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試し読み

「わたしだって怖くなるよ。君の不運に」――伊坂幸太郎『777 トリプルセブン』大ボリューム試し読み#6

累計300万部突破! 伊坂幸太郎屈指の人気を誇る〈殺し屋シリーズ〉の最新長篇小説『777 トリプルセブン』が、2023年9月21日(木)に発売となりました。
刊行を記念し、冒頭部分約40ページが読める大ボリューム試し読みを掲載! 全11回の連載形式で毎日公開します。
気になる物語の冒頭をぜひお楽しみください!

★シリーズ特設サイトはこちら:https://kadobun.jp/special/isaka-kotaro/koroshiya/



「わたしだって怖くなるよ。君の不運に」――伊坂幸太郎『777 トリプルセブン』大ボリューム試し読み#6

「結論から言うと、彼はたぶん偽者だ。実物が偽で、絵が本物だった。絵を描いた娘の父親なんかではなかった」
 状況が分からない、もっと分かりやすく説明しろ、結論から話しなさい、と追及してくる真莉亜に従い、七尾は早口で自分の推理を話す。
 突然、部屋に俺がやって来て、絵のプレゼントを渡したものだから、あの男は怪しんだのかもしれない。部屋に招き入れた時に、殺害することを決めたのか、それとも話しているうちに俺の反応を見た上でそうすることにしたのかは分からないけれど、とにかく、部屋から出ていくために背中を向けた俺の首を絞めようとしたんだろう。
「どうして普通の人がそんなことをするの」
「普通の人じゃなかったからだ。俺たちと同じような、法律を気にせずに物騒なことをする男だったんじゃないか」
「後ろめたい仕事でもしていたのかな」
「どうだろうね。今となっては本人の口からも聞けないし」
 真莉亜が黙った。その後でまた、溜め息が聞こえる。七尾は自分の目の前、ソファに座らされるかつこうで息絶えた状態の男性に目をやった。
「死んだの?」
「その言い方はちょっと怖いな」「言い方なんてどうでもいいよ。じゃあ、来世送りにした、とでも言う?」
「いいね。とにかく、俺がやったわけじゃない。さっきも言っただろ、あっちが俺の首に手をかけようとして、体勢を崩した。足元に落ちていた紙を踏んで、滑ったのかもしれない。ひっくり返ったんだ」部屋に置かれていた大理石テーブルの角に額を打ち付けたのだ。七尾が目を丸くしていると、彼は床に倒れ、けいれんしたのち動かなくなった。
 真莉亜は少しの間、「うーん」と間延びした声を発していた。考えを巡らしているのか、思いもしない展開にいらっているのかはっきりしなかったが、やがて、「関わるわけにはいかないから。そこを後にするしかないよね。オートロックで、かぎはかかるだろうし」と言った。
「ベッドメイキングのスタッフとかが来たら、ばれる。ああいう係はマスターキーを使って、開けられるんだろ? ちなみにカードキーにもマスターキーってあるのか?」
「そりゃあ、あるんじゃないの。じゃないといざという時、困るでしょ。ただ、普通はチェックアウトした後に清掃するだろうからね。すぐに来るとは思えない。清掃は不要です、とかしらせるスイッチもあるでしょ」
「彼は、何泊の予定だったのかな」
「わたしが知っていると思う?」「君なら」と七尾は嫌みを隠さずに言う。
「今、十七時。ということは少なくとも、チェックアウトは明日の昼以降でしょ。それまではベッドメイキングには来ないはず。あとは、その死体をどうにかできないか、知り合いにいてみるから。それまでトイレとか浴室に隠しておいて」
「なるほど」七尾は納得していなかったが答えた。「ちなみに確認するけど、そもそも、この依頼をしてきた人はまともなのか?」父親に絵のプレゼントをしたい、という娘が存在するのかどうかも怪しく感じた。「君に依頼してくるくらいだから、ごく普通の一般人、というわけではないだろうね」
「業界に関係はしているけれど」
「やっぱり」
「だけど、物騒なことをするタイプじゃないんだよ。海外との行き来の際に物を運んだり、情報をこっそり伝達したり、その程度。わたしも時々、仕事を頼んでいるし」
「どうして俺を襲ってきたんだろう」と七尾は言ってから、「あ、そうだった」と気づく。絵に描かれていた男とこの部屋の男は別人なのだ。
「とりあえず、その男の顔を写真に撮って、送ってくれる? 誰か分かるかもしれない。あとで見るから」
「あとで? 今、チェックしてくれないかな」
「手が離せないの。言ってなかったけれど、運転中なんだよね。ハンズフリー通話。高速走ってるから。写真はチェックできない」
「君は旅行中か」こっちは仕事なのに。
