第15回新潮ドキュメント賞受賞後、第一作!!
日本にはガラスの、いや鉄か鉛で出来ていた天井があった。出ること、伸びること、知ることを封じられた女性たちがいた。
新潮ドキュメント賞を受賞した『原節子の真実』、『おそめ 伝説の銀座マダム』など「女」を追い続けるノンフィクション作家・石井妙子さんの最新作『日本の天井』が、6月21日(金)に発売となります。
今回は、各界でガラス、いや鉛の天井を打ち破り、道をつくってきた「第一号」の人たち、そして彼女たちを後押しした無数の声なき女性を通して、女たちから見た“この国の姿”を浮き彫りにします。大正から昭和、平成、令和へと移ろう中、私たちは何を克服し、何を克服しえていないのでしょうか?
登場する「第一号」の女性は下記の方々です。
- 女性初の一部上場企業役員となった、高島屋取締役の石原一子。
- 囲碁界で女性初の高段者となった棋士、杉内壽子。
- 男女雇用機会均等法を推し進めた、労働省初代婦人局長の赤松良子。
- 登山家でエベレスト登頂を成し遂げた、田部井淳子。
- 『ベルサイユのばら』で歴史漫画を女性で初めて成功させた、池田理代子。
- NHKアナウンサーで女性初のアナウンス室長になり、定年まで勤め上げた山根基世。
- 女性初の真打となった、落語家の三遊亭歌る多。
発売まであと少し! 待ちきれない皆様のために、『カドブン』では「まえがき」と「目次」を先行公開します。ぜひご覧ください!!
まえがき
私には追いかけ続けているものがある。
それは、「女」である。女の歴史である。
私が女に惹かれるのは、自分が女だからだろう。では、いつから自分を女だと意識するようになったのか、あるいは意識させられるようになったのか。
小さな頃は「女の子」であることに、特別な不満はなかったように思う。
だが、十代の半ばになる頃から、急に世界が狭くなったように感じた。「女は大学に行ってもしょうがない」「女は就職しても、お茶くみをするだけで、2 , 3 年したら会社を辞める」「女は家庭に入って子どもを育てるのだから家事を手伝うべきだ」といった言葉を日常で、向けられるようになったからだろう。
まるで、小さな箱の中に閉じ込められたように思えた。結婚するまでしか生きられないと、自分の寿命を言い聞かされたようにも感じた。「私たちは男と違う。違う人生を歩まなければならない」という強迫観念のようなものにとらわれ、人類の中の女なのではなく、女という人類なのだろうかと考えてみたこともあった。
こうした体験が、私を「女」に向かわせたのだった。女性作家の描く女性の評伝を好んで読むようになり、女性が何らかの形で関わった出来事に興味を覚え、その後、女性史を学びたいと思うようになる。
当たり前のように差し出される、用意された女の生き方のレールを期待どおりに歩む気にはなれず、皆が既定のものとして受け入れている女の生き方に、一時はひたすら反発を感じたこともあった。
自分が入れられてしまった箱、入れられてしまったように感じる、この箱とは何なのか。この箱を破って外に出ていったらどうなるのか、を知りたかった。それはまた、「自分はどう生きたらいいのか」という問いでもあり、そして、その答えは自分で見つけるしかないのだと、やがて私は悟るようになる。
「ガラスの天井」という言葉がある。英語では “GLASS CEILING”。1980 年代から欧米で使われるようになった用語である。
女性が組織や社会の中で立場や地位を求めようとしても、なかなか叶わない。十分な能力や経験があっても道を阻まれてしまうのは、それらを阻止しようとする見えない障壁があるからだ、という。目を凝らさなければ見えない、ガラスのように透明な天井。いくら青空が見えていようと、太陽が輝いていようと、月や星の光に照らされていようと、それらとの間には「ガラスの天井」があり、遮られているのだ、と。
日本にも、もちろん「ガラスの天井」はあった。いや、それは透明なガラスなどではない。もっと、強固なものとして存在した。ガラスではなく鉄か鉛でできており、見上げても青空を見ることさえできない。それが少なくとも近年までの日本社会であったと思う。
この国の近代史において、最も大きな出来事は明治維新と敗戦の 2 つであろう。
長い封建時代を、女たちは身を低くし、忍従と犠牲を美徳とされながら生き抜いてきた。
そこへ明治維新が起こり、日本は近代化へと大きく舵を切り、西洋の技術や思想を取り入れていった。身分制度を廃して、「国民」という概念を作り出しもした。しかし、その国民の中には男と女がいて、女は男の下位にあるものと、法律上、制度上、はっきりと位置づけられた。平等な権利は与えられず、明治以降も女の生涯は男の支配のもとに預けられるものと、されたのである。
