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特集

総入場者数 68 万人超! 社会現象にもなった、「怖い絵」展のできるまで

「怖い絵」展のできるまで

「怖い絵」展が上野の森美術館で開催されてまもなく、「現代ビジネス」の担当者さんから記事執筆の依頼があり、喫茶店でお会いしました。どういうコンセプトか、どんな作品をどう選び、どう並べたか、などについて書くことに決まり、締め切りを設定した後気楽な雑談となりました。その際、展覧会開催までに何年もかかって大変だったと話しますと、そちらの方がプロジェクトXばりに面白いので記事は是非二つ書いてもらいたいと、思わぬ仕儀しぎとなったのです。
 確かに(自分もそうでしたが)関係者でない限り、美術展がどんな流れで出来上がっているのかわかりにくいので興味深いかもしれないと思い、書きあげたのが以下の文章です。Yahoo!ニュースのトップにも掲載され、瞬く間に三百近いコメントが集まる反響の大きさでした。「現代ビジネス」の許可を得て、二〇一七年十一月十二日版を加筆訂正をして再掲載いたします。

「怖い絵」展開催までの悪戦苦闘

「怖い絵」展をやりませんか、と産経新聞の藤本ふじもとさとるさんから提案されたのは開催から七年ほど前。兵庫県立美術館で講演をした後のコーヒータイムだったので、いいですね、と答えはしたものの、さほどリアリティはなかった。それから二年後、再び藤本さんから今度は本気のオファーがあった。兵庫県立美術館の学芸員、岡本おかもと弘毅こうきさんも加わり、ここに――今にして思えば――三人の戦友によるちっちゃな師団が結成されたのだ。
 最初は闇雲という感じだった。コネクションのつけられそうな国内外の美術館のリストを見せられ、わたしが次々借りたい作品をチェックしてゆく。後で藤本さんが言うには、よくもまあ貸してくれそうもない作品ばかり選ぶものだなあと思った由。
 そうこうするうち、拙著でも扱ったドレイパー『オデュッセウスとセイレーン』、ビアズリー『サロメ』、ホガース『ビール街』『ジン横丁』、ゴヤ『戦争の惨禍』が貸し出しOKとなる。他にターナー、ルドン、ムンク、ウォーターハウスと著名画家の作品もそろった。また日本ではほとんど知られていないが強烈で現代的な作風で人気が出ること間違いなしのモッサの、しかも代表作二点(『飽食のセイレーン』『エル(=彼女)』)が、入手できたのは僥倖だった。セザンヌの初期作品『殺人』も衝撃を与えるだろうし、近年、彼こそ切り裂きジャック本人と名指しされたシッカートの、文字通り『切り裂きジャックの寝室』まで借りられた。
 なかなかのラインナップと思いつつ、しかし成功する展覧会には絶対に「顔」が必要だ。それは玄人も素人も、老若男女全てを、一目で有無を言わせず惹きつける作品でなければならない。美しくて怖い、そのことが一瞬で見てとれる作品。拙著『怖い絵』の「怖い」が血まみれのスプラッターや目をそむけるグロテスクではなく、美術作品として完成されていて、なおかつそこにはまだ謎があり、何だろう、知りたい、ずっと見続けていたい、と思わせるものでなければならない。できればそれはKADOKAWA版『怖い絵』シリーズ全五巻の表紙のうち、まだ来日していない作品が望ましい。となるとドラローシュ作『レディ・ジェーン・グレイの処刑』をおいて他にはないのだった。
 これだ!――我ら師団は一致した。
 藤本さんの悪戦苦闘が始まる。所蔵先のロンドン・ナショナル・ギャラリーは、まず作品自体が大きすぎる(二・五×三メートル)ので運べないと難色を示した。それに関してはヤマトロジスティクスの優れた美術品担当部の実力が通じてクリアされた。次に「ジェーンを見に年間六百万人が来館するのに、半年も貸せない」と言う。そこを値段交渉から何から粘ねばりに粘ってようやく担当者の首を縦に振らせたはいいが、なぜか契約書にサインしてくれない。なんとそこから一年以上宙ぶらりんとなるのだ。館長がOKしてもサインしない。こんなことがあるのだろうか。極悪非道のわたしは「ジェーンが来ないなら『怖い絵』展はやらない」と告げ、追いつめられた藤本さんは、もし借りられなかったら霧のロンドンに失踪しようと思ったという。
 この最悪の時期は、後からわかるのだが、三者三様に足搔いていた。藤本さんは「怖い絵」展というタイトルを下ろし、今集まっている作品で別の名の展覧会にしようかと岡本さんに相談。岡本さんは、それは絶対にだめだと答えたものの、内心でサブ・タイトルに「十九世紀におけるなんとかかんとか」と学術性を持たせようと思案していた由。わたしはといえば、KADOKAWAの担当、藤田ふじた有希子ゆきこさんに、あまりに苦労が多いから展覧会はしたくないと愚痴をこぼし、いつも冷静で励まし上手な彼女を仰天させていた。師団がばらばらになりかけた時期と言える。
 しかしついにとうとうやっとこさっとこ、ロンドン側が契約書にサインしてくれた。夜に知らせを受けた藤本さんは(デスクの前で雄叫びをあげたという)喜び勇んでわたしに電話。ところがわたしは「ああ、そうですか」と気の無い返事。傍から見ると全く人非人にんぴにんの所業だが、弁解させてもらうなら、呆然としてしまったのだ。これからものすごく大変なことになる。このプロジェクが失敗したら、どれだけの人に迷惑をかけることか(そうなったらこっちまで失踪だ)、「怖い絵」展は怖い。恐怖で受話器を持つ手が無感覚になっていた。
 ジェーン初来日が決まり、準備佳境の開幕四カ月前、思いがけないボーナスがあった。フュースリ『夢魔むま』の小型ヴァージョン版の貸し出しにアメリカからすんなりOKが出たのだ。もうダメかと諦めていた岡本さんはこれに先立ち、せめてこの作品の当時の世界的影響を知ってもらいたいと、私費で版画入り古書を二冊も購入してくれていた。何という情熱。その古書も本展でガラス・ケース入りで展示した(ついでながら岡本さんはキャッチコピーの才人で、以前の「だまし絵」展での「わが目を疑え。」もすごかったが、今回のジェーンの「どうして。」も彼の作品。まさにこれ以外に考えられない優れたコピーだと思う)。


