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試し読み

東野圭吾史上、もっとも泣ける感動作! 東野圭吾“最初で最後かもしれない”電子書籍化記念!『ナミヤ雑貨店の奇蹟』第一章「回答は牛乳箱に」試し読み#7

これまで著書の電子化をしてこなかった東野圭吾氏が、ついに電子書籍の配信をスタートすることになりました。それに合わせてカドブンでは、記録的ベストセラーとなった『ナミヤ雑貨店の奇蹟』の第一章をまるごと試し読み公開します!

>>前話を読む

 ◆ ◆ ◆

 翔太が新しいろうそくに火を点けた。目が慣れたせいか、数本の炎だけで部屋の隅々までが見える。
「手紙、来ないね」幸平が、ぼそりといった。「こんなに間隔が空いたことはなかったのにな。もう書かない気かな」
「まあ、書かないだろうな」翔太がため息交じりにいう。「あれだけコテンパンにいわれたら、ふつうならヘコむか怒るかのどっちかだよ。で、どっちにしても返事を書く気にはなれないと思う」
「何だよ。俺が悪いとでもいうのかよ」敦也は翔太をにらみつけた。
「そんなこといってないだろ。俺だって敦也と同じ気持ちだし、あれぐらいは書いたっていいと思うよ。でも書きたいことを書いたんだから、返事が来ないのは仕方ないんじゃないかっていってるんだ」
「……それならいいけどさ」敦也は横を向いた。
「でも、どうしたんだろうなあ」幸平がいった。「やっぱりあのまま競技を続けてたのかな。で、無事にオリンピック選手に選ばれてたりして。それで肝心のオリンピックを日本がボイコット。ショックだろうなあ」
「もし、そうなってたら、ざまあみろだ。俺たちのいうことを聞かないのが悪いんだ」敦也は吐き捨てるようにいった。
「彼氏はどうなったかな。いつまで生きてたんだろ。ボイコットが決まった日まで、生きてたのかな」
 翔太の言葉に、敦也は黙り込んだ。気まずい沈黙が三人を包んだ。
「ねえ、いつまでこうしてる?」不意に幸平が訊いた。「裏口だよ。あそこを閉めたままだと、ずっと時間が経たないわけだろ?」
「でも開けたら、過去とのつながりが切れる。もし彼女が手紙をくれたとしても、ここには届かない」翔太が敦也のほうを向いた。「どうする?」
 敦也は下唇をみ、指の関節を鳴らし始めた。左手の五本をすべて鳴らしたところで幸平を見た。「幸平、裏口を開けてこい」
「いいのかい」翔太が訊く。
「かまわねえよ。もうウサギ女のことは忘れよう。俺たちには関係のないことだし。幸平、さっさと行け」
 うん、といって幸平が腰を上げた時だった。
 こんこん、という物音が表から聞こえてきた。
 三人は同時に動きを止めた。顔を見合わせた後、一緒に表のほうに顔を向けた。
 敦也はゆっくりと立ち上がり、店に向かって足を踏み出した。翔太と幸平も後からついてくる。
 するとまた、こんこん、と音がした。誰かがシャッターを叩いているのだ。まるで中の様子をうかがうようなたたき方だった。敦也は足を止め、息を殺した。
 やがて郵便投入口から一通の封筒が落ちた。

