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試し読み

『ヒキコモリ漂流記 完全版』(山田ルイ53世/著)電子書籍化記念 序章~第1章全文試し読み〈最終回〉

かつて神童と呼ばれたお笑い芸人は、なぜ突然引きこもりになったのか? 渾身のルポ『一発屋芸人列伝』も話題の髭男爵・山田ルイ53世の半生を赤裸々につづった衝撃のエッセイ『ヒキコモリ漂流記 完全版』の電子書籍化を記念し、序章と第1章を試し読み全文公開! ヒキコモリ……その暗黒に足を踏み入れる序曲それはまさに“恐怖の胎動”! 
なお、電子版には特典として、ヒキコモリ問題を分かりやすく分析した精神科医・斎藤環さんとの対談も収録。この機会に是非お読みください!

玉虫色のスーツ

 父親のスーツが変だった。
 一張羅というヤツだが、とにかく独特のセンスで嫌だった。少し光沢のある素材で、見たことのない緑色のスーツ。それを「ここぞ!」という時に着るのである。また本人は格好良いと思っているので、たちが悪い。僕は、めちゃくちゃ恥ずかしかった。
 小学校の時、たまたま仕事の休みが合ったのか、参観日に父がやって来た。もちろん、例のスーツで身を包んでいる。それを見たクラスの連中が、
「玉虫や! 玉虫がおる!」と騒ぎだした。
 当時、丁度、社会の授業で、しようとくたいの時代をやっていて、「たまむしの」のことを習ったばっかりだった。国宝である。
「玉虫」というのは、金属光沢のあるれいな緑色をした「昆虫」。うすくにじいろたてじまが入った美しい羽の持ち主である。そんな綺麗な虫の羽で装飾された「玉虫厨子」、さすが国宝。子供たちの玉虫に対する覚えはめでたかった。
 実際、その日の父は、スーツのせいで玉虫から進化した人類のようだった。
「玉虫や! 玉虫のおっさんや!」
 いかに誉れ高き国宝の装飾の、主たる部分を担っているとはいえ、自分の親がクラスの友達に「虫」呼ばわりされて、いじられるのはキツイものがあった。その日は、その玉虫のおっさんが見守る中、算数の授業を受け、玉虫と一緒に帰った。
 何の運命の導きなのか、僕は後に、実際に玉虫を捕まえたことがある。
 今現在に至るまで、少なくとも僕の周りでは、玉虫を捕まえた経験を持つ人間に会ったことがない。当時の僕の小学校の友達にも、捕まえたことがある子はいなかった。珍しい昆虫だったのだと思う。
 もしかすると、父のあのスーツを普段から見慣れていたため、僕の目は、玉虫の独特の緑色に対して、他の人間よりピントが合いやすくなっていたのかも知れない。
 とにかく、珍しい昆虫を捕まえた子供なら、誰でもそうすると思うが、僕もご多分に漏れず、学校に持って行って、皆に見せびらかしたくなった。しかし、タイミング悪く、父が「玉虫のおっさん」呼ばわりされて間もない時期。今、この「玉虫」を見せびらかせば、父のスーツのことを皆が思い出し、あの「いじり」を蒸し返される恐れが大きい。
 なにしろ、僕自身、危うく「玉虫」というあだ名にされかけたのだ。今は危険を冒せない。その時は、なんとか思いとどまり、学校に持っていくことはしなかった。
 しばらく虫カゴに入れて、家で飼っていた。飼い方が悪かったのか、元々飼えるような虫ではなかったのか、しばらくすると玉虫は死んだ。
「玉虫のおっさん」事件のほとぼりが冷めたころ、せめて標本として学校に持って行き、先生に褒められようと思いついた僕は、死んだ玉虫をティッシュに包み、ポケットに突っ込んで学校に行った。
 かつだった。死んで、乾燥し、一切の水分を失った状態の玉虫は、ポケットの中でつぶれ、粉末状になり、ティッシュを開いたときには、漢方薬のようになっていた。時代劇でのお医者さんが紙の上にサラサラっと載せているあれだ。実際、漢方的効能があったかもしれない。知らんけど。
 それでもあきらめきれなかった僕は、その粉末を元は「玉虫」だと先生や友達に必死で説明したが、誰も信じなかった。
 すべてはあの変な緑のスーツのせいである。

