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試し読み

「父親のパチンコ通いをやめさせたいの」川上さんにそう言われた水谷くんが提案した方法は――『僕の神さま』 発売記念特別試し読み! 第二話「夏の『自由』研究」③

今、最も注目される作家・芦沢央さんの新作『僕の神さま』は驚きと切なさが共存する、新境地ミステリー!
何でも謎を解決してしまう「神さま」のような小学生探偵・水谷くんと僕は、図工の時間に起きた事件をきっかけに、クラスメイトの川上さんから相談を受けますが、二人がとったある行動が、思いがけぬ結果を引き起こしてしまうことに……。
一話目とはまったく違う展開、そして予想もつかないラストには驚くこと間違いなし。
一話目をすでに読まれた方も、一話目をこれから読まれる方も、是非この二話目で、その驚きを体験してみてください。

 ◆ ◆ ◆

>>夏の『自由』研究・第1回から読む
>>前回はこちら

 川上さんは、水をかけられる前と同じ格好をしていた。
 薄い水色のスカートに、アイスの絵が描いてあるTシャツと黒いカーディガン。先生が洗ってすぐに干してくれたのか、すっかり乾いて何事もなかったみたいになっている。
 ──今の話を聞かれていたら。
 せっかくの谷野さんの思いやりが台なしだ。
 よりによって男子である僕たちが、こんな話をしていたなんて。
 ──僕が、本当の理由にこだわり続けたばっかりに。
「水谷くんって本当に何でもわかっちゃうのね」
 川上さんは、小さな声で言った。
「何でもわかるってことはないけど」
 水谷くんも少しだけくぐもった声で答える。
 だが、おそるおそる顔を上げると、川上さんはいつもと同じ静かな顔をしていた。そのことにまずホッとして、それから、何でもわかっちゃうということは、やっぱり水谷くんが言ったことが本当だったんだろうか、と考える。
「ねえ、水谷くん」
 川上さんは、水谷くんの方だけを見て口を開いた。
「ちょっと相談に乗ってもらえないかな」
「相談?」
 水谷くんが、首を小さく傾げる。
 僕は川上さんをじっと見た。
 水谷くんに相談を持ちかける人は少なくない。ねえ、神さま、どうしよう。みんな、そんなふうに簡単に水谷くんを頼る。
 朝ランドセルに入れたはずの宿題がないんだよ。お姉ちゃんとケンカしちゃって。ピアノをやめるかどうか迷ってるの。お母さんはダメだって言うし、私もちょっともったいないかなとも思っているんだけど、どうしたらいいと思う?
 もはや、ただの愚痴と変わらないようなものも多いけれど、それでも水谷くんはいつも真剣に相談に乗ってあげる。実際のところ、みんな解決策を知りたいというより、水谷くんに話を聞いてもらいたいだけなんじゃないかと思うこともある。
 だけど、だからこそ川上さんが水谷くんに相談を持ちかけるというのは意外だった。相談どころか、そもそも川上さんが自分から誰かに話しかけるところなんてほとんど見たことがない。
 川上さんは、顎を引くようにしてうなずいた。
「父親のパチンコ通いをやめさせたいの」
「パチンコ?」
 僕は思わず復唱する。
 それは、何というかすごく予想外な単語だった。
 もちろん街の中にはいくつもパチンコ屋があるし、その前を通ったことだって何度もある。けれど、その場所を意識したことはなく、言葉にしたこともなかった。大人の中の誰かが行く場所というだけの、別世界の言葉だったのだ。
 でも、川上さんは、「そう、パチンコ」と当たり前のことを口にするように繰り返す。
「パチンコさえやめられれば仕事も見つかるはずだから」
「今は働いてないの?」
「ちょっと……目が悪いから」
 水谷くんの質問に、まつげを伏せて答えた。水谷くんは少し考えるようにしてから、「それは昔から?」と問いを重ねる。
 川上さんは首を振った。
「二年くらい前に目の病気になっちゃって」
「パチンコはできるっていうことは、全盲ではないのかな」
「どういう呼び方をするのかはよくわかんないけど」
 川上さんはわずかに眉根を寄せた。
「目が悪いって言っても、全然見えないわけじゃないの。ただ、何ていうか、視野がすごく狭くなっちゃったみたいで」
