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試し読み

東野圭吾史上、もっとも泣ける感動作! 東野圭吾“最初で最後かもしれない”電子書籍化記念!『ナミヤ雑貨店の奇蹟』第一章「回答は牛乳箱に」試し読み#5

これまで著書の電子化をしてこなかった東野圭吾氏が、ついに電子書籍の配信をスタートすることになりました。それに合わせてカドブンでは、記録的ベストセラーとなった『ナミヤ雑貨店の奇蹟』の第一章をまるごと試し読み公開します!

>>前話を読む

 ◆ ◆ ◆

 和室に戻ってバッグをつかむと、二人の顔を見ないで裏口から外に出た。空を見上げる。丸い月は、やはり殆ど動いていなかった。
 携帯電話を取り出した。これには電波時計が内蔵されていることを思い出し、自動で時刻を合わせてみた。瞬時に液晶画面に示された時刻は、さっき時報で聞いた時刻から一分も経っていないものだ。
 街灯の少ない暗い道を、敦也は一人で歩いた。夜の空気は冷たかったが、顔がっているせいで気にならない。
 そんなことあるわけない、と思った。
 郵便投入口や牛乳箱は過去と繫がっていて、『月のウサギ』なる女性からの手紙は過去から届いているもの?
 馬鹿げている。たしかにそう考えればつじつまは合うが、実際にそんなことが起きるはずがない。何かの間違いだ。誰かにからかわれているんだ。
 仮に翔太の説が当たっているとしても、そんな異常な世界とは関わらないほうがいいに決まっている。万一何かあった時でも、誰も助けてくれない。自分たちのことは自分たちで守るのだ。これまで、ずっとそうやって生きてきた。必要以上に他人と関わったって、いいことなんて何ひとつない。ましてや相手は過去の人間だ。今の自分たちに何かをしてくれるわけじゃない。
 しばらく歩くと、太い道路に出た。時折、車が行き来している。その道に沿って歩いていたら、前方にコンビニエンスストアが見えた。
 腹が減った、と幸平が情けない声を出していたことを思い出した。あんなところで眠らないでいたら、さらに空腹になるだろう。彼等は一体どうするつもりなのか。それとも時間が経たなければ、腹も減らないのだろうか。
 こんな時間にコンビニなんかに入ったら、店員に顔を覚えられてしまうおそれがある。何より、防犯カメラに映ってしまう。あの二人のことなんかどうでもいい。自分たちで何とかするだろう。
 そんなふうに考えながらも、敦也は足を止めていた。コンビニの店内には、今は店員以外はいないようだ。
 敦也は吐息をついた。全く俺は人が良い──。バッグをゴミ箱の後ろに隠し、ガラスドアを押していた。
 おにぎりと菓子パン、ペットボトル入りの飲み物などを買い、店を出た。店員は若い男だったが、敦也のことを一度も見なかった。防犯カメラは作動していたかもしれないが、この時間に買い物をしていたからといって、警察が疑うとはかぎらない。むしろ、犯人の行動としてはおかしいと思うだろう。そう考えることにした。
 隠したバッグを回収し、来た道を引き返した。食べ物を二人に渡したら、すぐに立ち去るつもりだった。あの怪しげな家に長居する気はない。
 やがて廃屋に戻ってきた。幸いなことに、すれ違う人間は一人もいなかった。
 敦也は改めて家を眺めた。閉じられたシャッターの郵便投入口を見て、もし今こちら側から手紙をとうかんしたら、一体いつの時代のナミヤ雑貨店に届くのだろうと思った。
 倉庫との隙間を抜け、裏に回った。すると裏口の扉が開いたままになっている。中の様子をうかがいながら足を踏み入れた。
「あっ、敦也」幸平がうれしそうな声を出した。「戻ってきたんだ。一時間以上経ったから、もう戻ってこないと思った」
「一時間?」敦也は携帯電話の時計を見た。「ほんの十五分ほどだぜ。それに、戻ってきたんじゃねえよ。差し入れだ」コンビニの袋をテーブルに置いた。「いつまでここにいる気かは知らないけどさ」
 わあ、と顔を明るくして幸平は早速おにぎりに手を出した。
「ここにいたんじゃ、なかなか朝にならないぜ」敦也は翔太にいった。
「それが、いい手を思いついたんだ」
「いい手?」
「裏口を開けっ放しにしてあっただろ」
「ああ」
「ああしておくと、家の中でも外と同じように時間が進むんだ。幸平と二人でいろいろやってみて、発見した。それで、敦也との時間のずれが一時間程度で済んだんだ」
「そういうことか……」敦也は裏口の扉を見つめた。「一体、どういう仕掛けになってるんだ。この家は何だ?」
「どういうことかはわからないけど、これで敦也が出ていく必要もなくなったんじゃないか。ここにいても、朝を迎えられるわけだし」
「そうだよ。一緒にいたほうがいい」幸平も同調した。
「だけどおまえら、あの妙な文通を続ける気なんだろ」
「いいじゃないか。嫌なら敦也は関わらなきゃいい。本当は相談に乗ってほしいけど」
 翔太の言葉に、敦也はまゆをひそめた。「相談?」
「敦也が出ていった後、俺たち、三通目の返事を書いたんだ。そうしたら、また手紙が届いた。とにかく、一度読んでくれよ」
 敦也は二人の顔を見返した。どちらも何かを訴えかけるような目をしていた。
「読むだけだぞ」そういって椅子に腰を下ろした。「で、おまえらはどんなふうな返事を書いたんだ」
「うん。ここに下書きがある」翔太は一枚の便びんせんを置いた。
 翔太たちの三通目の回答は、以下のようなものだった。書いたのは翔太らしく、文字は読みやすく、漢字も使われている。