人生の頂点

 小学校六年生になった。学校の成績は良かった。通信簿は、一科目、確か図工か家庭科が「四」で、他の科目は大体いつも「五」だった。
 部活は、サッカー部で、入部した当初から、ずっとレギュラー。なかなか才能もあったようで、小学校三年生か四年生の時にサッカーを始めたのだが、入部初日にリフティングが百回以上できた。
 人望もあったのか、選挙で児童会長にも選ばれ、バレンタインデーには女子から沢山チョコレートをもらった。
 小学校六年生にして、早くも人生の頂点、「黄金期」を迎えていた。今思えば人生の「ペース配分」を間違えた。マラソン選手なら完全に調整ミス。オリンピックの半年前に体調のピークを持ってきてしまった……そんな感じだ。とはいえ、当時はしょせん目先のことしか考えられないただの子供である。この栄華が未来えいごう続くと思って毎日を過ごしていた。
 そんなある日、まだ夏というには少し早い時期だった。休み時間、教室の隅で一人机に向かっている少年がいた。
 休み時間の小学生と言えば、我先にと外に飛び出していくもの。ドッジボールや手打ち野球、ドロケンなどなど、運動場で思い思いの遊びをするためだ。
 僕の知っている限り、休み時間に机にとどまって、わざわざ勉強をするような奇特な子供は、見たことがなかった。
 それが、ほそ君だった。我ながら嫌な人間だったと思う。
 というのも、先程から書いてきたように、六年生、よわい十二で人生のピークを迎えた(と思っていた)僕は、クラスの中、もっと言えば、学校全体で考えてもかなり目立った存在で、恥ずかしげもなくはっきり言えば、リーダー的存在だった。正直、学校中、一年生から六年生まで、ほとんど全員が僕のことを知っていたと思う。生来自意識過剰な性格な上、そういう状況がさらに僕をおかしくしていたのだろう。
 僕は当時、他人を「主役」と「脇役」に分けて考える癖があった。当然、自分は主役である。
 他にも、足がすこぶる速いヤツとか、僕と同じくらい勉強ができるヤツとか、面白くて人気のあるヤツとか、そういう一芸に秀でた人間は、「準主役」とカテゴライズしていた。
 よって、その他の「脇役」の子たちとは、ほとんどしやべったことも、遊んだこともなく、同じクラスに居ながら、その存在が完全に僕の意識の「死角」に入っている人間もいたのだ。
 そして細野君は、「脇役」ですらない、「エキストラ」的な非常に影の薄い存在だったのである。
 何の気紛れだったのか、自分でも分からない。とにかく僕は、「エキストラ」の彼に近寄って何故か声をかけた。
「何してんの? 遊ばへんの?」
「うん……ちょっと、宿題せなアカンから」
 この瞬間まで、ほとんどまともに話したこともなかった二人である。会話もぎこちない。少し戸惑った表情を浮かべながら、それでも細野君は愛想よく笑顔で答えてくれた。その様子を見て、勘違いしている馬鹿なガキ、つまり僕は、
「なるほど。突然、学校のリーダー的存在、主役の自分に声を掛けられたから、緊張してるのかな!?」
 などと、出所不明の優越感に浸っていた。
 知らないというのは、本当にこつけいなことで、おそらく彼の方こそ、僕のことなど眼中になかったのだと今なら分かる。
 あの時の細野君は、中学受験対策用のレベルの高い問題集に時間を惜しんで取り組んでいる最中に、喋ったこともない調子に乗ったクラスメイトに絡まれて、
「邪魔くさいな……」とでも思っていたに違いない。