 なるほど、と水谷くんが相槌を打つ。
「それで仕事を辞めちゃったっていうこと?」
「そう」
「お母さんは?」
「私が小さい頃に病気で死んじゃった」
 僕は言葉を挟めなかった。川上さんが水谷くんの方を見ているというのもあるけれど、それ以前に自分が何を言っていいのかわからなかったのだ。
 お父さんが病気で仕事を辞めてしまったというのも、お母さんが死んでしまったというのも、どれも僕には想像もできないくらい恐ろしい、僕の日常からはあまりに遠い話だった。
 それらを感情を見せずに話す川上さんが本当のところどんな気持ちでいるのかわからない自分が、使っていい言葉が見当たらない。
「父親もやめようとはしているんだよ」
 川上さんはギザギザの爪の先をいじりながら言った。
「もう二度とやらないって何度も宣言してるし、次の朝に行かないで済むようにって、夜にたくさんお酒を飲んだりもしてるし」
 そこで一度言葉を止め、僕たちを見た。僕は少しどきりとする。川上さんと目が合うのは初めてだ。
「えっと、パチンコって、お店が開く時間より前に行って並んで、いい台を取らなきゃいけないの。寝坊したらその時点で終わりだから、そうすればあきらめがついて行かなくて済むっていう話で」
 川上さんは解説してくれたけれど、僕は余計に意味がわからなくなった。やめようと自分で思っているのなら、行かなければいいだけではないのか。
「それで何とか行かなくて済む日もあるんだけど、やっぱりまた行っちゃうんだよね。お店が開く時間の前になるとそわそわしてきて、とりあえず今日は外から様子を見るだけ、とか言ってお店に行くと、千円だけって言って中に入っちゃう。入っちゃったら、後はもういつも一緒。──せっかく来たんだしせめて一回当たるまで、せっかく当たったのにここで止めるなんてもったいない、これじゃ負け越しになってしまうからせめてプラマイゼロにするまでは」
 川上さんは、まるで何かを読み上げるように淀みなく言った。
「たまに景品のお菓子とかジュースとかカップラーメンとかを持って帰ってきてくれることもあるけど、たぶんほとんど負けてるんだと思う」
 そこで再び、僕たちを見比べるように見る。
「最初に行っていたお店は出禁になったらしくて、その近くにある別のお店に通うようになったんだけど、そこに行くようになってから負けることが増えたみたい」
「デキン?」
 僕が訊き返すと、「出入り禁止」と短く答えた。
「とにかく、お店に入ったら終わりなんだよ」
 川上さんが口をつぐむ。
 唇を引き結んだその姿に、そう言えばこんなに川上さんがしゃべるのを見るのも初めてだ、と気づいた。
 いつも必要なことしか──時に、必要なこともしゃべらない川上さん。
 その川上さんが、こんな相談をしてくれている。
 力になりたい、と思った。
 川上さんが相談しているのは、みんなの神さまである水谷くんなのだろう。でも、僕も何とかして力になりたい。
 僕は拳を握った。頭の中で、今の川上さんの話を反芻する。
 仕事もせずにパチンコ屋に入り浸っているという川上さんのお父さん。自分でもやめようと思っているのに、あきらめがつくような状況にならないとどうしても行ってしまう。最初に行っていたお店を出禁になって、新しいお店に通うようになってから負けることが増えた。とにかく、お店に入ったら終わり──
 僕は、ハッと顔を上げる。
「また出禁になったらどうかな」
 川上さんが微かに見開いた目で僕を見た。
 僕は耳たぶが熱くなるのを感じながら、そうだ、と思う。
 お店に入ったらダメなんだったら、お店に入らなければいい。自分で入るのをやめられないのなら、お店の側から川上さんのお父さんを入れないようにしてもらえばいいのだ。
「お父さんが自分からやめられないのなら、やろうと思ってもやれないような状況になっちゃえばいいんじゃないかと思って」
「それ、いいかも」
 川上さんが声のトーンを上げた。
 僕は、自分が正解を口にしたのだとわかって嬉しくなる。
「前のお店を出禁になったときは何をしたの?」
「それが……その話をするとすごく怒るから、なかなか詳しく聞けなくて」
 川上さんは、視線を手元に落とした。
