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試し読み

「ひと」の心の機微を描く名手、 小野寺史宜さん初となる短編集から2話分試し読み!#3

日常の何気ない風景の中から人と人との営みを丁寧に切り取り、それがかけがえのない出会いであることを教えてくれる小野寺さんの小説。最新刊『今日も町の隅で』はまさにそのエッセンスが凝縮された短編集です。登場人物は11歳から42歳の男女。彼らがそれぞれの「選択」に向き合う10話の中から、厳選した2話を公開します!
>>「梅雨明けヤジオ」(前編)

引越し作業中に一本のビデオテープが出てきた。それを再生すると学生時代の自分が映し出されて……
「十キロからばしる」(前編)

 部屋の物入れに長年収められていた段ボール箱から一本だけビデオテープが出てきたら、おっと思う。何だ何だ、と妙な期待が高まり、進めてきた引っ越し準備の手も止まる。
 まず、ビデオテープ自体を久しぶりに見た。もうすべて処分したつもりになっていた。
 とはいえ、ビデオデッキはまだ残っている。つかえるのに捨てるのはもったいないとみちが言い、DVDレコーダーを買ったときも残しておいたのだ。テレビ台が横長のもので、デッキを二つ収められるタイプだったこともあって。
 DVDレコーダーが壊れたらBDレコーダーを買おうと話していたが、なかなか壊れずにここまできた。三十代半ばからはDVDで映画を観ることもなくなり、テレビ番組をHDDで録画することもなくなった。あまりつかわれなかったから、壊れなかったのかもしれない。
 ビデオデッキをつかっていた二十代のころは、頻繁に映画を観ていた。懐かしきGコードでテレビ番組を予約録画したりもしていた。もう十年はつかってないが、たぶん、デッキは動く。ただ、ビデオを見るためには、裏の配線をいじらなければならない。
 それにしても。ビデオ。
 何のビデオだろう。さすがにエロビデオではないと思う。そういうものは、道代と結婚するときにすべて処分したはずだ。
 となると。映画『がんばれ! ベアーズ 特訓中』かもしれない。良作とされる第一弾『がんばれ! ベアーズ』ではなくて、第二弾。特訓中、のほう。少年野球の弱小チーム、ベアーズが、地元のカリフォルニアからテキサスはヒューストンのアストロドームに遠征して試合をする話だ。
 テレビで深夜に放映されたものをビデオにり、気に入ったので、何度も観た。大人の事情から試合を途中で打ち切られそうになったベアーズのタナー・ボイルが必死にグラウンドを駆けまわって続行を勝ちとるシーンには、不覚にも感動した。あれなら、ちょっと観たい。いや、かなり観たい。
 ということで、引っ越し準備はあえなく中断した。テレビ台の下の段にあった取扱説明書を引っぱり出し、裏の配線をいじった。そんなことをするのもまた久しぶりだが、わりと簡単な作業なので、たすかった。
 昔は苦にならなかったこの手の配線が、四十二歳の今は苦になっている。配線だけでなく、操作そのものが、よくわからなくなりつつある。HDDで録画したものをDVDに落とすときのファイナライズって、何だそれ。でもBDではそのファイナライズが不要っていうのも、何だそれ。
 リモコンも残してあるが、電池が入ってないので、本体のボタンで操作する。
 十年にも及ぶ長~い休暇のあととはいえ、ビデオデッキは正常に作動してくれた。テレビの画面に映像が流れる。
『がんばれ! ベアーズ 特訓中』ではない。画面に映し出されたのは、一九七〇年代のアメリカの風景ではなかった。大食漢の捕手マイク・エンゲルバーグも不良の外野手ケリー・リークもケンカっぱやい遊撃手のタナー・ボイルも、出てはこなかった。
 出てきたのは、何と、僕。はやゆきひとだ。あとは、僕と結婚する前の道代。たかまつ道代。
 ビデオテープは、テレビ番組を録画したものだったのだ。今から二十年前に放送された、テレビのバラエティ番組を。
 そう。僕はテレビに出たことがあるのだ。街を歩いていたらたまたまインタヴューされた、のではない。ドラマのエキストラのバイトをやった、のでもない。顔がアップになる。しゃべりもする。セリフを言うのではなく、早瀬行人としてしゃべる。
