良くないことが起こる。良くないものがこちらを見ている。考えたらそんな気がしてしまう。
知らないということは強いことだ。それは、そうかもしれない。しかし、到底納得がいかない。まるきり知らない状態ならそれでもいいが、隼人の前にはヒントだけが提示されている。これは、もう、少し知ってしまっている状態になるのではないか──
そんなことを考えて、隼人は恐ろしくなる。自分が迷信めいた思想に走ってしまっているような気がした。こんな
「匠」
そう
頭に
あの家に帰るしかない。
外はどんよりと曇っていて、遠くは霧がかかっていて見ることができない。
幻想的、というようには
少し脇に逸れたら竹林だ。中に入ることを想像する。ぐるぐると同じところを通り、二度と出られない。泣いても騒いでも。
霧がますます濃くなる。
「ああっ」
大きい男の声がそれを邪魔した。
「クソ! 足も
遠くに輪郭だけ見える男は、恐らく靴を脱ぎ、逆さにしている。小石でも入ったのだろうか。
彼はぶつぶつと何かつぶやきつづけている。
「クソ、どこも籠生じゃ。どの籠生か分からん。どがいしたら……あっ、君!」
男は駆け寄ってきて、頰に
「この辺で籠生さん……あ、いや、みんな籠生さんじゃけんど、籠生和夫さんの」
聞いた名前が出て、隼人は
「俺、和夫さんの
「ああ、匠くんの! よかったよかった。これは運なんかな、神様ありがとう」
男は天を仰ぎ、大げさに手を合わせる。
よく
細身で、葬式のような黒いスーツを着ているが、まったく似合っていない。普段、スーツを着るような仕事に就いていないのだろう。個性的なファッションの人間が多い
口調は軽薄なのに、余裕や、親しみやすさは一切感じない。隼人を上から下まで吟味するように眺めている。初対面だが、なんだかこの男が好きになれそうになかった。
「そういうわけでな、今から、そちらにお邪魔させてほしいんですけど」
何がそういうわけなのか。隼人は
「津守さんは」
「うん?」
「匠の──いや、籠生さんの、どういう知り合いですか」
「ああ、知り合いゆうか、依頼されたんです。そろそろじゃって」
そろそろ、という言葉を聞いて隼人はぞっとする。
この状況で「そろそろ」の後には「死ぬ」しか続かないような気がした。つまり、津守は匠の祖母の死期が分かっていたということなのだろうか。
「どうして分かったんですか、匠のおばあちゃんが、死ぬって」
隼人が津守を
「もしかして……あんたが、電話したのか?」
「はあ? 電話?」
津守は隼人よりは年が上だろうが、まだ若い。二十代後半か、三十代前半くらいに見える。もし、嫌がらせの電話がこの男なら。
「とぼけてるんですか? それとも、本当に知らないんですか」
「いや、勝手に話を進められても、君の考えてることが分かるわけないがやないですか」
極めて冷静な声だった。ほんの少しだけ反省する。しかし、同時に、勝手に話を進めているのはお前の方だろう、と言ってやりたい気持ちもあった。
津守を責め立てても仕方がないから、隼人は津守に電話のことを話してみる。不気味な歌。その直後に、匠の祖母が急死したということ。野崎が葬儀の中で同じように不気味な歌を歌い、自分の顔に棒をつき刺して自殺したことについては話さなかった。
もし電話の犯人だったら、何か反応はするだろう。
隼人はそう考えて、じっと津守の反応を探った。
しかし、津守は慌てるでも、にやつくでもなく、
「ほうですか。まあ、全部
「は?」
潰す、という物騒な言葉に驚いて聞き返す。
「潰すって、どういうことです」
「まっこと申し訳ないけんど、あの家も、裏の山も林も全部更地になってしまう」
「なんでそんな、勝手に、そういうことを」
津守は電話の主ではない、ということは、なんとなく分かった。それよりもずっと、面倒なものかもしれない。きっと、弁護士とか、それに準ずる業者なのだ。
恐らく、和夫が依頼したのは、匠だけになってしまった場合の後処理だ。匠をまだまだ小さい子供だと思っているにちがいない。祖母が亡くなってしまったら、
しかし、強引すぎる。
「それ、匠に許可を取ったんですか?」
「取る必要あります?」
「そりゃあるでしょう!」
どうしても口調がきつくなる。津守はまるでこちらが面倒なことを言っているかのように
「だって、匠くん、もうおらんでしょう」
「は……」
「匠くんって、色白で、弱々し〜い、
津守はこめかみに指を当て、くるくると動かした。
「ほんの少しだけ見えるんじゃけんど、多分もう無理じゃね。帰ってこん。でも、彼も覚悟を」
「なんなんですか? そういう、意味不明な、霊感商法ですか?」
「アホ、なにが霊感商法かて。俺が君に何か売りつけましたか?」
隼人は到底受け入れられなかった。
この土地には、何か呪いとかそういう、迷信めいたものがあるのは分かる。
「ほとけ」の話もそうだ。匠の祖母は何かタブーに触れてしまった、そういう解釈もできる。
しかし、今は平成だ。合理的な根拠に欠けることは信じられるべきではない。
隼人には、目の前の男が、そういった前時代的なものの代表に見えた。
「オカルトとかそういうの、俺は信じませんから。匠のおばあちゃんが亡くなったのも、野崎さんが亡くなったことも、医者や警察官に任せることですよ。お
「俺、お祓いなんてするつもりはないけんど」
困惑したように津守が言う。
困惑した表情が噓とは思えず、隼人も困惑した。
「でも、さっき、頼まれたって」
「頼まれたのは、葬式じゃ」
「葬式はもう終わったじゃないですか」
「それとは違う、葬式じゃ」
意味が分からなかった。隼人が黙っていると、津守が言葉を付け加えた。
「この家の、葬式、ちゅう意味やね」
津守は何が面白いのか、にやりと笑ってみせる。
「ここを終わらせるんよ」
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