2/21(金)発売、伊坂幸太郎さんの文庫最新刊『AX アックス』より、冒頭試し読みを特別公開。『グラスホッパー』『マリアビートル』に連なる<殺し屋シリーズ>の最新作をお楽しみください。
>>〈殺し屋シリーズ〉幻の未完中編「Drive」期間限定試し読み①(〜4月30日まで)
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玄関ドアに
靴を静かに脱ぐ。すり足で廊下を進んだ。リビングは暗い。家の人間は全員、と言っても二人だが、すでに寝入っているのだろう。
息を潜ませ、自分の動作に気を配りながら二階へと上がる。昇って、右手の部屋に入る。電気を
「なあ、兜、おまえは所帯持ちだから、これから家に帰って、こっそりカップラーメンでも食べるんだろ」
以前、同業者の男に言われたことがある。子供向けのテレビ番組、機関車トーマスを
「兜、家族は、おまえの仕事を知っているのか」と
「家族はもちろん知らない」兜は即座に言った。「一家の大黒柱が、こんな物騒で恐ろしい仕事をしていると知ったら、家族は絶望するだろう。普段は、文房具メーカーの営業社員だ」
「家族にはそう偽っているのか」
「まあな」正直なことを言えば、兜は実際に、文房具メーカーに勤めていた。息子が生まれた頃、二十代の半ばに中途入社し、そこからずっと正社員だ。四十代半ばとなった今は、営業部でもベテランの一人だった。
「だけど、一家の大黒柱が命がけの仕事をして、帰ってから夜食でカップラーメンとは、何とも情けねえな」檸檬がからかってくる。
「馬鹿を言うな」と兜は怒った。「カップラーメンなんかを食べるわけがない」
その語調が強かったからか、檸檬は反射的に後ろに体を反らし、身構える。「怒るなよ」
「そうじゃない」兜は声を落ち着かせ、続ける。「カップラーメンはな、意外にうるさいんだよ」
「何だ、それは」
「包装しているビニールを破る音、
「誰も気づきゃしねえだろうに」
「うちの妻は気づく」兜は答える。「その音がうるさくて、起きたことがあるんだよ。彼女はな、真面目な会社員で朝も早い。通勤にも時間がかかるからな。だから、深夜にそんな音で起きてみろ、大変なことになる」
「大変? 何が大変なんだ」
「翌朝、起きて、会った時の重苦しさと言ったら、ないぞ。彼女の吐いた
「兜、冗談言うな。おまえが緊張しているところなんて、想像できない」
〈第2回へつづく〉
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