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試し読み

逃走中の不幸な彼女の秘密とは――伊坂幸太郎『777 トリプルセブン』大ボリューム試し読み#8

累計300万部突破! 伊坂幸太郎屈指の人気を誇る〈殺し屋シリーズ〉の最新長篇小説『777 トリプルセブン』が、2023年9月21日(木)に発売となりました。
刊行を記念し、冒頭部分約40ページが読める大ボリューム試し読みを掲載! 全11回の連載形式で毎日公開します。
気になる物語の冒頭をぜひお楽しみください!

★シリーズ特設サイトはこちら:https://kadobun.jp/special/isaka-kotaro/koroshiya/



逃走中の不幸な彼女の秘密とは――伊坂幸太郎『777 トリプルセブン』大ボリューム試し読み#8

 紙野結花は強くうなずいた。「まさに、刻まれちゃう、という表現がぴったりです。こすっても、洗っても消えなくて」
「そんなに?」ココは目を見開く。歩き出したのでどうしたのかと思えば、ベッドサイドからファイルを持ってくる。「こんなのも見たら覚えられるってこと?」
 開くと、ホテルの約款などが書かれていた。紙野結花はうなずくと、開かれたページに目を走らせる。三十秒も経たないうちに、「ここは覚えました」と答えた。
 半信半疑の様子のココに対し、記憶したそのページの文章を口にしてみせる。
「あらあ、すごいね」ココは言ってから少しの間、ぼうぜんとしていた。「忘れっぽいわたしからすると、うらやましい気がしちゃうけれど」
「子供のころ、周りの友達や親が、どうして物事を忘れちゃうのか分からなかったんです」
「テストは得意だったでしょ? 学校の勉強なんて、暗記すればいい点数取れるから」
 はい、とこれも紙野結花は即座にうなずく。小学生の頃から学校の勉強で苦労したことはなかった。気づけば、「結花ちゃんは優等生」と言われるようになっていた。
「友達からの、ちょっとした言葉とか、嫌な態度とか、そういったことが全部、頭に残っちゃうんです」紙野結花は自分の頭を指でたたく。相手は悪気なく、もしくは深い意図もなく発した言葉も、頭の中ではんすうするうち、「もしかするとあれは嫌みだったのかもしれない」「わたしの態度が良くなかったのではないか」とつらい想像を生み出すようになった。
 人との付き合いは、つらい記憶を増やす。相手の言動だけではなく、自分自身がやってしまった失敗や失言、良くない言動をずっと覚えていることもつらかった。罪の意識、後ろめたさが薄まることなく、いつまでもくっきりとしたものとして、紙野結花を責めた。
 十代になり思春期を迎えた時には、自分から他者に関わるのを避けるようになっていた。
「友達とか一人もいませんでした。学校で、必要最低限の会話はありましたけど、学校以外の場所で誰かと会ったり、遊んだりすることもなかったですし」
 寂しいとは感じなかった。ただ、時折、SNSで華やかな男女が楽しそうにしている様子を観たり、もしくは容姿端麗な男女が、自分たちの子供の写真を誇らしげに載せているのを目にしたりすると、そのたびに、「わたしは何をやっているのだろう」と暗い気持ちになることも多かった。
 そう話すとココは、「あんなの幸せじゃないよ。見せびらかさないと幸せを感じられないんだから」と手を大きく振った。「友達が多いなんていったところでね、しつとか不満が渦巻いちゃうだけだから」
「渦巻いちゃいますか」自分を励ますために言ってくれているのは分かったが、紙野結花は少し笑ってしまう。「だけど一人きりも孤独です。それで大学生の時、いろいろ考えたんです。どうやって生きていこう、って。自分に向いている仕事は何なのか、って」
「弁護士とか資格を持つ仕事はどうなの? 記憶力がいいなら、法律を覚えるのも得意だろうし」
「それは少し思ったんです」法学部に入学しておくべきだったか、と後悔はした。それに限らず、資格試験にはむいているだろうから、何らかの専門家を目指すことも考えた。「ただ、言い方は悪いですが、お医者さんや弁護士さんはみんな、困っている人を相手にするじゃないですか」
「まあ、困ってる人を助けてあげるんだろうね」
「その困った人たちの話を、ずっと記憶しているとなったら、たぶん耐えられない気がするんです」
「分かるかも」
「考えた末にひらめいたんです。お菓子作りとかはどうだろう、って」
「急に?」ココが笑う。
「料理のレシピ、分量とか手順とか、ああいったものはいくらでも覚えられますし、センスがあるかどうかは分からないですけど、言われた通りにやることはできる気がしたんです。しかも」
「食べた人が喜んでくれる」
 紙野結花は大きくうなずいている。「大学を辞めて、専門学校に通うことにして」
 誰かに喜ばれたい。誰かを喜ばせたい。友人がいないのはあきらめるが、それくらいの機会があってもいいではないか。
 当時、紙野結花は、やっと自分の生きる道が見つかった、と興奮した。実際のところ、専門学校に通っていた時はこれまでの人生において、もっとも平穏だった。
「学校卒業後、都内の洋菓子屋さんに雇ってもらって、働いていたんです」
「どうだったの」

(つづく)

作品紹介



777 トリプルセブン
著者 伊坂 幸太郎
発売日:2023年09月21日

そのホテルを訪れたのは、逃走中の不幸な彼女と、不運な殺し屋。そして――
累計300万部突破、殺し屋シリーズ書き下ろし最新作
『マリアビートル』から数年後、物騒な奴らは何度でも!

やることなすことツキに見放されている殺し屋・七尾。通称「天道虫」と呼ばれる彼が請け負ったのは、超高級ホテルの一室にプレゼントを届けるという「簡単かつ安全な仕事」のはずだった――。時を同じくして、そのホテルには驚異的な記憶力を備えた女性・紙野結花が身を潜めていた。彼女を狙って、非合法な裏の仕事を生業にする人間たちが集まってくる……。

そのホテルには、物騒な奴らが群れをなす!

詳細ページ:https://www.kadokawa.co.jp/product/322305000745/
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