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試し読み

【第1章がまるごと読める!】ホラー界の異才が満を持して放つ、因習に満ちた村の怪異――芦花公園『極楽に至る忌門』試し読み

「隼人」
 匠の声だった。
 弱々しくて、控えめで、しかし確かに聞こえる。
 目の前に、白い光があった。
「隼人」
 それで、夢を見ているのだと分かった。
 まるで何もない空間に、光が射していて、そこにぼんやりとした匠の顔がある。
 匠、と声に出そうとする。今までどこにいたのか、祖母の葬式があったのに──そう言おうとしても、出ない。喉が詰まったようになっていて、一言も。
 しかし声に出さなくとも、理解しているようだった。
 匠は優しく微笑んで言う。
「おばあちゃん、死んじゃった」
 涙が出た。どうして微笑んでいられるのか。泣いたっていいのに、そんなふうに考えて、涙が出る。
「ごめんね、隼人、面倒なことに付き合わせたね」
 なんで匠が謝るのか。一番つらいのは匠だ。謝る必要などどこにもない。それなのに、無理をして笑顔を作って、余計に痛々しい。そんな真似はしないでほしい。
 何より、今、夢に匠が出て来たということが何を表しているのか。故人が夢枕に立つという話は古今東西よく聞く。つまり──そんなことは考えたくもない。
 匠はごめんね、と何度か繰り返した後、
「どうしても、心残りがある」
 そんなことを急に言う。
 心残り。その言葉で、見たくなかった現実が確定してしまったと思う。
 夢に現れて心残りを伝えるのは、死人だけだ。
 いや、これは自分の願望から来る幻覚なのだ、と思い込もうとする。
 まだそうと決まったわけではない。幻覚だ。
「面倒ついでに聞いてくれる?」
 匠は笑顔のままそう言う。
「心残りがあるんだ」
 そんなに強調しないでくれと思う。死んだなんて思いたくないのだ。
 それでも匠は、隼人の目をまっすぐに見つめている。
「隼人にしか頼れないから」
 隼人はうなずいた。
 真剣な目をしている人間を、突き放す気になれなかった。
 ありがとう、と短く言って、匠は申し訳なさそうな顔をする。
「俺ね、ほとけさまに、恩返しをしてないんだよ」
 頷き仏のことだ、と思う。
「辛い時も、いつも助けてもらった」
 匠の苦労を想像する。色々な苦労だ。
 このような、何もない土地から努力して勉強し、東京に出て来た苦労。しかし、それはごく表層的な表現で、勉強以外ももっと沢山の苦労があったことだろう。
 そう言えば、飲み会にもほとんど来たことがない。昼も、学食を利用せず、こそこそと隠れるようにして、銀紙に包んだおにぎりを食べていた。
 匠は弱々しい外見をしていたが、不平を漏らしたり、誰かにしっのような感情をぶつけたりしているところは見たことがない。強い人間なのだ。
 自分が彼の立場だったら、と想像することすらがましい。
 隼人は仏教のみならず、特定の信仰を持っていない。というより、目に見えないものは信じないようにしている。はつもうでにも行かないし、葬式で手を合わせる程度だ。
 しかし、匠が「助けてもらった」というのなら、そうなのだろう。ご利益というよりももっと、純粋な心の支えだ。心の支えとしての信仰は、自分が信じられなくても尊重したい。
「今度は俺が、ほとけさまを救いたいんだ」
 ほとけさまは救う存在で、救われる存在ではない。違和感がある。しかし、匠の言いたいことはなんとなく理解してしまった。あの男のことだ。
「あの男、ここをつぶす、って言ってただろ。ひどすぎる。どうしてそんな権利があるのか。ずっと、俺も、家族も、見守ってもらってたんだよ。それを、無くしたくない」
 匠はそこまで一気に言ってから、また隼人の目をじっと見た。
 くらい目だった。
 なぜかその時、合点がいった。
 幻覚ではない、と思った。
 これは匠だ。本物の匠で、正確に言えば、匠の幽霊。
 幽霊、と思うと途端に悪寒が走る。
 匠の肌はうす青い。生きていた頃の「色白」というはんちゅうを逸脱している。それで、輪郭がぼやけている。
