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試し読み

真珠の雨が降り、満月がウインクする世界に放り出された深冬。「本を盗んだ泥棒を見つければ、街は元に戻るの?」深緑野分『この本を盗む者は』刊行直前特別試し読み#9

「本の呪い」が発動して、街が物語の世界に変わっちゃう? 本嫌いの少女が、街を救うために書物の世界を冒険することに――。深緑野分さんの最新刊は、本の魔力と魅力を詰め込んだ、まさに空想の宝箱。10月8日の刊行に先駆けて、特別に第一章をまるごと試し読み!



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 外に出ると、暗い空に稲妻が光り、大粒の雨が降り、たける風はびゅうびゅうと吹きすさぶ。しかし夜空を仰げば中天に満月がかかって、渦巻く分厚い雨雲をはべらせていた。満月は読長町を泰然と見下ろし、ちょうど黄色い目をした黒猫が挨拶するかのように、ぱちり、ぱちりと二、三度まばたきをする。
「……月がウインクしてる。どうなってんの」
 視線を下へ向ければ、館の中と同じく地面のあちこちから植物が芽生え、まるで緑の絨毯を坂の上から転がして広げるように、どんどん生い茂っていく。
 街は猛スピードで変化していた。蔦が蔓延はびこり、家々の屋根瓦やねがわらが雨音に合わせて踊り出し、犬が歌い、猫が浪曲をうなり、アスファルトの道は泥道のように泥濘ぬかるむ。
 呆然と立ち尽くす深冬の手に、真白がそっと触れる。真白の顔はほとんどが犬と化し、制服の長いスカートのすそから白い尻尾しっぽが覗いていたが、髪と瞳、そして手はまだ人間の少女のものだった。
「さあ、行こう。早く泥棒を捕まえなくちゃ」
「……本を盗んだ泥棒を見つければ、街は元に戻るの?」
 すっかり青ざめた顔で問いかける深冬に、真白は大きく頷いてみせた。
「うん! たぶん」
「たぶんって!」
「実のところ、私もはじめてでよくわからなくて……泥棒を捕まえるというルールの他は知らないの。生まれたばかりだから」
「……どう見ても人間の赤ちゃんには見えませんが」
「確かに、厳密に言えば赤ん坊ではないけれど」
「もー!」
 深冬は地団駄を踏みまくり、恐怖が怒りに変わっていくのを感じる。そうなるとだんだん元気も出てくるのだから不思議だ。
「ゲンミツでもアンミツでも何でもいいよ! あんた、いかにもこの世界に詳しいって顔をして、さっきは自信たっぷりに〝元に戻る〟って言ったくせに、曖昧あいまいすぎるよ! そもそもあんたがあんな本を読ませなければ、こんな変な夢を見ないですんだのに!」
 噛みつくような口ぶりでたたみかける深冬に、真白はまるで飼い主に叱られた犬のように耳をぺたんと垂れさせ、おろおろする。こうしている最中にも雨はますます激しく、雨粒ひとつひとつが大豆ほどの大きさになり、あられが降るかのごとくばらばら音を立てはじめた。よく見ると雨は水ではなく、輝く白い粒になっている。ひと粒拾い上げてみると、本物の真珠だった。庭も道路も、一面に真珠が転がり、月光が反射して白く光る。
「ちょっともう無理」
 御倉館の中へ深冬が逃げ込もうとしたその時、真白の垂れていた耳がぴんと立った。深冬には何も聞こえなかったが、真白は犬耳を小刻みに動かし、黒くつやのある鼻をひくつかせている。
「……茂みに誰かいる。そこにいるのは誰?」
 すると、庭の紫陽花の茂みがゆらゆら揺れ、ややあって黒い影がひょっこりと顔を出した。満月とまばゆい真珠雨に照らされたその生き物は、とがった耳をした、オレンジ色の狐だった。ひどく野太く不細工な声で「ぐぎゃあ」と鳴く。
 その途端、たちまち真白は猟犬のように駆けて狐に飛びかかり、哀れな狐は飛び上がって逃げるも、真白の素早さに負けて庭の隅に追い詰められた。
「ちょっとあんたねえ」
 動物好きの深冬は慌てて追いかけ、狐をひょいと抱き上げると、真白から遠ざけた。
「いじめるなんて最低。ねえ? 狐ちゃん。可哀想に」
 腕の中の柔らかくて温かな体は、ぶるぶると震えている。深冬が真白をきつくにらみつけると、彼女はまたおろおろとする。
「ご、ごめんなさい。狐を見たら、反射的に体が動いてしまった」
「まさかあんた、中身まで犬になっちゃったんじゃないでしょうね」
 深冬は狐を抱いたまま、大股で真珠雨が降りしきる中をのしのし突き進んだ。
「深冬ちゃん、その狐をどうするの?」
「このおかしな世界に、ひとりぼっちで置いていくわけにもいかないでしょ」
 オレンジ色のふわふわした毛並みを撫でられ、狐は安心したのか、うっとりと目を細めている。真白は嫌そうに鼻面にしわを寄せたが、深冬がそうするならとしぶしぶ同意する。
 御倉館を出て、真珠雨の降る通りを歩いてみる。古書店街にはおぼろげな明かりがともり、会社帰りの人々が店先の百円均一棚を覗いていた。街がこれほど変貌へんぼうしてしまったというのに、誰も慌てていない。それに、てっきり自分は異世界にいると思っていた深冬は、その中に何人か馴染みの顔があったことに驚いた。特に、棚の右側で物色中の小太りの会社員男性は常連客で、深冬を見ると「あっ、御倉の!」と満面の笑みで手を振ってくるような男だった。
「真白、ちょっとそこで待ってて」
 深冬は真白を自販機の前で待たせると、狐を腕に抱いたままおそるおそる近づいて、百円棚から古い文庫本を抜こうとしている彼に声をかけてみた。
「あの、こんばんは」
 生白くでっぷりした顔の男性は、小さな目をぱちぱちと瞬いて深冬を見返す。
「何か用?」
 いつもだったら温かく手を振ってくれる人物から冷たくあしらわれ、ぐっと言葉に詰まりかけるが、勇気を出して食い下がってみる。
「用、っていうか。この雨、どう思います?」
「雨?」中年男性は頭頂部の薄くなりつつある部分を掻きながら空を見上げ、いぶかしげに首を傾げる。「どうって……いつもどおりじゃないか。明日は米是留べいぜるさんの婚礼の儀だし、空も祝ってるんだろう」
「……べいぜるさん?」
「そうだよ。みんな真珠を拾ってるだろ」
 一面に積もった真珠の雨粒で道はきらきらと輝き、小さな子どもたちが集まって、なおも空から降ってくる真珠の雨粒を夢中で集めていた。輪になってしゃがむ子どもたちの真ん中に、とうかごが置いてあり、拾った真珠雨の粒が山と盛られている。
 もうこれはこういう世界だと思って、覚悟するしかないのだろう。深冬は固くこぶしを握り、きっとして男性に向き直る。
「あの、もうひとつ教えてもらっていいですか?」
「はい? まだ何か?」
「怪しい人を見かけませんでしたか? うちの書庫から本が盗まれたんです。棚一段分、ごっそりやられちゃって。だから盗んだ犯人を捜しています」
「知らないね。それよりあんた、大事な本にそのケモノを近づけないでくれよ」
 吐き捨てるようにそう言って、中年男性は棚から三冊本を抜くと、店の重いガラス戸を開けてさっさと中へ入ってしまった。

(つづく)

深緑野分『この本を盗む者は』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321912000257/


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