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試し読み

【第1章がまるごと読める!】ホラー界の異才が満を持して放つ、因習に満ちた村の怪異――芦花公園『極楽に至る忌門』試し読み

 やっと見つけた時、あんから、思ってもみないくらい嬉しそうな声がのどから漏れた。
 すぐにある、とは言えないような距離だ。いや、山を歩くことに慣れている者からすれば、すぐ、なのかもしれないが、少なくとも都会育ちの隼人にとっては。
 とにかく二十分くらい歩いたとき、急に視界が開けた場所があって、そこに、十体以上、石でできた像があった。ほとけだ。ほとけたち、というべきかもしれない。大体、イメージしていたとおりのものだった。
 じっくり見ると、首が少し下向きに傾けてつけてあるのが分かる。たしかに、うなずいているように見えなくもない。だから、頷き仏なのか。
 もう遅いこともあってか、人の気配はしない。
 びゅう、と風が吹いた。隼人は身震いする。
 像は子供のように見える。元はきっと、ありがたいとか、優しいとか、そういう言葉が似合う姿をしていたのだろう。昔と変わらず、人の苦しみを和らげるものであることは間違いない。それでも、今はざらしで、ところどころ欠けているそれがいくつも並んでいる様子は、とても不気味に見えた。
 こんな不気味なところは、一刻も早く去るべきだ。
 供え物を置く場所すらここにはない。
 隼人は仕方なく、中央にあるほとけの前にカラスの足を置いた。
 何を言っていいかも分からないから、なんとなく手を合わせ、「よろしくお願いします」と祈った。
 人に見られているような気がする。しかし、これは、不気味な場所にいるからそう感じるのだ。そう無理やり思い込んで、足早にその場を離れた。
 何事もなく家に着く。
 その場でカラスの足を折ったことは忘れて、隼人はシャワーを浴び、湯船には浸からなかった。湯を張るのが面倒だったのだ。
 そのまま、髪も乾かさず、布団の上に倒れ込んだ。
 匠の願いをかなえたという達成感はなく、ただただ疲弊した。一刻も早く眠りたい、そう思った。


『俺、隼人の考え方、好きだな』
 匠はそんなふうに隼人を褒めた。隼人だけではない。誰に対しても、だ。だから、控えめな性格なのに、みんなから好かれていた。
 人の良いところを見つけるのが上手というより、本当になんでもない、取るに足らないことでも褒めた。別の友人のアパートで飲み食いした後皿を洗っただとか、道に落ちているゴミを拾ったとか、葉物の野菜を食べたとか、そういったさいなことで、匠は本当に嬉しそうに微笑んで、人を褒めた。
「隼人、すごいねえ」
 今も、彼は隼人を褒めている。
 目を細めて、自分のことのように嬉しそうだ。
 生きていた頃とは何の違いもない。
 それなのに、隼人は上手く笑えない。ありがとう、と言う気にならない。
 ふふふ、という、柔らかな笑い声も、なんだか、別のもののように感じられる。
 隼人は、怪談の類を恐ろしいと感じたことがない。
 例えば、女が恨めしそうな顔でこちらを見ていたというようなことがあったとしても、それは恨めしそうな顔でこちらを見てくる女というものが怖いだけであって、生きていることと死んでいることでそれが変わることはない。そう思っていた。
 しかし、生前とまったく変わらないはずの匠を見て気持ちが悪いと思う。
 この不快感こそが、生きている者と死んでいる者の違いなのではないかと気づいた。
「ねえ」
 匠の口元から突然笑みが消えた。じょうの人形のようで、それもまた恐ろしいと思う。
 匠は目を大きく見開いたまま、
「次は舌だね」
 と言った。舌だね、と言うのと同時に、舌を口から出して、ふるふると動かした。
 夢の中だからなんとかとどまることができたのかもしれない。ゆらゆらと動く舌は気持ちが悪すぎて、今すぐにもその場から逃げ出したいくらいだった。
 何も言うことができない。動くこともできない。それは、隼人と匠が同じ世界にいないからではないかと思う。
 ただ、匠が目の前にいるのは事実だ。くっきりと見える。考えていることも、すべて分かっているだろうと思う。
 だから、隼人が匠のことを気持ちが悪いと考えると、彼は悲しそうに顔をゆがめるのだ。
「ごめんね、やっぱり面倒だよね」
 匠は悲しそうにつぶやく。声が震えている。
「心残りなんだ。どうしても、やってほしいんだ。ごめんね」
 悲しそうな声に罪悪感を覚えることはなかった。ただただ早く解放されたいと思った。早くこの夢から覚めるために、舌に似たものが何か知りたい。
 しかし匠は、
「舌に似ているもの、俺には分からない」
 そんなことをきっぱりと言う。
「というかさ、さすがに偽物をささげつづけたら、失礼でしょ」
 匠の顔を見つめる。何もおかしいことを言っていない、というような顔だ。
「別に全部じゃなくていいんだよ。ちょっと。ちょっとだけならいいでしょ」
 何が面白いのか、匠はけらけらと笑っている。白い頰にくぼが浮かんでいる。もう見ていたくない、と思う。早くめろ、と願った。


