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試し読み

【第1章がまるごと読める!】ホラー界の異才が満を持して放つ、因習に満ちた村の怪異――芦花公園『極楽に至る忌門』試し読み

 気がつくと、隼人は誰かのひざの上で寝ていた。
 飛び起きる。てのひらを、開いたり閉じたりする。動ける。自分の体が見える。
 ここにある。
 口元に手を伸ばす。
 もう痛みはない。舌にも、欠損はない。
「ねえ、ちょっとくらいなら、大丈夫だったでしょ」
 優しい声だった。
 顔を上げる。
 抱き着いてしまいそうになる。
 窓から夕日が見えた。
 あの日も、夕日がきれいだった。
「俺、女の子、無理なんだ……」
 あの時の匠の顔は忘れられない。
 小さく震えていて、弱々しくて、死にそうだった。白い肌が、夕日のせいで赤みがかって見えた。
 可愛いと思った。
「そうか」
 隼人はそう答えた。
 そんなことは、言われなくても分かっていた。
 自分を見る目に、独特の熱がこもっていた。自分に対して特別な感情を持つ者しかしない顔だった。隼人は何度もそういう目で見られたことがあった。初めてだったのは、男から、ということだけだ。
 自分がもうとっくに知っていたことを、決死の覚悟で伝えてきた匠のことを、哀れで可愛いと思った。
「じゃあ、男が好きなんだ?」
 白々しくそう尋ねると、匠は震えながらうなずく。
「そうかあ」
 もったいぶって、考え込むような演技をした。
 匠は死刑宣告を受けるかのような顔をしている。
「じゃあ、俺と付き合ってみる?」
 そのときの匠は本当に可愛い顔をしていた。それは偽りのない感想だ。
 頰を赤く染めて、目を輝かせて、何度も頷いていた。
 思わずキスをして、それが嫌ではないくらいには、可愛かった。
 でも、それは本当に、その時だけだった。
 美しい夕日の差し込む講堂で、二人きり、その時だけだった。
 友人のときは気遣いだと思っていたことも、急にびを売るような浅ましい振る舞いにしか見えなくなった。すり寄ってきて、不気味だと思った。女でもないのに、と思った。
 男としては「可愛らしい」と言えなくもないが、女として見ることなど到底できなかったのだ。
 決定的だったのは、匠の家で、迫られたときだ。
 から上がると、匠が裸でベッドの上で待っていた。
「俺、帰るわ」
 隼人はそう言い捨てて、匠の話も聞かず帰った。
 肌だけは白かった。でも、それがなんだというのか。自分以外の男性器には嫌悪感しかなかった。
 さすがに匠も気づいたようだった。
 自然に友人関係に戻った。
 元のとおり、食事をし、談笑し、たまに遊びに行ったりするだけの関係だ。
 時間が経ち、夕日がきれいだった記憶も朧気おぼろげになった頃、合宿をすることになった。
 それは、ゼミの先輩が開催した二泊三日の合宿で、ゼミのメンバーだけでなく、大勢の人間が誘われていた。
「お前らも仲のいい奴誘っていいからな」
 そう言われたが、隼人は匠を誘わなかった。
 しかし、当日集合場所に行くと、匠がいた。
「どうしているんだ?」
 そう尋ねると、
「ああ、おかもと先輩に誘われて」
 岡本というのは、一学年上の先輩で、顔にそばかすがあるということ以外は特に目立った特徴はない。それでも隼人が記憶しているのは、匠が隼人に向けていたのと同じような熱っぽい視線を匠に向けていたからだ。
 隼人は二人が仲良くなればいい、と思った。そうして、早く忘れてほしい、と。
 合宿の間、隼人はほとんど匠と話さなかった。二人を仲良くさせたかったというのもあるが、その時気になっていた女の先輩と親密になることに夢中だった。彼女とは、一日目の夜、非常階段で肌を合わせた。ただそれだけで満足してしまい、恋愛には至らなかった。
 だから二日目の夜は、男性の先輩たちが部屋で行っている酒盛りに参加した。
