「このミステリーがすごい! 2017年版」でランキング一位を獲得、さらに「第十七回本格ミステリ大賞」も受賞した長篇『涙香迷宮』(二〇一六)によって、竹本健治の名が、従来にも増して幅広い層の読者から注目をあつめ、旧著も相次ぎ復刊されて、これまた好評を博しているようである。
かれこれ三十五年ほど前――当時は世田谷の羽根木にあった中井英夫邸で、かの『虚無への供物』の作者から「タケモトケンジ」という名前を初めて聞かされ、その作品『匣の中の失楽』(一九七八)の冒頭部分がいかに水際立って素晴しいか、『ドグラ・マグラ』や『黒死館殺人事件』あるいは『死霊』の文学的系譜を引き継ぐ若い才能の出現を、どれほど自分が嬉しく頼もしく感じているか……酔余の饒舌を拝聴したときのことが思い出されて、うたた感慨に堪えないものがある。
『虚無への供物』の著者であると同時に、かつて寺山修司や塚本邦雄や中城ふみ子を見いだした、現代短歌の名伯楽でもあった人物が、かくも手放しで称讃する青年とは、いかなる怪物だろうか!? と猛烈に興味を掻きたてられたものだ。
余勢を駆ってというべきか、数ある竹本作品の中でも、その異形ぶりにおいて極めつきと称して過言ではない本書『クレシェンド』(「KADOKAWAミステリ」二〇〇一年一月号~二〇〇二年七月号に連載/角川書店より二〇〇三年刊)までが、初刊から実に十四年を経て、こうして文庫化されることになったのは、まことに悦ばしい。
とはいえ、このタイミングでの本書の復活は、決してたんなる便乗の類ではなく、むしろ必然であるように、私には思われる。
なぜなら本書は『涙香迷宮』に先行して、われわれが日常用いている日本語という「言葉」が孕む不思議さ、妖しさ、奥深さ、不穏さを、まったく別のスタイル、異なるアプローチによって、果敢に追究した作品なのだから。
物語の主人公は、ゲームソフトの開発に携わる会社員・矢木沢孝司。日本神話をベースにした冒険ファンタジー・ゲームを立案中、資料を探しに職場の地下二階へ赴いた矢木沢は、穴蔵のような地下通路で突如、不安に駆られ、違和感を覚え、昂りゆく恐怖の果てに百鬼夜行絵巻さながらの奇怪な幻覚に見舞われ、意識を喪う。
かつてない異変に怖れ戸惑う矢木沢は、たまたま知り合った怜悧な美少女・真壁岬、精神医学の研究者・天野不巳彦(ちなみに前者は『緑衣の牙』に、後者は『風刃迷宮』ほかの〈牧場智久〉連作に登場していたキャラクターである)らの助力を得て、原因を究明しようとするが、その間にも幻覚は繰りかえし再発、しかも回を重ねるごとに幻妖凄絶の度を増してゆくのだった……。
タイトルの「クレシェンド」(crescendo)とは「次第に強く」を意味する音楽用語である。
「どこか遠くで羽虫が鳴いているような微かな微かな音が続いている」という巻頭の印象的な一節を静かなる序奏として(ちなみにこれは、狂気の文学の大いなる先達たる夢野久作『ドグラ・マグラ』冒頭の「こうした蜜蜂の唸るような音は、まだ、その弾力の深い余韻を、私の耳の穴の中にハッキリと引き残していた」と絶妙に響き交わしていることを付言しておこう)、繰りかえされるたびに次第に強まってゆく幻覚描写の数々は、何度読みかえしても圧巻である。精妙に選び抜かれた語句の連なりが、息の合ったオーケストレーションさながら、ときに烈しく、ときに妖しく、刻々と昂り、主人公のみならず読者をも眩惑震撼させずにはおかないだろう。
これぞまさしく、言葉によって奏でられる恐怖の交響楽!
そう、本書のキイワードは、まぎれもなく「恐怖」である。
実際、すでにお読みになった向きはお気づきだろうが、本書には「恐怖」という単語が、これでもかとばかり作中に頻出する。おそらくは、意図的に。
ここで否応なく想起されるのが、一九八三年に書かれた(同人誌「恐怖省」創刊号に発表/後に短篇集『閉じ箱』所収)作者の短篇「恐怖」である。
「人間にとって恐怖という感情は究極的にはひとつの病いなのだろうか。それともひとつの財産なのだろうか」という『クレシェンド』にも直結するような問いかけから始まるこの短篇は、しかしながら本書とは対照的に、恐怖という感情を、なぜか徹底して欠如させた主人公の物語なのだった。
作者自身が『閉じ箱』のあとがきで「僕の発表した短編のなかでは、最も多く肯定的な反応を得た」「僕の短編の代表作」と述べているが、私自身も「恐怖省」掲載時に一読三嘆、後に「幻想文学」誌でモダンホラー特集を組んだ際、再録掲載をお願いしたほどである。重厚長大な欧米のモダンホラーに対して、日本にはかくも切れ味鋭いミニマムな現代的恐怖小説の書き手がいるのだよ、というアピールのつもりだった。
短篇「恐怖」の評価については山口雅也氏が、角川ホラー文庫版『閉じ箱』解説で、まことに犀利な言及をされているので、以下に引用しておきたいと思う。
この作品には舌を巻いた。ある素材(ここではもちろん、〈恐怖〉ということである)を逆説的にとらえる竹本一流の屈折したやり口、そして見事な語り口。とりわけ、この作の語り口の巧妙さは、どうだろう。竹本には 『狂い壁 狂い窓』のような恐怖小説の佳編もあるが、彼のミステリ作品にしてみても、読後に圧倒的に残る印象は、その語り口のうまさである。そうした側面から竹本健治を見直してみると、彼をミステリ作家としてよりは、現代における優れた怪談の語り部として位置付けた方が、あるいは当たっているのではとさえ思えてくる。しかし、この作品は、そうした語り口のみに終始する旧弊な怪談ではない。鮮やかな幕切れから逆照射され、計算し尽くされた、見事な現代恐怖小説の傑作なのだ。
「屈折したやり口、そして見事な語り口」「現代における優れた怪談の語り部」「計算し尽くされた、見事な現代恐怖小説の傑作」といった評言は、「恐怖」のみならず『クレシェンド』にも、そのまま当てはまるのではなかろうか。
要するに作者は、かつて短篇ホラー作品として追求したテーマを、本書においては、まったく逆方向から長篇化しているのだ。
その際の手がかりとされたのが「日本語」であり、日本特有な「言霊」信仰の探究であった。比較神話学や言語学の知見を交えつつ執拗なまでに繰りひろげられる「恐怖の探究」の果て、主人公は岬とともに絶海の孤島へ渡り、そこで究極の幻覚に襲われることとなる。恐怖の奔流となって主人公を巻きこみ翻弄する終盤の幻覚描写は、あたかも「文字禍」にして「文字渦」(前者は中島敦の、後者は円城塔の、作品タイトルでもある)といった趣があって秀逸だ。
鬼才タケモトの本領が遺憾なく発揮された長篇『クレシェンド』――そこに漲る異形の美と戦慄の世界を、心ゆくまで体感していただきたい。
二〇一七年十月
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