そうした日本社会に対して、高らかに異を唱えた女性たちの一群がいた。
高い教養を身に付け、それを武器として、男たちに意見をして女権の拡張に貢献した女性もいれば、社会の矛盾を訴えて立ち向かい、刑場の露と消えた女性もいる。いずれにせよ、男社会に立ち向かい、因習に基づく男女不平等の固定観念を受け入れまいとした女性たちは、糾弾され、受難の道を歩む運命を背負わされた。
明治維新は、男に与えたような自由や権利を女性にも与えるものではなかったのだ。
では、敗戦はどうであろう。日本の女性たちへの福音となったのか。
最大の変化はGHQの指導によって日本国憲法が制定され、男女平等がそこにはっきりと明記されたことだった。女性に初めて参政権が与えられ、女性も高等教育が受けられるようになり、家父長制度も一応は否定された。
これは日本の女性にとって、極めて大きな出来事だった。この時代に青春を迎え、「目の前が急に明るく開かれたように感じた」と振り返る女性は多い。
しかしながら、憲法上は男女平等となり、参政権や教育を受ける権利が保障されたところで、社会において、それらがすぐさま実現したわけではなかった。法律や制度が変わっても、人の心や価値観が早急に改まりはしないからだ。とりわけ、日本人自身が「変えよう」と考え、変えたものではなく、アメリカの主導により進められたことであれば、なおさらである。そのため女性たちは、敗戦後も矛盾を突き付けられたのだった。
明治は遠くなり、その時代に闘った女性たちの記録は今、書物によって知るより他ない。
一方、敗戦の前後から今日に至るまでを生き、長い坂道を休むことなく、踏みしめながら歩んだ方々の足取りは、今ならば直接、本人に話を聞くことが可能である。それが、本書執筆の大きな理由のひとつとなっている。
彼女たちの足取りを通じて、戦後、日本の女性はどう変わっていったのか。何を克服し、何を克服しえていないのか、今日の課題も見出せるはずだと考えた。
ここに取り上げた 7 名の女性は、道なき道を歩んだ方ばかりである。多くが重圧を受けながらも、「女性第一号」「女性初」と謳われる働きをなしている。
しかしながら、全ての方に共通するのは「女性として初めて」となることを目的として生きたわけではない、という点だ。それぞれに追い求めるものがあり、絶え間ない努力と研鑽、あるいは人間関係や運にも恵まれ、「女性第一号」「女性初」と刻まれることになったのだと感ずる。
それぞれの方が何を追い求めたかは、各章につけた見出しを見て頂ければと思う。第一章からお読み頂くと、大正、昭和、平成という時代の流れがわかりやすいかと思うが、どの章から目を通して下さってもかまわない。
明治の世となってから 150 年が経過し、敗戦の日から 74 年が経った。
戦前、女は小学校までしか男子と同じ教育は受けられず、それさえも、女子に教育は必要ないと、学校に行かせようとしない親もあった。財産を継ぐ権利は女には与えられず、職業にも就けず、結婚をしなくては生きていけないという状況を、法と社会が作り出していた。親の決めた相手と家のために結婚するのが当たり前で、良妻賢母として家に尽くし、夫に仕え、どんな理不尽も許容することを求められ、姦通罪は女だけに適用される。
向学心は抑え込まれ、能力があってもそれを伸ばすことは許されず、教育を受ける機会も、自分にふさわしい場所も与えられはしなかった。出ること、伸びること、知ることを封じられた女性たちの姿がある。
こうした流れの先に、敗戦があり、戦後があり、今があるのだ。それを忘れてはならないだろう。戦前と戦後は完全に切り離されているわけではなく、一本の筋としてつながっているのだから。
道なき道を進んだ女性たちは崖から転落しそうになり、足元の石に躓き、傷だらけ、泥だらけになりながらも、果敢に歩んでいった。その細い山道は後に続く人がいなければ、すぐにまた、草木に覆われて藪に戻ってしまうことであろう。
ここに登場して頂いたのは、いずれもその世界で確固とした立場を得た方々であるが、その周囲には無数の声なき女性たちがいたことも忘れてはならない。
数代にわたって重なり、積もり積もった女性たちの嘆き、悲しみ、憤怒の声が、眼の前にいる、この能力ある一女性を後押ししたのではないかと、私はインタビュー時、ひしひしと感じることがあった。
時代は今、まさに令和へと移った。
女性が選挙に行けることも、大学に入れることも、当たり前ではなかった、という歴史的な事実を知らずにいる若い人も多い。