『ケータイについては、とりあえず忘れてください。今のあなたには関係ないことでした。
 あなたと彼のことを、もう少し教えてください。特技は何ですか。二人に共通の趣味はありますか。最近、二人で旅行をしましたか。映画は見ましたか。音楽が好きなら、最近のヒット曲ではどういう歌がお気に入りですか。
 そういうことを教えてもらえると、こちらとしても相談にのりやすいです。よろしく。
(字を書く者が変わっていますが、気にしないでいいです。)
ナミヤ雑貨店より』 

「何だ、これは。なんで、こんなことをいたんだ」敦也は便箋をひらひらさせた。
「だってさ、まずはこの『月のウサギ』っていう人が、どの時代の人なのかをはっきりさせなきゃいけないと思ったんだ。それがわからないままじゃ、話がみ合わないだろ」
「だったら、そう書けばいいじゃねえか。そっちはいつの時代かって」
 敦也の答えを聞き、翔太はけんしわを寄せた。
「相手の身になってみなよ。向こうはこの状況を知らないんだぜ。突然そんなことを訊かれたら、頭がおかしいんじゃないかと思うだけだろ」
 敦也は下唇を突き出し、指先で頰をいた。反論できなかった。「で、向こうからはどんな答えが返ってきたんだ」
 翔太はテーブルの上から封筒を取った。「まっ、読んでみてよ」
 何をもつたいぶってるんだ、と思いながら敦也は封筒から出した便箋を広げた。