「怖い絵」展ポスター
提供:産経新聞社


 一方、東京の展覧会場選びはぎりぎりまで難航した。おそらく「怖い」という感覚にスポットを当てた美術展など「際物きわもの」と思われたのではないか。ゴッホ展とかルーヴル展といった画家や美術館括りが大勢を占める日本の美術展の様式にあって、冒険してくれる大規模美術館はなかった。わたしたちが第一候補としていた美術館の担当者さんには、絵画が全部そろう前とそろった後、二度にわたって頼みに行ったのに、けんもほろろ。ところが開催翌年にたまたまそこの館長の知遇ちぐうを得てこの恨み節を伝えたところ、その案件は自分のもとには上がってきていなかった、自分に相談されたらやったのに、と憤っておられ、担当者の独断で拒絶されたことがわかった。今後はそうしたことも踏まえて交渉しなければならないとつくづく勉強になった。
 閑話休題。
 そんなわけで、ようやく引き受けてくれた美術館は小ぶりだった。ジェーンはたいそう上背うわぜいがあり、大きな壁が必要なので、寸法も測り、全て大丈夫と日程も確定し、契約も締結という間際になって……またまたこんなこともあるのかという、間抜けな事態が発生。その美術館は壁には飾れても、入り口からの搬入通路の天井が低くて通れないということがわかったのだ!
 全てやり直し。通常は東京の後に地方という順番なのだが、もはや東京展の後で兵庫展という順番に間に合わなくなっており、東京は夏の兵庫の後、秋から冬にかけての開催と改められ、上野の森美術館が正式に決定したのだった。この美術館で開催できたのは、同時期開催予定だった別の展覧会が突然中止になるという偶然のおかげだ。この美術館も決して大きくはない。だがこれに関してわたしとしては上野森美でむしろよかったと思っている。というより、「怖い絵」展の話があった時真っ先に、上野に「怖い絵」展という看板が立つのをどこかでイメージ(というか予感)していたからだった。
 二館と契約が結ばれ、関係者全員での大掛かりな会合が産経新聞社会議室で何度も開かれた。兵庫県立美術館の学芸員さんたちはキャッチコピー案をたくさん出してくれたし、上野森美の学芸員さんたちはジェーンを最後に見せるための複雑な動線を練ってくれた。なにしろ決め事が多いので誰も彼も大変だったが、何とかクリアし、終わり良ければ全て良し。
 なのにまだ終わっていなかった。兵庫県美での初日の数日前、緊急メールがきて曰く、「ロンドンからアムステルダムへの輸送中、事故でトラックが引き返した」。まさかジェーンに何かあったのではと気を揉んだが、単に道路渋滞に巻き込まれて予定の飛行機に間に合わなかったと判明。ほっとした。二日遅れで到着。もちろんこの二日のロスは小さくなかった。展示現場は深夜作業となり、すでにストレスで五キロも太っていた岡本さんは、足にできていたマメがつぶれて血まみれに……。車椅子で働いた。
 ジェーンが到着するまでわたしが一番気にしていたのは、実は額縁だった。ドラローシュ時代に制作されたというカルトゥーシュ(装飾枠飾り)付きの額縁だ。貸し出しが決まってすぐ藤本さんに訊いたのだが、簡易額でくるかもしれないと言われていた。絵画の額縁は美女のヘアスタイルのようなものだから、カルトゥーシュがないと嫌だなあと心配していたのだ。ちゃんと来日してくれて小躍りした(この時ばかりは、正直、絵よりも額に感激したわたしだった)。

