日常の何気ない風景の中から人と人との営みを丁寧に切り取り、それがかけがえのない出会いであることを教えてくれる小野寺さんの小説。最新刊『今日も町の隅で』はまさにそのエッセンスが凝縮された短編集です。登場人物は11歳から42歳の男女。彼らがそれぞれの「選択」に向き合う10話の中から、厳選した2話を公開します!
>>試し読み第1回「梅雨明けヤジオ」
「十キロ
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スタート直後の
そんな無茶な指示を出され、それさえ実行した。これが社会なんだな、と痛感した。
あれやこれやで、本当に疲れた。走ることで疲れ、撮られることで疲れた。一人で走るだけだから、ペースもまるでつかめなかった。早く道代に会いたいな、と思った。でもカメラの前で会うのはいやだな、とも思った。
とはいえ。画面の僕からそんな思いを窺い知ることはできない。なかなかの演技派なのか何なのか、僕は、初めてのハーフマラソンで疲れきっている二十二歳の大学生、に見える。それなりにがんばってはいる人、にも見える。
「ほら、行け!」「負けんな、行人!」「二十キロ走るんだろ! そのために練習してきたんだろ!」
自転車で並走する門脇幹郎がそんな声をかける。実際に並走したのは十キロのうちの三キロくらいだが、やはりずっと付き添っているように見える。
結局、ゴールまでは一時間半近くかかった。序盤に全力で走らされたから、余計ペースが落ちたのだ。
だがその全力疾走シーン、僕がただ疲れるためだけに走らされたシーンはほぼ丸ごとカットされ、うまく編集されていた。スタートで勢いよく飛び出したものの、調子に乗りすぎてバテたバカ男子。愛する女子のために二十キロも走ってきた
よりドラマチックに見せるためか、ゴールシーンは夜。午後六時くらいだった。
ゴールテープを切った先に、道代が待っていた。
その姿を見て、ほっとした。うその二十キロを走り終えたことに対してでなく、道代が来てくれたことに対して、ちょっと泣きそうになった。その場に倒れこみそうになったが、門脇幹郎に抱きかかえられた。
「よ~し、よくやった。がんばったぞ、行人」
「はい」
「お前、すごいよ。普通、二週間の練習で二十キロは走れない」
はい、とは言わない。
「さあ、道代さん」と門脇幹郎が言う。「行人は二十キロ走ってきました。自分の力だけで走ってきました。見てくれましたね?」
「はい」と今度は道代が言う。
同じく洟をすするのは、たぶん、寒いからだ。
僕も門脇幹郎も若いが、道代も若い。同い歳。まだ二十二歳だ。僕より三ヵ月も早く就職を決めていた。このあとやはりぎりぎりになる僕とはちがい、卒論もこの時期にはもうほとんど仕上げていた。だから気持ちの余裕もあったのだろう。だから愚かな元カレシに一日付き合ってやることにしたのだ。
「ではお訊きします。今、お付き合いをしてる人はいますか?」
「いません」
「よっしゃ!」門脇幹郎が大げさにガッツポーズをする。「行人、聞いたか。カレシ、いないぞ」
まだ肩で息をしながら、僕が言う。
「はぁ」
「お前、バテてる場合じゃないだろ。最後だぞ。しゃんとしろ」
門脇幹郎がバンと背中を叩き、僕を道代の前に押し出す。
「あとは自分で言え。決めてこい!」
黒のジャケットに濃いグレーのスカート。そんな道代の前に、白のランニングシャツに紺の短パンの僕が立つ。今ふうのハーフパンツではない。腿がむき出しの、短パンだ。
垂れてきた汗やら洟やらを、僕は左手の甲で何度も拭う。左手だけでは足りず、右手でも拭う。疲労に緊張が加わり、わけがわからなくなっている。
「久しぶり」と僕が言い、
「久しぶり」と道代が言う。
「今日は、来てくれてありがとう」
「いえ」
「あの、何ていうか、就職活動をしてみて、行くとこ行くとこ落とされて、夏を過ぎてようやく内定をもらえて、自分が甘かったことが、わかった。自分は大したことないというか、大して必要とされてないことが、ほんと、よくわかった。道代が言ってくれてたみたいに、そのなかで自分が何をやれるのか、それを考えなきゃいけなかったんだよな。で、やっと就職活動が終わって、一息ついたときに。道代とやり直したいなって、思った。一度別れちゃったけど、また二人で何かしたいなって。それで、こんな機会をもらったから、気持ちを入れ換えるために、走った。お願いします。もう一度、付き合ってください」
