桶狭間合戦、関ヶ原合戦、大坂の陣など、戦国時代の合戦や主要事件を網羅した、著者の集大成的短編集『家康謀殺』(著・伊東潤)より、「上意に候」を特別公開!
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前回までのあらすじ:家康の家臣・酒井忠次は、秀吉の甥・秀次に、政争から身を守るため関白職を辞するように忠告した。秀次が、秀吉に翻弄された少年時代を回想していると――。
物思いに沈んでいると、ようやく最初の宿泊地の駿府に着いた。
駿河国は秀吉子飼いの一人・中村一氏の領国だ。この時、一氏は大坂に行っていて不在だったが、中村家中は下にも置かないほどの歓待をしてくれた。
その駿府では、秀次側近の木村常陸介重茲が待っていた。
重茲は秀次より七つほど年上で、機転が利くだけでなく、豊臣家中に様々な人間関係を築いているので、側近中の側近として重用している。
早速、重茲が密談したいというので、秀次は中村家の宴席を早めに辞し、重茲の宿に入った。
「京は大変な騒ぎですぞ」
秀次の体の具合などを聞いた後、重茲が本題に入った。
秀吉は男子誕生を喜び、公家や寺社に金銀をばらまいた。それが、めぐりめぐって町人にも行きわたり、大陸出兵で上り調子だった京の景気を、さらに押し上げているという。
「これで、ようやくわしの肩の荷も下りた。これを機に、関白職を返上しようかと考えている」
「何と──」
重茲が絶句した。
「案じずともよい。関白職は帝の政務を代行する大切な官職だ。わしが辞すと申し出ても、太閤殿下は引き留めるに違いない」
「何を仰せか」
重茲が顔色を変える。
「それは思い違いですぞ。殿が関白職を返上するなどと言い出せば、太閤殿下は、ここぞとばかりにそれをお認めになります」
「そんなことはない。赤子が関白の地位に就いたことは、かつて一度もないではないか」
これまで最年少で関白となったのは、保元三年(一一五八)に就任した藤原基実で、その時、わずか十六歳だった。先例をことさら重んじる朝廷では、それより若い者の関白就任には、難色を示すに違いない。
「いいえ。太閤殿下は拾丸様ではなく、別の者を関白の座に就けますぞ」
予想もしなかった言葉が、重茲から飛び出した。
「それは誰だ」
「金吾中納言に候」
金吾中納言とは羽柴秀俊(後の小早川秀秋)のことだ。
秀俊は秀吉正室の北政所の兄の息子で、秀次同様、秀吉の養子にはなっているものの、秀吉や秀次と血のつながりはない。
「馬鹿を申すな。金吾はまだ十二ではないか」
「それでも赤子よりはまし。いかに先例主義の朝廷が難色を示そうと、太閤殿下の意向には逆らえません」
重茲が続ける。
「太閤殿下は殿の辞表を受理した後、『秀俊が元服するまで務めてくれ』とでも言って、二年から三年の間、殿を関白の座にとどめ置くでしょう。しかしそれでは、先のない関白として殿は皆から見限られ、辞任したも同然となります」
「しかし金吾は、小早川家に養子入りするという話ではないか」
文禄二年(一五九三)になり、秀吉は、男子のいない毛利輝元に秀俊を押し付けようと画策していた。しかし毛利家から傘下の小早川家ではどうかという打診が来たため、秀吉はそれを了承し、縁組はまとまりかけていた。
「仰せの通り。このまま何もなければ、金吾中納言は小早川家に養子入りすることになります」
「何もなければとは、どういうことだ」
「関白になれる道が開かれれば、話は別」
つまり重茲は、せっかく秀俊の養子縁組が決まりかけているこの時期に、それを覆すようなことを言うべきではないというのだ。
「金吾が関白か」
──かような者に豊臣家は守れぬ。
その白くふやけた顔を思い出し、秀次は暗澹たる気分になった。
「いったん関白に就いてしまえば、太閤殿下にもしものことがあれば──」
「そのまま金吾が天下人になると申すか」
「申すまでもなきこと」
恐ろしげに顔を引きつらせつつ、重茲が声を潜めた。
「さらに拾丸様に万一のご不幸があった時、天下人の血統は、太閤殿下の血筋ではなく北政所様の血筋に引き継がれます」
秀吉の実家の血筋を引く秀次としては、それだけは容認し難い。
「殿は漢王朝の故事をご存じか」
前漢を建国した高祖劉邦の死後、政治の実権を握ったのは皇后の呂后だった。呂后は自らの子以外の劉邦の子を粛清し、自らの一族で重職を独占した。
──北政所様が、そんなことをするはずはない。しかし一族の者どもは、天下簒奪を図るやもしれぬ。
少なくとも秀俊は、拾丸が十六になるまで関白の座に就くことになる。その間に秀吉が死に、拾丸が夭折すれば、天下は秀俊とその一派の思うがままになる。ましてや北政所が死ねば、歯止めはなくなる。
何と言っても、拾丸元服まで十五年前後、関白就任年齢までは十六年もあるのだ。
──わしが、これから二年ほど関白職に就いていたとしても、その後の十三、四年の間に、太閤殿下はお亡くなりになるだろう。仮に拾丸様が健在でも、金吾が譲位せぬことも考えられる。
秀次の脳裏に、様々な謡本の筋書きが浮かんだ。そのすべてが修羅能だった。
「どうすべきか」
秀次は思わず重茲に問うていた。
「この場は先走らず、ひとまず様子を見るのが上策かと」
「しかし──」
いかに衰えたりとはいえ、秀吉と駆け引きするなど論外だ。
「このところ、太閤殿下の御気色(情緒)は安定しておりません。意にそぐわぬことがあれば、些細なことでもお怒りになり、思いきったことをなされます。殿は織田内府のことをお忘れか」
重茲は織田信雄の例を持ち出した。
信雄は小田原合戦後の論功行賞で、尾張・伊勢・伊賀三カ国百万石から三河・遠江・駿河・信濃・甲斐五カ国二百五十万石への移封を命じられた。しかし、墳墓の地である尾張から離れ難いことを理由に、信雄は移封を辞退する。これに激怒した秀吉は信雄からすべてを奪い、下野国烏山へ配流した。
秀吉にとって大恩ある信長の息子でさえ、この有様なのだ。身内の秀次が関白職を辞任したいなどと言い出せば、激怒することも考えられる。
「織田内府と同じことが、殿の身に降りかからぬとも限りません。ましてや酒井殿のお話を真に受けるおつもりではありますまいな」
重茲は、酒井忠次が熱海に来たことを知っていた。秀次と会う前に、重茲は多くの家臣と会っているので、考えてみれば当然のことだ。
徳川家が秀吉と秀次の関係を険悪化させ、豊臣政権の弱体化を図ろうとしていることは、十分に考えられる。
「三河殿の意を受けた酒井殿は、豊臣家の藩屛たる殿を失脚させ、漢語も読めぬ上、算盤もろくにできぬ金吾中納言に跡を取らせるつもりでしょう。さすれば──」
重茲が、恐怖におののくように言った。
「太閤殿下亡き後、豊臣家がどうなるか」
「もうよい」
頭を整理するため、秀次は自身の宿に引き取ろうとした。
「ゆめゆめ、ご短慮を起こさぬよう──」
重茲の言葉が最後まで終わらぬうちに、秀次は座を立った。
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