カピバラと中学受験

 僕は、友達はみんな地元の公立中学に進学するものだと思っていたし、それが当たり前のことだと思っていた。そもそも、「中学を受験する」という発想がなかったし、そういう私立の学校の存在さえ知らなかった。
 また、学校の通信簿より上のレベルの「勉学の世界」があることも、そんな高みに向かって、同じ年のクラスメイトが猛勉強しているなんてことも、何もかもが想像もつかないことだった。
 とにかく、僕は急にそわそわしだし、何やらぼうこうが刺激され、おしっこが漏れそうな感覚に襲われた。要するに焦ったのである。
「ヘー……何の宿題? 明日あしたの算数のヤツ!?」
 表向きは平静を装って探りを入れる。
 のぞき込んでみると、それはハードカバーの立派な赤い表紙の本で、見たこともない難しそうな問題がいっぱい載っていた。辛うじて算数の問題集であることは分かったが、小学校で使っている、ペラペラの「計算ドリル」などとはまったく違った雰囲気を醸し出している。
 楽しい動物のイラストで、子供にびを売る様な気配はじんも無い。文字と数式と図形だけ。設問の口調も「しなさい」、「求めよ」と上から目線で、ぜんとしている。そのすべてが僕には格好良く思えた。
 そう、僕の家になぜかズラッと並んでいた、例の『罪と罰』とか『ファウスト』だとか、彼らの仲間の匂いがした。
 細野君自身の手によるものだろう、蛍光ペンで線が引っ張ってあったり、細かく何か書き込みがしてあったり、相当使い込まれている様子が見てとれた。
 ちなみに、その本に載っている問題は、僕には一問たりとも解けなかった。
(何なんだこれは? この世界は!!)
 とてつもない衝撃に襲われていた。何にも知らないで、細野君に偉そうにしていたのが死ぬほど恥ずかしかった。
 彼はほのぼの系の動物、「カピバラ」に似ていて、いわゆる「やし系」ではあるが、決して男前とかではない。よって、女子にもてるとかでもない。そもそも小六の女子は癒やしを求めるほど人生に疲れてもいない。
 けんが強いわけでもないし、面白いことも言わない。足が速いわけでもない。
 数分前まで僕の中では、「エキストラ」だった細野君。しかし彼はこの赤いハードカバーの問題集と対等に渡り合える男なのである。
 彼のランキングは急上昇し、僕はこの時点で、尊敬の念さえ抱き始めていた。
 ついさっきまで、自分が勝手に見下されていたとも知らずに、気のいい細野君は僕が質問するままにいろいろ教えてくれた。
 来年、中学受験をするということ。そのために小学校四年生からずっと「日能研」という進学塾に通って勉強してきたこと。第一志望は「こうよう学院中学校」というところで、その他にも、「奈良学園中学校」も受験するということ……。
 今までの価値観がグラグラと揺さぶられ、自分がひどくつまらない人間に思えた。
 正直、初めて聞くことばかりで、何を言っているのか完全には理解できなかったが、僕は「中学受験って格好いい!!」……そう思った。
 たったそれだけの理由で、僕は中学受験をすることに決めたのである。

