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試し読み

【第1章がまるごと読める!】ホラー界の異才が満を持して放つ、因習に満ちた村の怪異――芦花公園『極楽に至る忌門』試し読み

 良くないことが起こる。良くないものがこちらを見ている。考えたらそんな気がしてしまう。
 知らないということは強いことだ。それは、そうかもしれない。しかし、到底納得がいかない。まるきり知らない状態ならそれでもいいが、隼人の前にはヒントだけが提示されている。これは、もう、少し知ってしまっている状態になるのではないか──
 そんなことを考えて、隼人は恐ろしくなる。自分が迷信めいた思想に走ってしまっているような気がした。こんなへいそくてきな環境にいて、誰にも心を開けないから、科学的に、現実的にものを考えることができなくなっているのかもしれない。
「匠」
 そうつぶやいても、もちろんこたえはない。
 頭にもやがかかったような状態で、隼人はふらふらと外に出た。人はもう、誰も残っていない。
 あの家に帰るしかない。
 外はどんよりと曇っていて、遠くは霧がかかっていて見ることができない。
 幻想的、というようにはとらえられない。不気味だ。悪夢の中に迷い込んだようにおどろおどろしい。体の重さだけが、夢ではないことを教えてくれる。東京にいた頃の隼人なら、こうは考えなかった。田舎の光景を不気味に思うのは差別的で良くないと思っていた。今はそんなふうには考えられない。
 少し脇に逸れたら竹林だ。中に入ることを想像する。ぐるぐると同じところを通り、二度と出られない。泣いても騒いでも。
 霧がますます濃くなる。
 眩暈めまいがする。そこにうずくまろうとしたとき、
「ああっ」
 大きい男の声がそれを邪魔した。
「クソ! 足もいてえわ!」
 遠くに輪郭だけ見える男は、恐らく靴を脱ぎ、逆さにしている。小石でも入ったのだろうか。
 彼はぶつぶつと何かつぶやきつづけている。
「クソ、どこも籠生じゃ。どの籠生か分からん。どがいしたら……あっ、君!」
 男は駆け寄ってきて、頰にくぼを作って笑った。
「この辺で籠生さん……あ、いや、みんな籠生さんじゃけんど、籠生和夫さんの」
 聞いた名前が出て、隼人はとっに答えてしまった。
「俺、和夫さんのおいの匠くんの友達です」
「ああ、匠くんの! よかったよかった。これは運なんかな、神様ありがとう」
 男は天を仰ぎ、大げさに手を合わせる。
 よくしゃべる男だ、と隼人は思う。隼人が一言も話さないのに、べらべらと自分のことを一方的に話す。
 もりたてと名乗った男は、いかにもさんくさい見た目をしていた。
 細身で、葬式のような黒いスーツを着ているが、まったく似合っていない。普段、スーツを着るような仕事に就いていないのだろう。個性的なファッションの人間が多いはら宿じゅくでもほとんど見ないような大きな丸いサングラスをかけていて、それでなんとか鋭い目つきを隠そうとしているのだと思った。
 口調は軽薄なのに、余裕や、親しみやすさは一切感じない。隼人を上から下まで吟味するように眺めている。初対面だが、なんだかこの男が好きになれそうになかった。
「そういうわけでな、今から、そちらにお邪魔させてほしいんですけど」
 何がそういうわけなのか。隼人はいらいらしながら尋ねる。
「津守さんは」
「うん?」
「匠の──いや、籠生さんの、どういう知り合いですか」
「ああ、知り合いゆうか、依頼されたんです。そろそろじゃって」
 そろそろ、という言葉を聞いて隼人はぞっとする。
 この状況で「そろそろ」の後には「死ぬ」しか続かないような気がした。つまり、津守は匠の祖母の死期が分かっていたということなのだろうか。
「どうして分かったんですか、匠のおばあちゃんが、死ぬって」