 僕は、水谷くんがよくやっているみたいに鼻に拳を当てる。パチンコ屋を出禁になる方法──見当もつかない。
「水谷くん」
 顔を上げて呼びかけると、水谷くんはしばらく考え込むような間をおいてから、まあ、基本的には店が嫌がるようなことをすればいいんじゃないかと思うけど、とつぶやいた。
 そして、なぜか無言で川上さんを見据える。
 川上さんも水谷くんを正面から見返した。二人が見つめ合う形になる。
 先に視線を外したのは水谷くんの方だった。
「こういうのは実例を調べた方が早いかな」
 ガードレールから降りて元来た道を戻り始める。
 水谷くんが先頭に、それから川上さんと僕が並んで続く形になった。
 その見慣れない光景に、何だか少し不思議な気持ちになる。
 水谷くんと川上さんと僕。普段なら集まったりすることなんかない三人組だ。視界の端に川上さんが映っているものの、かける言葉が見つからない。何となくそれが気詰まりで、水谷くんに「どこに行くの?」と尋ねると、「家」という答えが返ってきた。
「家? 水谷くんの?」
「うちのパソコンが一番使い慣れているからね」
 水谷くんは歩調を緩めずに答える。
 僕はほんの少しわくわくした。
 水谷くんの家には何度か行ったことがあるけれど、中まで上がったことはない。川上さんと一緒に行くのも初めてだ。
 五分ほど歩いて、水谷くんがクリーム色の三階建てのアパートの前で足を止めた。ランドセルからパスケースを取り出し、カードキーでオートロックを解除して中に進んでいく。
 そのままエレベーターで三階まで上がった。
「お母さんは?」
「仕事。この時間は誰もいないから気にしなくていいよ」
 鍵を開けて中に入る水谷くんの後に続き、玄関で「お邪魔します」と言ってから靴を脱ぐ。
 家の中の空気はむわっとしていて、誰もいないという水谷くんの言葉が実感された。うちはいつも家にお母さんがいるから、帰ってきてすぐもエアコンが効いている。
 廊下を進んで二つ目のドアに入ると、水谷くんはまずエアコンをつけた。唸るような音と一緒に冷風が吐き出され始める。
 部屋の中は、僕の部屋とそれほど変わらない。ベッドがあって、机があって、そのそばに鞄や帽子がかけられていて──違うのは、大きな本棚に本がびっしり入っていることくらいだろうか。
 水谷くんが机に向かったので視線を向けると、それは僕が使っているのと同じ形の学習机だった。小学校に入学する直前に買ってもらったレンジャーレンジャーとのコラボデザイン、貼られていたシールは剥がされているようだけど、引き出しについている取っ手の形も棚の位置も同じだ。何となく大人っぽい、シンプルな机を使っていそうなイメージがあったから、意外に思いながらも嬉しくなる。
「これ、僕の机と同じ」
「そうなの?」
「これ、レンジャーレンジャーのやつでしょ。僕のもこれなんだ。水谷くん、レンジャーレンジャー好きだったの?」
「いや、これは魔法使いキララの」
「魔法使いキララ?」
「姉のお下がりだから」
 水谷くんはイスに腰かけると、ノートパソコンを開いた。
「それもお姉ちゃんの?」
 川上さんが画面を覗き込む。
「これは家族の」
「家族のなのに水谷くんの机に置いてあるの?」
「一番使うのが僕だからね」
 水谷くんは、言葉を裏づけるようにものすごい速さでパスワードを打ち込み、画面が開くや否やマウスを使って検索画面を表示した。
〈パチンコ 出禁〉
 打ち込んでエンターキーを押すと、検索結果がずらりと並ぶ。
 使い慣れた様子に、水谷くんは親から信頼されているんだろうな、と思った。僕は、パソコンには親の前でしか触らせてもらえない。どうせYouTubeばっかり見るでしょう、と言われるだろうし、たぶん実際そうなる。
 水谷くんがサイトを開いた。僕が読み終わらないうちに次のサイトに移る。
 ブログや掲示板や質問サイトの、どこを見れば探している情報が見つかるのかわかっているようだった。
「なるほど」
 水谷くんは、小さくつぶやく。
「これが一番わかりやすいかな」
 言いながら検索画面に戻り、パチンコ屋の元店員のブログらしきページを開き直した。たくさん並んだ文字の上にカーソルを置いて、その部分だけ色を変えてくれる。