そう言って、僕は頭を下げる。距離があるので、片手を差しだしたりはしない。
そしてCMが入る。三十秒のものが、六本。長い。入れるのにいい箇所ではあるのだろう。そこまで見てきた視聴者が、ここでチャンネルを替えはしない。
明けたところで、門脇幹郎が促す。
「どうですか? 道代さん」
「ごめんなさい」
そう言って、道代も頭を下げる。
来てくれたのだからいい返事をもらえるのではないかと、少し、いや、かなり期待していた。が、期待は打ち砕かれた。
「あぁ。そうですかぁ」と門脇幹郎が声を上げる。「ダメだった。行人」
「まあ、しかたないです」
そうとしか言いようがない。マジで? とは言えないし、何で? とも言えない。
「何がダメでしたか、道代さん」
その答えづらい質問に、道代はすんなり答える。
「正直、ぴんと来なくて」
それにはつい笑う。画面の僕がではなく、見ている僕が。
まあ、そうだろう。それが素直な気持ちだろう。あなたの元カレシが二十キロ走りますからと言われ、そのゴール地点に連れてこられ、やり直してほしいとカメラの前で告白される。二十キロ走ってほしいと自分が望んだわけでもない。事前に説明されてなくてもどんな展開になるか想像はついたはずだが、それでもぴんとは来ないだろう。
「何かしたいっていうのは、わかるんですけど。ただ走ったくらいで気持ちは入れ換わるのかな、そんな簡単なことなのかな、とも思っちゃって」
さらに笑う。それはもう、企画そのものへのダメ出しだ。僕がどうこうできることじゃない。走ることを提案したのは番組側なのだ。ハーフマラソンどころかフルマラソンを走ったとしても、結果は変わらなかったということだろう。
「ほんと、ごめんなさい」と道代が再び頭を下げる。
今度のごめんなさいは、望んだ結果にならなくてごめんなさい、のごめんなさいだ。僕へというよりは、門脇幹郎やヨネオや視聴者への謝罪。
「いや。道代さんはちっとも悪くないです。そうだよな? 行人」
「はい」
そんなふうに、門脇幹郎は、決まりきった答しか返せない問ばかり投げかける。素人は素人としてそこにいてくれればいい。その程度の期待しかしていないのだ。
「でもやることはやったよ。お前、立派だったよ」
門脇幹郎は僕の肩を例によってポンポン叩く。そして、撫でる。子どもにするように。
やることはやってません、二十キロは走ってません、と言え。言ってしまえ、行人。
そう思うが、もちろん、画面の行人は言わない。こう言うだけだ。
「ほんと、ありがとうございました」次いで道代にも。「ほんと、来てくれてありがとう」
「それでいいんだよ、行人。今日二十キロ走ったことは無駄にならない。就職してからも、その気持ちを忘れないでがんばれよ。前に進んでけよ」
「はい」
そして映像はロケ現場からスタジオへと切り換わる。
「あぁ」「残念」「そうかぁ」
そんな声が、VTRを見ていた出演者たちから上がる。あらためて確認してみたが、やはりそこに早川れみの姿はない。
唐突に映像が途切れ、画面が砂嵐になる。僕の出番は終わりなので、その先は残さなかったらしい。
テープを止め、テレビを消す。居間が静かになる。
番組の収録はそこで終わったが、当時の僕らにはそのあとがあった。はい、オーケー、の声がかかってからも、僕は道代と話をした。
「ごめんね」と道代はあらためて言った。カメラが止められてほっとした様子だった。
「急に呼び出したりして、こっちこそごめん」と僕も返した。
「ほんと、いきなりだったから、驚いた。どうしようかと思ったの。でも断ったら迷惑がかかるとも思って」
「おれもさ、まさかこうなるとは思ってなかったよ。いや、断られると思ってなかったわけじゃなくて。こんなふうに、テレビに出たり走ったりするとは思ってなかった。やっと終わった感じだよ。よかった。終わって」
現場のスタッフたちは、僕らには見向きもせず、撤収作業をしていた。
門脇幹郎は、マネージャーが運転する車で早々に引きあげていった。おつかれ、とヨネオに言って。
そのヨネオも、はい、ご苦労さん、と僕らにわずかな謝礼と交通費をくれただけ。便の悪い場所でなかったとはいえ、さらに便のいい場所へ車で送ってくれたりはしなかった。
結局、僕と道代は一緒に
そこでようやくいつもの大学生に戻り、気軽にあれこれ話をした。
聞けば。道代もヨネオには相当無理を言われていたらしい。
