葬式をやったら、死体がもう一つ増えた。
落語にでもありそうな話だ。
悲惨すぎて、いっそ
「何を笑っておるんか、お前」
振り向くと、細身で顔の浅黒い老人が憎しみを込めて隼人を見ている。
「何が面白いんか」
「いえ、その……」
「どうせ
河原というのは、匠の祖母、というか、匠の家族のことだ。このあたりには「籠生」という姓の人間が多いからか、識別のため、土地の名前で呼ばれているのだ、と匠に教えてもらったことがある。
この老人は、野崎の縁者のようだ。受付で彼女を呼び止めたのもこの老人だった。野崎と違って愛想のいいタイプではない。顔に深く刻まれた
野崎があんなふうになったことを、この老人は匠の祖母のせいにしている。老人の言うことは意味が分からなかったが、それだけは分かる。
「恨み言って……」
「腹の立つ。標準語
「いや、そんな」
なぜ責められなければいけないのか、分からなかった。野崎が亡くなり気が立っているのは分かるが、隼人には関係のないことだ。八つ当たりをされても困る。
なぜ匠の祖母のせいにしているのか、それを聞きたかったが、反射的に、
「俺は関係ないので」
そう言い捨ててしまう。
「関係ない? よう言うたもんじゃわ」
老人は長椅子の脚を思い切り
「何すんだよっ」
「こっちのセリフじゃ。恨んどったなら、はっきりと言えばえかったんよ。生きてるうちに、はっきりと。死んでから引っ張りよって、河原は昔から、じめじめして、底意地の悪い」
「ぐだぐだぐだぐだ意味分かんねえよ、ジジイ」
ジジイ、という言葉に反応して、老人は
「おじいちゃん!」
女の高い声と同時に、柔らかいものを打ったような音が聞こえる。足元に、三十代くらいの女性が転がっていた。
「
老人は口だけでそう言う。匠を殴ろうとした拳が、この女性に当たってしまったというのに、助け起こそうともせず、バツの悪そうな顔で突っ立っている。
隼人は片膝をついて、妙子と呼ばれた女性に手を差し伸べた。
「河原、お前が妙子を触るな!」
「だから俺は関係ねえって言ってんだろ、ジジイ。お前が何もしねえから」
「おじいちゃんっ」
隼人の言葉に再び拳を振り上げた老人に、妙子が鋭い声で言う。
老人は悪態をぼそぼそと吐いた後、鼻を鳴らしてどこかへと歩き去って行った。
「ごめんなさいね」
妙子は隼人の手には触れず、自分の力で立ち上がった。
「あ、血が」
白い頰の一部が赤く染まり、鼻から一筋血が流れている。
妙子はハンカチで鼻を押さえて、
「大丈夫」
そして先程まで隼人が腰かけていた長椅子に座り、手だけで隣に来るように指示した。隼人が隣に座ると、妙子は力なく微笑んだ。弱々しい笑顔に、あまり良くない色気のようなものを感じて、隼人は目を
「あの、私、野崎の孫です。野崎妙子といいます」
「志村隼人といいます、籠生匠の大学の友人で……」
「そうなんですね……すみません、おじいちゃん、多分、あなたと匠くんを間違えたんやと思う」
「ええ、全然似てないのに……」
「目がほとんど見えないのよ」
「そうですか……」
しばらく気まずい沈黙が続いたが、やがて妙子がおずおずと口を開いた。
「やっぱりこうなっちゃったか、と思ってね」
「やっぱり……?」
「ええ、やっぱり」
妙子は細い指を、椅子の上で行ったり来たりさせている。
「やっぱりって、どういうことですか」
「ここに来たゆうことは、当然、ほとけのことで来たと思うんやけどさ」
妙子は早口で続ける。
「ほとけ、近づけたでしょう。河原さん、責任感の強い人やったから……みんな、やめとけって言うたんやけどね。結局、あかんかったというか、なるようになったというか」
「何を、言っているんですか?」
「本当に申し訳ないことや。おじいちゃん、罪悪感があるのよ。本当に勝手な人。罪悪感があるから、なんとかして、河原さんにも悪い所があるって思いたいみたい。私は恨んでへんからね。恨むなんて、お門違いもいいとこやし。そもそも、私たちがコントロールできるもんやないって聞いてたし」
妙子は、まるで今日の天気とか、可愛い動物の話とか、そんな気軽さで、意味の分からないことを
「おじいちゃんは宝をもらったんやけどね、でも河原さんは」
「あのっ」
匠が大きな声を出すと、妙子は驚いたように顔を上げた。
「な、なあに? 急に、大きな声出して」
「本当に、意味が分かりません」
「ああ、ごめん、ごめん。最初から言わんといかんかった。河原さん、わざわざほとけを近づけたんよ。わざわざ、野山入って、探して、どこに移動するか分かる前に、引っ張って来たんやって。すごいことするよね。もう、身内は一人しかおらんからええわって言うてた。でも、あの声に耐えられるとは」
「違います! ほとけって、なんなんですか」
妙子の指が止まる。口がまあるく開いていた。しかしそれも一瞬のことだ。
彼女は急に、焦ったように席を立った。
「え、ああ、そう、そうなんだ。何も知らないのね。じゃあ、大丈夫」
「大丈夫じゃないですよ。なんですか、どういうことですか、ほとけって」
「いえ、本当に、知らないというのは、大丈夫なの。知らなければ、大丈夫だと思う、知らないって強いのよ。まったく関係ないんでしょう」
「は?」
しつこく問い詰める隼人を見て、妙子は
「あなたずっと恨まれてたって言われたら気にするでしょう? 食事やって、満足に取れなくなるかも。ずっと恨まれていたって思ったら、そうなるの。ほやったら、知らなければええと思わん? あなたやって、関係ないって怒鳴ってたやん。ね? 恨まれていても、呪われていても、知らなければ、ええ気分で過ごせると思わん?」
「え……」
「とにかく、ほういうことやから。この度はご愁傷様でした」
妙子は引き留める間もなく、走り去っていった。
隼人は追いかける気にもならず、椅子に座りなおした。言われたことを脳内で
ほとけを近づけた。
責任感が強い人。
コントロールできるものではない。
あの声に耐えられる。
わざわざ近づけた。
並べてみても、考えようがない。考える糸口すらない。
それでも少し、分かることは、ほとけを近づけるというのは、決してありがたくない、むしろ悪いことが起きるような──
ぞくりとした悪寒が背筋を駆け抜けた。
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