いくら食べてもおなかがすいて、直ぐに倒れてしまう。
原因不明の特殊な虚弱体質のせいで「ふつう」の人生をあきらめていた主人公。
彼女が出会ったのは、唯一おなかを満たす料理を作れる、謎多き美貌の料理人で――。
累計68万部大ヒットシリーズ著者、あさばみゆきさんの最新作は、鎌倉を舞台にした〈ごはん×怪異×年の差契約結婚〉物語!
発売を記念して、カドブンでだけ特別に、各章名シーンを配信いたします。
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休日。鎌倉の街を散策するふたり。デート、ではないものの、頼兼の一挙一動に動揺してしまう小鳥だったが――。
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シナモンの香りと甘みのハーモニーをたっぷり楽しんだ後、お姉さんに視線で別れを告げて店を出た。
会計の時、小鳥はすかさず財布を出したのだが、頼兼に笑われてしまった。
「だって私が誘ったのに」
「小鳥さん。金銭のやりとりは、相手の労力に対しての対価として発生するものです」
「う、うん? お料理作ってくれたお店の人への、お礼ってことだよね」
道を先に歩きだした頼兼は、微笑み顔でふり返る。
「そう。材料を生産してくれた農家の人への。おいしく料理して心地よい空間で提供してくれた店の人への」
言ってることは分かるけど、小鳥は何もしてないんだから、
しまいかねてた財布のファスナーを開けようとすると、上から手のひらが乗った。
「つまり僕からは、小鳥さんが楽しい時間を共有してくれたことへの、お礼です」
目を細めて間近に笑まれ、呼吸が止まる。
「だ、だって、むしろ私、毎食ごちそうになって、こっちがお金払わなきゃなのに」
「いいえ。小鳥さんがかみくらに居てくださってる対価は、充分いただいてるんですよ?」
それは……試作品処理とか、この前の、プライベートスペースの大掃除とか?
だけどあんなのでと言いかけて、やめた。
ありがとうと頭を下げ、財布をしまう。
空気を読んで中途半端に納得したフリをするのは、良くないクセって分かってるけど、しつこくしたら、かえって面倒なヤツになってしまう。
「あ! 頼兼さん。そこのパン屋さん寄っていい?」
「はいはい」
星の井通りに戻ったら、ちょうどミネコが通うパン屋の前に出た。食べ歩き用のミニサイズを二種類、半分こして交換する。
一個二百五十円。せめてものお返しだ。
軒先でそれをハフハフ食べてるうちに、斜め前の、古い店構えの和菓子屋さんが気になってきた。白いのれんに力強く店名が書かれてる。
「あそこ『
頼兼が、え──、と最後の一口を頰張りながら、小鳥の指すほうへ首を向ける。
とたん、激しくムセだした。
「だいじょぶ!?」
慌てて背中をバンバン
「こ、小鳥さん。『
「ああ、逆から読むんだ……。あれ、でも『茶寮かみくら』ののれんは、普通に左から?」
「かみくらが茶寮を始めたのは先代からなので。御饌人のほうは、
彼はまだセキこみながら、はああと力ない音を出す。
学がないのがバレちゃった。
ごまかすようにその力餅家に入り、名物のあんころ餅を買い求めた。
「あとで半分こしようね」
「いいですね。だけど小鳥さん、後でちゃんと、僕の作った夕ごはんも食べてくださいよ?」
「そう、カレーッ。カレー食べるつもりで、お腹開けてあるよ! 甘いのとは別腹だから問題ないですっ」
胃ぶくろと共にうなずくが、頼兼のほうは、またううむと考えこんでしまった。
「さっきのキーマカレー、おいしかったんですけどね。最上のカレーとは何なのか、何をもって最上とすべきか、まだ答えが見つかっていなくて……」
「哲学的になってきたね」
そんな話をしながら、足の向くままに、路地奥の「
なんでも「ゴンゴロウ」がなまって「
さっきの力餅家のあんころ餅は、ここに
なら、小鳥の「強そうなお店」もあながち間違いじゃないじゃん──なんて考えたりする。
というか、敵情視察でカレーを食べて帰ってくるだけのつもりが、めちゃくちゃデートっぽくなってきた。
本殿にお参りしてから、ベンチにどさり。となりに座った頼兼に、そんな必要もないのに無駄に硬くなってしまう。
(恋愛に免疫ない思春期って、めんどくさいな!?)