 開催後も実にいろんなことが起きている。 
 音声ガイド機器が足りなくなって急遽倍増させたり、グッズの「黒い恋人」やサロメのマグカップが品切れになって補充に大慌てしたり、一時間も並んだのだから閉館時間を過ぎてももっと見たいと要求する人(気持ちはすごくわかります)の対応に追われたり、小学生にヌードを見せてけしからんとクレームがきたり……。このクレームと関連して、ちょっと可笑しいツイートを読んだ。音声ガイドの原稿は全てわたしが書き下ろしたのだが(朗読はすてきな声の吉田よしだようさん)、まさか小学生が聴くことまで想定していなかったため、「エロス」だの「恍惚」だのという言葉も使ってある。すると小さな男の子が会場で、「お母やん、エロスて何や、走れメロスのことか?」と訊いていたのだそうだ(お母さんの返事が知りたかった)。
 それもこれも来場者が想定以上に多いこと、しかも老若男女さまざまな方がいらっしゃることによる嬉しい悲鳴ではある。兵庫では五十一日という短期間、さらに最終の三日間は台風の直撃にみまわれながらも二十七万人以上の方が見てくださり、この美術館歴代三位(一日あたり入場者数では歴代二位)の記録になった。 
 上野の森美術館でも、初日から三週目で入場者数十万人突破セレモニーを行った。連日の賑わいはほんとうに嬉しく、ありがたく、寒い戸外で並んでくださる方ひとりひとりにお礼を言いたくなる。本館が狭いため、ゆったり観られないのも申し訳ない。それでも自分の心に刺さる作品は、きっと周りの喧騒を忘れさせるほどに迫せまってくることだろう。そんな体験をした人が多かったからこそ、口コミで話題が広がったと思う。 
「若者狙いの企き画かくの勝利」と言う人もいたが、わたしたちの誰もそんなことは考えていなかった。通常の美術展来訪者のメインたる中高年の女性が、はたしてどのくらい来てくれるか、せめて大失敗だけはしませんようにと祈いのる思いだったのだ。
 何しろこれまでの日本の美術展に比べ、何から何まで異色である。
 一つには、美術専門家でもないドイツ文学者(わたし)による書籍(角川文庫『怖い絵』シリーズ)が元になっていること。二つ目は、画家や美術館括りではなく、「恐怖」を、それもさまざまな恐怖を孕んだ西洋絵画が集められていること。三つ目は、各作品の横にかなり長めの解説を掲げ、また詳しい音声ガイド使用も促して、自分の感性だけを頼りにするのではなく知識を得て絵を見てください、と鑑賞者に(不遜にも)強制していること。どれも従来の美術展では考えられない破格さであり、心配は尽きなかった。本を読んだ人は、あれも来ていない、これも来ていないと不満を覚えるのではないか、「怖い絵」というのに全然怖くないと思われるのではないか、絵の横の長い解説など読む気にならないと素通りされるのではないか……結果的にそうした心配は杞憂に終わった。美術館への不満の第一は、混みすぎてゆっくり観られない、文字が小さすぎる、というものだった(それはそれでほんとうに申し訳ない気持ちでいっぱいだ)。
「怖い絵」と聞いただけで際物扱いしていた人も、展示されている芸術性の高い作品の数々を前に、誤解をといてくれたと信じたい。スプラッターやグロテスク趣味だけを求めて見に来た若者の中にも、本物のオーラに触れて名画鑑賞の喜びに目覚める人もいると確信している。何よりわたし自身、ジェーンの前で涙を浮かべている来場者をこの眼で見て、胸がいっぱいになった。そしてこれもどなたかのツイートだが、「美術館自体がストーリーのいっぱいつまった箱みたい」(若い人の感性はすばらしい)!
 日本人はもともと絵が大好きだし、知識欲も旺盛だ。見て感じなさいというこれまでの美術展にどこか飽き足らなかった人たちが、もともと意味やストーリーのある作品の、その意味やストーリーを知って面白くないわけがない。本展がきっかけとなり、これからの美術展も少し変わってくるといいなあと思っている。

