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試し読み

自身の楽曲をもとに描く、瑞々しい青春群像劇【シンガー・ソングライターUru初短編集『セレナーデ』より表題作「セレナーデ」試し読み#1】

シンガー・ソングライターUruの初短編集! 自身の楽曲をもとに描く、脆くて眩しい3つの物語
『セレナーデ』

ドラマ『中学聖日記』『テセウスの船』『推しの王子様』、映画『ファーストラヴ』などの主題歌を続々とヒットさせ、第62回「輝く!レコード大賞」にて特別賞を受賞した、シンガー・ソングライターUruの短編集『セレナーデ』が発売。
ファンクラブ会員限定で発表している自身の曲を素に書かれた短篇「しあわせの詩」「鈍色の日」、そこに書き下ろし「セレナーデ」を加えて刊行いたしました。
また、「セレナーデ」は楽曲にもなり、ドラマ日曜劇場「マイファミリー」の主題歌「それを愛と呼ぶなら」のカップリングに収録されています。
今回は表題作「セレナーデ」の冒頭部分を特別公開します。お楽しみください。



▼Uru『セレナーデ』特設ページはこちら
https://kadobun.jp/special/uru/serenade/

『セレナーデ』より表題作「セレナーデ」試し読み #1

 気がはやってペダルから足が外れそうになる。いつも大体赤信号に引っかかる目抜き通りの交差点が見えてくると、ハンドルを握り直してなまつばを飲み込んだ。
 赤信号に変わった横断歩道の手前で、子ども連れの母親が一瞬こちらを振り返る。
 ほんの少し周囲を気にしながら、自転車のカゴに入れたコンビニの袋に勢いよく右手を突っ込んだ。あらかじめ一番上にしていた、自転車に乗りながらでも食べられそうな菓子を取り出し、封を開けて口に放り込む。一口大のチョコレートクッキー。昨日の夜はこの瞬間を想ってなかなか眠れなかった。あごを上下させながら脳が求めるまま食べ物をしやくすると、口いっぱいに広がった糖分が一気に幸福感を体中へ伝えていく。快感だ。きゅっと狭くなるえきせんに鈍痛を感じながら、飢えた動物のように絶え間なく口に詰め込んだ。
 今日は金曜日。「そういう日」にするのだと月曜日くらいから決めていた。明日は学校が休みなので、いくら食べようとも、いくらお腹を下そうとも問題はない。強烈な高揚感と食欲の中、これから向かう学校が煩わしくて仕方なかった。
 信号が青に変わると、最後のチョコレートクッキーを口に入れ、まだ袋の中に残っている菓子パンやデザートを想いながらペダルに足を乗せた。
「保育園終わったらおうちでプリン食べようね」
 追い抜きざまに聞こえてきた母親と子どもの会話。何気ないやり取りに、まだ何処も壊れていない真白で「正常」な日常を勝手にうらやんだりした。
 私も三年前までは「正常」だった。家族と共に食卓を囲み、お腹がけば何の罪悪感もなく食べたいものを食べたい時に食べることができた。戻れるものならば、戻ってやり直したい。
 そんな事を考えていると突然胸が詰まるように苦しくなって、自転車に乗りながら泣きそうになった。
 糖分が運ぶ幸福感は、短い時間のうちに罪悪感や恐怖へと変わる。今はまだその短い幸福感の中にいるはずなのに、ふと正気に戻ると空しく感じる事も段々と増えていった。
 いつまでこんな事を続けるのだろうか。
 生徒がたくさん集まる学校近くのコンビニの前を通り、はやの待ついつもの場所へと向かった。特にこれといって目標物の無い場所。唯一あるとすれば、昔繁盛していたであろうすぎ商店という小さな商店の朽ちた看板だろうか。付き合い始めたばかりの頃は何度か迷ったけれど、毎日通っているうちにすっかり覚えてしまった。隼人の待つ場所の通りに入る前に、自転車を停めてかばんからはみ出ているコンビニの袋を丁寧に鞄の中へしまった。
「おはよー」
「うっす」
 隼人はきちんとセットしてある髪を右手で触りながらまぶしそうに私を見た。
「今日ちょっと遅かったね」
「あ、ごめんね。ちょっとコンビニ寄ってたから」
「あ、あそこのセブン?」
「ううん、家の近くのとこ」
「ふーん。でもあおいんちの近くのコンビニ、学校と反対だから少し戻るじゃん」
 沢山買い込む姿を誰かに見られてしまわないよう、学校の近くのコンビニではこういった日の買い物は避けていた。隼人はしつ深く、時々探るように聞いてくることもある。
