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試し読み

東野圭吾史上、もっとも泣ける感動作! 東野圭吾“最初で最後かもしれない”電子書籍化記念!『ナミヤ雑貨店の奇蹟』第一章「回答は牛乳箱に」試し読み#6

これまで著書の電子化をしてこなかった東野圭吾氏が、ついに電子書籍の配信をスタートすることになりました。それに合わせてカドブンでは、記録的ベストセラーとなった『ナミヤ雑貨店の奇蹟』の第一章をまるごと試し読み公開します!

>>前話を読む

 ◆ ◆ ◆

 手紙を読み終え、敦也はほこりだらけの天井を見上げた。
「わけわかんねえ。何なんだよ、こいつ。こっちのいうことをきかないなら、最初から相談なんてすんなよ」
 翔太がため息をついた。
「仕方ないよ。彼女は、まさか未来の人間に相談しているとは思ってないだろうから」
「電話で話したってことは、今は彼とは離れて暮らしてるんだな」幸平が便びんせんを見ながらいった。「かわいそうだなあ」
「この男もイラつくよな」敦也はいった。「女の気持ちをわかってやれっつうの。オリンピックったって、結局は運動会の派手なバージョンっていうだけじゃないか。たかがスポーツだろ? 恋人が不治の病にかかったって時に、そんなものに気持ちを向けられるわけないだろうが。いくら病人だからって、ままいって、女を困らせてどうすんだよ」
「男は男で辛いんじゃないの。オリンピック出場が彼女の夢だってことはわかってる。自分のせいで、それを断念させたくないっていう気持ちもあるんだと思う。強がりっていうか、やせ我慢っていうか、まあ無理してるんじゃないかな」
「そこがイラつくんだよ。そいつは、そんなふうに無理してる自分に酔ってるんだ」
「そうかな」
「そうだよ。決まってる。悲劇のヒロイン……じゃなくて、悲劇のヒーローを気取ってやがるんだ」
「じゃあ、手紙にはどんなふうに書けばいい?」翔太が便箋を引き寄せながらく。
「だから、男の目を覚まさせることが先決だって書いてやれ。はっきりと男にいえばいい。たかがスポーツで、恋人のことを縛るんじゃねえ。オリンピックなんて、運動会と変わんねえんだから、こだわるんじゃないってな」
 翔太はボールペンを持ったままで、まゆをひそめた。
「それを彼女の口からいわせるのは無理だろう」
「無理でも何でも、いわせなきゃ仕方ない」
「無茶いうなよ。それができるなら、こんな手紙を書いてこないよ」
 敦也は両手で頭をきむしった。「面倒くせえなあ」
「代わりに誰かにいってもらったらどうかな」幸平がぽつりといった。
「代わりにって、誰にだよ」翔太が訊いた。「彼氏の病気のことは、誰にも話してないんだぜ」
「そこなんだけど、親にも話してないってのは、やっぱまずいんでないの? 話せば、みんな彼女の気持ちをわかってくれると思うんだけどな」
 それだ、と敦也は指を鳴らした。
「彼女の親でもいいし、男の親でもいい。とにかく病気のことをばらしちまうんだ。そうすりゃあ、彼女にオリンピックを目指せなんてことは誰もいわないはずだ。翔太、そういうふうに書け」
 わかった、といって翔太はボールペンを走らせ始めた。
 出来上がった文面は次のようなものだった。

『あなたが迷う気持ちはわかります。でも、ここはひとつ私を信じてください。だまされたと思って、いうとおりにしてください。
 はっきりいって、彼は間違っています。
 たかがスポーツなのです。オリンピックといっても、単なる大きな運動会にすぎません。そんなもののために、残り少ない恋人との時間をムダにするのはばかげています。そのことを彼にわからせるべきです。
 できることなら、あなたのかわりに私が彼にそういってやりたいところです。でもそれは無理です。
 だから、あなたか彼の親に、いってもらってください。病気のことを打ち明ければ、誰だって協力してくれるはずです。
 もう迷わないでください。オリンピックのことは忘れなさい。悪いことはいいません。そうしなさい。いうことを聞いてよかったと必ず思うはずです。
ナミヤ雑貨店より』

 手紙を牛乳箱に入れに行った翔太が、裏口から戻ってきた。
「あれだけしつこく念を押したんだから、今度は大丈夫じゃないかな」
 幸平、と敦也は表に向かって呼びかけた。「手紙は来たか?」
「まだ来ない」店から幸平の声が返ってきた。
「まだ? おかしいな」翔太が首を傾げた。「これまでは、すぐに来たのに。裏口が、きちんと閉まってなかったのかな」もう一度確認するつもりらしく、椅子から腰を上げた。
 やがて、来た、という声が店から聞こえ、幸平が手紙を持ってやってきた。

