京極夏彦さんの最新刊『猿』の発売にあわせ、朝宮運河さんによるレビューをお届けします。
京極夏彦『猿』レビュー
評者:朝宮運河
京極夏彦が雑誌『怪と幽』に連載していた長編小説が書籍化された。タイトルは『猿』。この一文字から、内容を推測するのは至難の業だろう。お化けの総合誌に連載されていたという事実から、そちら方面の作品であることは予想できるが、ジャンルもあらすじも一切不明。長めのタイトルが流行している現代にあって、なんとも思い切った姿勢ではある。
では『猿』とはどんな小説なのだろうか。あえて乱暴に、私なりにまとめさせてもらうなら、本書は「もし京極夏彦がホラーを書いたら」というコンセプトの小説である。念のために断っておくと、京極自身はホラーを書いたとは言っていないし、出版社もホラーとして売り出してはいない。京極は以前からインタビューなどで常々、怖い話を書くのは難しいと語っており、怪談やホラーとは微妙な距離を保ち続けている。
しかし私は『猿』を限りなくホラーに近い小説として読んだ。ホラー小説的なモチーフを多用しつつ「恐怖とは何か」というテーマに向き合った本書は、「恐怖と怪異の文学」であるホラーの輪郭を浮き彫りにするような、極めて野心的な試みなのである。
主人公の松永祐美はこれまで交流の一切なかった曾祖母が死去したという連絡を受け、遺産相続の手続きのために東京から岡山へと向かう。外田のうという名の曾祖母は家族と離れ、山奥の村でひとり暮らしをしていたらしい。なぜわざわざ不便な限界集落に、家族とも連絡を絶って暮らしていたのか。祐美の頭に疑問符が浮かぶ。
のうの曾孫で、祐美と同じく相続権を持つまたいとこの戸田芽衣と久しぶりに再会した祐美は、村の土地や財産を管理している法律事務所の弁護士・山川と職員の尾崎とも合流し、尾崎の運転する車で問題の村へと向かった。
のうが住んでいた祢山村は、知れば知るほど怪しい場所だ。一番近い集落からも車で1、2時間ほど離れた限界集落で、数十人の高齢者がひっそりと自給自足の生活を送っている。しかも不思議なことに、村人の年齢構成は昔からほとんど変わっていないらしい。その村には子供や若者がおらず、墓もないのだ。
清水崇監督の映画『犬鳴村』やアリ・アスター監督の『ミッドサマー』をはじめとして、閉鎖的な村を舞台にしたホラーは近年数多く作られたり、書かれたりしている。本書がそうした一連の村ホラーを意識していることは、「あるじゃない、今。因習村とかってホラーのジャンル。ジャンルなのかな? でもあるでしょ、田舎の怖い村的な」という芽衣が祐美に投げかける台詞からも明らかだろう。
老人たちが各地から集まり、共同生活を送る地図にない山村。そこは現代における因習村なのか。作者は令和の時代ではうまく成立させることが難しい、人里離れた謎の集落という舞台を、説得力十分に描き出してみせた。因習村ホラーが好きな人なら、おぞましい儀式や風習、オカルト的な事件を期待してしまう設定である。
しかし本書はそうした展開を、なぞりそうでなぞらない。ホラーでおなじみのモチーフを冷静に取り扱うことによって、読者の意識を空想から現実へと何度も引き戻すのだ。たとえば上の台詞に続いて、「村人だろうが何だろうが、現代を生きてることに変わりはないんですよ」と述べる。山奥の村が過去に囚われていると考えるのは偏見で、非合理的な因習などありはしない。「そうしてみると因習村なんて言葉自体、何だか的外れな気がしますよね」という言葉にはっとさせられる。
このように本書は、読者が恐怖と結びつけがちな事物を次々に取り上げ、その虚飾を剥ぎ取っていく。因習村、心霊スポット、事故物件。ホラー好きで弁が立つ尾崎が会話をリードする形で、私たちが素朴に「怖い」と感じているものについて議論が交わされ、その言葉の定義の曖昧さや、根拠の希薄さが指摘されていくのだ。このあたりの恐怖談義は刺激的で、いかにも京極作品を読んでいるという感じがする。
では本書が怖くないのか、といえばそんなことは決してない。尾崎がいくら明快に因習村や心霊スポットの存在を否定しても、怖いという気持ちが消えることはない。「幽霊が怖いのではなくて、怖いから幽霊を見る」という作中で示されている恐怖論こそ、本書の核心をなすものだろう。人はこれといった理由がなくとも、ただ怖くなるものなのだ。本書には実際、さまざまなものを恐れる人々の姿が描かれ、それが読者の恐怖心を刺激する。
タイトルの『猿』は、祐美の夫・隆顕が異様に恐れている存在である。心身の不調から仕事を休んで、引きこもっている隆顕は、マンションの周囲に猿がいると言って怯えているのだ。その恐怖が祐美にも伝染したのか、彼女の旅にも猿は暗い影を落とす。読み進むうちに本書が紛れもなく猿についての物語であること、タイトルが『猿』以外に考えられないことが了解されるだろう。
本書を読んでいて連想したのは「 」談シリーズや、怪談えほん『いるの いないの』などの京極作品であった。つまり恐怖について語ることで読者に恐怖を感じさせる、一連のメタホラーである。『猿』もこうした系譜に位置づけられる作品であり(読み味的に「 」談シリーズにかなり近い)、そしてその試みは見事成功している。作者がここまで深く、多角的に、恐怖について語ったことがあるだろうか。令和のホラーブームが叫ばれ、恐怖を扱った多くのコンテンツが供給されている現在、本書が刊行されたことの意味は大きい。
祢山村への奇妙な旅を通して、私たちは普段あまり直視することのない「怖い」という強い感情について、あらためて向き合うことになる。恐怖とは何か。人は何を恐れるのか。あくまでロジカルに精緻に、恐怖の根源へと肉薄していく展開は、他のホラー小説では味わえないものだ。そして訪れる、京極作品史上もっとも奇妙で謎めいたクライマックス。剥き出しの恐怖に触れるようなこの展開によって、本書は間違いなく「怖い」作品となった。京極ファンはもちろん、怖いものに興味があるすべての人に読んでもらいたい長編だ。
作品紹介
書 名:猿
著 者:京極夏彦
発売日:2025年12月22日
いけませんよ。外に出ては――怖いですから
「猿がいる」と言い出した同居人。
かすかに感じる、妙な気配。
曾祖母の遺産相続。
胸に湧き上がる不安。
岡山県山中の限界集落。
よく判らない違和感――。
ただの錯覚だ。そんなことは起こるはずがない。だが――。
怖さ、恐ろしさの本質を抉りだす、瞠目の長編小説。
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作品情報まとめ
https://kadobun.jp/feature/readings/entry-131554.html














