4/10(水)より配信中の「文芸カドカワ」2019年5月号では、似鳥鶏さんの新連載「目を見て話せない コミュ障探偵の会話なき推理」がスタート!
カドブンではこの新連載の試し読みを公開いたします。
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なんでみんな、人前で堂々と喋ったり、初対面の相手に話しかけたりできるんだ――?
推理はできるけど、会話はできない。探偵界にニューヒーロー、誕生!
【コミュ障】
元々は言語障害や聴覚障害、対人恐怖症など幅広い疾患を含む「コミュニケーション障害」の略語だが、現在では単に「コミュニケーションが苦手な人」を表すネットスラングとして使われることの方が多い。コミュ障の人間は対人関係におけるプレッシャーに敏感で、会話が苦手で人見知りが強く、特に人前で喋ったり初対面の相手と会話をしたりすることに対して強い恐怖感を抱く。
――千葉圭太郎です。弁護士志望です。岩手県盛岡市から来ました。高校までずっとサッカーをやっていましたが、大学ではレベルが高いからサークルの方にしようと思っています。よろしくお願いします。
――斉藤愛菜です。ええと、地元出身です。志望は、まだ決まっていません。美浜区の、幕張メッセの近くに住んでいます。家からスタジアムの花火が見えます。ええと、友達をたくさん作りたいです。よろしくお願いします。
――吉田総司です。僕も地元民です。司法試験は受けないので、たぶん一般企業に就職します。中央区の新千葉駅近くに住んでいますが、新千葉駅周辺何もないです。あ、飲み屋とコンビニならあります。携帯の「ドラゴンハンドラー」をやってるので、もしやってる人いたら協力プレイしましょう。よろしくお願いします。
――金子颯人です。埼玉県さいたま市出身です。埼玉県と千葉県は昔から敵対関係なので、まわりの友達からは「千葉の大学なんかに行って大丈夫か」と心配されました。今のところ無事です。あと埼玉県民は池袋で千葉県民を見つけたからといって襲ったりしないです。ははは。えーと検察官志望です。よろしくお願いします!
もう前の列まで来てしまった、と思う。金子颯人とやらがうまく笑いをとったせいで後の人間がやりにくくなっている。今、右から左へ順番に流れているから、一番左の席までいったら次の列では左から右に戻ってくるのだろう。だとするとあと六人が終わったら次は俺になってしまう。どうするべきか。時間がない。早く考えないと順番が来てしまう。あっ、こら美川奈津実さんとかいう人。そんなに短く済ませるとは何事だ。ずるいぞ。あと五人になってしまったではないか。もうちょっと保たせてくれないと困る。こっちは言うことがまだ決まっていないのに。心の準備もできていないのに。緊張のあまり心臓はさっきからバコンバコンと鳴り通しで冠状動脈が破れそうだ。呼吸も霞ヶ浦のように浅くしかできない(*1)。こんな状態ではまともに言葉が出るはずがない。喋れば絶対に「ふ、ふふふふふふいむら、みはお、す」とバグッたAlexa(*2)か今際の際のHAL9000みたいになるに決まっているのだ。それなのに皆全く待ってくれない。あと四人。嫌だ。こういうのは苦手なのだ。とてもとてもとても苦手なのだ。俺だけパスしてくれていいのに。そもそもなぜ大学生にもなって、一人一人立って順番に自己紹介、などということをしなければならないのか。周囲にいるのはただの「同じ学科の人」であって「これから一年間一緒に過ごすクラスのおともだち」などではないはずなのに。