しっかりしろと、自分の後ろ頭を平手で打つ。
──けど。
目の前に、さわさわと枝を揺らす、大きなたぶの木。
見上げたらベンチの真上にも枝が差しかかり、涼しい影を作ってくれている。
風がとおる、気持ちのいい神社だ。
鳥居のすぐ前を、江ノ電が走りぬけていく。
毎日見慣れてる江ノ電は、背景が海だ。こうやって神社の境内から眺めるのは、また新鮮だな。
カメラを構えるシニア層。そこに中学生くらいか、めずらしいオレンジ色の制服の集団がわいわいと境内に入ってきた。ここらでは見ないから、都内からの社会科見学的なヤツかもしれない。
その中に、一団からちょっと離れて、こっそり手をつないで微笑みあう男女がいる。
(あのコたちカップルなのかな。かわいいなぁ)
しかしなんという事、高三の小鳥より千歩くらい先に進んでるじゃないか。
「ねぇ、頼兼さん。あのコたち──、」
「はい?」
ベンチについた頼兼の手の甲に、指が当たった。
とたん中学生カップルが
小鳥はズバッと立ちあがった。
「わ、わたしっ、ちょっとウロウロしてくるねっ!」
頼兼を置き去りに、やたらと早足で境内を見てまわる。
半分だけ開いた扉が、おいでと誘ってるようだ。
白い垂れ幕に隠されて、中が見えない。わきに拝観料百円の木箱が設置されてる。
(隠されると気になるな)
財布を出そうか迷っていたら、後ろから、チャリンチャリンと二枚、誰かが硬貨を投入した。
「わっ、頼兼さん」
この人、気配が無いからいちいちビックリする。
「中、面白いですよ。県の無形文化財になってる『
「あ、ありがと。それ、ポスターで見たことあるかも。星の井通りでやるんでしょ?」
「はい。九月になったら、今年は小鳥さんも間近に観られますね。仮面をつけた十人を中心に、行列が町を練り歩くんですけど。通りは混雑で人まみれになりますよ」
「うへぇ。楽しみなような、大変なような」
垂れ幕を上げると、六畳間ほどの小さな空間に先客がいた。
木彫りのお面が並ぶガラス張りのケースの前、じっと立ちつくしている女の人。
深刻なようすの横顔を盗み見て、さらに驚いた。
さっきの、福日和カフェにいたお姉さんだ!
なぜか一人きりだ。相手のお兄さんはどうしたんだろう。境内の他の場所にいる? それともあの後、カフェで何かあったんだろうか。
声を掛けづらい空気だ。
及び腰になりながらも、せっかく百円払ってもらって、入らないワケにはいかない。
「小鳥さん。この八番面が
倉庫の中の重たい空気をスルーして、頼兼がガラスの向こうを
おでこがタテに伸びまくった、めっちゃ笑顔のおじいさんのお面だ。
十個並んだお面は、変な顔ばかり。
どれも年季が入りすぎて色が落ちかかり、なかなかにブキミだ。これをつけて覗きこまれたら、ちっちゃいコは確実に泣くと思う。
「福禄寿のとなりが、オカメ。行列の主役のお面です」
です、と言われても、そのオカメの前には鬼気迫るようすで立ちはだかるお姉さん。
彼女は頑としてその場から動かない。
おっかなびっくり彼女の目線を追うと、そのオカメの面に定まっている。
「この面をつける人は、お腹をぽっこり膨らませて、大儀そうにさすりながら練り歩くんです。妊婦さん役なんですよね。産婆役の面をつけた人が、後ろから扇で
「ご懐妊祝い──みたいな行列なの?」
「そうですねぇ。竹先生じゃないですけど、『そこは難しいところ』なんですよ」
頼兼は全くお姉さんの存在を気にせず、人一人がぎりぎりの隙間から彼女を追いこす。彼も、それでも動かないお姉さんもかなりスゴイ。
(やっぱ変じゃない?)