 酒が進んできて、下世話な話題が飛び交う。
 隼人は思いつきで、
「俺、男と寝ようとしたことありますよ。向こうから、好きって言ってきたんで」
 そう言った。もちろん、匠のことだが、名前は出していない。それくらいの良心はあった。
 皆、わざとらしく、「げえ」とか「オエエ」などと言って、吐く真似をする。
「俺、絶対無理なんだけど。よくそんなことできたな」
 隼人は笑いながら、
「そうそう、やっぱキモくて無理でした。かんに余計なもんついてんのは、無理でしょ。まあでも、若いんだから、色々経験しとかないと。あっちも、いい夢見れたってことで」
 オマエ最低だな、とかなんとか言って、先輩は笑いながらバンバンと隼人の背中をたたいた。隼人も大声で笑った。酒の席の話だ。多少誇張しても何の問題もない。
 しかし、わずかながら罪悪感もあった。
 友人として接する分には、匠は本当に良い人間だった。努力家で、真面目で、人の悪口も言わない。
 そんな様子を見ると、酒の席で、本人も聞いていなかったとは言え、あんなふうに笑いのネタにしてしまったことが、申し訳ないというような気持ちがいてくる。
 だから、隼人は匠の頼みを断らなかった。
「あのさ、実家に帰省するんだけど、付いてきてくれない?」
 何も楽しいことがない田舎だと分かっていたが、そのとおりにした。
 それで──
「俺の言うことを聞く義務があるよね」
 優しい微笑みのまま、匠は言う。
「俺がどれだけ傷ついたか分かる?」
「匠、あの時、聞いてたのか……」
「あんだけ大きい声で騒いでたら、隣の部屋にも当然聞こえてるよ。つらかった。悲しかった。悔しかった」
 笑顔が恐ろしい。大きく目を見開いて、匠は言う。
「キモくて無理なら、どうして付き合おうって言ったんだよ。最初からそんなことを言わなければ俺だって勘違いなんかしなかった」
「違う、あれは冗談で」
「冗談じゃない。本当の気持ちだった。冗談であんなことは言えない」
 隼人は何も言葉が出て来ず、ただぱくぱくと口を動かした。
 匠はふう、と息を吐く。
「もうどうでもいいよ。とにかく、目を用意してくれればいい」
 匠は指を二本立てて、そうぼうを指さす。
「目は、大事なものだから」
「それはさすがに」
 隼人はかばうように自分の目を手で覆った。ものが見えなくなった、その先の人生は想像もしたくない。
「別に、自分の目じゃなくてもいいよ」
「え……」
 匠の笑顔は少しも崩れない。
「誰のでもいい。問題は、隼人が本気かどうかだよ。本当に、俺に申し訳ないと思っているのか。本当に目をささげる気があるのか。どちらも本気なら、別に自分の物でなくても構わない」
「それって、どういうことだよ。まさか、他人から目を取ってこいって言うんじゃ」
「覚悟の問題だよ。もし、本当に、覚悟があるのなら」
 隼人の言葉を無視して、匠は話を続ける。
「起きたらすぐ、裏口から出て右の方向に歩いていく。そうすると、女の子がしゃがんでいるはずだ。その子は、お母さんの言いつけを無視して、れいな花を摘みに他人の敷地に入ってきてしまった悪い子だ。その子の目でいいよ」
「そんな、そんなことは……」
 匠が顔を近づけてくる。笑顔のまま、指を隼人の顔にわせた。
 ぞわりとする。
 冷たい。死体の温度だ。
 死人に体温はない。
「本当に覚悟があるのなら、できるだろう。破格の条件だよ。自分の目じゃなくていいんだから。自分は傷つくことがないのだから」
 体が硬直している。
 何も考えられない。拒否ができない。体が、しんから冷え切っている。
 首が勝手に動く。
 うなずいている。
「スコップを持って行ってね。目をえぐり取るのに、ふさわしい形をしている」
 視界がぼやけていく。


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