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試し読み

小栗旬×蜷川実花 映画「人間失格 太宰治と3人の女たち」公開記念 『人間失格』試し読み#2

世界的ベストセラー誕生の裏側。ゴージャスな禁断のエンタテインメント!

主演・小栗旬さん×監督・蜷川実花さんで話題の映画「人間失格 太宰治と3人の女たち」が、今週末9/13(金)より公開。
それを記念しカドブンでは、『人間失格』の試し読みを実施します。

この機会にぜひ、「自己の生涯を極限までに作品に昇華させた太宰文学の代表作」をお楽しみください。
>>【試し読み第1回】はしがき
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   第一の手記

 はじの多いしようがいを送って来ました。
 自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。自分は東北の田舎いなかに生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。自分は停車場のブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎえるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国のゆうじようみたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなりながい間そう思っていたのです。ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶんあかけのした遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客が線路をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めました。
 また、自分は子供の頃、絵本で地下鉄道というものを見て、これもやはり、実利的な必要から案出せられたものではなく、地上の車に乗るよりは、地下の車に乗ったほうがふうがわりで面白い遊びだから、とばかり思っていました。
 自分は子供の頃から病弱で、よくみましたが、寝ながら、しきまくらのカヴァ、かけとんのカヴァを、つくづく、つまらないそうしよくだと思い、それが案外に実用品だった事を、二十歳ちかくになってわかって、人間のつましさに暗然とし、悲しい思いをしました。
 また、自分は、空腹という事を知りませんでした。いや、それは、自分が衣食住に困らない家に育ったという意味ではなく、そんな鹿な意味ではなく、自分には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。へんな言いかたですが、おなかがいていても、自分でそれに気がつかないのです。小学校、中学校、自分が学校から帰って来ると、周囲の人たちが、それ、おなかがいたろう、自分たちにも覚えがある、学校から帰って来た時の空腹は全くひどいからな、あまなつとうはどう? カステラも、パンもあるよ、などと言ってさわぎますので、自分は持ち前のおべっか精神を発揮して、おなかがいた、と呟いて、甘納豆を十つぶばかり口にほうり込むのですが、空腹感とは、どんなものだか、ちっともわかっていやしなかったのです。
 自分だって、それはもちろん、大いにものを食べますが、しかし、空腹感から、ものを食べたおくは、ほとんどありません。めずらしいと思われたものを食べます。ごうと思われたものを食べます。また、よそへ行って出されたものも、無理をしてまで、たいてい食べます。そうして、子供の頃の自分にとって、最も苦痛な時刻は、実に、自分の家の食事の時間でした。
 自分の田舎の家では、十人くらいの家族全部、めいめいのおぜんを二列に向い合せに並べて、末っ子の自分は、もちろん一ばん下の座でしたが、その食事の部屋は薄暗く、昼ごはんの時など、十いくにんの家族が、ただもくもくとしてめしを食っている有様には、自分はいつもはだざむい思いをしました。それに田舎のむかし気質かたぎの家でしたので、おかずも、たいていきまっていて、めずらしいもの、豪華なもの、そんなものは望むべくもなかったので、いよいよ自分は食事の時刻をきようしました。自分はその薄暗い部屋の末席に、寒さにがたがたふるえる思いで口にごはんを少量ずつ運び、押し込み、人間は、どうして一日に三度三度ごはんを食べるのだろう、実にみなげんしゆくな顔をして食べている、これも一種のしきのようなもので、家族が日に三度三度、時刻をきめて薄暗い一部屋に集り、お膳を順序正しく並べ、食べたくなくても無言でごはんをみながら、うつむき、家中にうごめいているれいたちにいのるためのものかもしれない、とさえ考えた事があるくらいでした。
 めしを食べなければ死ぬ、という言葉は、自分の耳には、ただイヤなおどかしとしか聞えませんでした。そのめいしんは、(いまでも自分には、何だか迷信のように思われてならないのですが)しかし、いつも自分に不安と恐怖をあたえました。人間は、めしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければならぬ、という言葉ほど自分にとって難解でかいじゆうで、そうしてきようはくめいたひびきを感じさせる言葉は、無かったのです。
 つまり自分には、人間の営みというものがいまだに何もわかっていない、という事になりそうです。自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安、自分はその不安のために夜々、てんてんし、しんぎんし、はつきようしかけた事さえあります。自分は、いったい幸福なのでしょうか。自分は小さい時から、実にしばしば、仕合せ者だと人に言われて来ましたが、自分ではいつもごくの思いで、かえって、自分を仕合せ者だと言ったひとたちのほうが、かくにも何もならぬくらいずっとずっと安楽なように自分には見えるのです。
 自分には、わざわいのかたまりが十個あって、その中の一個でも、りんじんったら、その一個だけでもじゆうぶんに隣人の生命いのち取りになるのではあるまいかと、思った事さえありました。
 つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないのです。プラクテカル(*)な苦しみ、ただ、めしを食えたらそれで解決できる苦しみ、しかし、それこそ最も強い痛苦で、自分の例の十個の禍いなど、っ飛んでしまうほどの、せいさん地獄(*)なのかも知れない、それは、わからない、しかし、それにしては、よく自殺もせず、発狂もせず、政党を論じ、絶望せず、くつせず生活のたたかいを続けて行ける、苦しくないんじゃないか? エゴイストになりきって、しかもそれを当然の事と確信し、いちども自分を疑った事が無いんじゃないか? それなら、楽だ、しかし、人間というものは、みなそんなもので、またそれで満点なのではないかしら、わからない、……夜はぐっすりねむり、朝はそうかいなのかしら、どんな夢を見ているのだろう、道を歩きながら何を考えているのだろう、金? まさか、それだけでも無いだろう、人間は、めしを食うために生きているのだ、という説は聞いた事があるような気がするけれども、金のために生きている、という言葉は、耳にした事が無い、いや、しかし、ことにると、……いや、それもわからない、……考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖におそわれるばかりなのです。自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。
 そこで考え出したのは、道化でした。
 それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。自分は、人間を極度におそれていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。おもてでは、絶えずがおをつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番のね合いとでもいうべきいつぱつの、あぶらあせ流してのサーヴィスでした。

>>#3へつづく
○ご購入はこちら▶太宰治『人間失格』|KADOKAWA


映画「人間失格 太宰治と3人の女たち」
9 月 13 日(金)公開
監督/蜷川実花
出演/小栗旬 宮沢りえ 沢尻エリカ 二階堂ふみ
成田 凌 千葉雄大 瀬戸康史 高良健吾 藤原竜也
© 2019 『人間失格』製作委員会
<R15+>
http://ningenshikkaku-movie.com/


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