「本の旅人」2019年4月号より、酒井順子さんの新連載「鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む」の試し読みを公開します!
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「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」 内田百閒
「鉄道の『時刻表』にも、愛読者がいる」 宮脇俊三
鉄道好き、そして鉄道紀行好きにとってはつとに名高い、これらの文章。前者は、「特別阿房列車」の、冒頭部分の一文である。昭和二十六年(一九五一)から「小説新潮」に掲載された「阿房列車」シリーズの端緒となったのが、「特別阿房列車」の旅だった。
後者は、昭和五十三年(一九七八)に刊行された、宮脇俊三の最初の作品『時刻表2万キロ』の、最初の一行。ベストセラーとなったこの作品以降、宮脇は鉄道に関する本を多数、書き続けたわけだが、彼の作家としての人生は、この一行から始まった。
宮脇俊三は、内田百閒「阿房列車」シリーズの愛読者だった。「阿房列車讃歌」という宮脇のエッセイには、「阿房列車」を初めて読んだ時の衝撃が、
「自分だけの密かな楽しみであると思っていた『汽車』が風格のある文章になっている! そのときの気持ちは複雑だった。感服と安堵、それに若干の羨望嫉妬が混じったように思う」
と、綴られている。
それまでは特に興味を持っていなかった内田百閒という作家は、以来宮脇俊三にとって、
「読まずにはいられない人となった。とくに『小説新潮』の阿房列車は欠かさず読んだ。次作の発表が待ち遠しかった」。
時に宮脇俊三、二十代の半ば。中央公論社の、若き編集者だった。宮脇は、麹町六番町の百閒宅へと赴いたこともある。しかしそれは、仕事での訪問ではない。そうすることもできたけれど、「例の『世の中に人の来るこそうるさけれ、とはいふもののお前ではなし』の張り紙を見ただけで満足して引き返した」のだ。それは「編集者としての職業意識より鉄道好きの先達に対する敬愛の念が上回った」から。
「世の中に……」と書かれた紙が百閒邸に張り出されていることは当時、よく知られていた。紙を見ただけで満足して帰ってきた宮脇青年は、それから会社勤めを続け、常務取締役となった五十一歳の時に、退職する。退職してすぐに刊行したのが、『時刻表2万キロ』だった。
明治二十二年(一八八九)生まれの内田百閒と、大正十五年/昭和元年(一九二六)に生まれた宮脇俊三は、相見えたことはない。しかし宮脇が作家となった後も、宮脇にとって百閒は、大きな存在であり続けた。
「原稿用紙に向かっていても、百閒先生の名描写がちらついて筆が重くなる。真似をすまいと思うだけでも相当なエネルギーが消費される」
と、「阿房列車讃歌」にはある。
冒頭に記した、「特別阿房列車」と『時刻表2万キロ』冒頭部分の文章は、それぞれ日本人にある種の衝撃をもって、迎えられた。「なんにも用事がない」のに百閒が汽車で大阪に行っていた頃、普通の人にとって鉄道は、何かの用事を果たすために乗るものだった。商用、観光、帰省に上京等、何らかの目的がある場所へと移動する「手段」が、鉄道だったのだ。
種田山頭火のような人も目的地までは汽車に乗っているが、彼もまた、無目的ではない。ただふらふらしに行くのではなく、行く先々で行乞をし、今風に言うならば「自分探し」をするために、汽車に乗ったのだ。
対して百閒の旅では、行った先での目的が本当に無いので、目的地は目的の地ではなく、単なる行き先だった。彼の目的は、「汽車に乗る」ことそのもの。百閒にとって汽車は移動「手段」でなく、そのこと自体が「目的」であったのであり、だからこそ百閒は自身の行為を「阿房」と表現した。「阿房と云うのは、人の思わくに調子を合わせてそう云うだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考えてはいない」のだが。
宮脇俊三の、
「鉄道の『時刻表』にも、愛読者がいる」
という文章にもまた、同様の諧謔味が漂う。
前出の「阿房列車讃歌」において、「用もないのに汽車に乗りに出かけ、人の忌み嫌う時刻表を愛読する。そんな人閒は自分だけだろうと思っていた」と書いた、宮脇。時刻表は、列車の発着時刻を調べるための「道具」であり、数字の羅列でしかない。一般的には「見る」ものである時刻表を小説のように「読む」自分について書いた告白の書である『時刻表2万キロ』においても、手段と目的の逆転現象が見られるのだ。
目的なく、鉄道に乗る。時刻表を、読む。日本が右肩上がりの成長を続けている時代に、無益とも思われるそういった行為に大の大人が没頭していることを知り、読者は「そんな人がいるのか」「そんな世界があるのか」と、思ったのではないか。
日本における鉄道紀行というジャンルを突然、それも完成形で示した、内田百閒。「特別阿房列車」から約四半世紀後、百閒とは異なるアプローチでそのジャンルを背負った、宮脇俊三。二人がそれぞれもたらした「新しさ」と、二人が鉄道を通して示したものについて、これから考えていきたい。
(このつづきは、「本の旅人」2019年4月号でお楽しみください)
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