怪しげな骨董品店の店員、凄腕の風水師、ハリウッドホラー界の巨匠に脱走希望のやさぐれパンダまで
訳ありの25人(と3匹)の運命が上海の一流ホテルで交錯する――。
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◆ ◆ ◆
上海の目抜き通りから数本入った裏通りの一角に、赤いケースを備え付けた改造バイクが数台並んでいる。
小さい店構えではあるが、まだ新しい店の看板には「寿司喰寧」のポップな四文字が躍っていた。
揃いの赤いキャップ帽をかぶった青年たちの動きもきびきびして活気がある。
店の奥では、ひっきりなしに電話が鳴っていた。
注文を受け付ける女の子の、勢いのある中国語が賑やかに飛び交っている。
巨大な冷凍庫から、真空パックになったにぎりのセットが次々と運び出され、専用のレンジで解凍され、特注の紙パックに入れられ、クーラーボックスになったバイクのケースにどんどん積まれ、元気に街角に滑りだしていく。
店の隅でレジの前に座り、会計をさばいているのは、やはり赤いキャップ帽をかぶった市橋健児(29)である。
日本の千葉方面で経営していたピザの出前チェーン店を畳み、上海に出てきたのは約二年前である。少子化が進み、健康志向の進む日本の住宅街でピザ専門店の出前をやっていくのに限界を感じたのだ。
上海にやってきたのは、人口が多いのと、人々には自宅で料理する習慣があまりなく、ほとんどが外食中心だと聞いたからである。しかも、都市部では食品の安全性に対する関心が高く、安心できるものであればかなり割高でもおカネを払うし、高級品志向でなおかつ健康にも関心があるとくれば、日本から直輸入した寿司のデリバリーは商売になると踏んだのだった。
健児は、ここで商売をする前に、日本で最新の冷凍技術について学んだ。
今、日本の冷凍技術は長足の進歩を遂げており、生のにぎり寿司でも造りたての風味を逃さず、冷凍保存することが可能だ。だからこそ、解凍の技術が大事で、そのための初期投資は掛かるが、日本で冷凍したものを直に持ってきて正しい方法で解凍するのだから、味の良さと安全性をアピールできれば、じゅうぶんセールスポイントになる。解凍の技術とその専用機械は、日本の会社とライセンス契約をするため、中国にもその機械を扱う会社を作り、改めて中国で商品登録した。
プレオープンで少しずつ営業をしてみたところ、健児は手ごたえを感じた。仕入れの経路が明快なので安心だしおいしい、とじわじわ評判になり、企業からも一般家庭からも注文が増えつつある。
何より、健児が燃えたのは、上海の、ある意味獰猛とも言える、活気みなぎる交通事情であった。
飛ばす。争う。罵る。
それは、忘れていた血湧き肉躍る感覚であった。
健児も、週に一度は自分で配達に出る。上海に着いたばかりの頃、彼は夜な夜な街を走り、外灘を無軌道に飛ばす若者たちの中から、自ら従業員をスカウトしてきた。彼の走りっぷりは、上海の気の荒いすれた若者たちにも感銘を与えたらしく、従業員たちのあいだに、徐々に一体感が出来上がりつつある。
もちろん、ここ上海でも配達時間は厳守である。彼は、上海一配達の早い寿司屋を目指す。
しかし、彼の活躍ぶりが、ここ上海の影に蠢く特殊な世界に、あらぬ刺激を与えていることまでは、まだ気付いていないようであった。
〈第5回へつづく〉
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