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試し読み

令和時代の新・家族小説の誕生! 東京・下北沢で実家暮らしのフリーター男子のゆくえは、どっちだ!?――畑野智美『家と庭』試し読み

好評発売中、畑野智美さんの『家と庭』は、下北沢に生まれ育ったフリーター男子・望の恋と仕事と決意の物語。本作の冒頭を4回に分けて試し読みを特別公開します。

 ◆ ◆ ◆

 背中をりとばされて、目が覚めた。
 目を開けるより前に、二発目が入った。
「いって!」
 三発目をくらわないように、とんで全身をガードしながら起き上がる。顔だけ出し、敵を確認する。
 ベッドの横で、上のお姉ちゃんのようちゃんが両手を腰に当てて仁王立ちしている。
「いつまで寝てんの!」葉子ちゃんが言う。
「朝までバイトだったんだよ」
 枕元の本棚に置いたスマホを取り、時間を確かめる。
 まだ十一時前だ。
 七時までバイトして帰ってきて、朝ごはんを食べていた下のお姉ちゃんのふみちゃんと妹の弥生やよいと話してから眠った。
「いつまでバイトしてんの?」
「朝までって言ってんだろ」
「そういう意味じゃなくて、いつまでフリーターでいるつもり?」
「なんだよ、来ていきなり説教かよ」丸くなって、頭から布団をかぶる。
「大学卒業して何年経ったの? もうすぐ二十五歳でしょ? この家にいる権利があると思ってんの?」
「知らねえよ」
「知らないじゃないでしょ!」
 布団の上から背中をグーで殴られる。
「痛いって」
「ちゃんと考えてんの?」
「考えてるよ。それよりさ、何しにきたの?」布団から顔を出す。
 お母さんも文乃ちゃんも弥生も、葉子ちゃんが来るなんて言っていなかった。
 葉子ちゃんはオレと目が合わないように、視線をらす。ベッドに座り、何か考えているような顔をする。フリであって、何も考えていない。頭で考えるより先に身体からだが動く人だ。
「文乃は?」
「仕事」
「弥生は?」
「部屋にいないの?」布団から出て、葉子ちゃんの隣に座る。
「いない」
「じゃあ、春期講習かな」
「ああ、今年受験生か」
「うん」
「お母さんは?」
「多分、や」
 オレと文乃ちゃんと弥生がリビングで話していた時、お母さんは台所で「すみれの花咲く頃」を歌っていた。踊り出しそうなくらい機嫌が良かったから、日比谷にたからづかを見にいっているのだろう。
「やっぱり、あんたしかいないのね」
 何かを確認するように三回うなずき、葉子ちゃんは立ち上がって部屋から出ていく。
 階段を駆け下りる音が響く。
 スマホでメールとSNSを確認してから、オレも部屋を出る。
 階段を下りて、一階に行く。
 トイレに入り、洗面所で手と顔を洗ってからリビングへ行くと、葉子ちゃんの娘のメイがいた。ピンク色のワンピースを着て、ソファーには座らずじゆうたんの上に正座している。テーブルには、ハリネズミのハリーの入ったカゴが置いてあった。夜行性のハリーは、丸くなって眠っている。
「メイも、来てたんだ」隣に座る。
「うん」メイは、なぜか泣きそうな顔をしていた。
 いつもだったら、オレと会うともっとうれしそうにして、ハリーのことや幼稚園のお友達のことを話してくれる。もうすぐ年長さんになるし、恥じらいが生まれてしまったのだろうか。
「ハリーも一緒なんだ」
「うん」
「ワンピースもかわいいね」
「うん」
 目を合わせてくれず、「うん」とうなずくだけの声も泣きそうに聞こえた。
「春休みだからママと遊びにきたの?」
「ううん」首を横に振る。
「遊びにきたんじゃないの?」
「うん」
 葉子ちゃんはたまにメイをうちに預けて、学生時代の友達とランチや飲み会に行く。遊びにきたのではないならば、そういうことでもないのだろう。
「ハリーと一緒にお泊まりするんじゃないの?」
「うん」小さくうなずき、ついに涙をこぼす。
「あっ、泣かした」葉子ちゃんがリビングに入ってくる。
「オレのせいじゃねえよ」
「はい、はい」
「何も言ってないからな」
「分かってるわよ。ほら、メイも泣かないの。のぞむおじちゃんビックリしてるでしょ」
「……だって」赤いポシェットからハンカチを出し、メイは涙をく。
 メイは葉子ちゃんよりも、子供の頃の文乃ちゃんと似ている。
「新しいお友達ができるんだから、いいでしょ?」
「いらないもん」
「そんなこと、言わないで」
「何? なんかあったの?」オレが葉子ちゃんに聞く。
「幼稚園を転園するのがイヤだって言って聞かないのよ」
「引っ越すの?」
「家出てきたの。今日からここに住むから」
「はい?」
「ほら、メイ、お庭キレイだね」葉子ちゃんは、窓の外を指さす。
 庭の桜は満開で、風が吹くと一斉に花びらが舞う。