 当時はまだ、素人を出演させる番組が多かった。素人の願いをかなえ、悩みを解決する。素人にドッキリを仕掛ける。今もないことはないが、数は減り、質も変わった。トラブルを避けるためには、そうせざるを得ないのだろう。だがこのころは、その手の企画を売りにした番組があった。バラエティ番組内の一コーナーとしてそれをやることもあった。
 僕が出たのもそう。一コーナーとはいえ、二十分近い時間がとられていた。内容は、一度カノジョと別れた大学生がやり直しを申し出る、というものだ。
 まあ、事実は事実。僕は実際に大学三年まで道代と付き合っていたし、四年の初めに別れてもいた。やり直したいと思ってもいた。やり直すために二十キロ走りたいとは、思っていなかったが。
 そのコーナーはかどわきみきろうが担当していた。お笑い芸人ではないが、立ち位置はそちらに近いタレントだ。バラエティ番組にも出るし、たまにはドラマにも出る。今五十すぎぐらいだから、当時は三十すぎぐらいだったろう。映像を見て思った。僕も若いが、門脇幹郎も若い。
 画面では、今よりだいぶ細い二十二歳の僕が説明する。
「大学四年になって就職活動を始めてすぐ、別れちゃったんですよね。何か、やる気のなさに愛想を尽かされた感じで。確かに、積極的にいくつも会社をまわったりはしなかったんですよ。道代は一緒にがんばっていこうみたいなことを、言ってくれてたんですけど」
「今は、就職先も決まってるわけだ?」と門脇幹郎。
「どうにか。かなり苦戦しました。決まったのは九月でしたし」
「で、その道代ちゃんともう一度やり直したいと」
「はい。就職活動をしてみて、何社も何社も落とされて。やっと自分の甘さがわかったというか、力のなさもわかったというか。道代がほんとに親身になってくれてたことにも、気づけたんで」
「もうちょっと早く気づこうぜ、おい」門脇幹郎は僕の肩を親しげにポンポン叩く。「まあ、行人の気持ちはよくわかった。でも、ただやり直してくださいじゃ、その気持ちは伝わらないよな」
「そう、ですかね」
「そうだろ」
 門脇幹郎は考える。言う。
「よし。じゃあ、走ろう」
「はい?」
「マラソンでも走ってさ、来年の就職に向けて気持ちを入れ換えたんだってとこを、道代ちゃんに見せてやるんだよ」
「マラソン、ですか?」
「そう。そのくらいやんなきゃダメだ。これまではやらなかった、思いきったことをやんなきゃ」
 マラソンを走れば気持ちを入れ換えたことになるというその理屈はよくわからなかったが。僕には反論の余地も、選択の余地もなかった。
 久しぶりにこれを見て、思いだす。
 当然だが、すべてはテレビ局主導だった。
 どうして僕がこの番組に出ることになったのか。
 発端は、大学で入っていたテニスサークルのOBがテレビ局のADと知り合いだったこと。そのADが、番組に出る素人を探すべく、知り合いに片っ端から声をかけ、OB経由で僕に行き着いた。ネットが普及してはいたものの、誰もが利用するほどではなかった時代。そんなやり方も、まだ普通に行われていたのだ。
 紹介料をもらえるためか、OBはかなり強く言ってきた。お前、道代ちゃんと別れたんだろ? よりを戻したいんだろ? だったら出ちゃえよ。というか、出てくれよ。おれの顔を立てるためにも。ほら、おれは一応、代理店だからさ、テレビ局に恩を売っときたいわけよ。
 断りきれなかった。会って話を聞くだけですよ、とは断って、ディレクターに会った。
 スルスルッと名前まで思いだす。そう。よねだ。米田とも。ヨネオ。コントに出てくるテレビ局のディレクターやプロデューサーのようにカーディガンを肩に掛けたり腰に巻いたりはしていなかったが、テキトーはテキトーで、強引は強引だった。
 じゃ、出ちゃうってことでいいのね?
 あ、いえ。話を聞いてからと思ったんですけど。
 いやいや。無駄なことさせないでよ。ここまで来たんだから、出るでしょ。出てくんなきゃ。
 ヨネオは、大学生男子にとっては大いに魅力的なアメも用意した。
 何なら、打ち上げではやかわれみと飲めるかもしんないよ。
 正直、ちょっとそそられた。早川れみ。タレントだ。二十代前半であっさり引退してしまったが、当時はそこそこ人気があった。その番組にもゲストでよく出ていた。同い歳、しかも名字に同じ早がつくということで、親近感を覚えてもいた。そんな早川れみと飲めるなら、飲みたい。先に言ってしまえば。実際には飲めなかったが。早川れみはロケに来ないどころか、ゲストとしてスタジオに呼ばれてもいなかったが。
 あとはもう、流れに乗せられるだけだった。左を向けと言われたら左を向き、右を向けと言われたら右を向く。言われるままに動く。本当にそんな感じだった。
