いくら食べてもおなかがすいて、直ぐに倒れてしまう。
原因不明の特殊な虚弱体質のせいで「ふつう」の人生をあきらめていた主人公。
彼女が出会ったのは、唯一おなかを満たす料理を作れる、謎多き美貌の料理人で――。
累計68万部大ヒットシリーズ著者、あさばみゆきさんの最新作は、鎌倉を舞台にした〈ごはん×怪異×年の差契約結婚〉物語!
発売を記念して、カドブンでだけ特別に、各章名シーンを配信いたします。
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初めて目にする夫・頼兼の「本業」。そのさなか、〈夜ノ人〉――怪異の根源となる怪しきモノの総称――と目が合ってしまい!?
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心臓が波打ってる。胸を押さえて一歩下がった時、コップの水面に何か映りこんでるのが見えた。
ピンク色のミネコのシャツ。しかしその上にのっかっている首は、白い、つるりとした……毛のない頭だ。ミネコじゃない、人間ですらない。
上下に
ミネコの体に生えた、蛇の首!
水鏡に映ったソレと目が合った!
全身の毛が
吸いこんだ息が
ぬぅるり。
首すじから押し入られるカンショク。
「小鳥さんっ?」
異変に気付いた頼兼が、迷いなくミネコをほっぽり出して小鳥に腕を伸ばす!
(ちょ、頼兼さん、それヒドくないっ?)
なんてツッコむうちに、視界が暗転した。
※
あーあ、もう嫌だぁ。疲れたなぁ……。
だってさ、まともに勉強できる体調になったの、一か月前なんだよ?
積み重ねてるモノがなんにもないって、先生だってわかってるじゃん。
もう三年の夏ですし、今さら大学やら短大やら進学は考えてませんよね? 無事に卒業できたら御の字ですよね──ってカンジで。
考えなきゃいけないコトがいっぱいありすぎる。
成績も進路も、それに夜ノ人に食われやすい体質ってなによ。めっちゃ怖いじゃん。どーすんの私。
ホントにもうさぁ、逃げられたらいいのに。
テストから? ううん、ぜんぶから。現実から。
だって私、留年生だし。友達いないし。頼兼さんにも迷惑かけすぎ生活だし。
ああ、とガックリ首がうつむく。
背中が重たくて泣きたい気持ちになってくる。
親だって……、こっちに引っ越す時は心配そうに送りだしてくれたけど、今ごろホッとしてるって分かってるんだよ。
お母さん、テニスサークルに入ったって言ってたもん。
倒れるたびにまたかって思ってたの、言葉にしてなくても伝わってきた。
私の世話のせいで、お母さんとお父さんの仲がケンアクになっちゃったのも知ってる。
高校留年でも医療費でもすごい金額になっただろうし、散々苦労かけちゃった。
なのに私は親孝行どころか、今後どうやって自立してお金稼いで生活してけばいいかなんて、全然頭に浮かんでこない。
──チャリン。
家計簿を開いて
私の入院費で、親が何をできたかなって考えちゃう。
現実はシビアだよ。お金がないと生きてけない。
──チャリン、チャリン。
いろんな人に迷惑かけまくって、ここまで生かしてもらったのにさ。生きるのがしんどいなんて、絶対、思っちゃいけないのに。
チャリン。
さっきから何か、金属が打ち合う小さな音がする。
お金の音?
水が流れるような音がまざる。
ぼんやりした視界。
大勢の人がすぐそこでお祈りしてる。
──どうか、お金に困らない暮らしができますように。
──商売が当たって、いっぱい
──転職、成功! お願いします!
この景色はなに?
ザルにのせたお札に、ざぶざぶ
──ああ、またかぁ。またお使いに行ってやんなきゃかぁ。
小鳥の頭のなかで、誰か別の声が溜息をついた。
チャリン、チャリン。
そうか、これはお
「あらら。やっぱり小鳥さんに移っちゃいましたか」
男の人の穏やかな声。頼兼さん?
背中に手を添えられ、椅子に座るよう誘導された。
がたん、と、確かに自分のおしりが椅子についた感触がある。
なのに目の前は、人々が手を合わせてお祈りする景色のままだ。
小鳥は鼻をすんと動かす。
強烈に胃ぶくろを刺激する、いい香り。卵のふんわりした香り!