〈僕が実際に見たことがあるのは、店員に暴力を振るった、負けた腹いせにパチンコ台のトレイの部分にコーヒーを流した、とかですね。コーヒーは意外によくあって、ビールとかの場合もあります。うちの店では、一回目は厳重注意、二回目でアウト、という感じでした。あとは、即出禁になるのは、やはりゴトでしょうか〉

「ゴトって?」
 川上さんが身を乗り出して尋ねた。水谷くんはすぐに別のウィンドウを開いて〈ゴト〉と打って検索する。

〈パチンコやパチスロにおいて不正な方法で出玉を獲得するいかさま賭博〉

 現れた説明は、わかるようでよくわからなかった。
 水谷くんが画面をスクロールしていくと、見たこともない言葉が次々に出てくる。
〈ぶら下がり、裏モノ、コイン戻し、ガセ玉、油ゴト、磁石ゴト、釘曲げゴト、ショートゴト、ホッパーゴト、糸付き玉──〉
「……何か、いろいろあるんだね」
「要するに、ズルをして無理やり勝とうとすることみたいだね」
 水谷くんは画面を下までスクロールすると、元店員のブログを開き直した。
「とにかく、こういう店側にとって迷惑なことをすれば、出禁になる可能性が高いらしい」
 僕はパソコンの文字をもう一度目で追う。
「店員に暴力っていうのはないとして、コーヒーとかビールを流すっていうのは……ああ、でも、どうやってお父さんにやらせるのかわからないか」
「それ以前に、それは店に本当に迷惑をかけるからやめておこう」
 水谷くんがそう言うと、川上さんが「でも」と語調を強めた。
「出禁にさせるなら、迷惑をかけるしかないんじゃないの?」
 僕は川上さんの横顔を見る。
 表情は、いつもと変わっていなかった。けれど、だからこそ声に切迫感が滲んでいるような気がする。
 水谷くんは、そんなことないよ、と否定した。
「ゴトをやろうとしていたのが見つかれば、その時点で出禁になるケースが多いみたいだから、実際に被害を出す前に出禁にさせることは可能じゃないかな」
 マウスから手を離して、画面を指さす。
「たとえば、今のパチンコ台は磁石を近づけただけで磁石ゴトが疑われて警報が鳴るらしい」
 水谷くんが席を立ち、どこからか表面がホワイトボードのようになっているマグネットシートと、丸いプラスチックがついたマグネットを持ってきた。
 今度は机ではなく、床に置いたので、三人でそれを囲んで座る形になる。
「お父さんは目が悪いってことは、顔を近づけて台を見ることもあるんじゃない? だったらたとえばメガネに磁石を仕込んでおくとか」
 僕はまず思いついた案を口にした。
「メガネのどこに?」
 水谷くんがかけていたメガネを外す。
 僕は水谷くんのメガネを受け取り、ツルの部分を指さした。
「ここに、シート状のやつを細く切って貼るとか」
「それだとかなり細くなってしまうから、磁石を強力なタイプにしたとしてもそれほど磁力が出ないんじゃないかな」
 水谷くんがメガネをかけ直す。
「そしたら、金具の部分とかに何枚も重ねて貼るとか」
 僕は食い下がったが、水谷くんは、
「重さが出てしまうと違和感で気づかれてしまうかもしれない」
 と言ってブリッジを押し上げた。
 僕が押し黙ると、沈黙が落ちる。
 ふと、三人で磁石を囲んでいる構図の奇妙さに気づいた。きっと傍から見たら夏休みの自由研究の相談をしているようにしか見えないだろう。でも、僕たちは川上さんのお父さんを出禁にするための方法を話し合っているのだ。