 死人だ。
「隼人に怖がられたら、俺……しんどい」
 声が悲しく震えている。
 隼人は申し訳ないと思った。しかし、知らなかったのだ。たとえ親しい友人であっても、幽霊は恐ろしいことを。
「ごめん、無理言って。当たり前だよね、怖いよね」
 匠はまた、申し訳なさそうに頭を下げる。
 やめてくれ、と思う。むしろ謝りたいのはこっちの方だ。
「でも、どうしても、お願い、聞いてほしい」
 頷いた。頷けているかは分からないが、とにかく、そういう意思があった。
 それが伝わったのか、匠は微笑んだ。頰に薄らと涙が伝っている。
「嬉しい、嬉しい。ありがとう。これで、ほとけさまに恩返し、できる」
 匠の目は相変わらず昏く、洞穴のようだった。それでも、彼が喜んでいることが隼人は嬉しかった。
 しかし、ほとけをあの津守というさんくさい男から守るとして、どうしたらいいのか、と思う。まさか、物理的な方法を取るわけにもいかないだろう。
 そう思っていたところ、匠が、おもむろに口を開いた。
「隼人、大事なものを知ってる?」
 大事なもの、という言葉を聞いて真っ先に思い出すのは、家族のことだ。しかし、匠は首を横に振る。
「人じゃなくて。自分の中で、大事なもの。少し考えてみて」
 言われている意味が分からなかった。
 ふ、と何かが頰をでるような感触がある。
 思わずのけぞった。よくないもののような気がした。
「怖がらないで」
 匠の声が震えている。先程と同じように、傷ついたような、すまなそうな顔をしている。
 強烈な違和感がある。しかし、その正体は分からない。
 匠はとうとう涙をこぼした。だが、それは心から悲しいと思って泣いているというより、機械的な反応として涙が出力されている、そんなふうに感じた。
「隼人」
 匠が、顔に当てていた手をパッと離した。
 その顔を恐ろしいと思う。でも、間違いなく、匠の顔だ。なぜ恐ろしいと思ってしまうのか分からない。
 隼人は、恐怖をごまかすように、大事なものはなんだろう、と心の中で唱える。
「まず指だ」
 手元を見る。隼人の手には、左右合わせて十本の指が付いている。
「指は大事なものだ。指をほとけさまに差し上げる」
 思わずこぶしを握り込んだ。
 差し上げるとは、つまり、指を切って──
 匠がふ、と笑った。
「大丈夫。本当は本物の指を使うところだけれど、すぐに用意はできないもんね。俺、隼人に無理させたくないし」
 隼人は少しだけ安心する。しかし、同時に、やはり、指というのはこの指のことなのだ、と分かる。
「だから、本物じゃなくて、指みたいなものでいいんだ。それくらいは、できると思うから」
 匠の口調は穏やかなままだった。しかし、断定的で、圧迫感のある言い方だ。
「木でも、粘土でも、肉でもいい。今のところはね。ああ、いつも思ってるけど、鳥の足なんかは、人間の指によく似てるよね」
 匠はにこにこと笑っている。
 隼人は思わず目をらした。本当に聞かなければいけないことは、指がどうこうではない。なぜ、大事なもの、つまり指をささげることが、ほとけを救うことになるのか、ということだ。思っていることは匠に筒抜けのはずだ。隼人が何も言葉を発さなくても、今さっきまで匠は答えていたのだから。
 そのはずなのに、なぜか、今回に限って、匠は答えず不気味で意味の分からない話を先に進めてしまう。
「大丈夫だよ。たかが、本物じゃない指だ。絶対に何も起こらない。悪いことは隼人には起こらない。でもね、本当のお願いなんだよ。俺にはできなくて、隼人にはできることだから。本当の本当に、お願いなんだ」
 隼人は頷いた。最早先程の、友人への同情と思いやりからではない。ただ、目を覚ましたかった。早くこの夢から逃げたかった。
「ありがとう。家の裏を歩けば、すぐにあるからね。お願いだよ」
 お願い、と何度も何度も、聞こえる。耳にこびりつくようだった。


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