しています。月のウサギです。せっかく御回答をくださったのに、一か月近くもお返事せず、申し訳ありませんでした。
 早くお手紙を書かねばと思っているうちに、強化合宿が始まってしまったのです。
 でも、それは単なる言い訳かもしれません。どのように書けばいいのか迷っていたのも事実ですから。
 彼が間違っているとはっきり書いておられるのを読み、少々驚きました。たとえその人物が不治の病にかかっていたとしても、間違っていると思ったならばぜんとしてそう断言される姿勢に、背筋が伸びる思いがしました。
 たかがスポーツ、たかがオリンピック……そうなのかもしれませんね。いえ、おそらくそうなのだと思います。もしかしたら私たちは、すごくつまらないことで悩んでいるのかもしれません。
 でも私から彼に、そんなふうにはとてもいえません。ほかの人にとってはどうでもいいことだとわかりつつ、私も彼も命がけでその競技に取り組んできた過去があるからです。
 ただ、病気のことはいずれ双方の親に話さねばならないとは思っています。でも今はまだ話すわけにはいかないのです。じつは彼の妹さんが出産したばかりで、御両親はよろこびに浸っておられる時期なのです。もう少し幸せな時間を過ごさせてやりたいと彼はいいます。その気持ちは私にもよくわかります。
 今回の合宿中も、何度か彼に電話をかけました。私が練習に励んでいることを伝えると、すごく喜んでくれます。それがお芝居だとは思えません。
 でもやはり、私はオリンピックのことは忘れたほうがいいのでしょうか。競技を捨て、彼の看病に専念したほうがいいのでしょうか。それが彼のためになるのでしょうか。
 考えれば考えるほど迷ってしまいます。
月のウサギ』

 敦也は大声を張り上げたくなった。手紙を読んでいるうちにいらいらしてきたのだ。
「何やってんだよ、このクソ女。やめろっていってるのに、合宿なんかに行きやがって。その間に男が死んだらどうする気だ」
「彼氏の手前、合宿をサボるわけにはいかなかったんだろうなあ」幸平がのんびりとした口調でいう。
「だけどその合宿も、結局は無駄になるんだよ。何が、考えれば考えるほど迷ってしまう、だ。せっかく教えてやってるのに、なんでいうことをきかないんだ」
「だからそれは彼氏のことを考えてるからだよ」翔太がいう。「彼氏の夢を奪いたくないんだろ」
「どっちみち奪われるんだよ。どっちみち、彼女はオリンピックには出られない。くっそー、そのことを何とかわからせる手はねえかなあ」敦也は貧乏揺すりをした。
「彼女がをするってのはどう?」幸平がいった。「怪我のせいでオリンピックには出られないってことなら、彼氏も諦めるんじゃないかな」
「おっ、それ、いけそうだな」
 敦也は賛同したが、「だめだよ、そんなの」と翔太が反対した。
「彼氏から夢を奪うことに変わりはないじゃないか。ウサギさんは、それができなくて悩んでるんだろ」
 敦也は鼻の上にしわを寄せた。
「夢、夢ってうるせえんだよ。オリンピックだけが夢じゃねえだろうが」
 すると翔太は、何かを思いついたように目を見張った。
「それだ。オリンピックだけが夢じゃないってことを彼氏にわからせればいいんだ。もっとほかの、オリンピックに代わる夢を持たせるんだ。たとえば……」少し考えてから彼は続けた。「子供だ」
「子供?」
「赤ちゃんだよ。彼女に、妊娠したっていわせるんだ。もちろん彼氏の子供だ。それならオリンピックは断念せざるをえない。だけど、自分の子供が生まれるという夢を持つことはできる。生きる励みにもなる」
 このアイデアを敦也は頭の中で整理した。次の瞬間には手をたたいていた。
「翔太、おまえ天才。それでいこう。それ、かんぺきだ。男の寿命は、あと半年かそこらなんだろ。噓ついたって、ばれねえよ」
 よし、といって翔太はテーブルの前に座った。
 これなら大丈夫だろう、と敦也は思った。彼の病気が発覚した時期は不明だが、これまでの手紙を読むかぎりでは、何か月も前という感じではない。それまではふつうに生活していたようなニュアンスだから、セックスだって行っていたはずだ。避妊していたかもしれないが、そんなものは何とでもいいくるめられる。
 だが、その内容の回答を牛乳箱に入れた直後に郵便口から投入された手紙は、次のようなものだった。

