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試し読み

『戦場のコックたち』『ベルリンは晴れているか』の著者最新刊。「物語の宝箱」を堪能あれ! 深緑野分『この本を盗む者は』刊行直前特別試し読み#7

「本の呪い」が発動して、街が物語の世界に変わっちゃう? 本嫌いの少女が、街を救うために書物の世界を冒険することに――。深緑野分さんの最新刊は、本の魔力と魅力を詰め込んだ、まさに空想の宝箱。10月8日の刊行に先駆けて、特別に第一章をまるごと試し読み!



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◆◆◆◆

 物事にははじまりと終わりがある。繁茂村もはじめ、ベイゼルとケイゼルの兄弟が黒い甲虫を追いかけてたどり着くまでは、ただの乾ききった赤茶色の荒野であった。いくら黄ばんだ雲が雨を降らせようと雨粒は灼熱しゃくねつの大地に触れるや否や蒸発するばかり、人間はおろか昆虫も、水すらも寄りつかぬ。
 ベイゼルはひどい雨男であった。新月の晩、産声を上げたその刹那せつな、突如として暗雲が現れ、村の上空を覆い、止めどない豪雨が降り注いだ。村は、月が再び膨らむまでに完全に水没し、逃げ延びた住民は、鼻と耳の穴に詰め物をして深く潜り、水底に沈んだ自宅に帰って、忘れ物を取りに戻るほかなかった。
 母がベイゼルを連れて隣村の両親に会いに行くと、雨は止み、帰宅すると再び雨が降る。やがてベイゼルは雨鬼と呼ばれるようになり、新しく立て直された集落には三日三晩しか滞在が許されなくなった。赤子のベイゼルをぶって、母は旅に出た。母が見上げると、もくもくとした黒い雨雲が後からついてくる。足を止めれば、たちまち雨雲が追いつき、ぱらぱら雨粒が落ちたかと思うと肌が痛むほどの豪雨となる。母は歩むことをやめず、雨の降らない土地へ向かうことにした。
 ふたりは乾いた土地に雨を降らし、植物の根が腐らないうちに出て行き、次の村を目指す。
 地の球がめぐりめぐり、着物の生地が薄いものから厚いものへ、厚いものから薄いものへと再び戻った頃、母は次男のケイゼルを産んだ。
 ケイゼルはひどい晴れ男であった。小さなベイゼルをよそに預け、産婆の手でケイゼルを産むと、かんかんと照りつける太陽が村を襲い、母の乳をケイゼルが吸う間もなく、ため池が干上がった。死に絶えた魚やザリガニの魂は天に昇って循環し、怒れる稲妻となって大地を揺るがせ、産婆は悲鳴を上げる。死んだ魂はやがて地中深く潜って種となり、いつか芽を出すその日を待つ。
 灼熱の日照りが続き、畑は見る間に枯れる。そこにベイゼルが連れてこられ、産婆の家に横たわる母を見舞うと、たちまち雨が降り出した。太陽は中天でぎらぎらと輝いているのに、雲から雨粒がごろごろ転がり落ちてあたりをらす。世を呪って死んだ魚とザリガニの魂も芽吹いて、鮮やかな青や赤の双葉を広げる。
 これを見た母は喜び、同時に悲しんだ。自らの胎内で育て、産まれでた子のどちらもが、天から愛されなかったと嘆いた。
 黒雲は太陽の周りをぐるりと囲み、雲が泣いたかと思えば太陽が笑う。あべこべになった天候を恐れた人々は土地を治める首長の元へ押し寄せ、輿こしに乗せるとえっさほいさと担いで、まだ横たわる母と幼い兄弟の元を訪ねた。偉大なる首長は母の嘆きに耳を貸さず、彼女から兄弟を引き離すと、よそ者の旅人に預け、天候庁を作って学者を雇い、黒曜石の板に、兄弟の移動日と滞在日を決めた運行表を定め、そのとおりにした。
 旅人に連れられて、ふたりはともに雨雲を引き、太陽を引き、愛され憎まれながら育った。ひとり残された母の肌は日に日にしわが寄り、髪は白く骨がもろくなり、ある日、黒曜石の運行表を眺めながら息を引き取って、その知らせは黒い花びらに乗って息子たちの元へ届く。成長した息子たちは激しく悲しみ、互いに憎み合った。雨がなければ、晴れがなければ、母が孤独の中で死ぬこともなかったろう。天気雨の中、ベイゼルが巨大な岩を持ち上げ弟を潰そうとし、ケイゼルが鋭利な木の枝で兄を刺し殺そうとした時、旅人がふたつの賽を投げた。ひとつは西を、ひとつは東を示して止まる。
