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試し読み

【第1章がまるごと読める!】ホラー界の異才が満を持して放つ、因習に満ちた村の怪異――芦花公園『極楽に至る忌門』試し読み

 昨日通った道を駆け足のままなぞる。
「あれっ」
 隼人は一本道の前で立ちすくんだ。
 どう考えても短い。
 昨日かかった時間の半分くらいだ。駆け足で来たことを考慮しても、明らかに短い。
 しかし、この一本道は、うなずき仏の場所に行く一本道で間違いない。
 考えていても仕方がない。隼人はまた、駆け足で道を通った。
 やはり、この道で間違いはなかった。
 だから、ここに来るまでの道のりが短くなっていたのは、心理的な問題だったかもしれない。確かに昨日は鳥の足を調達するのに時間がかかり、身も心も疲弊していた。
 昨日より明るいからか、頷き仏の顔がはっきりと見える。
 そして少し安心した。不気味に見えていたのもまた、心理的な問題だった。優しい顔をしている。
 昔からこのあたりの人間の悩みを聞き、なんでもうんうんと頷くように聞き入れてくれた、その逸話どおり、優しく微笑んでいた。おどろおどろしい田舎の、不気味な迷信。一瞬でもそう思ったことを反省する。
 隼人は昨日よりずっと厳かな気持ちで手を合わせる。
 心の中でなんと祈ればいいか考える余裕もある。
 死者三人のめいふくを祈ればいいのか、あるいは、頷き仏がそうあるものだから、自分自身のつらいことを吐露すればいいのか。
 どうしても思考に雑音が交じる。雑音というのは、不気味な電話だ。野崎がおかしくなり、歌っていた歌だ。あれになんの意味があるのか。
 考えているうちに、消えていたはずのこの場所を不気味だと思う気持ちがむくむくと膨らんでくる。
「よろしくお願いします」
 結局隼人はそれだけ言って、また中央のほとけの前に買って来た牛タンを置いた。
 置いた時になってやっと気づく。
 カラスの足がない。
 誰かが回収した、とも考えられる。ここは匠の家の敷地だが、特に封鎖されているわけでもなく、どこかの道路には面しているだろうからそこから歩いてくれば辿たどり着くこともできる。ほとけを信仰する者が来て、カラスの足を不気味に思い、排除したのだろうか、あるいは──
 気味の悪いホラー映画のような想像をしてしまう。本当にこのほとけが動き、口を開き、カラスの足をむさぼり食う。
 あり得ない。
 ここには誰もいないから、こんなことを考えるのだ。
 もう一度手を合わせ、後ろを向いたときだった。
 ドサリと、また何かが落ちて来た音がした。
 何かに操られるように、隼人はそれを拾い上げた。
 はさみだった。よく見る鋏ではなく、和鋏だ。昔話に出てくるような──