しょうもない塾

 その日は学校が終わるとすぐに家に帰った。普段なら友達と遊んでから帰宅するのだが、一刻も早く中学受験の話を親にして、細野君と同じ土俵に上がりたかったのである。
 家に帰るとすぐに僕の「決意」を両親に伝えた。
 まあ、決意といっても、「友達が受験するから」「何となく格好いいから」という、ペラペラの理由である。それでは到底許してもらえないと考えた僕は、別のストーリーを用意しておいた。
 実はかなり前から中学受験を考えていたとか、でもお金がかかりそうなので、迷惑をかけたくなかったから一度はあきらめたのだとか……あることないことならいざ知らず、ないことばかりをつらつらと喋った。
 すると、拍子抜けするほどあっさりとお許しが出た。
 親にしてみれば、子供の方から勝手に勉強すると言ってきているわけだし、さらに既に6年生の夏を迎えようかという時期だったので、もう勉強が間に合うはずがない。時間的に無理だろう。ならば、私立につきものの「入学金」や「授業料」の心配もない……そんな計算も働いたのだと思う。
 何より普段からの僕の振る舞いが功を奏した。他の兄弟が、習い事をしたり服や物を買ってもらったりしている時も、修行僧の如き物欲のなさを見せ、「よい子の仮面」をかんぺきなまでにかぶっていたおかげでこれは、「人生初めてのおねだり」と言っても過言ではなかったのである。
 とにかく、親の許可も得て、晴れて中学受験をすることになったのだが、あの僕があこがれた、赤いハードカバーでおみ、「細野君の問題集」で勉強できる、日能研には入れなかった。
 父に、中学受験をするからには、小学校の勉強だけでは無理だ。塾に行かないと駄目だ。それも、日能研というところでないと、お話にならない。それこそ必死で頼んだ。
 父は僕の話を黙って聞いていた。否定も肯定もしない。
 こういう時の親の沈黙は、子供にとってとてつもない恐怖である。
 僕があたかも広告塔のように日能研の名を連呼するので、「なんで、そんなに日能研日能研ゆーてくるの?」というようなげんな表情を一瞬覗かせはしたものの、すぐにそれも消えた。
 それまで僕は、塾というものには行ったことがなかった。
 そういうところは、学校の成績の悪い、勉強のできない子が、親に無理矢理行かされる矯正施設のようなものだと思っていた。
 そういう意味では、親に「月謝」などの金銭的な負担を掛けたことがなかったわけで、ケチな僕の親も、さすがに今回は希望通り、日能研に入れてくれるだろうと高をくくっていた。
 父は一言、「任せとけ!」と言った。
 甘かった。数日後、僕が通う塾が決まったと、父に連れられて行ったのは、当時、子供の僕が感じたままに書かせてもらうなら、なんとも「しょうもない塾」だった。
 その塾は、僕の家から歩いて十分くらいのところ、普通の住宅街の中にあった。
 これまで何度も前を通ったことがあったがそれが塾だとはまったく気がつかなかった。
 正直、歩いていて、最初の角を曲がったくらいのところで、父と歩くこの道の先に日能研は用意されていないと早々に勘付いてはいた。しかし、その「塾」は、僕が下げたハードルのさらにその下をくぐってきたのである。
 ごくごく普通の建て売り住宅、その一階部分の一部屋が教室になっている。
 男の先生が一人。陰気な感じの人で、何年も外に出たことがないのか、真っ白な肌をしており、せていて、常に病み上がりのような気だるい雰囲気を漂わせていた。実に頼りない印象である。
 生徒は僕を含めて二人。多分、同学年くらいの男の子。その子は、「中学受験」をするわけでもなく、当然ながら、受験生特有の「ピリピリ感」もまったくなかった。
 しばらくして分かったが、彼は、放課後この塾というか、この家に来て、学校で出された普通の宿題を先生に見てもらっていたようだ。
 先生のしんせきの子だったのかもしれない。
 その子の使っていた教材には、動物や博士のキャラクターのイラストがふんだんにちりばめられていた。
 とにかく、「受験戦争」「中学受験」、そんな「戦い」とはまったく縁のない空間であった。
「これは、マズイ……落ちたな」と、初日で僕は絶望した。
 しかし、父の決定は我が家では絶対である。不満を漏らし、口答えでもしようものなら、げんこつを食らい、「ここが気にくわんのならもういい!」とすべてを白紙に戻されるだろう。それを一番恐れていた僕は黙っていた。
 この塾に通うしかない。なぜ自分の願いは、いつも四十八点くらいでしかかなわないのか? そもそも五十点を切ったら、それは叶っているとは言えない。我が運命を呪ったが、しよせんは無力な子供である。従うしかない。父がその塾に決めたはっきりとした理由は聞いていないが、十中八九「お金」だろう。
 僕が合格できると本気で思っていなかった両親は、どうせ落ちるのに、高額な授業料の塾に通わせるのは馬鹿らしい、もったいない、そう考えたに違いない。

