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特集

【ブックガイド】夏の疲れには、おいしいものとすてきな本♪ 角川文庫、12のごちそう【第3回】

彩り豊かなごはん小説をとりそろえた角川ごちそう文庫から、全3回でとびきりのメニューをご紹介いたします。おいしく食べて、元気が出たら、そのまま読書タイムに突入するのもよし♡

夏の疲れには、おいしいものとすてきな本♪
角川文庫、12のごちそう【第3回】

メニュー9:ふたりで分け合うトマトファルシ

小鳥遊静(たかなし・しず)は、食べることが大好きだけど、少食にコンプレックスがあり、外食や人前での食事が苦手。ある日、隣室に住む大学院生・一之瀬開を助けたことから、お礼としてごはんに招かれます。出てきたのは水引模様や七宝つなぎの華やかな豆皿と、いろとりどりの料理でした。「好きなものを、好きなだけ食べてください」と言ってくれる開に、静はトラウマ克服のためのごはん会をお願いし、ちょっと変わったふたりの食卓がはじまります。


イラスト/嶽まいこ


「これって、なんかすごいですね。かっこいい」
 一之瀬くんが手にしていたのは、トマトファルシだ。
「ファルシって、フランス語で『詰める』っていう意味なんだって。フランス料理だと思ってたんだけど、何かを詰めていれば全部ファルシで、ロールキャベツもピーマンの肉詰めもファルシなんだって。今回は、ちょっとおしゃれにフランス風です」
「へぇ、知らなかった。確かにトマトの肉詰めですね。でも、なんか、濃い」
「ふっふっふ。おからも入れたの。脂を吸ってくれると思ったんだよね」
 私の分は、ミニトマトで作ろうかと思っていた。けれど、さすがに中をくりぬくのは私には難しく、つぶれてしまった。だから、ファルシは一つしかないのだ。
「ね、少しもらってもいい?」
 彼はいたずらを思い付いたように目を輝かせ、お肉をすくったスプーンを「あーん」と言いながら差し出してきた。
 私は眉間に皺をよせ、答えを探す。苦渋の決断のあと、欲に負けて口を開いた。
 恥ずかしくて目は伏せているけれど、彼がどんな顔をしているのかわかる。好奇心に負けてチラッと見ると、なぜか幸せそうな顔をしていて、こっちが恥ずかしくなる。
 惑わされないように、目を閉じて口の中に集中する。うん、味はちょうどいいな。トマトから出た酸味をまろやかにまとい、おからを少し混ぜたお肉はふわふわとした口当たりながらも、肉汁が凝縮されている。
 お昼を抜いた一之瀬くんの食欲は相当のもので、あっという間にどんどんと重箱に隙間ができていく。私も負けじと、食べたいものに箸を伸ばす。

石井颯良『23時の豆皿ごはん』より
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322402001086/

メニュー10:じんわり旨みがしみわたるきりたんぽ鍋

ドラマのファンサイトに集うネット仲間は、住む場所も世代もさまざま。推し活が命の秋田在住のネイリスト。同期の故郷・長崎で恋愛抜きの共同生活をする女性エンジニア。広島での母との同居を機に、卒婚を言い渡された元TVプロデューサー。息苦しさを抱える人々が別の土地のおいしいものを通じて、自分と向き合っていきます。


イラスト/くぼいともこ

 ひんやりとした発泡スチロールの箱を部屋まで運びこむ。
 いつもなら開ける気力もなくしばらく放置していただろうけれど、開けた。カロリーを取って、今後のことを考えるためのエネルギーをチャージしなければならない。
 新聞紙に包まれた芹の葉の緑。パックされた「きりたんぽ」と「だまこ餅」、鍋つゆ。
 先週日曜日、これに備えて東京で手に入る食材は買ってあった。
 野菜と油揚げ、舞茸と鶏もも肉は、気力があるうちにカットして冷凍保存しておいた。
 芹はキッチンばさみでざくざくと切り、しばらく使っていなかった土鍋に具材を放り込む。
「きりたんぽ」は有名だし、名前と写真は見たことがあったけれど、思ったより大きい。真ん中に穴の空いたちくわみたいな形状で、ごはんでできているらしい。白くて、かすかに米粒の形が残っているのが見てとれる。うっすらと表面に焼き目がつけてあった。
「だまこ餅」は初めて見た。白くて丸い。原材料を見ると、「きりたんぽ」とほとんど同じだ。違いは、形と大きさ、焼き目の有無くらい。なんとなく可愛い。
 肉は昨晩のうちに冷蔵庫に移して解凍しておかなければならなかったのに、忘れていた。確か、スープが温まらないうちから冷凍肉を入れると、ドリップが出て肉がすかすかになってしまうんじゃなかったか。スープが沸騰するまで後回しだ。
 鍋を煮込んでいる間、シンクにたまった食器を洗い、片づける。
 人間らしい生活を、取り戻したような気分になる。
 リビングのテーブルが散らかっていたので、キッチンに立ったまま温まったスープを飲んだ。
 比内地鶏を使ったという鶏だしの、塩気の強いスープ。
 スープを吸い込んだ「きりたんぽ」は口の中でほろほろと崩れた。米の甘みと香ばしさが、スープの旨みとあいまって、おいしい。
 十二時間ぶりのカロリーに、体の奥からエネルギーが湧いてくる。
 内側に流れ込んだ熱が、じんわりと体のすみずみに広がっていく。
 食材と一緒に入っていたポストカードを手に取って見る。結露から守るためなのか、透明なシートの中にしっかり密封されていた。