 牛の舌──つまり、牛タンはすぐに手に入った。少し値が張ったが。
 偽物を捧げつづけたら失礼。その言葉は正しいかもしれない。
 しかし、ちょっとだけならいいとは思えない。いくら匠の願いを叶えるためとしても、隼人には自分の舌を捧げる覚悟はない。結局、代替品を用意しようと考えた。
「モミジやら、タンやら、東京の人は舌が肥えとるなあ」
 そう言って肉屋の店主は笑った。
「ま、食べる元気があるんはええことや。たっくさん食べて、元気出しなさい」
 これはおまけや、と言って、店主は隼人にコロッケとメンチカツを詰めたビニール袋を押しつけてきた。
 親切な店主にあいさつをしてから、足早に家に帰る。しかし、嫌な顔が見えた。
「おうおう、そんな顔せんでもえいがやないね」
 津守が、玄関の前に仁王立ちしている。
「やっぱり都会のモンやね。きちんとかぎがかかっちょった」
「入るつもりだったのか? 泥棒。今すぐ警察に突き出したいくらいだよ」
「なんもしてんやろ、今は。それより……」
 津守の視線が隼人の持っているものに向けられる。
「何をうたん?」
「さあ。あんたに関係ないでしょう」
 なるべく意地悪く聞こえるように言ったが、津守はまったく意に介していないようだった。
「関係なくはないがですね。何度も言うちょりますけど、こっちは頼まれてきちょるんやから」
「そこ、どいてください」
「まあ、待ってくださいよ」
 津守は立ったまま、腕をゆうしゃくしゃくといった様子で組み替える。
「こういう仕事も長いもんで、分かるんですわ。君、ただ意地でこの家に居座っとるわけやないね。他に何かしようとしちょることがあるが違う」
 なんとか、動揺を表に出すのをこらえた。これはきっと、間違いなく、匠の願い事のことを言っている。
 それでも何も答えず、隼人は手を津守の肩にかけた。
「入りたいんだ。早くどいてくれ」
「例えば、何かを捧げろ、言われたとか」
「うるさいんだよ」
 腕に力を込めると、細身の津守はあっけなくよろけ、体勢を崩した。
 隼人はその隙に鍵を開ける。
 中に入り、戸を閉めようとすると、引っかかりがある。津守が足を挟んで、戸を閉じさせまいとしているのだ。
「あんた、なんなんだよ、押し売りかよ!」
「違う。君が危ないけん、忠告してるんですわ」
 津守は息がかかるような位置に顔を寄せて来る。
「どこまで門をくぐった?」
 津守からは苦みのある植物のような香りがした。
「最初は簡単なことを言うがです。次に難しいこと、最後にできるとは思えんことを言うがです。でも、簡単でも、難しうても、できるとは思えんことでも、全部同じです。全部、やったらいかんのです」
 心臓が不快に脈打った。
 隼人は津守を思い切り突き飛ばし、ぴしゃりと扉を閉め、施錠した。
 津守はまだ外にいて、ガタガタと揺らす。
「最後まで行ったらおしまいじゃ。分かるか」
 隼人は大声で遮り、耳をふさぎ、部屋の中に駆け込んだ。
 門など、言っていることの意味を正確に把握できるわけではない。ただ、何を言わんとしているのかは分かるのだ。
 指、舌。
 多分、これらを捧げることに関係がある。
 簡単なこと。
 難しいこと。
 できるとは思えないこと。
 津守はすべて分かっている。もう、隼人は彼のことをインチキ霊能者だとは思わない。
「絶対にもう進んだらいかん」
 まだ、背後から津守の声が聞こえる。
 分かっている。
 しかし、匠の弱々しい姿と、悲しそうに、無理をして笑顔を作っていたことを思い出すと、どうしてもやりとげなければいけないという気持ちになるのだ。
 まだ温かいコロッケを一つ、まるみするように口に入れ、裏口から早足で飛び出した。


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