さっきはいかにも常識ある人ってカンジだったけど、よっぽどショックな事があったんだろうか。
頼兼は案内板を指さす。
「オカメの大きなお腹は、豊年豊漁祈願を、子を産む形に象徴させたもの。──と、ここに公式の説明があります。しかし一般的に広まっている話はですね。源頼朝公が、銭洗弁天周辺の、あの隠れ里に住んでいた娘を身ごもらせてしまった。頼朝公は平家を討つ旗揚げ前から、隠れ里の住人の手を借りてるのに、正妻の北条
「ええっ、源頼朝ヒドくない? 私だったら、そんな浮気男は絶対ヤダよ」
「ハハ、当時は一夫多妻がアリの世の中でしたからねぇ」
顔全体の白い色すらハゲつつある彼女の、下ぶくれの顔。
照明のかげんか目の下が黒ずんでる。
それが……、なんだか
あこがれの人と結ばれたと思っても、結局はそばにいられなかった……ってことだもんな。
「かわいそうだね」
そうつぶやいたとたん。
「──じゃ、出ましょうか」
頼兼に
「ちょ、私まだ全部見てな、」
最後まで発声する前に、いきなり彼が身をかがめてきた。
目の前で
これはゼロ距離気枯れ確認作業!?
小鳥は直立不動になる。
「わたし元気デスけどっ」
「そうみたいですね。よかった」
彼は唐突に手を伸ばしてきて、小鳥の耳たぶに触れた。
「──!?」
柔らかい肉に、他人の指のカンショク。
「耳飾り、ちょっと貸してもらえますか」
左耳が軽くなった。
彼はイヤリングを手にして再び白幕に頭を突っ込む。
「これ、使ってくださいね」
お姉さんにイヤリングを押しつけたらしい。勝手に満足すると、さて行きましょうかと、軽い足取りで石段を下りていってしまった。
「ちょっ、ど、どういうこと?」
(ってかあのイヤリング私のだし、お気に入りだし、お姉さんだって片っぽだけもらっても困るだろうしっ。私も片っぽだけじゃ変だし!?)
踏み切りの警報機が鳴りはじめた。
動転しながら彼の背を追いかける。
下りてきた安全バーの前に立つ頼兼は、普段どおりのニコニコ顔だ。
「頼兼さんっ、なんなの今の!?」
隣に並びながら右耳の片割れを外していると、「こっちも預からせてください」と取りあげられてしまった。彼はそれを自分の胸ポケットに収める。
「いいけどさ。意味分かんないよっ」
「……うーん。そうですね。釣れそうだったので」
線路の奥から江ノ電の車両が見えてきた。大きな音が近づいてくる。
「釣れるって、なにが?」
目の前三十センチのところを、緑の車体が通りすぎる。
風に舞いあがる前髪。遮られた陽ざし。彼の顔に影が落ちた。
こっちを見ない横顔に、これ以上
(イヤリング代以上に世話になってるんだから……、なんにも言えないけどさ)
ちょっと分かってきて、ちょっと近づいた気になると、またフッと遠く、分からなくなる人だ。
まさかナンパじゃないよねなんて、我ながら馬鹿なことを考えてしまった。
小鳥はビニール袋を持ちなおす。
あとで二人で食べようと思っていた、
危ない。距離感バグってた。一緒に出かけただけで調子に乗ってたみたいだ。
小鳥はさりげなく彼から一歩横に遠ざかり、「嫁」じゃなくて「ご迷惑おかけしてる居候」の距離感で立ちなおした。
(第4回へ)
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