「人聞きの悪いこと言わないで。旅行から帰ってるところなんだから。仕事をしっかりやる人間には、息抜きが必要なんだよ」
「俺はどうすればいいかな」
「その部屋を一通り片付けたら、そのまま帰っていい。わたしもこの後、出かけるし」
「出かける?」今もすでに、出かけていたところなのでは?
「いったん帰ってから、その後、舞台を観に行く予定。十八時半開場、十九時開演」真莉亜は言ってから、演劇団体の名前を口にした。七尾がたずねていないにもかかわらず、劇場や日時について話し、どれほどその舞台公演が人気なのか、チケットがたまたま手に入った自分はどれほど幸運に恵まれているのか、その説明も続けた。
「そんなに、息抜きばかりで大丈夫かな」
「あ、言っておくけれど」真莉亜の声が少し強くなる。「気を付けて帰るようにね」
「気を付けて? この部屋から出て、エレベーターに乗って、一階まで降りる。ホテルを出て、地下鉄駅に向かう。それだけのことだ」真莉亜にではなく、どこかで自分を見ているかもしれない、偶然や運命をつかさどる存在に強く訴えるような気持ちで七尾は言った。「何も難しいことではない」
 そのはずだよね?
「自分が一番よく知っているでしょ。その、『それだけのこと』をやるのに、君はなぜかトラブルに巻き込まれちゃう」
「それが俺だ。もちろん、分かっている」七尾も否定しなかった。それから息を吐く。「分からないのは君のほうだろ。簡単な仕事と言ってやらせておいて、今になって気を付けてねと心配してくるなんて矛盾している」
「死体ができあがるような仕事じゃなかったんだから、わたしだって怖くなるよ。君の不運に」
 七尾はもう一度、ソファの白シャツ男の死体を見た。「人の死とはなるべく関わりたくないんだけどな」
「一つだけ覚えておいてほしいんだけれど」
「何を」
「君が誰の命も奪いたくないのは分かってる。なるべく尊重したい。だけど、君の命を狙ってくる相手に関しては別だと思って」
「別とは?」
「君を殺そうとする相手には、手を抜いたら駄目だから。相手がその気なら、君もその気でいかないと。サッカーのPKもそうでしょ。蹴る側と守る側を交互にやるんだから」
「ぴんと来ないたとえだ。でも、分かるよ。ホテルから出て、一段落したら報告を入れる」
「観劇中はメッセージのチェックはできないけれど」
「後で確認してくれればいい」
 通話を終えた七尾は、男の死体を引きるように移動させ、浴室の浴槽内に入れた。その後で床のじゆうたんについた血のあとを、水でらしたタオルでこすり取る。タオルはまた浴槽に投げ入れる。
 自分のこんせきが残っていないかを確認した後で、肝心のプレゼント、額入りの絵をどうすべきか悩んだ。そもそも、この部屋にどうして別の男がいたのか。そこで、はっとした。
 持ってきた際のラッピング紙をひっくり返す。ホテルの部屋番号と名前が書かれた紙が貼られている。「2010」という手書きの数字がにじみ、「2016」とも読めることに気づいた。反対では? 七尾の頭にその疑念が湧くのにさほど時間はかからない。「2016」が、「2010」に読めたのではないか。
 部屋を間違えた可能性はある。間違えたのだ。誰が? 俺だ。
 そうだとすると、この2010号室の男は、自分とは違う名前宛てであったにもかかわらず、否定せずに七尾を部屋に入れた。
 普通の人間ならば、「部屋が違うのでは?」と対応するところを、物騒な仕事に関わる男は、「何か意味があるのでは?」と先回りをし、七尾を招き入れたのかもしれない。充分ありえる。
 細かいことに気を配ったのが裏目に出たわけか。世の中は皮肉な出来事であふれている。
 本来の届け先、2016号室に持っていったほうがいいだろうか。

(つづく)

作品紹介



777 トリプルセブン
著者 伊坂 幸太郎
発売日:2023年09月21日

そのホテルを訪れたのは、逃走中の不幸な彼女と、不運な殺し屋。そして――
累計300万部突破、殺し屋シリーズ書き下ろし最新作
『マリアビートル』から数年後、物騒な奴らは何度でも!

やることなすことツキに見放されている殺し屋・七尾。通称「天道虫」と呼ばれる彼が請け負ったのは、超高級ホテルの一室にプレゼントを届けるという「簡単かつ安全な仕事」のはずだった――。時を同じくして、そのホテルには驚異的な記憶力を備えた女性・紙野結花が身を潜めていた。彼女を狙って、非合法な裏の仕事を生業にする人間たちが集まってくる……。

そのホテルには、物騒な奴らが群れをなす!

詳細ページ:https://www.kadokawa.co.jp/product/322305000745/
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