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試し読み

これがホラー×ミステリの新骨頂!横溝正史ミステリ&ホラー大賞《大賞》受賞作! 【原浩『火喰鳥を、喰う』試し読み⑦】

KADOKAWAの新人文学賞として、ともに四半世紀以上の歴史を持つ「横溝正史ミステリ大賞(第38回まで)」と「日本ホラー小説大賞(第25回まで)」。
この2つを統合し、ミステリとホラーの2大ジャンルを対象とした新たな新人賞「横溝正史ミステリ&ホラー大賞」が2019年に創設されました。
そして2020年、2つの賞の統合後、はじめての大賞受賞作となったのが『火喰鳥を、喰う』です。
選考委員の有栖川有栖氏が「ミステリ&ホラー大賞にふさわしい」と太鼓判を押し、同じく選考委員の辻村深月氏が「謎への引きこみ方が見事」と激賞しました。
2025年10月に実写映画の公開も決定した本作の第一章の試し読みを特別に公開いたします。
ミステリとホラーが見事に融合した衝撃のデビュー作、是非チェックしてくださいね。

>>試し読み⑥へ

原浩『火喰鳥を、喰う』第一章試し読み⑦

 この日を境に日記には簡潔な記述が増えていった。詳細を書き込む余裕すら失われたのかもしれない。何よりも死の匂いがこれまでに増して濃くなる。

五月一日
クルクル河に到着 筏で渡河を決行
佐久間軍曹、横田上等兵、吉田上等兵の三名が行方不明
捜索するも見つからず 溺死したと思われる

五月六日
度々の豪雨 終日汚泥の中
マラリア 上野一等兵、田所曹長、二名残置
後続の本隊に合流を期待

五月十二日
里中上等兵、脚気の為歩行できず
励まし肩を貸すも、やはり行軍不能、残置
マラリア 富山一等兵、滝田一等兵、林上等兵、落伍

「これ、読むのが辛いわね」伸子が顔をしかめた。「死んでる人もいるし。残置って置いてけぼりってこと? 連れてけなくて?」
「動けなくなった者は置いていく他なかったんです。医薬品も食料も無く、残された兵士は死を待つ他はありませんでした」
 与沢記者の沈痛な答えに、伸子は渋面を深くした。
「酷いわねえ……」

六月六日
撤退中の兵站部隊に遭遇
彼らは情勢を把握
ホルランヂア陥落を聞く

「ここでとうとう身の置かれた状況を把握したわけですね。きっついなあ」
 亮の言うように、日記は簡潔だがショックだったに違いない。長く過酷な行軍の果てに目的地であり、最後の頼みとする後方基地すら失われた絶望はいかばかりだったろうか。例によって与沢記者が補足した。
「残存部隊の多くは、大きく迂回してサルミという更に西方の基地を目指したようです。しかし、食料の補給は無く、しかも連合軍が退路を封鎖した為、ほとんどがサルミに辿り着けずに命を落としました。その中で他の選択肢をとったのが、貞市さんの部隊ですね」
 与沢記者はさらに頁を進めた。開いたのは久喜貞市の部隊がジャングルへの籠城を決意した、その日だ。

六月十五日
ホルランヂア陥落及び敵による撤退路遮断の予測
長期行軍による食料の欠乏、疲労の蓄積
部隊多くがマラリアに罹り移動自体が困難
各連隊の解散、自由行動の通達
諸般の状況を勘案するに、一時密林に潜み
体力回復を図ることが最善の方策であると一同結論に達す
我々の戦力を鑑みるに、敵陣への玉砕攻撃の挙に及ぶは愚の骨頂と言うべき他なく
友軍再挙まで待機し、戦力維持を図るべきである
明日より宿営適地の探索に努め自活体制を整えるものとする

総人員十二名
曹長 久喜貞市
軍曹 藤村栄 伊藤勝義
一等兵 吉瀬武雄
准尉 川島昇 大木昌平 山田計 吉田敏雄――

 以下、密林潜伏を共にした面々の名が連ねて記載してあった。この日は、今までになく筆が尽くされており濃密だった。いつ終わるとも知れぬ、地獄の行軍の終焉の日でもある。腰を落ち着けることへの安堵もあったのではないかと私は想像した。それに一時的とはいえ、軍隊行動を中断し退避することへの後ろめたさもあったのかもしれない。だからこそ状況を克明に記し、単純な逃避行動ではないと説明しているのではないか。ともかく、久喜貞市はこの日を境に長く辛い撤退行軍を中止し、密林での潜伏生活に移ったのだ。
 また、この日以降は、鉛筆ではなく炭か泥で記されているせいか、なお一層読みにくくなった。おそらく筆記具が失われ、代替として小枝の先などに木の燃えかすや泥土を擦り付けて記したのだろう。極限状況にありながら日記の執筆を続けたことが、久喜貞市という人物像の一端を示している。おそらく、生真面目で頑固な人間だったのだろう。私なら、日記など最初に打ち捨てているに違いない。顔つきは自分とどこか似ていても、性質はずいぶんと違うものだ。
 日記に目を戻すと、程なくして、貞市の部隊は腰を落ち着ける場所を見つけた。

七月一日
崖下の窪地に適地を発見
小規模 洞穴 宿営地トス

 この日を境に日記は行軍記録ではなく、生存闘争の記録へとその色を変える。一日の記述は一行か二行程度。これまで以上に簡潔になっていく。その内容のほとんどが仲間の死と食料確保についてのものになっていた。

七月十一日
川辺に同胞の白骨複数アリ
ジャングル草採取

七月十三日
コタバル集積庫に潜入
米、乾パン少量発見 塩、醤油ナシ
ナント煙草アリ ヤッタ!

七月二十日
銃剣でサクサクをキル ほじくり食すが
しかしその後全員下痢

 私たちの疑問を感じとったのか与沢が乱れた単語を指差す。
「このコタバル集積庫というのは日本軍に遺棄された物資貯蔵施設ですね。しばらくは点在するこの倉庫が命綱だったみたいです」
「ジャングル草とか、ここのとこの、サクサクをキルって何のことでしょうか?」私がその隣の数行を指差して尋ねた。
「ジャングル草というのは自生している雑草の一種です。食用になるとかで、当時の日本兵たちの間では貴重な青物として、そう呼ばれていたそうです。こっちのサクサクというのはサゴ椰子の木です。現地には沢山ありますよ。幹の内部に澱粉質が多く、漉して搗くとパンのようになります。当時は現地の人々によく食された食材です。ただ、生食は厳しいみたいですが」
「お腹壊したって書いてありますね」
「好きだったんですかね? タバコ」今度は亮が「ヤッタ!」という文字列を指差すと、保が首肯する。
「母ちゃんによると兄貴もタバコ飲みだったらしいわ。当時の男はみんなそんなもんだ」
 以下、延々と食料確保と自分や同胞の病状、死亡の記載が続く。年明けを待たずに四人が亡くなり、昭和二十年になると状況はさらに悪化していく。

試し読み⑧につづく


原浩『火喰鳥を、喰う』書影

原浩『火喰鳥を、喰う』


原浩『火喰鳥を、喰う』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322203001804/


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