『ナミヤさんは、まだこちらにお住まいでしょうか。もし、もうお住まいではなく、ほかの方がこの手紙を拾得されたのだとしたら、お手数ですが、どうかこのまま読まずに焼却していただけますと幸いです。大したことは書いておりませんし、読んだところで何ひとつ得することなどありませんから。
 ここから先はナミヤさん宛ての手紙です。
 しております。覚えておられるでしょうか。私は、昨年の暮れにかけて何度か手紙のやりとりをさせていただいた、「月のウサギ」です。早いもので、あれから半年あまりが経ちましたね。お元気にしておられますか。
 その節は、本当にありがとうございました。親身に相談に乗っていただいたこと、一生忘れません。御回答の一つ一つが真心に満ちておりました。
 御報告させていただきたいことが二点、ございます。
 一点目は、もちろん御存じのことだと思いますが、日本がオリンピックをボイコットすることが正式に決まりました。ある程度、覚悟していたことではありますが、実際に決定してしまうと、やはりショックは大きいですね。自分は出られずとも、出場が決まっていた友人たちのことを思うと、胸が締め付けられます。
 政治とスポーツ……全然別物だと思うのですが、国家間の問題となれば、そうもいってられないのでしょうか。
 御報告の二点目は、恋人のことです。
 懸命に闘病生活を続けていた彼でしたが、今年の二月十五日、病院で息を引き取りました。たまたま私は身体が空いていて、駆けつけることができました。彼の手を握りしめ、彼が旅立っていくのを見送りました。
 彼が最後に私にかけてくれた言葉は、「夢をありがとう」でした。
 最後の最後まで、彼は私がオリンピックに出ることを夢見ていたのだろうと思います。それが生きる望みだったのだろうと想像いたします。
 だから彼をった後、私はすぐに練習を再開いたしました。選考会まで、もうあまり時間がなかったせいもありますが、とにかく全力で最後のチャンスにけることが、彼への供養になると思ったのです。
 結果は、先にも少し触れましたが、私は代表には選ばれませんでした。力不足です。でも全力を尽くした結果なので、悔しさはありません。
 もし代表に選ばれていたとしても、オリンピックには出られなかったわけですが、だからといってこの一年間の過ごし方が間違っていたとは思っていません。
 今、こんなふうに思えるのは、ナミヤさんのおかげです。
 告白しますと、最初に御相談の手紙を差し上げた時、私の気持ちはオリンピックを断念する方向で固まりつつありました。もちろんそれは、愛する人のそばにいて、最後まで看病したいという気持ちがあったからですが、じつはそれだけではありませんでした。
 あの頃の私は、競技に対して行き詰まりを感じておりました。
 焦ってもなかなか良い結果が出ず、自分の能力の限界を痛感する毎日でした。ライバルたちとの争いにも疲れ、オリンピックに出場せねばというプレッシャーにも耐えられずにいました。逃げたい、と思っていました。
 彼の病気が発覚したのは、そんな時でした。
 これで辛い競技生活から逃れられる、と考える自分がいたことを否定できません。恋人が不治の病で苦しんでいるのです。看病に専念するのが当然です。私の行動を非難できる人はいないでしょう。何よりも自分自身を納得させられます。
 でも彼は、そんな私の弱さに気づいていました。だからこそ、何があってもオリンピックをあきらめないでほしいといい続けたのだと思います。自分の夢を奪わないでくれと彼はいいました。本来の彼は、そんな我がままなことをいう人ではありません。
 どうすればいいのか、本当にわからなくなりました。恋人の看病をしたいという思い、オリンピックから逃げたいという思い、彼の夢をかなえてやりたいという思い、様々な思いが私の胸中でぐるぐると回っておりました。自分が本当はどうしたいのか、わからなくなっていたといえます。
 悩んだ末に書いたのが、あの最初の手紙だったのです。ただし私はあの手紙で、本当のことを書きませんでした。内心ではオリンピックから逃げたがっている、ということは隠しました。
 でもおそらくナミヤさんは、そんな私のずるさなど簡単に見抜いておられたのでしょうね。
 何回かのやりとりの後、突然、「愛しているなら最後までそばにいてやるべき」と断言する回答をくださいました。あの一文を目にした時、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けました。なぜなら私の思いは、あれほど純粋なものではなかったからです。もっとこうかつで、もっと醜く、そして卑小なものでした。
 その後もナミヤさんは、全くぶれのないアドバイスをくださいました。
「たかがスポーツ」
「オリンピックなんて、単なる大きな運動会」
「迷うのはムダ。今すぐに彼のところへ行きなさい」
 じつは不思議でした。なぜこれほどまで自信たっぷりにいいきれるのだろう、と。やがて気づきました。ナミヤさんは私を試しておられたのですね。
 オリンピックのことなんか忘れなさいといわれ、私が簡単にいいなりになるようなら、しよせんその程度のものでしかなかった。だったら、本当に競技なんかやめて、彼の看病に専念したらいい。でももし、ナミヤさんからやめろやめろと何度いわれても、私が決心できないようなら、それだけオリンピックへの思いが強いということになる。
 そう思った時、不意に気づきました。
 私の本心は、オリンピックに執着していました。子供の頃からの夢です。簡単に捨てられるわけなどなかったのです。
 ある日、私は彼にいいました。
「あなたのことを誰よりも愛しているし、いつだって一緒にいたいと思っています。もし私が競技をやめればあなたの命が助かるなら、迷いなくやめるでしょう。でもそうではないのなら、私は自分の夢を捨てたくはありません。夢を追いかけてきたからこそ、私は私らしく生きてこられたし、そんな私をあなたが好きになってくれたと思うから。あなたのことを片時だって忘れることはありません。でも、どうか夢を追わせてください」
 すると病床で彼は涙を流しました。その言葉を待っていた。君が僕のことで悩んでいるのを見ているのが辛かった。愛する人に夢を諦めさせることは、死ぬよりも苦しいことなんだ。たとえ離れた場所にいても、僕たちの心はいつも一緒にいる。何も心配することはない。悔いのないよう、夢を追ってほしい。そういってくれました。
 その日から私は、何の迷いもなく競技に取り組めるようになりました。そばにいることだけが看病ではないのだ、ということがわかったからです。
 そんな日々の中で、彼が息を引き取りました。彼が最後にいってくれた、「夢をありがとう」という言葉、そして満足そうな死に顔は、私にとっての最大の御褒美でした。オリンピックには行けませんでしたが、金メダルよりも価値のあるものを得られました。
 ナミヤさん。本当にありがとうございました。あなたとのやりとりがなければ、私は大切なものを失い、一生後悔するところでした。深い洞察に心より敬意を表し、感謝いたします。
 もうこの家には住んでおられないのかもしれませんが、この手紙が届くことを祈っております。
月のウサギ』