『再三のお返事ありがとうございます。あれからもケータイについて調べてみたり、周囲の人たちに尋ねたりしたのですが、やはりわかりませんでした。すごく気になっているのですが、私には関係ないということでしたら、今は考えないようにします。でも、いつか教えていただけるとありがたいです。
 そうですね。自分たちがどんな人間かということを、少しは打ち明けたほうがいいのでしょうね。
 最初の手紙で書きましたように、私はスポーツをしています。かつては彼も同じ競技をしていて、その縁で知り合ったのです。彼も五輪候補になったことがあります。でもそれ以外は、私も彼も、本当に平凡な人間です。共通の趣味といえば、映画鑑賞でしょうか。今年になってから見た映画といえば、「スーパーマン」や「ロッキー2」などです。「エイリアン」も見ました。彼は面白かったといいますが、私はああいうのは苦手です。音楽もよく聞きます。最近ではゴダイゴやサザンオールスターズが好きです。「いとしのエリー」は名曲だと思いませんか。
 こんなふうに書いていると、彼が元気だった頃のことを思い出せて楽しい気分になります。もしかするとそれがナミヤさんの狙いなのでしょうか。いずれにせよ、この往復書簡(という言い方は変かもしれませんが)が、励みになっているのは事実です。できましたら、明日あしたもよろしくお願いいたします。
月のウサギ』

 読み終えてから、なるほどな、と敦也はつぶやいた。
「『エイリアン』に『いとしのエリー』か。これで大体、時代がわかるじゃねえか。たぶん、俺たちの親の世代だ」
 翔太はうなずいた。
「さっき、ケータイで調べた。ああ、そうだ。この家の中じゃ、ケータイはつながらない。裏口を開けておけば繫がる。それはともかく、手紙に書いてある三つの映画の公開年を確認した。全部、一九七九年だった。『いとしのエリー』が発表されたのも一九七九年」
 敦也は肩をすくめた。
「いいじゃないか。だったら、一九七九年で決まりだ」
「そう。つまり、ウサギさんが出ようとしているオリンピックは、一九八〇年に行われた大会ってことになる」
「だろうな。それがどうかしたのか」
 すると翔太は心の奥まで見透かそうとでもするかのように、敦也の目をじっとのぞき込んできた。
 なんだよ、と敦也は訊いた。「俺の顔に何かついてんのかよ」
「まさか、知らないのか? 幸平は仕方ないと思ったけど、敦也も」
「だから、何がだ」
 翔太は、すっと息を吸い込んでから口を開いた。
「一九八〇年に開催されたのはモスクワオリンピック。日本が出場をボイコットした大会だ」

 もちろん敦也も、そういう出来事があったことは知っていた。それが一九八〇年だったということを知らなかっただけだ。
 まだ東西の冷戦が続いていた頃の話だ。きっかけは一九七九年のソ連によるアフガニスタン侵攻だった。それに抗議する意味で、米国が、まず最初にボイコットを表明し、西側諸国に同調するよう呼びかけた。日本はぎりぎりまでもめたが、結局は米国に倣ってボイコットの道を選んだ──翔太がネットを使って調べた内容を要約するとこういうことになる。この詳しい経緯については、敦也は今回初めて知った。
「だったら、問題解決じゃねえか。来年のオリンピックに日本は出場しないから、今は競技のことなんか忘れて、思う存分恋人の看病をすればいいって手紙に書けばいい」
 敦也の言葉を聞き、翔太は苦い顔を作った。
「そんなこと書いたって、相手が信用するわけないだろう。実際、日本の代表選手たちは、正式にボイコットが決定されるまで、出場できることを信じてたそうなんだぜ」
「こっちは未来なんだといったら……」そこまでいって敦也は顔をしかめた。「だめか」
「ふざけてると思われるだけだろうね」
 敦也は舌打ちをし、テーブルをこぶしたたいた。
「あのさあ」今まで黙っていた幸平が躊躇ためらいがちにいった。「理由、書かないとだめ?」
 敦也と翔太は同時に彼を見た。
 いやその、と幸平は頭の後ろを搔いた。
「本当の理由なんて書かなくてもいいんじゃないの。とにかく練習なんかやめて、彼氏の看病をしなさいって書けばいいと思うんだけど。だめ?」
 敦也は翔太と顔を見合わせた。どちらからともなく首を縦に動かしていた。
 それだ、と翔太がいった。
「だめじゃない。それでいいんだ。彼女はどうしたらいいんでしょうって、アドバイスを求めてる。わらにもすがる思いってやつだ。だったら、本当の理由なんか教える必要はない。彼を愛しているなら最後までそばにいてやるべきだ、彼だって内心はそれを望んでいる、とはっきり答えてやればいいんだ」
 翔太はボールペンを手にすると、便箋に文字を書き始めた。
「これでどう?」
 そういって敦也に見せた文章は、今彼がしゃべったのとほぼ同じ内容だった。
「いいんじゃないか」
「よし」
 翔太が手紙を持って裏から出ていき、裏口を閉めた。耳を澄ますと、牛乳箱のふたを開けているのが聞こえる。ぱたん、と閉める音も届いた。
 その直後だった。表で、ぱさり、と何かが落ちる音がした。
 敦也は店に行った。シャッターの手前の段ボール箱を覗くと、封筒が入っていた。