最初に話を持ちかけられたときは。企画はもう動きだしちゃってるんですよね。高松さんが来てくれないと、早瀬くんも困っちゃうと思うんだけど。
ロケ日を伝えられたときは。アルバイトなら休めますよね。こっちはもう段取りを組んじゃってるから、動かせないんですよ。タレントさんのスケジュールなんかもあるし。そういうことで、ほんと、お願いしますね。高松さんがいないなんてことになったら、シャレになんないんで。
さらには当日も、ゴール前に先回りしたヨネオにこんなことを言われたという。
まあ、ほら、高松さんにもいろいろ考えてもらってね。こんな番組はほかにもたくさんあるから、見てますよね。わかりますよね? どんな結果になったら見てる人たちが喜ぶか。そういうの、察してくれるとたすかるんですけどね。
要するに、プレッシャーをかけられたわけだ。早瀬くんからのやり直し要請を受け入れてくれと。
そんなだから、こっちも意地になって、断っちゃったのかも。と道代は笑った。
番組に出ることになった経緯を、僕は道代に明かした。
フルマラソンがハーフマラソンになったことも話した。が、およそ半分の十キロしか走ってないことは話さなかった。自身、どこか負い目を感じていたからだ。それは断るべきでしょ、と簡単に言われてしまいそうな気がしたからでもある。
米田友男の略称ヨネオは、このファミレスで生まれた。それは僕ら二人の隠語になった。テキトーな人や押しつけがましい人を指す言葉としてつかった。彼はほんとヨネオだよ、とか、それはちょっとヨネオでしょ、とか、そんなふうに。
そのファミレスで道代と話せたことが大きかったと、僕は思っている。あのままロケ現場で別れていたら。僕が告白して道代は断った、という印象が強く残っただろう。それで僕らの関係は終わっていたはずだ。
だが僕らは終わらなかった。
といって、すぐに付き合ったわけでもない。あのファミレスではご飯を食べただけだし、大学での残りの五ヵ月も、元カレシ元カノジョのままだった。
ロケから二ヵ月後の十二月に番組が放送されたが、大学は冬休みに入っていたので、話題になることもなかった。反響があったのはむしろ地元の友人たちからで、それは道代も同じだった。何であれ、素人が一度番組に出ただけ。話はすぐに忘れられた。
大学卒業後も、道代とは連絡をとり合った。たまには会って、それぞれの仕事のことを話したり、大学時代のことを話したりした。ヨネオという言葉も、当たり前に出た。
わたしの部署の係長がヨネオでさぁ。
ウチは課長も部長もヨネオだよ。会社そのものがヨネオだな。
社会人てヨネオが多いんだね。
おれもそう思った。テレビ局だけじゃなかったよ。
もしかして、ウイルスみたいなものなのかも。
だとしたら、おれらも感染してる可能性があるな。
会社の後輩に言われてたりしてね。高松さんはヨネオだよ、とか。
どうせなら、ほんとにヨネオって言葉がつかわれててほしいな。
会うたびに、そんなことを話した。笑った。そうやって、少しずつ距離が縮まっていく感じがあった。はい、二十キロ走りました、どうですか? ではなく。少しずつではあるが、溝が埋まっていく感じがあった。
会社で働くようになって、道代にはカレシができ、僕にはカノジョができた。が、どちらも同じ時期に別れた。そんなこともあり、僕らはごく自然な流れで付き合った。
そして二人がともに二十九歳のとき、僕が道代にプロポーズをした。
お互いがヨネオにならないよう、これからも監視し合っていこうよ。何なら同じ家で。
プロポーズにもヨネオが出てくるの? と道代は笑った。
それがプロポーズだとあっさり認識してくれたことがうれしかった。
今回はごめんなさいとは言わない。
それが道代の返事だった。ただし、こんな言葉がついてきた。
何だかんだで自分のために二十キロ走られたら、さすがにグッとくるわよ。あのときも、実は結構きてたんだけど。
十キロしか走ってないことを、そこでも言えなかった。今言ったら、これまでずっと隠してきた感じになる。そう思った。あのファミレスで言ってしまえばよかった、と少し後悔した。一方では。まあ、それしきのことだよな、とも思った。わざわざ言うほどのことでもない。言わないからどうということでもない。
二十二歳の自分と道代をもう一度見るべく、ビデオテープを巻き戻す。
キュルルルっという、懐かしい音がした。まさに時間が巻き戻されている感じがする。時間は巻き戻せるのだと、錯覚しそうになる。
ストッと切れのいい音がして、巻き戻しは完了した。
