2024年3月の角川文庫仕掛け販売タイトルとして、新オビでの展開(※)がスタートした大崎善生さんの『聖の青春』。これにあわせて、第1章がまるごと読める試し読みを公開!
ぜひこの機会に、気になる物語の冒頭をお楽しみください!
※新オビの展開状況は書店により異なります。
第1章がまるごと読める!
大崎善生『聖の青春』(角川文庫)試し読み
あらすじ
重い腎臓病を抱えつつ将棋界に入門、名人を目指し最高峰リーグ「A級」で奮闘のさなか生涯を終えた天才棋士、村山聖。名人への夢に手をかけ、果たせず倒れた“怪童”の生涯を描く。
プロローグ
祐司は何度も何度も後ろを振りかえりながら緑深い山道を登っていった。10人の子供たちは、元気に自分の後ろを歩いている。
どうしても気になるのは、いちばん後ろからちょこちょことついてくる、もうすぐ4歳になる弟の存在だった。広島市に囲まれた安芸郡府中町の自宅から歩きはじめて、もう3時間は経過している。11歳になる祐司でさえ足腰にけだるい疲労を感じはじめていた。
しかし、3歳の聖はひょいひょいと軽快な足どりで跳ぶように山道を歩いている。
「たいしたもんじゃ」とその姿を確認するたびに祐司は弟の体力と気力に感心した。
近所の子供たちで編成されたパーティーは家から6キロほど離れた茶臼山の頂上をめざして、山深くの沢伝いを歩いていた。
昭和48年、広島の初夏のことである。
沢蟹を捕りながら山を登ろう、という祐司の呼びかけに近所の腕白10人が参加した。このような企画を立てると、必ず「ついていく」と言い張る聖も一緒だった。
茶臼山はそんなに険しい山ではないが、何しろ家からは遠く道のりは長い。しかし、何度となく山登りをともにしている祐司は聖のことをそんなには心配していなかった。
山間に流れる小川を見つけては、じゃぶじゃぶと入りこんで川石を引っくり返す。するとまるで蜘蛛の子を散らしたように、石の陰に隠れていた沢蟹が縦横に走り出す。それを手でわしづかみするのである。そんな単純な方法ではあったが沢蟹はおもしろいようによく捕れた。捕るだけ捕ると、それをビンに詰めてまた山頂に向かって移動していく、そして手ごろな沢が見つかればまた沢蟹を捕る、そんなことを繰りかえすのである。
「ぎゃーっ」
川で何度目かの沢蟹捕りをしているとき、後方から突然切り裂くような聖の悲鳴が聞こえてきた。鬱蒼とした緑に囲まれ、静まりかえった山の中にその声は響き渡った。
祐司は慌てて聖のところへ駆け寄っていった。
「お兄ちゃん、これ何じゃ」
聖は目をまん丸くして祐司を振りかえった。
「これ何じゃ」と指す聖の指先が恐怖に震えていた。3歳の聖にはそれが何であるかは理解できなかったが、何か恐ろしく危険なものであることは本能が教えていた。
弟の震える指先のわずか30センチ先の岩の上で、大きな蛇がとぐろを巻き、いまにも襲いかからんばかりに鎌首を上げていた。
暗い灰色をしたその蛇は、身体中が特徴のある銭形の紋様に覆われていた。
「動くなよ、聖」
ごくりと唾を飲みこむと祐司は低い声で命令した。
「わあー、まむしじゃー」
子供たちは一斉に叫び声を上げると、一目散に沢からすぐ上を走る登山道まで駆け上がっていった。
川辺には二人の兄弟と一匹の巨大なまむしが残された。
聖はことの重大さが理解できずにきょとんとしている。
祐司はまむしを興奮させないように少しずつ聖ににじり寄っていった。全身から吹き出す汗がポタポタと川石の上に落ちた。
「聖、じっとしとけよ」
「どうしてじゃ」
「いいから。じっとしとけ」
「わかった」
目の前で子供に指を差されたまむしは興奮状態にあり、いつでも襲撃できる体勢を整え、一瞬のすきも見せない。
「いいか、聖。そいつから目を離すな」
「ああ」
「そいつをにらんだままそこから少しずつゆっくり後ずさりせい」
「こうか?」
「そうそう。油断するなよ」
そろりそろりと近づいていく祐司の手が、後ずさりする聖の背中にやっと届いた。まむしはまるでわずかなすきをうかがうような目で威嚇の動作をつづけている。
祐司の足はがくがくと震えた。しかし弟を思う気持ちが恐怖心を行動に変えさせていた。
聖を後ろから抱え上げると、祐司は脱兎のごとくその場から逃げ去った。自分でもどこからそんな力が出てくるのかわからなかった。
安全な場所に立って沢を見下ろすと、まむしは微動だにせずに、相変わらず岩の上でとぐろを巻いている。
