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試し読み

「なにこれ、どういうこと?」本から顔を上げた深冬を待っていたのは、先ほどまでの「本の世界」だった。深緑野分『この本を盗む者は』刊行直前特別試し読み#8

「本の呪い」が発動して、街が物語の世界に変わっちゃう? 本嫌いの少女が、街を救うために書物の世界を冒険することに――。深緑野分さんの最新刊は、本の魔力と魅力を詰め込んだ、まさに空想の宝箱。10月8日の刊行に先駆けて、特別に第一章をまるごと試し読み!



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「おっ……叔母ちゃん?」
 深冬は両手を固く握り合わせながらおそるおそる近づく。まさか石の中で窒息死してるのではと思い背中がぶるりと震えたが、よく見れば腹部がゆっくり上下して、呼吸しているのはわかった。そのまぶたには不気味な深紅の字で〝母〟と書かれている。
「なにこれ、どういうこと?」
「コケッ」
「わっ」
 足に触れたのは、とさかの小さな雌鶏めんどりだった。
「こ、今度は雌鶏?」
「やきとりが塩味だったから」
「そんな理由? いや、ていうかあんたの犬耳どうなってんの? めっちゃ動いてんだけど……鼻も長っ」
 明るい廊下に出て改めて見れば、真白の頭の白い耳もどうも本物らしく、長く突出した鼻面にちょこんとついた、湿り気のある黒い鼻はひくひく動いている。目元と髪以外の顔が犬になってしまったようだ。異常事態だが、真白はけろりとして「深冬ちゃんを手伝うのに役立つ」と言う。
「……あたし、やっぱ本を読みながら眠っちゃったみたい」
 深冬は両目を固くつぶり、現実世界で本を読みながら居眠りしているはずの自分に語りかけた。早く目を覚まして。もういい、もう夢は充分。
 起きろ、起きろ、起きろ、起きろ、起きろ……。
 強く念じて、少しずつまぶたを開ける──しかし叔母は相変わらず水晶の中、真白は犬の耳と鼻をつけたままだ。むしろさっきよりも本物っぽい。
「ああ、もういい加減にして……」
 深冬が何を言おうと真白は首をひねるばかり、みるみるうちに床や壁、本棚から植物が生えていく。しゅるしゅると枝を伸ばし、一面に黄色やピンクの花を咲かせる蔓薔薇、鬱蒼とした羊歯しだは細い葉先をそよがせ、あそこの隅に生えているのはわらびだろうか。どこからか水の音がする。サンルームの広い窓を激しい雨が叩いては、滝のように滑り落ちる。その下には池ができていた。ちゃぽん、と音を立てて魚が跳ねる。
 悲鳴を上げ、半狂乱になって階段を駆け下り、針が六時五十分で止まったままの柱時計のそばを走り抜けると、つむじ風が巻き起こった。
 人の声がする。それも複数のおしゃべりが。声はどんどん大きく、雨音すらかき分けて聞こえ、耳をしだぎたくなるくらいに騒がしい。人の気配はない。それなのに、何語ともつかない無数の会話が、幾重にも混ざり合って深冬の鼓膜を震わせる。本棚ががたがたと小刻みに揺れ、一階の書庫のドアがかすかに開き、声の源は本だと気づいた。
 言葉が勝手に侵入してくる!
 深冬はすくみそうな足を奮い立たせ、玄関から外へ出ようと走る。しかし今度は色とりどりの満艦飾の旗、長い紐に飾られた色とりどりの旗が、本という本、書架という書架、あちこちに開いた隙間から伸びてきて、深冬の手足、顔にまとわりついた。
「こんなの絶対におかしい、こんなの絶対に信じない! 夢だ、夢だ!」
 あんな変な本を読んだせいだ。あんなおかしい物語を読んだせいだ。極端な雨男と極端な晴れ男、そんなの存在するはずないのに、物語ってやつは本当に嘘ばっかりつく。魚やザリガニが稲妻になって土に潜り、種として発芽するなんて、生物の教師に聞かせたら成績を下げられてしまうだろう。
 ああ、読まなければよかった! これだから本は嫌いなのに! 
 体に絡みついた満艦飾の旗をむしり取り、払いのけながら深冬が顔を上げると、玄関ドアの上の明かり取りの窓の向こうを、ザリガニがばらばらと落ちていき、全身が脱力した。
「深冬ちゃん」
 ぎょっとして振り返る。白い犬の頭に髪が生えたようになった真白がすぐ後ろにいて、深冬の体から旗を一枚一枚丁寧に取り除きながら言う。
「これは夢じゃなくて、〝呪い〟なの。さっき見たでしょ? 御札を。〝この本を盗む者は、魔術的現実主義の旗に追われる〟っていう」
 深冬は肩で息をしながら真白を見つめ返す。
「やめてよ。呪いだなんて気持ち悪いこと言わないで」
 しかし真白はまるで動じない。
「御倉館の本──現在二十三万九千百二十二冊、そのすべてに、〝ブック・カース本の呪い〟がかかってるの。盗んだら、御倉一族以外の人間がやかたの外に本を一冊でも持ち出したら、発動する。物語を盗んだ者は、物語のおりに閉じ込められるの。今回選ばれたのは魔術的現実主義のブック・カース。マジック・リアリズムとも呼ばれる、魔術的現実主義の世界に、泥棒が閉じ込められるという呪いだよ」
 真白が説明する間も、廊下から、壁から、赤や青、黄色に緑、茶色に黒、なんとも形容しがたいどどめ色の旗がい寄ってきて、深冬の体にすがりつこうとする。
「これもあれも、マジック・リアリズムの呪いだからこうなる。書物に呪いをかけるという行為は、印刷機がまだなくて、本がとっても貴重だった時代に、本を守るために人々が行ってきたものなんだ。防衛魔術。修道士はアナテマとも呼んだ、破門の呪い」
「……あんた、頭でも打ったの?」
 泣きたい気持ちを堪えながら下駄箱に手を伸ばすと、指先に、腹を出してひっくり返っていたゴキブリが触れる。すっかり忘れていた。深冬が絶叫すると、ゴキブリはちょうどよい目覚ましだったと言わんばかりに起き上がって、黒光りするはねを震わせた。細長く、弓のようにしなった触角であたりを探り、軽々と飛ぶ。
 卒倒しかけた深冬を真白が後ろから支え、座らせると、ドアを開けてゴキブリを逃がす。降りしきる大粒の雨の中、ゴキブリは、暗雲がすさまじい速さで流れていく空へと飛んでいった。
 御倉館のまわりを囲む読長町の古書店街にも、派手な満艦飾の旗が溢れ、道路を覆っていた。緑色だった銀杏の葉は黄金に輝き、風が吹くと金粉のように舞い散って、灰色の街を照らす。葉が舞い散るそばから枝に新芽が生え、いくら散ってもきりがない。
「古来のブック・カースは一冊につきひとつの呪いだったけど、今は本の量が多いから、盗んだ冊数にかかわらずひとつの呪いなんだよ。その分すごく強力で、街全体が変化する──つまり私たちも『繁茂村の兄弟』の世界にいるんだ。呪いは読長町だけに有効で、泥棒はこの街のどこかで物語の檻に閉じ込められている」
 戸口に立った真白の姿が、逆光で白く縁取られるように輝く。
「深冬ちゃん、今から深冬ちゃんは泥棒を捜さなきゃならない。泥棒を捕まえたら、ブック・カースは消えて街も元に戻るから」

(つづく)

深緑野分『この本を盗む者は』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321912000257/


▲『この本を盗む者は』特設サイト


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