竹本健治の4年ぶりの新作へ、作家・麻耶雄嵩氏をはじめ、ミステリ本の応援団/(書店関係者:レビュー抜粋)から高評価のコメントが続々!
4日連続、本文ハイライト部分を立ち読みで紹介!
これはホラーか、サスペンスか、ミステリーか? ぜひ、ご自分の目で確かめてください!
ミステリ本の応援団(Iさん)星4つ★★★★☆
怪談から始まり、いつの間にかミステリーへ。怪談が苦手だったけど、ミステリーが本格化してきたあたりから一気読み! 見事に全てが繋がったな。
消えた歩行者
「ところで、最近何か面白い事件はないですか」
居酒屋のひとつのテーブルでの声だった。それを投げかけられた
「あったよ」
間を持たせるような言い方をした。
「へえ、それはどんな?」
期待していなかったその応答に
「自分が担当した交通事故なんだけどね」
岩淵はそう前置きして、
「高丘団地の横からあざみ野丘陵のほうへと、県道が大きくカーブしてる部分があるだろう。あそこで事故があったって通報がはいってね。自分もたまたま近くにいたからすぐに直行したんだ」
「ふんふん」
「行ってみたら結構な事故だ。七十七歳の婆さんが運転する乗用車がハンドルを切りそこねて道脇の
岩淵は手で大きさを示しながら言い、
「通報したのは運転していた婆さんだ。運転席で挟まれて身動きできないまま、携帯で連絡したんだな。顔の怪我で血まみれだったそうだし、
「人を撥ねた?」
そこまで話が進んだとき、岩淵の斜め横に立った男がケホホンとわざとらしい
「あ、
「いいのかねェ。警察関係者がそんな話を一般市民にペラペラと
言いながら楢津木は岩淵の横の席に腰をおろした。
「うわああ。えらいところを見つかっちまったなあ」
岩淵は頭を
「すみません。この話は打ち切ります」
しかし楢津木はニヤニヤ笑いを浮かべたまま「いや」と首を振り、
「あたしも続きに興味があるねェ。撥ねられた人物がどうなったのか」
その言葉に、岩淵とその後輩もひとときキョトンとしていたが、すぐに岩淵は意を察した面持ちで、
「消えちゃったんですよ」
「消えた? はじめからいなかったということかな」
「いえ、調べると車の左前方部に確かにそれらしい跡があって、
「ハハア、つまり、文字通り消えちまったというわけか」
楢津木は愉快そうに
「婆さんはどう言ってるのかな。どんな人物をどんなふうに撥ねたのか」
「撥ねたのは男で、一瞬だったのではっきりしないが、五十代くらいかと思ったそうです。左側の歩道からいきなりバタバタと車道にとび出してきたので、ブレーキをかける暇もなかったとか」
楢津木は口をすぼめつつ突き出し、
「バタバタと──と、婆さん自身が表現したのかな」
その指摘に、岩淵は記憶を確かめるように視線を上向け、
「ええ。確かにそんな言い方をしました」
「そのときのスピードは見当がついてる?」
「右側の柵を突き破った具合からして、六十キロは出ていたんじゃないでしょうか」
「そして車の左前方部に血痕も残っていると。ちょっとした怪我じゃなかっただろうねェ。なのにその男は煙のように姿を消してしまった」
「そうなんです。ね、なかなか面白い事件でしょう?」
岩淵は覗きこむように首をのばしてみせた。
「事故のあった時間は?」
「通報の時刻は正確に
「少ーし薄暗くなってきたかという時間だねェ」
楢津木は考えこむように筋張った指でコツコツと額の生え際あたりを
「よほど大事な急用でもあったんじゃないですか」
そんな意見を差し
「そんな人間がどうして車道にとび出したりしたんだろうねェ」
ネチネチとした口調で問い返した。
「だから、その用事のせいで急いで車道を横切ろうとしたんでしょう」
「しかし、そんな大事な用事を抱えている人間こそ、道を横切ったりするときには注意するもんじゃないかねェ。それに事故が起こったその場所は、道を横切る必然性があるような場所だったのか──」
言いながら、藪睨みの眼の片方を岩淵に向ける。
「そう言われれば、わざわざあんなところで道を横切るというのは変ですね。反対側には歩道もなくて、柵のむこうはずっと河原が続いてるだけなんだから」
それには岩淵の後輩も意見をひっこめざるを得なかったが、
「いや、実はうちでも考えてることはあるんですよ。そもそも男は当たり屋だったんじゃないかと」
「当たり屋? 自分からわざと車にぶつかって、因縁をつけるというやつですか」
眼をまるくする後輩に、
「そうそう。ところが思惑に反して、警察が来るのが避けられないような大事故になってしまったので、慌てて姿を
岩淵はタネ明かしするように
「ナルホドねェ。当たり屋か。それはなかなかいい線かな。
「ちょっとその加減を見誤ったんじゃないですか」
「見誤りねェ。五十代というと、相当なベテランだろうがねェ」
「あるいはベテラン故の慣れや気の緩みがあったのかも知れませんよ」
そして岩淵はさっきからずっと食べかけになっていた
「いやまあ、うちでもそう決めつけてるわけじゃなくて、ほかにもいろんな想定が出たんです。薬をやってたんじゃないかとか、指名手配中の犯罪者だったんじゃないかとか。いずれにしても警察と関わりたくない事情があったのは間違いないだろうというのが一致した見方ですけどね」
途端に楢津木はギョロリと眼を
「ああ、薬というのはまたいい線だねェ。ウン、それなら『いきなりバタバタと車道にとび出してきた』という婆さんの証言とも、よろけ出たまま勢いがついてしまったんだろうということでしっくりくるしね」
そこで届いた自分の焼酎に口をつけた。
「なるほどなあ。ちょっと聞いただけだとまるで怪談みたいな話から、そんなふうにいろんなことが考えられるんですね」
すっかり感服の
「とにかく、これはここだけの話だぞ」
岩淵は精いっぱい先輩の威厳を示すように恐い顔で口チャックしてみせた。
「で、おたくのとこでは、その男を捜そうとはしてるんかね?」
それにはウーンと苦い顔で
「これで一件落着にするつもりはないですが、正直、なかなかそんなことにまで手がまわらなくて」
「どこもかしこも、まァそんなところが実状だろうね」
楢津木は終始消えないニヤニヤ笑いに同情の色あいをこめてみせた。
「しかし、何だかひっかかるねェ」
しきりに顎を撫でさする楢津木に、
「ずいぶん興味を
「あたしのほうもそんなに暇じゃないんだが……これはいつの話なのかな」
「もう一週間ばかり前ですが」
「骨折してたってことは、婆さんはまだ入院してるんだろうね」
「ええ、そのはずです。
「一度あたしもじかに話を聞いてみたいもんだねェ」
どこまで本気なのか、楢津木は焼酎を
〈第3回へつづく〉
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