 隼人が津守をにらんでも、津守はきょとんとした顔をしている。そのとぼけた様子にますます苛ついた。
「もしかして……あんたが、電話したのか?」
「はあ? 電話?」
 津守は隼人よりは年が上だろうが、まだ若い。二十代後半か、三十代前半くらいに見える。もし、嫌がらせの電話がこの男なら。
「とぼけてるんですか? それとも、本当に知らないんですか」
「いや、勝手に話を進められても、君の考えてることが分かるわけないがやないですか」
 極めて冷静な声だった。ほんの少しだけ反省する。しかし、同時に、勝手に話を進めているのはお前の方だろう、と言ってやりたい気持ちもあった。
 津守を責め立てても仕方がないから、隼人は津守に電話のことを話してみる。不気味な歌。その直後に、匠の祖母が急死したということ。野崎が葬儀の中で同じように不気味な歌を歌い、自分の顔に棒をつき刺して自殺したことについては話さなかった。
 もし電話の犯人だったら、何か反応はするだろう。
 隼人はそう考えて、じっと津守の反応を探った。
 しかし、津守は慌てるでも、にやつくでもなく、けんしわを寄せた。
「ほうですか。まあ、全部つぶすしかないね」
「は?」
 潰す、という物騒な言葉に驚いて聞き返す。
「潰すって、どういうことです」
「まっこと申し訳ないけんど、あの家も、裏の山も林も全部更地になってしまう」
「なんでそんな、勝手に、そういうことを」
 津守は電話の主ではない、ということは、なんとなく分かった。それよりもずっと、面倒なものかもしれない。きっと、弁護士とか、それに準ずる業者なのだ。
 恐らく、和夫が依頼したのは、匠だけになってしまった場合の後処理だ。匠をまだまだ小さい子供だと思っているにちがいない。祖母が亡くなってしまったら、ぼうぜんしつで、何の身動きも取れなくなるような。
 しかし、強引すぎる。
「それ、匠に許可を取ったんですか?」
「取る必要あります?」
「そりゃあるでしょう!」
 どうしても口調がきつくなる。津守はまるでこちらが面倒なことを言っているかのようにためいきを吐いた。
「だって、匠くん、もうおらんでしょう」
「は……」
「匠くんって、色白で、弱々し〜い、へいあん貴族みたいな子ぉでしょ」
 津守はこめかみに指を当て、くるくると動かした。
「ほんの少しだけ見えるんじゃけんど、多分もう無理じゃね。帰ってこん。でも、彼も覚悟を」
「なんなんですか? そういう、意味不明な、霊感商法ですか?」
「アホ、なにが霊感商法かて。俺が君に何か売りつけましたか?」
 隼人は到底受け入れられなかった。
 この土地には、何か呪いとかそういう、迷信めいたものがあるのは分かる。
「ほとけ」の話もそうだ。匠の祖母は何かタブーに触れてしまった、そういう解釈もできる。
 しかし、今は平成だ。合理的な根拠に欠けることは信じられるべきではない。
 隼人には、目の前の男が、そういった前時代的なものの代表に見えた。
「オカルトとかそういうの、俺は信じませんから。匠のおばあちゃんが亡くなったのも、野崎さんが亡くなったことも、医者や警察官に任せることですよ。おはらいとかおまじないとか、そんなことで解決できることじゃないですよ」
「俺、お祓いなんてするつもりはないけんど」
 困惑したように津守が言う。
 困惑した表情が噓とは思えず、隼人も困惑した。
「でも、さっき、頼まれたって」
「頼まれたのは、葬式じゃ」
「葬式はもう終わったじゃないですか」
「それとは違う、葬式じゃ」
 意味が分からなかった。隼人が黙っていると、津守が言葉を付け加えた。
「この家の、葬式、ちゅう意味やね」
 津守は何が面白いのか、にやりと笑ってみせる。
「ここを終わらせるんよ」


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