閉幕して

 以上の記事を書いた後も、上野の森美術館には来場者が続々訪れ、最終的に四十一万四千六人、この年のベスト七位(一日の入場者数だと六位)をマークしました(兵庫と合わせると六十八万人以上)。
 驚いたのは音声ガイドの貸出率で、二十%もゆけば大成功と言われる中、上野では一日平均四十五%を超えました。実に来場者の半分近くが――借りるための新たな列に並び、貸出し料金を払って――聴いてくれたのです。
 多くの新聞や雑誌も、ある種の「社会現象」として大きく取り上げてくれました。それは実際に目に見えていたからです。つまり上野の森美術館が狭くて館内に待つ場所はなく、入場者は外で並ぶしかありません。初冬の寒い中、館の前から四列縦隊の列はずっと延びて西郷さんの銅像近くでぐるりと折れ、向かいの清水観音堂の先まで続きました。最長待ち時間は三時間半。この長蛇の列が「怖い絵」展をさらに知らしめたといえましょう。
 閉幕し、もろもろ片付いた翌春、関係者のパーティがありました。各部門の方が一分間スピーチをしたのですが、一分で終わる人はおらず、皆みなさんとても熱かった。施工担当者さんは壁の関係でジェーンの両側に円柱を建てられなかったのが未だ口惜しい、と。広報さんはチラシの種類で大評判なのとそうでもなかったのと違いがあって残念だ、と。そうした言葉が出ること自体、本展への思いが滲み出てどんなに嬉しかったか。
 産経新聞文化部は社長賞、図録担当者さんはデザイン賞を受賞したという嬉しいお知らせ(ちなみに関係者の数人が展覧会を機に出世しました)。グッズ担当者さんはミュージアムショップ内で、キスしているカップルを三組も見たこと、北海道のお菓子「黒い恋人」とのコラボが大成功して感謝されたことを、また音声ガイドの担当者さんは、あと何台必要になりそうか確認しようと外へ出て、あの長蛇の列を見た瞬間からその後の記憶が吹っ飛びました、と。フジテレビさんは一年前に関係者と交したメールをプリントして、一部読み上げてくれました。どうしたら視聴者の関心を引けるかの工夫に満ちていました。
 メールといえば、上野で開催中ずっと産経新聞の風間かざまありささんが毎晩わたしにその日の来場者数、音声ガイド貸出率を報告してくださり、今日は雨で減った、今日は雨だけれども増えた、残念、めでたい、頑張ろうと、お互いやりとりしていたのが懐かしい思い出です。
 こんなふうにさまざまな部署のおおぜいの方々が、どうしたら「怖い絵」展を成功させられるか知恵をしぼり、アイディアを出し、真剣に取り組んでくださっていたのを改めて知り、感動の嵐でした。そして最後に藤本さんが長めのスピーチをしたのですが、彼はこう締めくくりました、あれほど苦労してやっとジェーンを日本の美術館の壁に飾った時にも涙は出なかった、無事に終了しても涙は出なかった、自分は感情のない人間なのかと心配したが違うのがわかった、なぜ泣かなかったか、それは今、ここで泣くためだったのです――そして眼鏡を外して、そっと涙をぬぐったのです。これには一同、もらい泣き。
 重い飛行機がなぜ飛ぶか――それは中にいる乗客が全員で「飛べ、飛べ」と強く念じているからだ、というジョークがありました。それを思い出します。関係者の強い念がうねりとなって「怖い絵」展を成功させたに違いない、と。

ご購入&試し読みはこちら▶中野京子『もっと知りたい「怖い絵」展』| KADOKAWA



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