怪しげな骨董品店の店員、凄腕の風水師、ハリウッドホラー界の巨匠に脱走希望のやさぐれパンダまで
訳ありの25人(と3匹)の運命が上海の一流ホテルで交錯する――。
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◆ ◆ ◆
上海浦東国際空港の到着ロビー。
中国屈指の都市人口を誇る、一八〇〇万人都市への、海外からの窓口である。
だだっぴろい空港の中で、行き交う人々がそれぞれの悲喜こもごもを演じている。
名前を書いたボードを手に、せわしなく動き回る人々のあいだで、革のコートを着て、茶色のサングラスを掛けた、ロングヘアの女がじっと巨大な電光掲示板を見上げている。
次々と表示が入れ替わっていく中、彼女は成田からの全日空便が「到着済」になったところに目を留めた。思わず、にっこりと笑みを浮かべる。
周りで待っている人々のあいだにも、じりじりと期待が込み上げるのを感じた。
やがて、どっと到着客がロビーに溢れ出してきた。
そこここで歓声が上がり、喜びと緊張の表情が交錯する。
彼女はじっと人々の流れに目を凝らした。
やがて、見覚えのある影がふたつ、通路の奥からやってくる。
見間違えようのない、懐かしい姿だ。何年も同じ職場、同じチームで働いてきた二人なのだから。
人の印象というのは、歩き方とか、たたずまいで残っているものだな、と彼女は思った。
今にも走り出しそうに、きびきびとしたスピード感ある歩き方でやってくる小柄な女性は熱血柔道少女で大の甘党、田上優子(27)。ショートカットでパーマという髪型は変わらない。いや、もう少女という歳でもないか。少しは大人っぽくなったかな。
隣をゆったりと歩いてくるのは、みんなが頼りにしていた永遠の先輩、北条和美(33)だ。
いつも冷静で度胸があって、ほんとに世話になったっけ。三十を超えたが、まだ結婚していないようだ。
その二人が何か話し合いながら、こちらに向かってやってくる。あの様子、ちっとも変わらない。きっとこんな感じだろう。
「えー、パイナップルケーキ、嫌いですか、北条さん」
「嫌いじゃないけど、あたし、果物は果物で食べたいんだよね」
「そうですかあ、果物が入ったお菓子って、お菓子だし果物だし、違う種類の甘さをいっぺんに味わえて最高じゃないですか」
「あんた、ルックチョコレート、好きだったでしょ、四種類入ってたやつ」
「大好きでしたあ。部活の帰り、毎日一箱ずつ食べてましたもん。今日も持ってますよ。食べます?」
「遠慮しとくわ。あのね、教えたげる。三十過ぎるとね、チョコレート食べすぎると嫌なニキビができるんだよ」
想像して、内心くすくす笑っていると、田上優子がパッとこちらを向き、一目で彼女のことを見つけたらしく、顔を輝かせ、大きく手を振った。
隣の北条和美も、優子の視線の先に気付き、笑って手を上げる。
「うわー、加藤さん、お久しぶりでーすっ」
優子がすごいスピードで駆けてきた。そのまま一本背負いでもしかねない勢いが懐かしくもおかしい。
「あっ、そうか、もう加藤さんじゃないんですね」
優子が遅れて着いた和美を振り返る。
「えり子、久し振り。呼んでくれてありがと。元気そうね。なんか、すっかりマダームな雰囲気じゃん」
和美がにたっと笑った。
「こちらこそ、よく来てくださいました」
旧姓、加藤えり子(28)はサングラスを外すと畳み、にっこりと元同僚の二人を見た。
「どうですか、会社の皆さん、お元気ですか」
「相変わらず、毎月すったもんだしてるわ」
「貴重なリフレッシュ休暇に、お越しいただき恐縮です」
「ちょうどよかったわ」
「あたしはカバン持ちですっ」
田上優子がなぜか背筋を伸ばす。
「中心部から少し外れるけど、なかなかいいホテルとっておきましたよ。四つ星クラスですけど、最近、料理がおいしいと評判のホテルなんです」
えり子は和美のスーツケースを手に取ると、並んで歩きだした。
「すっかりお任せしちゃって、ありがとね」
「なんてホテルなんですか」
「青龍飯店っていうんです。結構人気でね、中心部の五つ星より予約が取りにくいって噂ですよ」
「いいなあ、中華大好き」
異国での再会を喜び、旅に期待を膨らませる女たち。三人は空港を出ると、屈託のない様子で早春の上海の街へと向かっていく。
この場面が、新たなドミノの一ピースであり、既に幾つもの列が倒され始めているのだとは、まだ知らずに。
(この続きは本書でお楽しみください)
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