『お手紙拝読しました。思いもよらないアイデアに驚かされ、そして感心いたしました。たしかにオリンピックに代わる夢を彼に与えるというのは、ひとつの手だと思います。私が妊娠したと聞けば、さすがに堕胎してまでオリンピックを目指せとは彼もいわないでしょうし、私が元気な赤ちゃんを産むことを望んでくれるに違いありません。
 ただ、問題がございます。ひとつは妊娠の時期です。彼と最後に性交渉があったのは、おそらく三か月以上前だと思います。今頃妊娠が発覚したといって、果たして不自然ではないでしょうか。彼から証拠を求められたら、どうしたらいいでしょうか。
 それにもし彼が信じた場合、たぶん両親に話すだろうと思います。当然、私の親にも伝わります。さらにはしんせき、知人たちにも話が広まっていくでしょう。でも私は彼等に、妊娠が噓であることを話すわけにはいきません。なぜそんな噓をつくのかを説明しなければならなくなるからです。
 私は芝居が得意ではありません。噓をつくのも苦手です。妊娠したということで周りが大騒ぎしている間も、ずっと演技を続けていけるか自信がありません。いつまで経ってもお腹が出ないのは奇妙ですから、それなりのカムフラージュが必要でしょうが、周囲にばれずに済むとはとても思えません。
 また、もう一つ重要な問題がございます。もし彼の病気の進行が遅くなった場合、彼が存命中に架空の出産予定日が来てしまう可能性があるということです。その日になっても子供が生まれないとなれば、すべて噓だとばれてしまいます。その時の彼の失意を想像すると、心が痛みます。
 素晴らしいアイデアだと思いますが、そういうわけで、私には無理だと思います。
 ナミヤさん、いろいろと考えてくださって本当にありがとうございます。これまで相談に乗っていただけただけで満足ですし、感謝の気持ちでいっぱいです。やはりこれは私が自分で答えを出さなければならない問題だと気づきました。この手紙に対する返事は結構です。今まで煩わせてしまって申し訳ありませんでした。
月のウサギ』

「何だ、これはっ」敦也は便びんせんを投げ捨て、立ち上がった。「これまで散々付き合わせといて、最後の最後で返事は結構ですとはどういうことだ。そもそもこの女、人の意見を聞く気があるのか。全部、無視じゃねえか」
「まあ、この人のいうことももっともだとは思うけどねえ。たしかに演技を続けるのは大変だと思うよ」幸平がいった。
「うるせえよ。恋人が生きるか死ぬかって時に、何を甘っちょろいこといってんだ。死ぬ気になりゃ、何だってできる」敦也は台所のテーブルの前に座った。
「敦也が返事を書くのか? 筆跡が変わっちまうよ」翔太がく。
「いいんだよ、そんなことは。一発、がつんといってやらなきゃ気が済まねえ」
「わかった。じゃあ、いってくれよ。そのまま書くから」翔太が敦也の向かい側に座った。

『月のウサギさんへ
 あんた、バカですか。ていうか、バカです。
 せっかくいいことを教えてやってるのに、なんでいうとおりにしないわけ?
 オリンピックのことなんか忘れろと何べんいったらわかるのですか。
 オリンピックをめざして、どんなに練習したって意味ありません。
 あなた、絶対に出られません。だからやめなさい。ムダです。
 迷うこと自体がムダです。そんな暇があるなら、今すぐに彼のところへ行きなさい。
 あなたがオリンピックを断念したら彼が悲しむ?
 悲しみのあまり病気が悪化する?
 ふざけちゃいけません。あなたがオリンピックに出ない程度のことが何ですか。
 世界のあちこちで戦争が起きています。オリンピックどころじゃない国だって、たくさんあります。日本だって、ごとじゃないんです。そのことが今にわかるでしょう。
 でも、もういいです。好きにすればいいです。好きにして、思いきり後悔してください。
 最後に、もう一度いいます。あんたはバカです。
ナミヤ雑貨店』

(つづく)


『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(角川文庫)


あらすじ

悪事を働いた3人が逃げ込んだ古い家。そこはかつて悩み相談を請け負っていた雑貨店だった。廃業しているはずの店内に、突然シャッターの郵便口から悩み相談の手紙が落ちてきた。時空を超えて過去から投函されたのか? 3人は戸惑いながらも当時の店主に代わって返事を書くが……。悩める人々を救ってきた雑貨店は、再び奇蹟を起こせるか!?

著者 東野圭吾(ひがしの けいご)

1958年、大阪府生まれ。大阪府立大学電気工学科卒業後、生産技術エンジニアとして会社勤めの傍ら、ミステリーを執筆。1985年『放課後』(講談社)で第31回江戸川乱歩賞を受賞、専業作家に。1999年『秘密』(文藝春秋)で第52回日本推理作家協会賞、2006年『容疑者χの献身』(文藝春秋)で第134回直木賞、第6回本格ミステリ大賞、2012年『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(KADOKAWA)で第7回中央公論文芸賞、2013年『夢幻花』(PHP研究所)で第26回柴田錬三郎賞、2014年『祈りの幕が下りる時』(講談社)で第48回吉川英治文学賞、さらに国内外の出版文化への貢献を評価され第1回野間出版文化賞を受賞。

書誌情報

発売日:2014年11月22日
定価:本体680円+税
体裁:文庫版
頁数:416頁
発行:株式会社KADOKAWA
公式書誌ページ:https://www.kadokawa.co.jp/product/321308000162/


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