 自分を本当に守れるのは自分だけだよ。体を大切に。

十三湊『幸せおいしいもの便、お届けします』
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322404000874/

メニュー11:紀州名産!真サバの熟れ鮨

東京でキャリア街道まっしぐらの管理栄養士・日元みなほ。ところが突如、紀伊半島の田舎町にある家具メーカーの社員食堂への異動を命じられます。東京が恋しいみなほでしたが、次第に町の人のやさしさや美味しい郷土料理に出会い、徐々になじんでゆきます。ある日、発酵YouTuberとのコラボで熟れ鮨を作ることになって……。


イラスト/チームおゆき


十一月第四金曜、いよいよ熟れ鮨のお披露目となった。
 熟れ鮨製造マシンはぜんぶで三箱、邪魔にならないよう、厨房の片隅に置いてあった。これをフロアに運びだし、魚のテーブルの上で開いて希望者に配る。その役目はもちろん郷力で、みなほも手伝うことになった。
 社員食堂は開店十分前にもかかわらず、すでに社員が三十人ほど魚のテーブルを囲んでおり、その中には法被姿の麴爺こと忠信と、手持ちのビデオカメラを持った典蔵もいた。
 みなほは熟れ鮨製造マシンのボルトを緩め、木枠から木箱を外す。そして郷力が蓋を開くと、どういうわけか「おぉぉぉぉお」と声があがった。少し前に典蔵が頼んでいたのが、厨房の中まで筒抜けだった。さらにリハーサルまでしていたのにもかかわらず、わざとらしさは拭えていない。
 箱を開いて最初に漂ってきたのは葉っぱの香りだ。つづけてお酢の匂いが鼻をついてくる。しかし梅の甘い香りがかすかに含まれているせいか、思ったよりも強烈ではなかった。
「ではまず郷力さんにひとつ、召し上がっていただきましょうか」
 忠信の言葉に郷力は頷く。今日は着物ではなく、いつもとおなじ黄色の作業着だ。でも受け答えは標準語だった。木箱から熟れ鮨を一個取りだして皿に載せる。青々しい色だった暖竹が濃い緑色に変色していた。それを丁寧に剝いていく。典蔵がその手元にビデオカメラをむけ、忠信をはじめ社員達も固唾を飲んで凝視していた。みなほもだ。郷力はやけに神妙な顔つきをしていることもあって、なにかの儀式のようだった。
 暖竹の中からでてきた熟れ鮨はふつうだった。どうふつうなのかと言えば、みなほがこれまで見てきた押し鮨とさして変わらなかったのである。発酵して腐っていると聞いていたので、なんというかもっとドロドロした状態だと勝手に思いこんでいたのだ。
 郷力は熟れ鮨を口元に運び、一口食べた。
「いかがですか」忠信が訊ねる。
「生涯で五本の指に入るほど、いい出来です」

山本幸久『社員食堂に三つ星を』より
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322307001275/

メニュー12:旨みたっぷりホッキ貝のチャウダー

青い波が打ち寄せる浜辺にぽつりと佇む小屋は、料理上手なネコシェフの店。ここに辿り着くのは、仕事や恋愛、子育てなどに悩み「現実から逃げ出したい」と切実に願う人ばかり。マイペースで饒舌なシェフは、旬の魚を使い腕をふるいます。美味しい料理にほぐれ、心の中にある本音に向き合った時、小さな一歩を踏み出せるかもしれません。


「もう一品作ってやろうか」
 考え込んでいた千晶を見守っていたネコが、フライパンに貝を入れ、ジュッと音をさせて白ワインを注いだ。
「アクアパッツァ?」
 尋ねると、ネコがぶるんと首を振って、鍋に生クリームを注ぎ込む。
「こんな寒い日は、あったかいスープに限るだろ」
 ほいっと手渡されたスープ皿からは湯気が立ち上っている。ほかほかのミルクに貝や野菜が頭を沈めている。
「あ、クラムチャウダー」
「おおかたのクラムチャウダーはアサリを使うけどな。今日は北国の貝のホッキを使ってみたのさ」
 貝の旨みが染み出たスープに、体の中がじんわりと温まった。
「これも雪のような白いスープね」
 スープ皿にスプーンを差し入れながら千晶が呟くと、シェフが鼻をひくつかせた。
「ホッキ貝は肉厚で甘みが強い貝なんだ。カレーに入れても美味しいんだぜ」
 北海道の苫小牧ではホッキカレーが名物なんだそうだ。
「こいつも深い海ん中の砂底に潜って暮らしているんだ。動きもゆっくりだから、長生きできるのさ」
 それはまるで小さな「家庭」という場所から一歩も出ずに生きている自分のようだ。けれども砂の中をゆっくりと移動する姿に、不思議と好感が持てた。そこが居心地がよく、自らの守るべき城なのだと、そう誇らしくいえるのなら、恥ずかしくも情けなくもない。
 見ると、調理を終えたネコが、手際よく調理場を片づけている。やがて気持ちよさそうにあくびをした。きっとこのネコにとっては、この場所がこの上なく心地いい居場所なのだろう。

標野凪『ネコシェフと海辺のお店』より
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322304000218/


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