「じゃあ、腕時計は?」
 川上さんが言った。
「腕時計はそもそも結構重さがあるものだから、薄い磁石なら気づかれにくいんじゃない?」
「そうかも」
 僕は顔を上げる。
「時計は……」
 水谷くんは何かを言いかけて、「いや、ありかもしれないな」と続けた。
「円盤の裏に隠すなら、それなりに強力な磁石を入れられる」
 床の磁石を拾い上げて立ち上がる。そのまま廊下まで出てから、促すようにうなずいた。
 川上さんと僕は水谷くんに続いてキッチンへ向かう。
 水谷くんは丸いマグネットとマグネットシートを冷蔵庫の扉に並べて貼った。他にも、さっき水谷くんが持ってこなかったクリップタイプの磁石や、飛行機形のマグネット、フック付きのマグネットがある。
 水谷くんは一種類一つずつ手に取ると、キッチンバサミを使って磁石部分を外し始めた。
「壊しちゃって怒られたりしないの?」
「壊してないよ。外しているだけ。後で接着剤で貼り直しておけば大丈夫だよ」
 川上さんに答えながら、プラスチックがついた丸いマグネットを渡す。
 僕にはフック付きのタイプを渡し、外し終えたクリップをキッチンカウンターに置いた。飛行機形に取りかかったところで、硬いなこれ、とつぶやき、自分の部屋へ戻っていく。
 水谷くんが持ってきたのは、ペンチと別のハサミ、トンカチだった。
 ペンチで飛行機の翼をつかみ、ハサミの先をプラスチックと磁石の間に押し入れて体重をかける。
 ぺき、という音と共に磁石が外れた。
 川上さんが丸形に苦戦しているのを見ると、
「割っちゃってもいいよ」
 とトンカチを差し出す。
 川上さんはトンカチをまじまじと見つめた。
「それじゃ壊れちゃうじゃない」
「たしかに」
 水谷くんがそう答えた瞬間だった。
 ふ、と川上さんの口から小さな息が漏れた。ふいに、固まっていた鎖が解けていくように、川上さんの口元が緩み、目が細くなる。
 ──笑った。
 みんなから、どれだけ絵が上手いと褒められても、クラスの誰かが面白いことを言ってみんなが笑っているときも、頬をぴくりとも動かさなかった川上さんが。
 僕は胸の奥が疼くような落ち着かなさを覚える。
 どうして僕が笑わせたんじゃないんだ、と思って、そんなことを考えた自分に驚いた。
「あ、外れた」
 結局ハサミを使った川上さんの手元で、ぽろりと磁石が転がった。
「よし、じゃあ比べてみよう」
 水谷くんが川上さんと僕から磁石を受け取って、少しずつ大きさや厚さが違うそれを冷蔵庫に貼っていく。
 一つ一つ剥がしては貼るのを繰り返し、小首を傾げて再び部屋へ戻っていった。
 残された僕と川上さんは、水谷くんがしていたように磁石を剥がしてみる。
「持つところがないと剥がしづらいね」
 僕がコメントすると、川上さんは、
「これだと磁石の強さがわからない」
 と、僕への返事なのかひとり言なのかわからない口調で言った。
 そこへ水谷くんが折り紙の束を手に戻ってくる。
「これを挟んでみよう」
 水谷くんは折り紙を五枚数えて僕に渡してきた。
 僕は冷蔵庫に向き直り、磁石を一つ取って、折り紙を挟む。
「五枚だと余裕すぎるみたいだよ」
 水谷くんに声をかけると、水谷くんは「じゃあ、思いきって二十枚いってみよう」と言って十五枚数えて渡してきた。