「そうなんだけどさ、朝のこの時間だと生徒が沢山いてレジとか待つしなんかパッと終わらせたい時には向いてないし」
「そっか。ま、別になんでもいいけど」
 と言いながら隼人は私の前をよぎって自然に車道側に位置を変えた。少し古風だけれど、男らしさをさりげなく伝えようとする姿が可愛らしいと思えた。
 隼人と合流してから学校までの道は歩いて十五分程で、他愛たわいのない話をしながら歩く。隼人とは違うクラスであることもあって、朝のこの時間に毎日顔を見ることが隼人にとっては安心できる時間なのだろうと思った。
「おはよー」
 後ろから聞き慣れた声がした。
「あ……。おはよー」
 あいさつを返し終わった後で横目で隼人を見ると、明らかに不機嫌そうな顔をしていたのが可笑おかしくて、少し笑ってしまった。そして、そんな隼人の表情に胸の奥がぎゅっと狭くなって脈が速くなる。
 が胸の辺りで両手を合わせながらサイレントで「ごめんね」と唇を動かした。小さく首を横に振って返す。ゆう、梨瑚、はるたいは小学校から一緒にいる仲間で、隼人と学校に通うようになるまではいつもこのメンバーで登校していた。
「あれ、今日りんろうは?」
「あー、なんか寝坊したみたいで遅刻するってさ」
「わー、さすがですね」
「本当に」
 隼人は、自分の知らない過去の私をよく知っている仲間と私が親し気に話す事、そしてそこに男が紛れている事を快く思っていなかった。
「おはよー」
 目が合えば挨拶は返すものの、自分からは絶対に会話を振らない。そして、このメンバーが全員同じクラスだということも面白くないようで、見てわかるほどに不機嫌になってしまうので、挨拶だけ済ませると毎回みんなは速足で追い越して行ってしまう。
 心の中で、『ごめんね』とつぶやきながら後ろ姿を見送った。
 この嫉妬深さはどこからくるのだろうかと、そのポーカーフェイスの裏側を不思議に思う事が時々ある。
 私を含め家族や友人達、心から信じられる人間はいるのだろうか。愛情に飢えているようにさえ見える隼人の嫉妬深さが、「可愛らしい」を超えてしまうことだってある。本当に心を開いていないのは、私だけじゃないのかもしれないと、ぼんやり思ったりした。
「陽君て、葵と保育園から一緒なんだっけ?」
「え? ああ、うん。陽もそうだし、凜太郎も一緒だよ。大史と梨瑚と結菜は小学校から一緒。前も話さなかったっけ?」
「いや、聞いたけどさ。いいよな、一緒のクラスで」
 子どもの様にくされる隼人の頰を人差し指で刺した。恥ずかしそうに私の手をはらいながらもそのまま強く握りしめた。
「てか、自転車押しながら手つなぐのしんど」
「あ、確かに。ごめん」
 冗談ぽく笑って話すと、隼人も少し笑ってくれた。
「ううん。ちょっと可愛かったりして」
 いつか隼人にも話そう。もし話したなら、隼人はなんて言うだろうか。話した所でどうなるのか、法に触れるような悪い事をしている訳でもなく、後ろめたさも無い。でもできることならば、迷っている間に自然に治っていて欲しいという願いが強かった。
 ネットで症状を調べているうちに、自分が摂食障害であることに随分前から気づいてはいた。隼人は隠し事を嫌うことも知っていたけれど、なかなか話すこともできずここまでずるずると来てしまった。嫌われたくはない。けれど、あまりその事に触れて欲しくもなかった。
「じゃあ、またLINE入れるね。あ、今日の昼はゆうだいたちといるから」
「わかった。じゃまたねー」
 少しホッとしている自分がいた。一緒にいる時間が苦しく感じられてしまうのは、自分側に問題があるからなのだろうか。もっと真っさらな『正常』な自分で恋愛がしたい。隼人は真っ直ぐな気持ちをいつも私に向けてくれているのに。こんな風に最近は、何をするにも重たい陰が付きまとってくる。
『自分の事を愛すことが出来なければ、他人など愛せない』
 SNSで見た誰かの格言が、頭の中でぐるぐると旋回した。
「おはよー。さっきありがとね。毎回気遣わせちゃってごめんね……」
「いや、全然。あのあと大丈夫だった? なんか結構怒ってたっぽいし」
 ワイシャツのそでまくりながら陽が言った。
「ああ、うん。全然大丈夫。ああいう人なんだよね」
「ま、俺ら別に何もしてないんだけどね」
「本当ごめん」
 苦笑いしながら話す陽に、謝るしかなかった。
「まあ気にすんなって。葵が幸せなら俺らはそれで。てか、今日、例のものは……?」
 陽は両手をこすりながら肩をすぼめて言った。