 いきなりマラソンは無理なので、ハーフマラソンを走ることになった。それでも二十キロ以上。過酷は過酷だ。
 本番に備えて練習するシーンも撮るから、と言われ、何度かちょこちょこ走らされた。本番でリタイアされても困るんで、走れるよう自分で練習しといてね、とも言われた。もちろん、その練習には誰もついてこない。僕が一人で走るだけだ。逆に言えば、走らなくてもわからない。ヨネオも、走るとは思わなかったろう。
 それでも。二十キロなんて一度も走ったことがなかったので、僕は実際に練習した。二十キロを通して走りはしなかったが、二週間ほど先のロケ日まで、毎日五キロは走った。変にあせりが出て、就職先が決まってから始めていた居酒屋のバイトを休んで走ったりもした。
 道代も番組への出演を承諾した。と、それだけはヨネオから聞いていた。道代なら断る可能性もあると思っていたが。そこはテレビ。道代は道代でやはり魅力を感じたのだろう。
 ただ。ロケ当日まで電話したり会ったりはしないようにと、ヨネオにはそうも言われていた。素人はそのあたりを隠せない。事前に接触すると、どうしてもその感じが表情や言葉に出てしまうのだそうだ。
 それはよくわかった。絶対に出てしまう。道代とのやり直しが見込み薄なら、やる気のなさが態度に出てしまうだろうし、期待できるならできるで、変に高揚してしまうだろう。だから連絡はとらなかった。そもそも、気軽にとれる感じでもないのだ。別れたカレシとカノジョなのだし。
 そしてロケ当日。確か十月の終わり。空はきれいに晴れ、気温は低めだった。つまり、絶好のランニング日和だ。
 うい~っす、と門脇幹郎がやってきた。会うのは二回めなので、またよろしくお願いします、とあいさつした。ああ、とだけ言われた。カメラがまわっているときの愛想のよさはなかった。二十キロがんばってよ、という言葉くらいはあるかと思ったが、なかった。
 それどころか。門脇幹郎は、ほんとに二十キロ走る必要はないんじゃないの? と言いだした。だって何時間かかんのよ、米田ちゃん。そんなに待ってらんないよ、おれ。
 次いで僕に尋ねた。兄ちゃん、何分で走れんの?
 えーと、実際に走ったことはないんで、ちょっとわかんないです。と答えた。
 何だよ。走ったことねえのかよ。ならまちがいなく無理じゃん。どうせ歩いたりもすんだろ? どんだけかかるかわかんないよ。
 そうね。じゃ、そうしよう。と、ヨネオがあっさり言った。半分にする。十キロ。まあ、一応は二十キロってことで。
 一応は二十キロ。走ったことにする、という意味だ。言ってみれば、やらせの一種。やらないのにやったと言う、やらせ。
 それはマズいんじゃないですか? と、さすがに言った。
 十キロ。高校の校内マラソン大会レベルだ。僕が高三のときは十二キロだった。あれよりも二キロ短い。いくら何でも、それでは甘かった自分を反省できない。気持ちを入れ換えられない。
 問題ないよ。と、ヨネオはまたしてもあっさり言った。彼女に知られることもないんだし。もちろん、視聴者に知られることもない。だからさ、早瀬くんも、言っちゃダメだよ。まあ、言わないよね。自分がズルしたことを、自分でバラさないよな。
 だったらできません、と突っぱねればよかったのかもしれない。そんなことをさせられるために来たわけじゃありません、とたんを切ればよかったのかもしれない。
 できなかった。二十二歳。その場では最年少の、素人。周りは三十代四十代の社会人。皆、仕事で集まっている。そこで僕がきちんと二十キロ走りたいと言うのは、仕事の効率を下げることでもある。そのくらいの理屈はわかる。就職活動できばという牙を抜かれ、わかるようになってしまっている。
 でも本当に、マズくないですか?
 早瀬くんは考えなくていいよ。マズいかどうかは、こっちが決めるから。
 話はそれで終わった。マラソンから格落ちしたハーフマラソンは、ついにただの十キロ走になった。

(後半へつづく)


小野寺史宜『今日も町の隅で』

小野寺史宜『今日も町の隅で』


小野寺史宜今日も町の隅で』の詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321902000589/


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