 それを先ほどの磁石に挟んで貼り直すと、ほんの少し危なげではあるものの、何とかくっついている。
「なるほど、二十枚でもいけるか」
 どこか楽しそうにうなずく水谷くんの隣で、川上さんが折り紙を数え始めた。
「はい、二十枚」
 目の前に差し出された折り紙を受け取るのが一拍遅れる。川上さんは僕の手に折り紙の束が渡るや否や顔を伏せ、また数え始めた。
 水谷くんは折り紙を数えるのを川上さんに任せ、裏が白い紙と鉛筆を持ってくる。
〈丸、クリップ、飛行機、フック、シート〉
 そう書き込むと僕を振り向いた。
「丸いやつ、留まらなくなるまで挟んでみて」
 水谷くんの言葉に、川上さんが数え終えた束とは別にバラの折り紙を差し出してくる。
 二十一、二十二、二十三。
「あ、さすがにこれ以上は厳しいかも」
「二十三枚か」
 水谷くんが紙に〈23〉と書き込んだ。同様に、他の磁石についても実験を続けていく。
「自由研究みたい」
 川上さんがつぶやいた。
 その、さっき僕が考えたのと同じ言葉に、僕は何だか嬉しくなる。
「たぶん今年も夏休みの宿題で出るだろうし、三人で共同研究ってことにしちゃおうか」
「磁石の強さを調べるために折り紙を挟んでみました、ってだけじゃ研究としては弱いかな」
 水谷くんにはあっさり却下されたが、川上さんが「でも」と言ってくれた。
「磁石を使ったおもちゃを作るのをメインの研究にして、その前に磁石の強さを調べてみたっていうのならアリかも」
 なるほど、と水谷くんが顎を撫でる。
「たしかに、ちょうどリニアモーターカーを作ってみたいと思っていたところではあったな」
「リニアモーターカー? そんなの作れるの?」
 川上さんが首を傾げると、うん、とうなずく。
「前にネットで作り方のサイトを見たことがあるから頑張れば作れるはず」
「本当?」
 不思議だった。わくわくした。身体の中で、わたあめが膨らんでいくみたいに、楽しい気持ちがいっぱいになる。
「それじゃあさ、無事にこの計画が終わったら、また夏休み中に集まって作ろうよ」
 僕は声を弾ませて言った。
 その途端、川上さんの顔から表情が落ちる。
 しまった、と思った。せっかく楽しい雰囲気だったのに。このままもう少し、この空気のままでいられたらよかったのに。
 川上さんが、ゆっくりと細い腕を磁石へと伸ばす。
 実験の結果、折り紙を五十二枚も挟んだ、一番強いクリップタイプについていた磁石。
 ぎゅっと手の中に握り込み、「うん」と聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声でうなずいた。
「これが、終わったら」

(つづく)



芦沢央『僕の神さま』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322004000165/

本作の発売を記念して、「芦沢央リモート読書会」の開催が決定いたしました。

オンラインイベントでは、芦沢さんが、過去作から本作に至るまでの裏話を語ってくださいます。
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詳しくはこちらご確認ください。
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