優越感ハイ

 塾の生徒は僕と、その親戚っぽい男の子の二人だけだったが、その子の家は僕とは別の学区にあったようで、同じ小学校ではなかった。
 となると、僕の小学校からは、自分以外、誰一人その塾に通っていなかった事になる。いちの望みをかけて、できる限り大勢の学校の友達に、緊急アンケートを行って聞いてみた。当時は一学年四、五クラスはあり、一クラスあたり四十人は居たはず。しかし、結果、それだけの数の子供達の、本当に誰一人として、その塾の存在すら知らなかったのである。
 もはや「怪談」である。
 あれは本当に塾だったのだろうか。それすら今では自信がない。

 そもそも、その「先生」が、いったいどうやって生計を立てていたのかも謎である。塾の月謝だけでは生活できるはずがないのだ。月の頭に、親に渡される封筒の中身を何度かのぞいたことがあるので、その辺りのことは把握していた。それほど「お安い」塾だったのだ。
 夕方塾に顔を出すと、学習塾と名のつく場所では、あり得ない濃度の「晩飯の匂い」が教室に充満していて、ほとんど家の台所で勉強しているのと変わらない気分になった。
 結婚している様子もない。いや失礼な言い方だが、あの稼ぎでは結婚なんて出来ないはずだ。彼の実家だったのかもしれない。
 余計なお世話はさておき、不本意な形ではあるが、僕の中学受験はこうしてスタートした。
 勉強自体はすこぶる楽しかった。
「細野君の問題集」は、もちろんその塾にはなかった。そもそもその塾のオリジナル教材というものは何もなかった。結局、市販されている中学受験用の参考書や問題集を買って、塾に持って行き、先生と一緒に勉強するという、何か釈然としない事態になった。それでも、「ニュートン算」とか、「鶴亀算」とか、「流水算」とか、当時小学校では耳にしたことがなかった難問の数々、その解き方に取り組んでいるのが楽しかった。
「他の普通の子達がしてないことを、俺はしている!!」
 そんな優越感で、大量の問題集と格闘する毎日も、まったく苦にはならなかった。朝、早起きして勉強し、学校に行き、部活のサッカーをやって、塾に行き、家に帰って遅くまでまた勉強。とんでもなく売れっ子のスケジュールである。
 睡眠時間もあの半年間は、平均三時間ほどだったと思う。それくらい僕は勉強に励んだ。
 一度、学校の健康診断で、尿からたんぱくが出て、じんぞうに問題があるなんて言われたり、急に白髪が増え、頭が真っ白になったりした。
 一応大事をとって、母親に連れられ、お医者さんに行くと、
「過労です」と一言。
 小学生で過労。
 しかし、それが「カッコ良い!」と感じるほど、当時の僕はある種の「ゾーン」に入っていた。
 あれほどの頑張りを、その後の人生で発揮できたことはない。
 ランナーズハイというのがあるが、この場合、「優越感ハイ」とでも言えばいいのだろうか……力の根源は腐っていたが、とにかく毎日が充実していた。腐った土の方が養分が豊富なのだ。