人は皆、時代の申し子と言われるが、本書では、ひとりひとりの女性たちが生きた時代がどのようなものであったのか。 20 世紀から 21 世紀へ、大正から昭和、平成へ。時代の流れの中で女性の生は、どう転じていったのかを見つめて欲しい。
決して大昔の話ではない。ここに書く歴史は手の届くところにある歴史、女たちの軌跡である。
大河のような女の流れがあるのだ。その流れの中に、ここに取り上げた 7 名の方々も、そして、私も、この本を手に取ってくれたあなたもいる。女の系譜を受け継ぐ人へ、「何か」を少しでもここに伝えることができたなら幸いである。
目次
まえがき 3
第一章 砕き続けたのは、働く女性への偏見 17
――高島屋取締役・石原一子
偏見に屈せず「働き続ける」/自由でエネルギーに満ちあふれた大連の空気/七三一部隊/内地育ちと外地育ち/谷口三樹三郎の厚情/「知識は決して、その人から離れない」/一橋の中は男女平等が実現されていた/「数字が私の感性の正しさを証明してくれた」/仕事か家庭。女性だけに選択を迫る社会/「前例がないなら、自分で作ればいい」/「部下の昇進は自分のこと以上に考えた」/キャリアウーマンの星へ/本当の組織人/高島屋を離れて見えてきたこと/無謀な開発の反対運動に立つ/エリートでなく、エリートぶった人が溢れている/「欲しいと思った幸せには全部、手を伸ばせばいい」
第二章 破ったのは、女性への迷信 69
――囲碁棋士・杉内壽子
男女同権の世界/父の壮大な実験/本因坊秀哉名人と打つ/女性棋士の第一人者、喜多文子/「父は突然、家中の鏡を外してしまった」/入段と出稽古/戦争と病を乗り越える/三人だけの研究会/「本田壽子を五段にする会」/昇段と結婚/一通の手紙/「次は、この人に教えてもらえるんだ」/「女流棋士のではなく、棋士のトップに立とう」/迷信を打破する戦い
第三章 変えたのは、個人では破れない制度 113
――労働省婦人局長・赤松良子
「男女雇用機会均等法」制定時の思い出/小さな女王様/「この家の竈の灰まで俺のものなんだ」/戦争協力に熱心だった人ほど、転向した/雑魚寝と膨らまない蒸しパン/東大法学部の女子学生はたった 4 人だった/「当時は労働省しか女性を入れてくれなかったんだもの」/夫婦別姓/「どうして、こんなに差別されるんだろう」/初めて「育児休業」という言葉が法律に書かれた/「男女雇用機会均等法」制定への闘い/「女性に参政権など持たせるから歯止めがなくなって、いけませんなあ」/正念場/歴史のターニングポイントを作る/「長い列」に加わった女性
第四章 手にしたかったのは、経験そのもの 159
――登山家・田部井淳子
「私は登山家ではありませんから」/「登山は競争じゃないんだ」/山が癒し、山が変えた/山岳会に入る/達成感が違うトップ/結婚と悲劇/クシャクシャに丸まった一万円札を放り出される/女子登攀クラブはエベレスト山頂を目指す/ 1975 年 5 月 16 日 12 時 30 分/手のひら返しと干渉/家庭も仕事も山も諦めない/「人間の一番の特徴は、二本の足で立って長時間歩けることだ」/最期まで、山を歩いていた
第五章 描いたのは、読み捨てられない〝文化〟 203
――漫画家・池田理代子
「ベルばらブーム」の裏側/学園紛争の中で気づいた矛盾/稼ぐために漫画の世界に飛び込んだ/「必ず当ててみせます」/ベルサイユ宮殿を目にしたのは、連載を終えてからだった/「一番怖れるのは、やらなかったことを後悔する人生」/日本社会の「本質はそう変わっていない」/「自分で考えて納得できるものを常識だと思えばいい」
第六章 追い求めたのは、職業の本質 235
――アナウンサー・山根基世
言葉のプロとして、組織人として/武家の血を引く母/「そんなすがり根性じゃダメだ」/初めての女性差別/女用のニュース/女性は転勤の機会を奪われていた/押し付けられた女性の役割/「えっ、私、これで終わっちゃうの」/プロポーズ/働く女性向けの番組で男社会の壁を知る/声と心はつながっている/アナウンス室長に就任/改革断行/「一生、消えない灯を手にした」/仕事が本当に面白くなるのは 30 年目から
第七章 望んだのは優遇ではなく、同等の扱い 275
――落語家・三遊亭歌る多
普通の女子高生から真打へ/サングラスをかけて寄席に通う/完全に裏目に出た母の作戦/「師匠に逆らったりする時は、どうしたらいいんですか」/「私を女としてじゃなく、人として見て下さい」/死んじゃおうかと思うくらい嫌だった「女真打」/志ん朝師匠へ直訴する/「断る権利も与えて欲しい」/本当の女性噺家が誕生する世代/「芸が秀でていれば黙らせられるもの」
あとがき 309
主要参考文献一覧 315