 のりをなめたるむくいとて
 したをきられしすずめをば
 いとしというてじひぶかき
 じじがたずねてでかけたり

 隼人は凍りついたように動けなかった。
 子供の歌声が聞こえた。しかも、ひとりではなく、大勢の。
 確実に聞こえているのに、子供の姿はどこにも見当たらない。
 きゃはは、と甲高い笑い声が耳に突き刺さった。
「道具、用意してあげたよお」
 匠の声だった。
 幻聴だ。妄想だ。
 声が出てこない。
「ちょっとでいいんだって。ちょんって」
 手が勝手に動く。鋏がしょきしょきと動いた。
「若いんだから、色々経験しとかないとって、言ってたじゃん」
 舌を突き出す。前に。
 鋏が動く。ばちんと閉じる。
 声にならない悲鳴が隼人の口から出る。
 鋏が地面に落ちた。なんらかの組織が付着している。
 口から流れているのが血なのかよだれなのか分からない。目からも血が流れているかもしれない。
 子供たちはいない。匠もいない。いないから、見えない。
 うめき声をあげながら隼人は走る。
 視線を感じるのも気のせいだ。脳内で、ほとけたちが顔を上げ、こちらを見ているような像が結ばれるのも気のせいだ。
 見えない。見えないのだから、いない。
 一本道を駆け抜け、家の裏手まで走ると、前方から誰かが走ってくるのが目に入った。しかし、止められない。
 肩に衝撃が走り、隼人は転んだ。
 すぐに起き上がる。
 隼人は口から体液を垂れ流しながら、よろよろと玄関に向かった。
 視界の端にスーツが見えた。
 ぼろぼろだ。はっきり言って汚い。今倒れたときについたものでもなさそうだ。
「ああ、いかん、遅かったか……」
 呻き声のように津守はそう漏らす。
ううあいうるさい
 口を空気が通る度に痛みが走り、まともに話す事さえできない。
 一刻も早く家に入りたいのに、なかなかかぎが出てこない。
 ごそごそと洋服のポケットを探る手をつかまれる。津守は真剣な顔をして、
「何が君をそうさせるん? 分かってるでしょう、やったらいかんて。どう考えてもこの辺の人間の様子もおかしいって分かってるでしょう」
 隼人は何も答えられなかった。
 確かにおかしいのだ。全部。
「おばあちゃんが亡くなったんはまあ、病気ってことでおさまるにしても、野崎さんゆう婆さんも亡くなったんじゃろ、しかも、むちゃくちゃな死に方で」
あんえいっえうんあよ何で知ってるんだよ
 津守は自分の顔に人差し指を向けた。
「こういう仕事が長いちゆうたじゃろ。普通の人間より耳と目と鼻がえいんですわ。葬式に出た人間の話が聞こえてきゆう。でもな、細かいことは分からん。ここに来てから、耳も目も鼻もよう利かん。でもな、おかしいじゃろ。葬式のあと、誰かから連絡があるか? 家を訪ねてきたしんせきがおるか? おらんのじゃないですか」
 確かに、あれから何も連絡はない。
 しかしそれは、何も分からない隼人に何を聞いても同じだからではないのか。そんな考えを読んだかのように、津守は言う。
「性善説じゃねえ。まあえいわ。ほいじゃあ、和夫さんはどうですか。連絡する、すぐ行く言うたのに、来ないやないですか。はっきり言うてね、近づきたくないんですわ。近づいたら巻き込まれるんは、みんな知っとりますけえじゃ」
えもでもそうしひにあ葬式にはあくあんたくさんいあ来た
「東京の大学に通っとって村八分の八分ちうのが何か知らんのんですか。葬式と火事の二分を除いた残りじゃ。葬式は死体をっといたら病気がってしまうかもしれん、火事を放っといたら広がって他の家も燃えてしまうかもしれん、ほじゃけ、その二つはけがれた家でも手伝ってやるのんですわ」
 馬鹿にされた。そう思って、隼人は思わず手を振り上げる。しかし、津守は変わらず真剣な表情のままだ。侮辱したり、あざけったりはしていない。腕をそのまま降ろす。
「分かるがでしょ。おかしいことはたくさんあったがでしょう。君が見ないふりをしちょるだけじゃ。でな、なんも知らん君が、どうしてここにこだわっとるのか、知りたいんですわ。何が君をそうさせてるん」
 匠の目が思い浮かぶ。夢の中の匠。くらい目をして、訴えかけてくる。どうしてもほとけに恩返しがしたい。それが心残りだと。優しかった匠の変わってしまった様子。でも、それは、もう死んでいるからで。
「匠くんのことでしょう」
 津守の声は冷え切っている。
「当たってほしくなかった。匠くんが、君に言うたがじゃろ。ほじゃけ、君、そんな必死になってやりよるがじゃろ、でも、そんなんしてもどもこもならん、えいか、あれは、君の一番えいち思うもんに」
 とおくから、あああ、と声が聞こえた。
 ああああああああああああ
 それは、徐々に近づいてくる。
 あああああああああああああああ
 今、行って帰って来た方角からだ。
「あっ」
 声のする方を振り返った瞬間、隼人は強く押された。
「あに」
 ああああああああああああああああ
「中に入れっ」
 津守は短く言って、隼人を裏口の方向にまた強く押す。
「えっ、えも」
 あああああああああああああああああああああ
「いいから入れっ」
 裏口の扉を開ける。振り返って、
うもいあんも津守さんも
「俺のことはえい」
 ああああああああああああああああああああああああああ
 何かの足音が聞こえた。
「鍵を閉めて、絶対に開けるな」
 津守の形相と──それに、声と足音が恐ろしくて、慌てて裏口を閉め、鍵をかける。
 台所の小窓も開いているのに気がつき、それも閉めた。
 ああああああああああああああああああああああああああああああああああ
 ドン、と何かがぶつかるような音がした。
 それに重ねて、ああああああ、ああああああと、何かの鳴き声のようなものが聞こえる。ぐう、とうなるような声は津守のものかもしれない。
 包丁が目に入る。
 これを持って、外に出て、津守に加勢すればいいのかもしれない。
 いや、それでも、開けるなと言われた。
 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
 耳をふさいだ。
 走って行って、玄関の戸締りだけでなく、家じゅうの窓の施錠を確認する。
 そして、まだ日も高いのに、布団をかぶった。
 恐ろしい声は続いている。
 考えるな、考えるな、考えるな何も考えるな。
 舌の痛みにだけ集中する。どくどくと流れる血のことだけを考える。
 布団が赤く染まっている。
 眠りに落ちたのか、気を失ったのか、もう分からない。


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