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試し読み

恐妻家の殺し屋「兜」と、その家族の物語。伊坂幸太郎『AX アックス』試し読み①

2/21(金)発売、伊坂幸太郎さんの文庫最新刊『AX アックス』より、冒頭試し読みを特別公開。『グラスホッパー』『マリアビートル』に連なる<殺し屋シリーズ>の最新作をお楽しみください。
>>〈殺し屋シリーズ〉幻の未完中編「Drive」期間限定試し読み①(〜4月30日まで)

 ◆ ◆ ◆



 玄関ドアにかぎを差し込む。ゆっくりと入れたにもかかわらず、がちゃりと響くのが、かぶとには忌々しくてならない。音が鳴らない鍵が発明される日は来ないのか。神経をとがらせ、手を慎重に回転させる。錠の外れる音に胃が痛む。扉を開く。照明の消えた家の中は、しんとしている。
 靴を静かに脱ぐ。すり足で廊下を進んだ。リビングは暗い。家の人間は全員、と言っても二人だが、すでに寝入っているのだろう。
 息を潜ませ、自分の動作に気を配りながら二階へと上がる。昇って、右手の部屋に入る。電気をけ、聞き耳を立てた。ゆっくりと息を吐く。ほっとする瞬間だ。
「なあ、兜、おまえは所帯持ちだから、これから家に帰って、こっそりカップラーメンでも食べるんだろ」
 以前、同業者の男に言われたことがある。子供向けのテレビ番組、機関車トーマスをできあいする、奇妙な男で、檸檬れもんという名で知られていた。乱暴で、軽薄な言動が多いものの腕は立つ。その時は、別の依頼人から同じ標的の殺害を依頼され、共同で仕事をこなした後だった。一息ついた兜たちに、檸檬は得意げに、「ソドー島建設の責任者の名前は何だ?」と機関車トーマスにまつわるクイズを出していたが、誰も答えようとせず、仕方がないからか、兜のことを話題にしてきたのだ。
「兜、家族は、おまえの仕事を知っているのか」とたずねてきたのは、檸檬の仕事仲間、かんだ。二人はかつこうが似ているものの、性格については反対で、だからこそ二人で仕事をこなすことができるのかもしれない。彼らは、妻子持ちの同業者が珍しいからか、兜にずけずけと質問をぶつけた。
「家族はもちろん知らない」兜は即座に言った。「一家の大黒柱が、こんな物騒で恐ろしい仕事をしていると知ったら、家族は絶望するだろう。普段は、文房具メーカーの営業社員だ」
「家族にはそう偽っているのか」
「まあな」正直なことを言えば、兜は実際に、文房具メーカーに勤めていた。息子が生まれた頃、二十代の半ばに中途入社し、そこからずっと正社員だ。四十代半ばとなった今は、営業部でもベテランの一人だった。
「だけど、一家の大黒柱が命がけの仕事をして、帰ってから夜食でカップラーメンとは、何とも情けねえな」檸檬がからかってくる。
「馬鹿を言うな」と兜は怒った。「カップラーメンなんかを食べるわけがない」
 その語調が強かったからか、檸檬は反射的に後ろに体を反らし、身構える。「怒るなよ」
「そうじゃない」兜は声を落ち着かせ、続ける。「カップラーメンはな、意外にうるさいんだよ」
「何だ、それは」
「包装しているビニールを破る音、ふたを開ける音、お湯を入れる音、深夜に食べるにはあまりにうるさい」
「誰も気づきゃしねえだろうに」
「うちの妻は気づく」兜は答える。「その音がうるさくて、起きたことがあるんだよ。彼女はな、真面目な会社員で朝も早い。通勤にも時間がかかるからな。だから、深夜にそんな音で起きてみろ、大変なことになる」
「大変? 何が大変なんだ」
「翌朝、起きて、会った時の重苦しさと言ったら、ないぞ。彼女の吐いため息が積もって、床が見えなくなる。ではなくて、本当に息が苦しいんだ。『うるさくて、まるで眠れなかった』と指摘された時の、胃の締め付けられる感じは、分からないだろうな」
「兜、冗談言うな。おまえが緊張しているところなんて、想像できない」


〈第2回へつづく〉


書影

伊坂幸太郎『AX アックス』(角川文庫)


伊坂幸太郎『AX アックス』特設サイトhttps://promo.kadokawa.co.jp/ax/


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