「おなか
優しい声に誘われて、においの方へ顔が引き寄せられる。だが小鳥は必死に自分の動きを押しとどめた。
「でも、あの、わるいから」
「悪くないですよ。どうして悪いなんて思うんですか?」
「わたし、めいわくかけてばっかで。おかねもはらってないのに」
「おや。いつも元気に食べてくれてたのに、本当はそんな事考えてたんですか」
相手のちょっと沈んだような声に、小鳥は慌てる。
「だって、わたし……、どこいっても、いえでもガッコでも、おにもつで」
口が考えたままに動く。ふわふわと
「お荷物? 小鳥さんは、自分が手をかけられる価値のないものと思っていますか? どうして?」
「だって、おかあさんとおとうさん、わたしのせいで、いつも、つらい」
「あのご両親は、小鳥さんを大事にしてるように見えましたけど」
「だから。だからわるいの。わたしがいたらタイヘンだから」
「……本気で何かを大事にするならば、大変な事がないはずありません。けれどその上で、それでも小鳥さんが大事なんじゃないでしょうか」
お母さんの疲れきった顔を思い返して、ぎゅうっと胸が苦しくなる。
「でもわたし、もうムリって、すてられたくない。ほんとはわたしなんてすてたほうが、おかあさんしあわせになれるのに。ごめんね。ごめんなさい」
両親はもう限界に見えた。
だから実家を出てここに来たとき、寂しさよりも安心した。先に自分からいなくなったほうが傷つかないから。
「わたしも、もうつかれちゃったよ」
「そうですか……。
右手に
涙でぼやけた視界が、神社からカウンターの
匙にすくった、ふるりと揺れる卵のスフレ。
はむっと口に入れたとたん……、ぬくもりがいっぱいに広がった。
ふわふわの卵にくるまれた、透きとおった
熱といっしょに舌の上で溶けていく、染みわたる優しさ。
「あなたのほうも、ずいぶんとお疲れのようですね」
頼兼の声が、小鳥の首の後ろあたりに投げかけられた。
──つかれたよぅ。つかれちゃったよぅ。
小鳥の口を使って誰かが答える。
震える細い声だ。
──みんな、おかねおかねってさぁ。おいらんとこ、ホントはおかねの神サマじゃないのにさぁ。
小さな白蛇が小鳥の中で泣いている。
──バイトが見つかって、おいしいものをいっぱい食べられますように。
手を合わせる青年を、白蛇は水ぎわでとぐろを巻いて眺めていた。
行っておあげと放たれ、身をくねらせて人間のあとについていく。
見守って、本人に見合うだけの福を招いてやって、人間が幸せそうに笑ったのを見て満足した。
さぁ、ご主人さまのところへ帰って、褒めてもらおう。
そう息をついたとき。
──今日はラッキーだったけど、
そうつぶやいた人間に、立ち去りがたくなってしまった。それであと一日、残ってやることにした。あと一日、もう一日。
最初は道端に百円玉が落ちていたのにも目を輝かせた彼が、バイト先で客におごってもらっても、人の善意に偶然助けられても、胸を冷やしたままでいる。
もうこの人間はありがたいの気持ちも抱かない。
蛇はだんだん疲れてきた。そして自分の尾っぽが灰色に汚れてるのに気がついた。
人間の強欲につきあいすぎたんだ。ご主人様のところに帰らねば、夜ノ人に
ずるずると神社に帰る坂をのぼる。
道の途中で、自分がなぜここにいるのか、どういうモノだかも分からなくなってきた。
ああ、腹減ったなぁ。
考えられるのはそればかり。
そこに、うまそうなエサがあった。
蛇は夢中でエサにかぶりついた。
とてもうまい、きれいな〈気〉だった。
もっと食いたい。でも一気に食いつくすにはもったいない。しばらく経って、エサが元気を取りもどしたころに、また一口いただこう。
手近にいたもう一人を
「ダメです。二度目は許しません」
──だっておいら、つかれたんだよぅ。
小さな蛇はさめざめと泣いている。
「わかりますよ。人間の欲は尽きることがない。まともにつきあっていたら、あなたがたが堕ちてしまう。本当にお疲れさまでしたね」
いたわる声色で、頼兼がさぁと二口目を勧める。
手が震えてうまく匙を口に運べない。ほたっと鍋に落ちてしまった。
頼兼が手を添えてすくいなおしてくれた。
「卵、お好きでしょう? 疲れた時にはなおさら卵ですよ。風邪をひいたら玉子酒と言われるくらい、滋養がありますからね。日本では卵を食べると罰が当たるなどと言われたせいで、卵がさかんに食べられるようになったのは、実は江戸時代ごろで意外と最近なんです。殺生を禁じる仏教の影響もあるでしょうが、興味深いのは、『日本書紀』で『宇宙の原初は、
これを食べてお腹いっぱいになったら、がんばったあなたがもう一度神使として再生できるように、弁天様が手を差しのべて下さるはずですよ」
──そうかぁ。おいら、またご主人さまのとこに帰れるかなぁ。もうダメだとおもってたよ。
大きな手のひらが、小鳥の頭を蛇といっしょに
とことんいたわって甘やかしてくれる、ふわふわ卵の優しい味。
そこにミョウガが
そうして、最後の一口。
──ごちそうさまでした。
手を合わせた時、蛇はもう、泣いてなかった。
引き戸ががらがら動く音。外の風が吹きこんでくる。
あ。雨、やんでる。
小鳥がそう思った瞬間、ずるりと首の後ろから何かが抜けていった。
(第3回へ)
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