誰かが石を投げつけた。
それをきっかけに子供たちが一斉に投石をはじめた。しかし、見た目より距離があるのか石はなかなか届かない。石が岩にぶつかる音だけが山の中に空しくこだました。
祐司も大きな石を拾い、力いっぱい投げつけた。するとどうしたことか、祐司の投げた石だけはまるでそうなることが運命だったかのように一直線にまむしに向かって飛んでいき、鈍い音をたてて命中した。
「やったー」
子供たちが無邪気に歓声を上げた。
まむしの胴体がちぎれて吹き飛んだ。
そのようすを祐司と聖は固唾をのんで見守っていた。石が命中した瞬間、まむしは無機質な視線に怒りをこめ自分と聖をにらみつけたように祐司には思えた。
岩の上には無残に分断されてしまった胴体と、まるで悲鳴のかわりのような真っ赤な鮮血が飛び散っていた。
しかし、まむしは動きはじめた。ちぎれた下半身を振りかえろうともせずに岩から滑り降り、ぎくしゃくと藪のほうへと這いはじめ、やがて深い緑の中へと完全に姿を消してしまったのだった。
祐司が計画を立てたこの日のハイキングは無事に終わった。沢蟹も大漁で子供たちはそれぞれの家へ戦果を持ち帰った。
聖も最後まで誰に迷惑をかけることもなく、5時間にも及ぶ行程を自力で歩き通したのだった。
しかし、その夜に異変が起きた。
容赦ない高熱が突然、聖に襲いかかったのである。それは手足がしびれて動かなくなってしまうほどの烈しい熱だった。
3歳の子供には確かにきつすぎる山登りだった。もちろんその疲れがあったのかもしれない。しかし、祐司は自分が投げた石によって体の半分をちぎられながら、藪の中に這いこんでいったまむしの姿を忘れることができなかった。
この日を境に聖と病気との長い長い闘いの日々ははじまることになる。
そして祐司は祐司で自分の投げた石が弟に災いをもたらしたのではないかという疑念から逃れられなくなる。
まむしの呪い、そんなことがありえないとはわかっていても、まるでしつこい耳鳴りのように振り払っても振り払っても、いやそうすればするほどその言葉が祐司の脳裏に焼きつき二度と離れなくなってしまうのであった。
*
平成10年8月8日、一人の棋士が死んだ。
村山聖、29歳。将棋界の最高峰であるA級に在籍したままの死であった。
村山は幼くしてネフローゼを患いその宿命ともいえる疾患とともに成長し、熾烈で純粋な人生をまっとうした。彼の29年は病気との闘いの29年間でもあった。
村山は多くの愛に支えられて生きた。
肉親の愛、友人の愛、そして師匠の愛。
もうひとつ、村山を支えたものがあったとすればそれは将棋だった。
将棋は病院のベッドで生活する少年にとって、限りなく広がる空であった。
少年は大きな夢を思い描き、青空を自由にそして闊達に飛び回った。それははるかな名人につづいている空だった。その空を飛ぶために、少年はありとあらゆる努力をし全精力を傾け、類まれな集中力と強い意志ではばたきつづけた。
夢がかなう、もう一歩のところに村山はいた。果てしない競争と淘汰を勝ち抜き、村山は名人への扉の前に立っていた。
しかし、どんな障害も乗り越えてきた村山に、さらに大きな試練が待ち受ける。
進行性膀胱癌。
私は昭和57年に日本将棋連盟に入り、十数年にわたり将棋雑誌編集者として将棋界のもっとも近くで生活してきた。昭和57年といえば、村山がはじめて将棋界の門を叩いた年であり、羽生善治が佐藤康光が、その後の将棋界の地図を大きく塗り替える俊英たちが続々とプロ棋士の養成機関である奨励会に入会した年である。激動する将棋界を、将棋雑誌を作りながら間近で見つづけてきた。
その中でも、強く心に残っている棋士が村山聖である。
やさしさ、強さ、弱さ、純粋さ、強情さ、奔放さや切なさといった人間の本性を隠すこともせずに、村山はいつも宝石の原石のような純情な輝きを放っていた。
村山はその豊かな人間性で人を魅了してやまなかった。
父伸一、母トミコ、師匠森信雄。村山の側にはいつも桁外れに無垢で頑固な人間たちがいた。村山はその力を借りて、ときには二人三脚のように、そしてときには自分だけの力で史上最強のライバルたちとの闘いを繰りひろげていった。
つらい日々もあった。
胸躍るときもあった。
本書はその愛と闘いの記録である。
これは、わずか29歳で他界した希有な天才棋士村山聖の青春の物語である。