名画の新しい楽しみ方を提案する中野京子さんが展覧会ナビゲーターとなった「ロンドン・ナショナル・ポートレートギャラリー所蔵 KING & QUEEN展 ―名画で読み解く 英国王室物語―」が開催中です。
展示されている名画と共に中野さんの著作『怖い絵』シリーズから、イギリス王室歴代の肖像作品をご紹介します。
>>[KING & QUEEN展]記念試し読み①ホルバイン『ヘンリー八世像』
第二回は、『怖い絵 泣く女篇』(角川文庫)より
ドラローシュ
『レディ・ジェーン・グレイの処刑』
イングランド歴代女王といえば、メアリ一世、エリザベス一世、メアリ二世、アン、ヴィクトリア、エリザベス二世(現女王)の六人とされているが、正確にはもうひとりいる。メアリ一世より先に即位し、イングランド最初の女王を宣言したジェーン・グレイだ。ただし玉座に座ったのはわずか九日間。追われて半年後には処刑されてしまう。まだ十六歳と四ヵ月。花の盛りだった。シェークスピアの生まれるちょうど十年前、一五五四年のことである。
以来、ジェーン処刑シーンは数多く描かれてきたが、三百年後のロマン主義吹き荒れる中、フランス人画家ドラローシュが異国の歴史画として描いたこの絵が、一番の人気作となっている。ロンドン留学中の夏目漱石も魅了され、小説『
きわめて演劇的な、計算されつくした画面。
左に巨大な円柱があり、宮殿の一間とおぼしき場所で処刑が行なわれようとしている。その円柱にすがりつき、背中を見せて泣く侍女と、失神しかける侍女。後者の
若き元女王は真新しい結婚指輪だけを
右には赤い帽子、赤いホーズといった派手ななりの死刑執行人が立つ。大きな
「人道的な」ギロチンが発明される以前の斬首には、はなはだ失敗が多かった。髪の毛で刃先が滑ったり(だからジェーンは髪を束ねてうなじを出している)、処刑人の腕が未熟だったり(一撃で終わらせるにはかなりの技量を要した)、精神集中がうまくゆかないこともある(衆人環視のもと、処刑人にかかるプレッシャーは相当のものだった)。
十七世紀後半のジャック・ケッチの例が有名で、彼は
ぞっとする話だが、何もケッチだけが特別に無能だったわけではなく、エリザベス一世の命で処刑されたエセックス伯の場合も似たりよったりだったし、首の細い女性なら大丈夫かと思えば、メアリー・スチュアートがいたずらに
それにしても、この絵に描かれた処刑人には違和感を覚える。こんな仕事は気が進まないと言わんばかりに、
全体に本作は、感傷に
だが
若々しく
現実は、しかしさらに
ジェーン・グレイは反逆者として裁かれたので、処刑は宮殿どころか屋内ですらなく、ロンドン塔の広場で貴族たちに公開で行なわれた。胴から離されたジェーンの首は、処刑人に髪をむんずと
いったい彼女はなぜ死刑になったのだろう? どんな責任があったのか?
火種はあの
八世が後継者の男児ほしさに、次々
最終的には八世はふたりの娘にも王位継承権を与え、遺言を残してあの世へ旅立つ。それによれば継承順位は、一位エドワード、二位メアリ、三位エリザベス、四位ジェーン・グレイとなっていた。エドワードが長生きして息子を成していれば問題は生じなかったのだが、病弱で長くは持たないのは誰の目にも明らかだったので、早い時期からクーデターは準備されていた。誰によって?──ジェーン・グレイの
権力志向の舅ジョン・ダドリーは、ジェーンが幼いころから後見人として名乗り出て、最終的には自分の四男ギルフォードと結婚させた。エドワード亡きあとジェーンを即位させ、メアリとエリザベスは庶子のため権利がないとして抹殺し、全てを自分で
ことここに至るまで、ジェーンは何も知らされていなかったので、ただただ
ダドリーの陰謀が失敗した最大原因だが、それはメアリを逮捕できなかったことに尽きる(メアリも苦労人だったから、風のように逃走した)。メアリとエリザベスを亡き者にさえしていれば、ジェーンの女王の座は──単なる
ところでメアリ女王だが、このころの人気は春の淡雪のようにたちまち消えて、「ブラッディ・メリー(血まみれメリー)」とあだ名され憎まれるようになる。また、ジェーンの夫ギルフォードは処刑されたが、弟のロバート・ダドリーだけはまだ若くて何も知らなかったとして
さて、首謀者ダドリーの首は即時飛ばされた。だが血縁であるジェーンの処遇についてはメアリ一世にも迷いがあったので、ロンドン塔に幽閉だけして放っておいた。この時点では命だけは救うつもりだったらしい。ところがメアリがカトリック国スペインのフェリペ二世との結婚を決めたとき、それに
死刑直前、ジェーンはカトリックに改宗するなら命を助けてやってもいいとの申し出を受けるが断った。たとえ今の嵐をやり過ごしたとしても、いつなんどき誰かがまた自分を
いずれにせよ、字義どおり血で血を洗う政争の時代に、強烈な意志と力で突き進むだけのエネルギーの持ち主──エリザベスのような──でない限り、生きのびることはできない。ジェーンがこの絵のとおりのたおやかな女性だったとしたら、なおさらそれは困難であったに違いない。しかしまたジェーンがこの絵のとおりに、取り乱すこともなく決然と首を差しのべたのだとしたら、あと数年生き永らえさえすれば、真の女王として君臨できた可能性も否定できない。
ポール・ドラローシュ(一七九七~一八五六)の生きた時代、フランスは一種のイギリス崇拝熱にうかされており、彼もイギリス史を題材にいくつも作品(『チャールズ一世の
「KING&QUEEN展」では
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《レディ・ジェーン・グレイ》作者不詳 1590-1600年頃
Lady Jane Grey by Unidentified artist (c. 1590-1600) ©National Portrait Gallery, London
ヘンリー8世の妹の孫娘。ヘンリー8世の息子エドワード6世が15歳で亡くなった後、イングランド最初の女王を宣言するが、君臨したのはわずか9日間だけであった。
王位継承を主張したメアリーに敗れた彼女は投獄され、1554年2月12日に16歳で斬首された。
「ロンドン・ナショナル・ポートレートギャラリー所蔵
KING&QUEEN展―名画で読み解く 英国王室物語―」とは
作品の魅力と併せ、美しく気品に満ちた肖像画のモデルである王室の面々が辿った運命、繰り広げられた人間模様に肉迫します。背景を知って観覧することでより深い鑑賞体験ができる画期的な展覧会です。
会期:開催中~ 2021 年 1 月 11 日(月・祝) ※会期中無休
会場:上野の森美術館
住所:〒110-0007 東京都台東区上野公園1-2
開館時間:10:00~17:00 (1月1日を除く金曜は10:00~20:00)
※入館は閉館の30分前まで
※日時指定制を導入しております。※入場・チケット購入方法ほか新型コロナウイルス感染防止対策及び最新運営情報などを公式HPで必ずご確認ください。
公式ホームページ:www.kingandqueen.jp
中野京子が贈る名画の新しい楽しみ方 角川文庫「怖い絵」シリーズ
『怖い絵』
https://www.kadokawa.co.jp/product/201012000707/
『怖い絵 泣く女篇』
https://www.kadokawa.co.jp/product/201012000708/
『怖い絵 死と乙女篇』
https://www.kadokawa.co.jp/product/201012000710/
『新 怖い絵』
https://www.kadokawa.co.jp/product/321909000205/