再生する。
若き門脇幹郎が出てくる。若き早瀬行人も出てくる。
「大学四年になって就職活動を始めてすぐ、別れちゃったんですよね」
僕が門脇幹郎にそう言ったところで、ミシミシメリメリッという音がした。映像が
あわてて停止ボタンを押した。テープがデッキのなかで絡まったらしい。
その感覚までもが懐かしい。画面がフリーズした、というのとはわけがちがう。電源を入れ直したところで、復旧はしない。テープは実際にデッキのなかで絡まっている。どこかの部品にがっしりと嚙まれている。
デッキの取り出しボタンを押してみた。キュイ~ン、といやな音がするだけ。テープは出てこない。テープとデッキ。どちらが悪かったのか。十年以上寝かせっぱなし。どちらも悪かったのだろう。
テープを無理に取り出す気にもならず、デッキの電源を切った。若き道代をもう一度見られなくて残念、という思いと、見られなくてよかったのだ、という思いが交錯する。後者の思いのほうに、自分を寄せた。
まあ、いい。私的な映像ではない。それに近いことは近いが、あくまでもテレビ番組。このままデッキを捨ててしまおう。せっかくの引っ越し。もうつかうこともないビデオデッキを捨てるいい機会だろう。
引っ越し。僕一人での、引っ越し。
道代はすでにこの家、みつばベイサイドコートB棟六〇一号室を出ている。引っ越し業者が来たのは、先週の土曜だ。二件が重なると大変なので、日をずらした。僕の引っ越しは来週の土曜。業者は同じだが、引っ越し先はちがう。
どちらかがこのマンションに住みつづけるという選択肢もあった。だがどちらもが、出ていくことを選んだ。
道代はもう早瀬道代ではない。高松道代に戻っている。離婚届は、道代が引っ越す前に出した。そうしないと、各種手続きをしたあとにまた改姓の手続きをすることになるからだ。
そして今は。僕自身が引っ越しの準備をしている。そんなときに、よりにもよってあんなビデオを見つけてしまったのだ。
皮肉以外の何ものでもない。あの番組がなかったら。たぶん、僕らは結婚していなかった。大学四年の四月に別れ、ずっとそのままでいたはずだ。今ごろは、相手を思いだすことさえなくなっていただろう。
三十歳のときに結婚した僕らは、子どもをつくらなかった。つくれなかったと言うほうが正しいかもしれない。共働きをして生活も安定し、ようやくつくれそうになったときに、僕が転職してしまったのだ。ヨネオ的な会社の体質が心底いやになって。ちょうど独立することになった先輩についていくという形で。失敗しても道代が働いてるからどうにかなるだろうと、そんなふうに思って。早い話が。大学四年の就職活動前にも顔を出した甘さが、十年後に再び顔を出したわけだ。
先輩が設立した会社は、わずか二年でつぶれた。それが八年前。時期もよくなかった。僕は無職のまま丸一年を過ごした。そんな状況で、子どもをつくれるわけがなかった。
その後、三十五歳を前にどうにか今の会社に就職できたが、子どもをつくる話は立ち消えになった。道代はもう何も言わなかったし、僕も言えなかった。
離婚は、三ヵ月前にいきなり切りだされた。道代にはすでに相手がいた。会社に入ってから付き合い、僕と結婚する前に別れた、元カレシだ。
もうあなたとは別れたい。別れて、その彼と一緒になるつもり。
はっきりと、そう言われた。これまでの思いがすべて込められているように聞こえた。何も言い返せなかった。元カレシの存在に気づきさえしなかった自分を
ビデオのなかで、二十二歳の道代は言った。
ただ走ったくらいで気持ちは入れ換わるのかな。
入れ換わらなかったのだ。だから十年後に、僕は再び愚かなことをした。いや、その前にまず。きちんと走ってない。
ふううっと大きく息を吐く。
裏のケーブルを外し、ビデオデッキをテレビ台から引っぱり出して、床に置く。
忘れないよう、粗大ごみ受付センターに電話、センターに電話、と二度つぶやく。
ジャージ姿のままドアのカギだけを持って玄関に行き、ジョギングシューズを履く。
バカげている。儀式めいてもいる。今さらそんなことをしてもどうにもならないことはわかってる。が。長く刺さっていた
やるべきだったことを、二十年後の今、やる。
僕は外に出る。そして十キロ空走る。
単行本『今日も町の隅で』では、ご紹介の2篇を加えた全10篇を収録!
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