『お返事、誠にありがとうございます。
 正直に申し上げて、これほどきっぱりとした御回答をいただけるとは、予想しておりませんでした。もっとあいまいといいますか、漠然とした、最終的には私自身に道を選ばせるような、そういう答えをいただくことになると思っておりました。でもナミヤさんは、そんな中途半端なことはなさらないのですね。だからこそ、「悩み相談のナミヤ雑貨店」と人々から愛され、信頼されているんでしょうね。
「愛しているなら最後までそばにいてやるべき」
 この一文は深く私の胸に刺さりました。まさにその通りだと思いました。何も迷う必要などないのです。
 しかし、です。彼も内心ではそれを望んでいるはず、とはとても思えないのです。
 じつは今日、彼に電話をしました。ナミヤさんのアドバイスに従って、オリンピック出場を断念するつもりだと伝えるつもりでした。ところが私の決意を見越したかのように、彼に先にいわれてしまいました。僕に電話をする時間があるなら、練習に充ててほしい、と。君の声が聞けるのはうれしいけど、こうして話している間にもライバルたちに差をつけられるのではないかと思うと気が気でないから、と。
 私は不安なのです。もし私がオリンピックをあきらめたら、失望のあまり彼の病状が悪化してしまうのではないでしょうか。そうならないという保証がないかぎり、とてもきりだせません。
 こんなふうに思う私は弱い人間なのでしょうか。
月のウサギ』

(つづく)


『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(角川文庫)


あらすじ

悪事を働いた3人が逃げ込んだ古い家。そこはかつて悩み相談を請け負っていた雑貨店だった。廃業しているはずの店内に、突然シャッターの郵便口から悩み相談の手紙が落ちてきた。時空を超えて過去から投函されたのか? 3人は戸惑いながらも当時の店主に代わって返事を書くが……。悩める人々を救ってきた雑貨店は、再び奇蹟を起こせるか!?

著者 東野圭吾(ひがしの けいご)

1958年、大阪府生まれ。大阪府立大学電気工学科卒業後、生産技術エンジニアとして会社勤めの傍ら、ミステリーを執筆。1985年『放課後』(講談社)で第31回江戸川乱歩賞を受賞、専業作家に。1999年『秘密』(文藝春秋)で第52回日本推理作家協会賞、2006年『容疑者χの献身』(文藝春秋)で第134回直木賞、第6回本格ミステリ大賞、2012年『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(KADOKAWA)で第7回中央公論文芸賞、2013年『夢幻花』(PHP研究所)で第26回柴田錬三郎賞、2014年『祈りの幕が下りる時』(講談社)で第48回吉川英治文学賞、さらに国内外の出版文化への貢献を評価され第1回野間出版文化賞を受賞。

書誌情報

発売日:2014年11月22日
定価:本体680円+税
体裁:文庫版
頁数:416頁
発行:株式会社KADOKAWA
公式書誌ページ:https://www.kadokawa.co.jp/product/321308000162/


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