6 月 10 日(月)発売の「文芸カドカワ 2019年7月号」では、はらだ有彩さんの連載がスタート!
カドブンではこの新連載の試し読みを公開します。
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この世は「別にダメじゃないのに、なんかダメっぽい」ことで溢れている!
ほんとうにそれは「ダメ」なのか? 思い込みをやめたらもっと楽しいかも――。
第1回は、男と女とお金にまつわる問題について、思考実験してみます。
はじめに
自分でもよく分からないまま「ダメ」だと思い込んでいることはたくさんある。例えば、「新卒で入った会社には3年いなくてはならない」。私は素直な良い子だったのでこの言葉を鵜吞みにしてブラック企業に3年間在籍し続け、世を呪っていた(会社だって、そんな感じで3年もいられて迷惑だったかもしれない。なんかすみません)。例えば、「制服のソックスは2回折らなければならない」。通っていた高校にはマフラーをステンカラーのコートの中に巻かなければいけないという校則まであり、生徒たちは毎朝、窒息しかけてオゲー! となっていた。
この世には「別にダメじゃないのに、なんかダメっぽいことになっている」ものがまだまだあるような気がする。ダメと言われてぼんやりと守ってしまっていることがある気がする。反対に、ぼんやりと誰かにダメと言ってしまっていることだってある気がする。
というわけで「それ、別にダメじゃないんじゃない?」と気になったことをメモしていくことにした。メモなので、書きながらぐるんぐるんと同じところを回っているかもしれない。書いているうちに時代が変わって「ダメじゃない」ことになってしまったら嬉しい。とにかく私は「ダメ」の大海原に漕ぎだそうと思う。「ダメ」とは何か。その真理を求めて――。
第一回《フレンチで女が「おあいそ」するのはダメじゃないんじゃない》
第一回のタイトルから「いや別にダメじゃないでしょ。好きにしたらええがな」と言われそうだが、そして全くもってその通りなのだが、気になる体験があったので書かせてほしい。
数年前の初夏、当時交際していた男性の誕生日。私は男性が前から行ってみたいと言っていたフレンチのレストランを予約しておいた。お誕生日祝いであることをお店の人に伝え、キャンドルつきのケーキを出してもらえることになっていた。ちなみに我々の支払いスタイルは平常時は完全に割り勘、全額奢られてしかるべき事情がある場合のみ、ありがたくおもてなししていただくという決まりである。
美味しい食事を楽しみ、ケーキと一緒に写真を撮り、お会計の運びとなる。私が「おあいそ」の旨を伝えると、スタッフの人が一瞬、ぎょっとした。ぎょっとしつつも親切に伝票を持ってきてくれる。しかしその伝票は私の向かいに座る男性の手元に置かれたのであった。
わー!
私は慌てた。この人、今めちゃくちゃ祝われていたのに、自腹で支払うと思われているのか!? そして私は自分で予約しておきながらタダ飯を食うと思われていたのか!? なんということだ。お誕生日なのに、金額がバレてしまった。にわかに変な空気になったテーブルで、交際相手の男性が言った。
「ま、まあ、フレンチは男が払うのがセオリーだから……女性に渡すメニューには、金額書いてないこともあるし……」
もちろん「女がおあいそをお願いしてはいけない」という道理はどこにもない。にもかかわらず、時々「支払いは男性がするもの」という前提で話が進むことがある。男性が払う。だから伝票を男性に渡す。しかし、純粋な疑問なのだが、支払いをするべき存在としての「男性」かどうかはどうやって判断するのだろう。お店の入り口で性別を確認でもしない限り、見た目がいわゆる男性っぽいか女性っぽいか、という観点でしか見分けがつかない。マニッシュな女性とフェミニンな男性の組み合わせだった場合、マニッシュな女性が支払うのだろうか。それとも生まれたときの身体の性別に厳密に従うのだろうか。見た目と性自認が異なる人の場合は何を基準に決めるのだろうか。
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