは先に脱いだのだろう、ソファの背に掛かっていて無事だったが、ウエストコートの本来持つ上品な型は見る影もない。頰に氷嚢を当てているから、顔面も殴打されたのではないだろうか。
対する一年生は左耳に切り傷がある程度――応戦の甲斐はなかったらしい。
「対処をお願いします、寮監」
瀬尾が澄んだ瞳で天堂の采配を待っている。他の四人も同様だ。
天堂は空咳を拳で隠して、五年生の傍に屈んだ。
「
「ぼくに非がない事は誰に聞いても分かると思います」
今本は氷嚢を押さえ直し、正しい判決を疑わない顔で答える。
天堂は頷き返して、一年生三人の方に向き直った。
「
「はい」
長身の彼が蛇に睨まれた蛙みたいに目を逸らして返事をする。
「
「はい!」
元気な返事が勢い余って彼を立ち上がらせる。
天堂は最後に彼と目を合わせた。
「
「……はい」
最も小柄な彼が上級生をのしたとはまだ信じ難いが、俯いた目元には罪悪感と不安が滲んでいる。
寮監として話を聞かなければならない。
「君達は朝食後、私の部屋に来なさい。先生には連絡をしておきます」
「はい、
三人が従順に声を揃えた。
(つづく)
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