 翔太も幸平も無言だった。発すべき言葉が浮かばないのだろうと敦也は思った。彼自身がそうだったからだ。
『月のウサギ』からの最後の手紙は思いもよらないものだった。彼女はオリンピックを諦めなかった。最後まで目指した挙げ句、代表に選ばれなかっただけでなく、日本にとってのオリンピックは消滅してしまったにもかかわらず、少しも後悔していないのだ。金メダルよりも価値のあるものを得られたと心の底から喜んでいる。
 しかもそれがナミヤ雑貨店のおかげだと思っている。敦也たちが怒りといらちを込めて書いた手紙によって、正しい道を選べたと信じている。おそらく嫌みや皮肉ではないだろう。そんなことのために、これだけの手紙は書けない。
 笑いがこみ上げてきた。本当におかしくなってきた。敦也は胸を揺すって笑い始め、次には低く声を漏らし、ついにはげらげらと大口を開けた。
 どうしたんだよ、と翔太がいた。
「だって笑えるじゃねえかよ。こいつ、本当に馬鹿女だ。俺たちはマジでオリンピックのことなんか忘れちまえといってたのに、勝手に都合の良いように解釈しやがった。それで結果オーライだったもんだから、俺たちに感謝してるんだぜ。深い洞察に敬意を表し、だってさ。そんなもんねえよ、こっちには」
 翔太も表情を緩めた。「まあ、いいんじゃないの。結果オーライで」
「そうだよ。それに、俺はなんか楽しかった」幸平がいった。「誰かの相談に乗るなんてこと、これまでの人生では一度もなかったからなあ。まぐれでも結果オーライでも、相談してよかったと思われるのはうれしいよ。敦也はそう思わないか」
 敦也は顔をしかめ、鼻の下を擦った。
「まあ、悪い気はしねえけどさ」
「だろ? ほら、やっぱりそうなんだ」
「おまえほどは喜んでねえよ。そんなことはもういいから、そろそろ裏口を開けるぞ。このままじゃ、ちっとも時間が流れない」敦也は裏口に向かった。
 扉のとつつかみ、開けようとした時だった。「ちょっと待って」と翔太がいった。
「なんだ?」
 だが翔太は答えず、店のほうに行った。
「どうしたんだ」
 幸平に尋ねたが、彼はただ首をひねるだけだ。
 やがて翔太が現れた。浮かない顔をしている。
「何やってんだ」敦也は訊いた。
「また来た」翔太はいい、ゆっくりと右手を上げた。「別の人間からみたいだ」
 彼の指は茶色の封筒を摘んでいた。

(この続きは本書でお楽しみください)


『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(角川文庫)


あらすじ

悪事を働いた3人が逃げ込んだ古い家。そこはかつて悩み相談を請け負っていた雑貨店だった。廃業しているはずの店内に、突然シャッターの郵便口から悩み相談の手紙が落ちてきた。時空を超えて過去から投函されたのか? 3人は戸惑いながらも当時の店主に代わって返事を書くが……。悩める人々を救ってきた雑貨店は、再び奇蹟を起こせるか!?

著者 東野圭吾(ひがしの けいご)

1958年、大阪府生まれ。大阪府立大学電気工学科卒業後、生産技術エンジニアとして会社勤めの傍ら、ミステリーを執筆。1985年『放課後』(講談社)で第31回江戸川乱歩賞を受賞、専業作家に。1999年『秘密』(文藝春秋)で第52回日本推理作家協会賞、2006年『容疑者χの献身』(文藝春秋)で第134回直木賞、第6回本格ミステリ大賞、2012年『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(KADOKAWA)で第7回中央公論文芸賞、2013年『夢幻花』(PHP研究所)で第26回柴田錬三郎賞、2014年『祈りの幕が下りる時』(講談社)で第48回吉川英治文学賞、さらに国内外の出版文化への貢献を評価され第1回野間出版文化賞を受賞。

書誌情報

発売日:2014年11月22日
定価:本体680円+税
体裁:文庫版
頁数:416頁
発行:株式会社KADOKAWA
公式書誌ページ:https://www.kadokawa.co.jp/product/321308000162/


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