「はいはい。これね」
 鞄の中のコンビニの袋から、SNSで話題になっている期間限定のミルクレープを出した。
「うっひょー。これか───。昨日も家の近くのコンビニ寄ったけど無かったんだよね。まじサンキュー。これであと二日位生きれるわ」
「いやおおだわ」
 昔からこの空気感がとても心地よかった。そして、食べ物に関して素直に喜べる気持ちもまた羨ましく思った。
 結菜も梨瑚も大史も凜太郎も大事な仲間で、仲間がいれば強くいられた。けれど、信頼できる仲間にさえも話せていないこと、ずっと一人で抱えていることが、ちょっとした刺激で破裂してしまう大きく膨らんだ風船のように、不快なきしんだ音を出している。そろそろ、本当に苦しくなってきている事を自分でもよくわかっていた。
「葵、一限移動らしいよー。調理室だって」
「おけー。凜太郎間に合うかな」
「もうすぐ着くってさっきLINE入ってたよ」
 凜太郎の度重なる遅刻にあきれながら、みんなで調理室に移動した。
 自分の席に着き、授業が始まるまでの間隼人にLINEを入れた。
『一時間目調理室だった! 久しぶりの調理室!』
『ほー。なんかいいね。こっちは朝から数学。』
 いつも通りの返事に少しホッとする。
 先生が入ってくると、生徒達はそれぞれ自分の席についた。
 トレーのようなものにたくさんの食材を載せて、栄養素の授業が始まった。でる、焼く、煮る、いくつかの調理方法によって栄養素がどんな風に変わっていくのかという授業内容だったが、その匂いに釣られて、抑えていた食欲が爆発しそうになった。
 鞄の中にしまってある菓子パンが脳裏に浮かんだ。
「葵?」
 梨瑚の呼びかけによって我に返った時には、生徒達は先生が立つ調理台の周りに集まっていた。
「あ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」
「眠いよね、この時間て」
「ほんとそれ」
 どうがするほどの焦燥感と食欲を抑えながら、どこでなら食べる事ができるだろうかと校内で過食が可能な場所を探している自分にゾッとした。
「あ、凜太郎」
 陽が調理室の後ろの入り口の方を向いて言った。
「先生、すみません、遅くなりました……」
たちばなくん、おはようございます。連絡は聞いていたので大丈夫よ」
 先生は軽く言葉を交わした後、すぐ授業に戻った。
「ひぃ───まじ焦ったわー。二度寝しちゃったんだよね」
「お前これで何回目だよ」
 一度も遅刻をしたことのない、真面目でちようめんな性格の大史は、少しけいべつしたような表情で笑った。
「お前とは違う世界に住んでるもんで」
 凜太郎が言い返すと、陽が間に入るように口元に人差し指を当てて前を向けと合図した。
 そのやり取りを、私はただなんとなく見つめていた。別世界に住んでいるのはきっと私だ。そう思いながら。

(つづく)

Uru初短編集『セレナーデ』


セレナーデ


セレナーデ
著者 Uru
定価: 1,760円(本体1,600円+税)
発売日:2022年06月15日

みんな、誰にも言えない「秘密」を抱えて生きている――。
シンガー・ソングライターUruが自身の楽曲を元に書いた短編集、デビュー記念日に発売! 脆くて眩しい3つの物語。

シンガー・ソングライターUruの短編集が2022年6月15日に発売。
ライブ会場での朗読やファンクラブ会員限定で発表している自身の曲を素に書かれた短篇物語「しあわせの詩」「鈍色の日」、そこに書き下ろし「セレナーデ」を加えて刊行いたしました。
また、物語の元になる「セレナーデ」はドラマ日曜劇場『マイファミリー』の主題歌としても話題を呼ぶニューシングル「それを愛と呼ぶなら」のカップリングとして収録されています。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322110000632/
amazonページはこちら

初短編集『セレナーデ』発売Uruインタビュー



初短編集『セレナーデ』発売Uruインタビュー「弱っているとき、周りの人に助けてもらったり享受してきたものがたくさんあって。そういうものを書きたいと思いました」
https://kadobun.jp/feature/interview/6c071gdi4fsw.html


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