 しもきたざわの駅の南口を出て左に行き、スーパーのオオゼキの前で右に曲がり、まっすぐに進んでちやざわ通りを渡って、CDショップのディスクユニオンの手前から緩やかな坂道を上っていくと、桜や紫陽花あじさいやバラに隠れるように、一軒の家が建っている。
 住所は、東京都たが区北沢一丁目。
 ちなみに、下北沢という地名は、存在しない。
 赤い屋根に白い壁、二階建てにプラスして屋根裏部屋がある。庭では季節ごとに色とりどりの花が咲き乱れる。海外の児童文学に出てきそうな家だ。
 その家で、オレは生まれ育ち、二十四歳になる今も暮らしている。

 朝までバイトしていたのに、夕方からまたバイトしている。
 オレって働き者だなと思うが、とにかく暇な仕事だ。
 下北沢の北口の一番街商店街にあるマンガ喫茶で、大学生の頃からずっと働いている。この春で、丸六年が経ってしまった。
 しん宿じゆくしぶにあるような大手のマンガ喫茶ではなくて、ビルのオーナーが趣味でやっている店だ。二階にあるのに、分かりやすい看板は出していない。シャワールームを完備して、二十四時間営業しているけれど、なんの意味があるのだろう。店を開ければ開けるほど、赤字になっているんじゃないかという気がする。
 受付カウンターでぼうっとしているうちに、時間だけが過ぎていく。
 勤務中のあいた時間はマンガを読んでいいと言われて、学生の頃は読んでいたが、もう飽きた。
 もともとマンガが好きなわけじゃないから、六年も働いていると、見るのも嫌になってくる。
「望さん、働いてください」
 シャワールームの掃除を終えて、りんろうが受付に戻ってくる。
「働いてるよ」
「何もしてないじゃないですか?」
「受付、やってんだろ」
「掃除とか、ドリンクの補充とかもやってください」
「おまえがかんぺきにできるようになったら、やるよ」
 林太郎はオレと同い年だけれど、去年の終わりからここでバイトを始めた。
 レジにはそこそこの金が入っているから、すいている時間帯でも二人体制が基本だ。オーナーは強盗以上に、店員が金を持ち逃げすることを恐れている。持ち逃げしなくても、毎日五百円ずつ売上げをごまかしている奴が前はいた。しかし、二人で動き回らないといけないほどの仕事はない。一人が受付に入り、もう一人が客席の片づけやシャワールームの掃除やドリンク補充をする。林太郎が入ってくる前に、十年間働いていた先輩が夢をあきらめて家業を継ぐと言って辞め、オレがバイトで一番の古株になった。面倒くさい仕事は全て、後輩にやらせる。
「もう完璧にできます」
 受付の裏にある事務室に掃除道具を置き、林太郎はオレの隣に座る。
「?つくなよ。ソフトクリームマシンの修理とかできんのかよ」
「業者に電話かければいいんですよね」
「はい、駄目」
「何がですか?」
「そこまでじゃない時にどうするかって話をしてんの」
「そんなにしょっちゅう壊れるんですか?」
「半年に一回くらい」
 古い機械を使っているせいか、原料を入れてもソフトクリームにならない時がある。そういう時は、一度コンセントを抜けばいい。それだけのことだが、教えてやるつもりはない。自分が楽に働ける環境を作ることは、オレにとってここでの最も重要な仕事だ。
「そんなイレギュラーな仕事も把握しなきゃいけないんですか?」
「そうだよ。たとえば、オレが風邪引いてシフト代われる人もいなくて、一人になったらどうすんの? ソフトクリームマシンが故障してお客さんが怒っても対応できんの?」
「……できません」
 林太郎は下を向き、不満そうにする。
 肌が白くて、感情的になると?が赤く染まる。オレも背が高い方ではないけれど、林太郎はオレより少し小さい。怒ったり、不満そうにしている姿がかわいく見えてしまう時があった。いじめるのが楽しくてしょうがなくなって、そのたびに、いつまでもこんなところでバイトしていたらいけないと感じる。
 薄暗くて狭い受付にずっといるせいで、性格がゆがんでいく。
 せめて、女の子相手に同じやり取りをしていたら、気分は変わるだろう。でも、バイトの女の子達は、かわいくない。ブスとは言わないが、服装やメイクがやや個性的だ。
「全部できるようになってから、オレに何か要求しろ」
「教えてくださいよ。ソフトクリームマシンの直し方」
「壊れた時な」
「望さんと働くの嫌なんですけど」
「シフト削るぞ」
