桶狭間合戦、関ヶ原合戦、大坂の陣など、戦国時代の合戦や主要事件を網羅した、著者の集大成的短編集『家康謀殺』(著・伊東潤)より、「上意に候」を特別公開!(第1回から読む)
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前回までのあらすじ:秀次の側近・木村重茲は、秀次の関白辞職に反対する。秀吉の実子・拾丸(後の秀頼)の誕生、そして金吾中納言(後の小早川秀秋)の成長により、秀次は再び政争に巻き込まれていく……。
四
駿府を後にした秀次は、駕籠に揺られて東海道を西に向かった。
様々な想念が頭の中で渦巻く。
──これまでのわしの人生は、嫌なことばかりだった。しかしそうした中でも、三好殿の養子になった時は楽しいこともあった。
秀次は現実から逃避するかのように、過去の思い出に向かった。
三好康長の養子となり、孫七郎信吉と名乗ることになった十四歳の秀次は、養父の康長と共に、土佐国から北進してくる長宗我部勢力を弾き返し、阿波を死守せねばならない立場に置かれた。
しかし康長は根からの文化人で、京で茶湯三昧の生活を続けていた。
茶湯や連歌に精通した養父の下、多感な思春期を過ごした秀次は、その後も文化・学術面に強い関心を示していく。
その間も長宗我部元親の勢力伸長は著しく、遂に信長は四国征伐を決断する。秀次を京に残した康長は四国に渡海し、対長宗我部戦の矢面に立った。
天正十年(一五八二)六月、信長三男の信孝を総大将に、丹羽長秀を実質的指揮官に頂いた織田軍が、いよいよ渡海しようとしていた矢先、本能寺の変が勃発する。
当然のように長宗我部攻めは中止となり、武士として生きることに嫌気が差した康長は、出家遁世してしまう。これにより、三好家の版図と兵が秀次のものになった。
信長という柱を失った天下は、どう動くか分からなかったが、この危機を天下取りの好機と見たのが秀吉だった。
秀吉は中国戦線からの大返しに成功し、山崎合戦で謀反人の光秀を斃すや、天下取りへと動き出した。
秀次はこの戦いで初陣を飾り、秀吉の数少ない一族衆の一人として頭角を現していく。
この時、秀吉は五千余の兵を率いる池田恒興を味方にしたいがために、恒興の娘と秀次の縁談をまとめてしまう。むろん、秀次の意思など確かめるはずもない。
これにより恒興を抱き込んだ秀吉は、清須会議で織田家の後継者に三法師を据えることに成功した。
三法師とは、本能寺の変で信長と共に横死した長男・信忠の忘れ形見のことだ。
秀吉は秀次という手札を有効に使い、また一歩、天下に近づいた。
その後、羽柴孫七郎信吉と名乗りを変えた秀次は天正十一年、賤ケ岳の戦いの前哨戦にあたる伊勢の滝川一益との戦いに大将の一人として出陣し、伊勢嶺城を攻略している。
その間、秀吉は賤ケ岳の戦いで柴田勝家を破り、天下人の座を確実なものとした。
ところが、これに危機感を抱いたのが信長次男の信雄だった。翌天正十二年、徳川家康と手を組んだ信雄は、秀吉と敵対する道を選んだ。これにより小牧・長久手の戦いが勃発する。
この戦いで秀次は、よくも悪くも大きな役割を果たすことになる。
文禄二年(一五九三)十一月初頭、湯治から戻った秀次は秀吉のいる大坂城に伺候した。
しばし平伏していると、慌ただしく茶坊主が現れ、「御成」を告げてきた。
牡丹と蓮の唐草文をあしらった黄色地の胴服で現れた秀吉は、「久方ぶりよの」と言いながら座に着いた。
──少し見ぬ間に老けたな。
秀吉は五十七歳になる。その小さな顔には幾筋もの皺が刻まれ、歯も何本か抜けている。だが最も心配なのは、その顔が少し黒ずんできたことだ。顔が黒ずむということは、胃の腑か肝に何らかの問題があることを示している。
「熱海の湯はどうであった」
「はっ、おかげさまで持病も退散いたしました」
「それはよかったの」
秀吉が上の空で答える。秀次のことなど、もはやどうでもよいのだ。
「拾丸様のご様子は、いかがですか」
秀次は気を利かし、話題を拾丸に振った。とたんに秀吉の相好が崩れる。
「拾は順調に育っておる。己の子というのは実に可愛いものよの」
「それは何より」
「拾は鶴松のようによそへはやらず、わが手元で育てたいものよ」
秀吉の長男鶴松は、天正十九年(一五九一)に三歳で夭折している。以来、秀吉は「死」や「亡くす」といった言葉を口にすることを忌み嫌い、「よそへやった」という表現を使っている。
「それを心より願っております」
「そうか。そなたもそう思うか」
秀吉の金壺眼が光る。秀次は、空気が張り詰めるのを感じた。
──やはり関白辞任を申し出るべきか。
秀吉の喜びようを見れば、それが妥当に思えてくる。
「養父上、実は──」
「そなたが湯治している間、わしは考えておったのだが──」
二人は同時に口を開いたが、秀吉は覆いかぶせるように続けた。
「先々、拾とそなたの娘を娶せようと思うのだが、どうだろう」
秀次には二歳になったばかりの娘がいる。
「わが娘は──、まだ二つですが」
秀吉の唐突な申し出に、秀次はどう応じてよいか分からない。
「嫌か」
「いや、これほどありがたき話はありません」
「本心からそう思っておるのか」
「はい」
秀次の胸奥を探るような視線を、秀吉が向けてくる。
──ここで切り出すべきか。
秀吉が黙しているのは、秀次に何かを言わせたいからに違いない。それに気づいた秀次が口を開こうとした時、またしても秀吉が機先を制した。
「さすればそなたに、この国の五分の四を与えよう」
矢継ぎ早な秀吉の条件提示に、秀次は何と答えてよいか分からない。
「拾の所領は五分の一でよい」
そんな条件が絵空事なのは、秀次にも十分に分かっている。しかし秀吉が何らかの条件を示し、何かを求めて譲歩していることは明らかだった。
──もはや関白辞任しかないのか。
しかし、ここまで秀次に「関白辞任」を言い出させたいということは、やはり秀吉は秀次の関白辞任を受理し、秀俊を中継ぎとするのかもしれない。
──そうでなければ、太閤殿下から先に手札を晒すはずがない。
秀俊が関白の座に就けば、すべての権力は北政所の血統に持っていかれる。そうなれば重茲の指摘する通り、秀吉の死後、秀吉側の親族は根絶やしにされる可能性がある。しかも少年の秀俊では、秀吉が死した後、大陸から引き揚げてくる大名たちの不満を抑えきれず、豊臣政権が瓦解する恐れさえある。
──それを阻止できるのは、わしだけではないか。
そのためには関白の座にとどまり、土地以外のものに皆の関心を振り向けねばならない。
様々な考えが頭の中で渦巻く。それに従い、気鬱の病が頭をもたげてきたのか、息が荒くなってきた。
上座を見ると、秀吉が不動明王のような眼差しを向けてきていた。
──大変なことになった。
秀次が関白辞任を申し出ようとした時、またしても秀吉が先に口を開いた。
「もうよい」
そう言うと秀吉は立ち上がり、小姓が開けた帳台構えの向こうに姿を消した。
──何をやっておる。早く「お待ちあれ」と申せ。
秀次の一部が悲鳴を上げる。しかし秀次の口からは、続く言葉が出てこない。
やがて同朋から退室を促された秀次は、茫然としてその場を後にした。
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