「ここまでだ。ベイゼルは西へ、ケイゼルは東へ向かいなさい。振り返ることも、追いかけることも、互いのことを考えることもしてはいけない。ただひたすら進むのだ。いずれ虫の導きでまた巡り会うだろう。そうして天気雨が降ったら、そこを村にしなさい」
 ふたりは旅人の言葉どおり、西と東に別れて旅に出た。兄弟が離ればなれになると、太陽の周りを黒く囲んでいた雨雲も離れ、ベイゼルの後をついていく。人々はやっとこれで平穏になると安堵あんどで胸をなで下ろしたが、制御のままならない気まぐれな天候に、それはそれで困った。
 十二歳と十一歳でしばしの別れを告げた兄と弟が再び巡り会い、繁茂村を築き上げたのは、成人の儀式をとうに過ぎた頃のことだった。ベイゼルは雨粒をたたえた水甕みずがめの下で、ケイゼルはカンカン照りの市場で、それぞれ黒い甲虫を見つけた。カブトムシは太い腹を仰向けにして眠っていた。
「……真白」
 深冬は本から顔を上げ、不満げに言った。
「まさかこれを全部読めって?」
 すると真白は不思議そうに首を傾げ、「続きを読みたくないの?」と訊ね返す。真白の両耳は頭のてっぺんににょきっとふたつ生えていて、犬のように長い鼻をすんすんと鳴らした。
「だって絶対長いじゃん。ベイゼルとかケイゼルとか何者なの? っていうか、これ支離滅裂で変な話すぎる。雨の呪いとか晴れの呪いとか意味がわかんないし、ついて行けない。虫は気持ち悪いしさ──って、なんであんた犬耳生やして、鼻にマスクつけてるわけ? コスプレとかやめてよ」
 深冬は立て板に水のごとく真白に言い募り、返事も待たずに本を閉じると、書架のがらんとした棚に戻した。真白の頭に生えた犬耳が動いて、本物の犬のようにしゅんと垂れるが、深冬は本を睨んでいて気づかない。
「つまらなかった?」
「つまるとかつまらないとかっていうよりさ。ここ、狭すぎて座れないじゃん。立ちっぱなしで本を読み続けるのはきついし、そもそもあたしみたいに本が嫌いな人間には、活字を追うだけでも苦痛なの。ほんと、こんなに字を読んだの久しぶりすぎて」
 だるくなった首筋に手をあてがい、深冬は大あくびをしながら上下左右へ頭を回した。腕時計を確認すると、もう七時になるところだった。
「ねえ、あたしもう帰るよ。本はいつかまた読むから。それよりその犬コスプレ、帰る前に外しときなよ」
 そして床に置きっぱなしだった、青果店のレジ袋とやきとりのパックを取ろうと手を伸ばす──が、指先に触れたのは、ふわっと、それでいて妙につるりとした、生き物の感触だった。
「コケッ」
 深冬の足下で、一羽の雄鶏おんどりがかくかく首を動かし、赤いとさかを揺らしている。深冬はあんぐり口を開け、手のひらで包むように雄鶏に触れた。本物だ。雄鶏は黄色い足でやきとりパックを踏み潰し、うろうろと書庫を歩き始めた。
「な……なんで、鶏が、こんなところに」
 潰れたパックを見ると、あったはずのやきとりがない。べたついていた醬油だれもきれいさっぱり消えている。その上、青果店のレジ袋からは三本の芽が出て、上を目指してにょきにょきと伸びていく。
 深冬は後退って本棚に背中をぶつけ、くらくらしながら真白を見た。真白は鶏の登場に驚きもせず、後ろの壁の方を見ていた。雨音がする。壁を叩く雨粒の音、軒から垂れ落ちるぽたぽたというしずくの音。
「天気予報じゃ、今日も明日も晴れだったはずなのに」
 ぽつんとつぶやいてから、深冬は思い出したように「あっ」と声を上げた。突然現れた鶏も何かの芽もどうでもいい、慌ててきびすを返し、狭い通路を小走りに抜けようとする。
「深冬ちゃん、待って。どこへ行くの」
「洗濯物! 学校行く前に干したのを忘れてた!」
 後ろから真白がついてくる気配を感じながら、深冬は心なしかさっきより複雑になった気がする書架の迷路を抜け、出口を目指す。
 ようやく引き戸を開けて廊下に出た深冬の目に飛び込んできたのは、床でなおも眠り続けるひるねの姿だった。けれども先ほどのひるねとは様子が違う。水晶のような透明な石が、ひるねの全身を覆い、蔦がうねうねとまわりを取り囲んでいた。

(つづく)

深緑野分『この本を盗む者は』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321912000257/


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