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試し読み

【第1章がまるごと読める!】ホラー界の異才が満を持して放つ、因習に満ちた村の怪異――芦花公園『極楽に至る忌門』試し読み

 目が覚めると、頰がひんやりとしている。指をわせると、何かかさついた感触があって、自分が泣いたのだ、ということが分かった。
 きちんと施錠したからだろうか、あの男が侵入してきた形跡もない。このあたりには施錠の習慣などないから、拒絶の意思は伝わっているだろう。目の前でぴしゃりと閉めたのだから。
「鳥の足」
 自分で言って、飛び起きる。
 そうだ。
 匠がそう言った。匠が夢枕に立った。
 指を確認する。左に五本、右に五本、きちんと付いている。
 確かに替えの利かない大事なものだ。指を捧げるなんて、ぞっとする。
「だから、指みたいな、もの」
 匠のくらい目を思い出す。深い洞穴のようだった。生きているときとは、違って。
 頭痛がする。意味の分からないことだらけで何が本当かそうでないか分からない。見た夢だって願望かもしれない。
 でも、もし自身の願望なら、それこそそのとおりにすればいいのかもしれない。
 隼人は布団から起き上がり、大きく伸びをした。体がぎしぎしきしむ。
 顔を洗い、洗面台の鏡を見ると、自分の目も昏くよどんでいる。夢の中の匠にそっくりだ。
 夢の中の願いをかなえることで、自分の心が解放されるかもしれない、と思う。少なくとも、このような表情でいなくてすむかもしれない。
 それに、ほとけのことが気になる。これは単純な好奇心だ。
 近づけた、というのがどういうことか。一般的に想像される石の像だとしたら、移動させるのには時間と力を要するはずだ。どんなものか見てみたい。どういう状態になっているのか。
 どんなものか分かれば、この土地の人間が隠している何かを理解するヒントになるかもしれない。
 隼人は申し訳ないと思いながら匠の部屋のたんあさり、洋服を何点か拝借する。どれも丈は合わないが、彼の服を身に着けることで、彼の望みを叶えているのだということが、より明確になるような気がするのだ。
 嬉しい誤算は、簞笥の中に小さなラックが設置してあり、その中に家のかぎが入っていたことだ。都会の人間だからか、家を開けっぱなしにすることには抵抗があった。今は、正当な家主が不在なのだから、なおさらだ。
 洋服を着替えた後、どこを向いていいか分からないから天井に向けて手を合わせる。
「行ってきます」
 もちろん誰もこたえない。
 そのまま玄関を開け、用心深く周囲を確認する。津守がやってきて、ごちゃごちゃとうるさく言ってくるかもしれない。早く東京に帰れ、ここはもうつぶすと、馬鹿の一つ覚えみたいに。そうしたら隼人も、馬鹿の一つ覚えみたいに、そんなの納得がいかないと返すしかない。不毛だ。
 三回も施錠したのを確認してから、隼人は勝手口から外に出た。