神童の予感

 二、三か月もすると、中学入試レベルの問題も大方スラスラ解けるようになった。しかし何とも気まずい問題が新たに生まれる。
 ややこしいが、これは算数や国語の「問題」のことではない。先生でも解けない問題を僕が解けるようになったというか、先生よりも早く、いろんな問題が解けるようになってしまったというデリケートな「問題」のことである。
 細野君が通っている塾では、到底起こり得ない事態。だが、ここではそれがいとも簡単に起こるのである。
 最初は鼻差であった。
「先生、この問題どうやるんですかー?」と質問する。
 すると、先生がもっともらしく手を後ろに組んで僕の横にやって来る。
「どれどれ……」などと言いながら覗き込み、これまたもっともらしく考え始める。先生はもっともらしくふるまうのを好んだ。すると、その矢先に、もう僕がひらめき、問題を解いてしまう。先生は、「そういうこと!!」と言わんばかりに僕の肩をポンッとたたき、これまたもっともらしく離れていく。
 事態はどんどん悪化し、最初は鼻差だったものが、一馬身二馬身と離れていき、受験本番の頃には先生は出走すらしなくなった。つまりチンプンカンプンだと平気でさじを投げるようになったのである。
 勉強の成果が出ているということで喜ばしい反面、非常に気をつかう事態に陥った。
 そんな時は、先生を傷付けないように僕も分からないふりをして、彼が正解に辿たどり着くのを待つ。
「先生分かるの待ち」である。もはや意味が分からない。
 例えば、「面積を求めよ」という、算数の図形の問題がある。そういう場合、補助線を引かないと解けないことがほとんど。逆に言えば、補助線をどこに引くか、それが分かりさえすれば、問題は解けたも同然である。
「先生ー。これどこに補助線引っ張ったらえーの?」
 すると彼は僕の横に来て考え始め、例のもっともらしい感じで、鉛筆でいろんな場所に線を引っ張り出す。
 それを見てるうちに僕は正解が分かってしまうのだが、先生はまだあらぬ方向に線を引っ張り続けている。
「どれどれ、うんうん……なるほどね」などと呟きながら一向に答えに辿り着けない先生の様子を見ながら、僕は自分も分からないふりを続けるのである。
 先生という大人に、恥をかかせたくないのだ。
 生徒数が二人とは言ったが、宿題をする子はそんなに頻繁に塾に来ない。実質、先生と僕のマンツーマン状態になる日が多かった。
 そんな二人っきりの空間で、先生に恥をかかせてしまったら、その気まずさを僕が一手に引き受けなければならない。それは耐えきれない。
 実際、何度か僕が先に答えが分かった事が気配でばれた際、先生が大いに不機嫌になったこともあった。
 なので、彼が正解を思いつく時間を稼ぐために、尿意もないのにトイレに行ったりもした。
 時には、先生が得意げに解き方を教えてくるのだが、実はそれは間違った方向で、それでは正解に辿り着けない。しかし、僕はすでに正解が分かっている。そんな状況も発生する。
 そういう場合も「ああ、はいはい!! なるほどー!!」とか言いながら、先生の熱弁にお付き合いし、
「ありがとうございますー!! もう大丈夫です!!」と言っておいて、彼が離れた隙に正しく問題を解く。
 先生が採点するから、自分が教えた解き方、答えではないのは彼にも一目りようぜんのはずなのだが、そんな時は何も言わない。
 僕は、「大人ってすごいなー」と感心したものだ。スルーする力。都合の悪い時は目をつぶると言う手法。そういう部分は今でも役に立っている。
 当時は、「余計なことに時間と労力を使わされているなー!!」と被害者意識があったが、今では、「あれはなにかの斬新な、先生なりの独自のメソッドだったのでは?」と思う時もある。あながち違うとは言い切れない。
 というのも、周囲の予想に反して、兵庫県では有名な、私立の「ろつこう学院六甲中学校」に見事合格したのだ。僕自身も、短い期間で、しかも、言っちゃ悪いが、で合格したのである。我ながら「これは凄いことなんじゃないか?」と思った。
 そんな僕よりテンションが上がってしまったのは、塾の先生である。今考えるとこっぱずかしい話だが、「君も山田君みたいになれる!! 目指せ、中学受験!!」と書かれたビラを町中にき始めたのだ。言っておくが彼が勝手にやったことである。
 小さな町でのこと。そのかいわいでは、「中学受験に合格した子」として、僕はちょっとした有名人になった。
 そこで僕の中に、「神童感」が生まれる。
 自分は何でもできる、特別な人間だ。選ばれし人間だ。
 この神童感のおかげで、その後人生の節目節目で、ことごとく失敗することになる。



※そして、少年は人生を決定づける「通学路ウ●コ漏らし事件」に遭遇する……この続きは、角川文庫『ヒキコモリ漂流記 完全版』で!


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