 オーナーは、午前中に売上げの回収とマンガや備品の在庫チェックと発注に来るだけで、店に出ることはほとんどない。バイト内でインフルエンザが流行はやって、一人体制でもシフトが回らなくなった時ぐらいだ。新人の教育やシフト作りは、オレに任されている。
「それは、困ります」
「そうだろ? 演劇青年」
 南口を出て、家に帰る途中に本と雑貨を売っているヴィレッジヴァンガードがあり、その二階にほん劇場という四百人くらい入れる大きな劇場がある。そこを中心に下北沢には、本多劇場グループの劇場が点在している。
 駅前にある駅前劇場とOFF・OFFシアター、本多劇場の並びのビルの地下には小劇場楽園が入っていて、その正面が「劇」小劇場だ。茶沢通り沿いの北沢タウンホールの地下一階に小劇場B1があり、斜め向かいにはザ・スズナリと前は映画館だったシアター711がある。小劇場とついていてもついていなくても、本多劇場以外はどこも七十人から二百人くらいしか入れない。他にも、本多劇場グループ以外の小劇場やライブハウスがいくつかあり、イベントができるカフェや居酒屋や本屋もあるらしい。
 下北沢に生まれ育っても演劇には全く興味がない。文乃ちゃんに付き合って、本多に何回か行ったくらいだ。
 それなのにバイトしているうちにおぼえてしまった。二十四時間営業だし、シフトに自由が利くし、体力的にきつくないからか、バイトの中には演劇や音楽をやっている人が多い。公演あるんで来てくださいと言われてチラシをもらい、話を聞き、いつの間にか下北沢の演劇事情に詳しくなった。
 ザ・スズナリで公演ができるのは認められた劇団だけで、とても大変らしい。本多劇場にはテレビで活躍しているような人達も出ていて、そこに立つのは夢のまた夢だ。どこでやるかなんて問題ではないと話している人もいた。でも内心ではみんな、いつかスズナリや本多に立つことを夢見ている。
 けれど、十年間バイトしていた先輩がそうだったように、諦めて下北沢からいなくなる人の方が多い。フリーターのほとんどが「実家に帰ります」と言って、辞めていく。
「演劇青年、公演の予定はないのか?」
 ずっとしやべっているとお客さんに文句を言われるから、声を潜める。
「ありません」
「ふうん」
「でも、僕はいつか必ずプロの役者になるます」
「なんだよ? なるますって?」
「なります」
「いつかって?」
「いつか……」
 いつかが来ないことは、林太郎も他のバイトも薄々分かっているのだろう。それでも、夢を諦められない。
 それがどんな気持ちなのか、オレには分からなかった。
 きゆう線に乗れば、下北沢から新宿まで十分くらいで行ける。かしら線に乗れば、渋谷までは急行で五分かからない。きちじようまでは十五分くらいだ。そこまで行かなくても、下北沢の駅周辺でだいたいの用事が済む。洋服屋や雑貨屋は何軒もあるし、スーパーやCDショップや本屋もある。居酒屋、カラオケボックス、カフェ、定食屋、コンビニ、なんでも揃っている。最近ではなぜか、キャバクラやガールズバーが増えた。家族に見つかったら気まずいから入らないが、ラブホだってある。
 その上、うちは家の他に土地やアパートも持っている。お父さんは会社員だけれど、じいちゃんは趣味の陶芸やこつとうひん集めに人生を費やしてほとんど働いていなかった。お母さんの実家だから、お父さんが何もしないというわけにもいかないのだろう。オレは長男で、姉と妹しかいない。いとこも女ばかりだ。いずれ家も土地もアパートも全てがオレのものになる。
 何も不自由することなく育ってしまい、何をしたいとか何かになりたいとか考えたこともなかった。
 無理せず入れる高校に通い、ちょっとがんばれば入れる大学に通い、就職活動の時になって、何をしたいか考えなくてはいけないと気がついた。しかし、家や土地のことを思い出すと、それも無駄に思えた。みんなが就活しているから自分もするというくらいの気持ちでは採用されず、今に至る。
 じいちゃんみたいな趣味もないし、バイトして中途半端に金を稼ぐだけの毎日だ。
「来るといいな、いつか」
「はい」
 林太郎の?が赤く染まる。
 そこには、どれほどの気持ちがこもっているのだろう。

(第2回へつづく)


書影

畑野智美『家と庭』(角川文庫)


畑野智美家と庭』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321909000280/


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