とりの足ィ?」
 肉屋の店主はそう聞き返してくる。
 彼もまた、知った顔だ。
「モミジ言うて、九州の方ではよう食べられとるみたいやけどな、お兄ちゃん、九州の人?」
「いえ、東京ですけど……食べたくて」
「ほうかあ。残念やけど、今すぐは用意できんな。養鶏場の方に聞いてみてもええけど……」
「あ、いいです、大丈夫です……」
 普通のはんちゅうから外れるとすぐ噂になる。東京から来たよそ者であるというだけですでに異物として見られているのに、わざわざ鶏の足など求めて養鶏場に連絡をしたとなれば、間違いなく噂になって「どうしてそこまでして鶏の足なんか食べたいのか」とせんさくされる。ゴミ箱を漁られたりもするかもしれない。田舎の人間を馬鹿にしたり、嫌がったりしているわけではない。ただ、他人のことを把握しておくことが、ここで生きていくための知恵なのだから、不審な行動があれば調べるだろう。
 肉屋の店主は目を細めて、
「ごめんなあ、気が利かんで。それと、匠くん、はよう見つかるとええね」
 隼人は頭を下げた。やはり、知られている。
 しかし、それは想定内だ。気遣いの言葉を投げられることは想定外だったが。とにかく、そんなことをいちいち気にしていても始まらない。
 買うという一番簡単な方法で鳥の足を手に入れられなかったいま、考えなければいけないのは、じゃあどうすればいいのか、だ。
 考えて隼人は、いったん家に戻ってから、山道に入った。
 確か、このあたりにかんきつるいを作っている場所があった。気分転換に散策をしたとき、見た記憶がある。一応農園といってもいいのかもしれないが、こぢんまりとしていて、さらにあまり人の手が入っていないのか、枝も実もまったく保護されていなかった。
 隼人が見た時、すでに実は熟しており、売り物になるかならないかというほどだった。
 記憶を頼りに歩いていくと、やはりその場所はあって、実がいくつもっている。地面から甘い匂いがするのは、実のうちの何個かが、熟しすぎて落ちているからだ。
 このような状態になっても収穫されていないのだから、やはりこの農園はほぼ捨てられているのだ。フェンスにはところどころ穴が開いてびだらけで、監視カメラのたぐいも見当たらない。
「あった」
 思わず声をあげてしまい、誰が聞いているわけでもないのに慌てて口をふさいだ。
 こんなことでうれしさを感じてしまったことも少し恥ずかしい。
 隼人が発見したのは、鳥害対策用の電気プレートだ。鳥が留まろうとすると、電気が流れ、鳥は飛び立っていくらしい。
 放置されている農園だからそういった設備もないと思っていたが、フェンスの近くに数枚設置してある。
 狩猟の技術など持たない隼人は、ふと、ずっと昔に見たワイドショーを思い出したのだ。その番組では、カラスけにプレートが使われていた。カラスは痛みを感じると一瞬で飛んで行ってしまうらしいから、その一瞬を見極めるしかない。
 隼人は木に近寄って、そこに腰を下ろした。
 それでしばらく待つ。
 想定どおり、何羽も鳥が飛んでくる。鳩だったり、カラスだったり。しかし、その先は想定どおりにはいかなかった。本当に一瞬で飛び去ってしまうのだ。
 気配を悟られないように少し遠くから観察しているから、鳥が来た、と気づいて走っていっても、電気プレートの場所に到着する頃にはもう鳥はいない。
 何度もそういった、近づいては逃げられるという無意味な時間を過ごすうちに、隼人は汗だくになっていた。
 もう日も落ちかけている。一言で表すなら、徒労だ。
 これ以上待っていても何の成果も得られないだろう。
 そう思って立ち上がりかけた時、背後からどさりと音がした。
 隼人は目をつむり、顔を手で覆った。真っ先に考えたのは、ここの持ち主に見つかって、投石などされた、ということだった。
 しかし、しばらくその姿勢のまま待っていても、怒鳴られることも、追加で石を投げられることもない。
 隼人は薄目を開け、恐る恐る振り向いた。
 カラスだ。
 カラスが羽を広げて死んでいる。大きい、と思った。でもそう思ったのは、いつも遠くを飛んでいるところしか見たことがないからかもしれない。カラスは、ちょうど足を上に突き出している。
 全身が真っ黒なのかと思っていたが、足だけは少し黄みがかった灰色だった。
 人間の指に、見えなくもない。
 隼人は、急に背後にカラスの死体が落ちて来た、という不自然さのことは敢えて考えないようにした。そんなことを考える余裕はなかった。
 ゴミ袋にカラスの死体を入れる。まだ温かいような気もしたが、気のせいかもしれない。確かなのは、ずしりと重かったことだ。
 袋を引きって行くときに、誰にも見られないように、と強く祈った。
 なんとか家に入って、一息つくこともなく、に行く。
 なるべく、死体そのものを見ないようにして、足を折る。折るときに、不快な手ごたえがあって、それだけで吐き戻しそうになった。
 折ったものを改めて観察する。
 人間の指に、似ていないこともない。ものをつかむような形にすれば、かなり似ているかもしれない。
 なんにせよ、隼人はもう限界だった。
 茶を一杯だけ飲んでから、すぐに家を出る。
 家の裏を歩けば、すぐにあるからね。
 夢の中で匠はそう言っていた。
 先程鳥を獲りに行ったときには、そのようなものは見当たらなかった。しかし、あのときは鳥のことしか頭になかったから見つけられなかったのかもしれない。
 隼人はゆっくりと、周囲を見回しながら歩く。
「あった」


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