俺は考えた。俺だけ喋らずに済ませることはできないだろうか。たとえば仮病。「いたたたたたオー、マイストマックエイク! すいませんトイレ」駄目だ。そちらの方がよほど注目されてしまうし、もうあと四人のところまで来ているので、このタイミングでストマックをエイクしたら「自己紹介で喋るのが嫌で逃げた」ということが教室内の全員にもれなくばれて子々孫々、七代先まで笑われる。そもそもなぜ一部英語なのか。わけがわからない。では忍者のように机の下にヒョイッと沈み込んで静かに隠れてしまうのはどうか。今、皆の視線は教室の反対側で喋っている弁護士志望で大阪出身の山本霧佳さんに集まっている。沈み込んでもばれないはずだ。だが両隣の人には確実にばれる。「あのう先生ここにいる奴が今隠れました」。ばらされて笑いものになるに決まっている。では両隣の人に「自己紹介したくないから隠れたことを黙っていてくれ」と頼むか。はははははははは。初対面の相手にいきなり話しかけてそんなことを頼めるほど社交的なら八十人が見ている教室で一人ずつ立って自己紹介するくらい怖くないに決まっているではないか。うつけめ。それができないからこうして恐れ戦きなんとか喋らずに済む方法を探しておるのだ。なぜか殿様口調になって自分で自分を叱っている間にあと三人。隣の隣の隣まで来てしまった。黒木澄也です。マンゴーで有名な宮崎県の宮崎市から来ました。あっ、あの黒木君、またマニュアルを足しやがった。これで次から出身地と志望に加えて何か一つ、お国自慢も入れなくてはならなくなったではないか。なんと余計なことを。貴様はウケ狙いのつもりかもしれんが後に続く人の迷惑を考えろ。それに宮崎ならマンゴーだのプロ野球キャンプだのソラシドエア本社だの神武天皇東征神話だの何でもあるだろうがこっちは千葉県香取市なのだぞ(*3)。他県出身者は県単位でいいが、さっきの斉藤愛菜さんとか吉田総司君がそうだったように、地元千葉県の人間はなぜか出身地を市区町村レベルで言わなくてはならない。日本国憲法十四条一項には「すべて国民は、法の下に平等であって(略)差別されない」と明記してあるのに、これは千葉県出身者に対してだけ不利益な扱いをする差別ではないのか。国立大学という国家機関がそれをやらせているのだから憲法訴訟ものだ。だが仮に訴訟を起こすとしても、今この場は乗り切らなくてはならない。お国自慢。どう言えばいいのだろうか。県単位で「ディズニーリゾートで有名な香取出身です」などと言ったら失笑されるだろう(*4)。香取市限定でなければならないのだ。「水郷」と言って通じるだろうか。香取神宮はマニアックに過ぎるし(*5)鹿島神宮は利根川のむこうだから反則だと思われる。「何もない香取です」と言えば受けるだろうが地元を売って笑いをとっていくスタイルには疑問を覚えるし今まさに喋っている秋田県横手市出身の畠山翔君が「雪以外なんにもない秋田出身です」と俺のネタを横取りした。同じことを言えば「ネタがかぶった痛い奴」扱いされかねない。畠山君貴様、なぜ秋田出身の癖になんにもないなどと言った。無形文化遺産のナマハゲ様たちに謝れ(*6)。秋田美人に謝れ。横手のかまくらたちに謝れ。そもそも畠山君が黒木君の「お国自慢」を律儀に継承せず無視していれば次の人も俺もそれをやらずに済んだのに。律儀な人だということは分かったがこちらのことも考えてくれ。ひひひひひひそんな恨み言を言っているうちに隣の人が立ったぞ。長野県松本市出身の讃岐香里さんだぞ。讃岐。讃岐なのに長野なのかと思ったらまさにその話をした。友達からは讃岐=たぬきなので「たぬー」と呼ばれています。そう呼んでください。少し受けた。畜生この人のこれは定番なのだろう。珍しい名字のおかげでそれを喋ればどこでもフリーパスなのだ。羨ましい。俺なんか藤村京だぞ。どういじればいいのだ。あはははははは畜生俺の番だ。うまく喋れずつっかえて場の空気がスウゥゥゥー……としらける絵が頭に浮かぶ。さんざしらけさせておいて「よろしくお願いします」としか言えず「なんだよあいつ」「面白いこと言おうとして溜めすぎ」「溜めたくせにあれだけとか」と男も女も、老いも若きも俺に向かって侮蔑の目を向けるのだ。あるいは勢い余って変なことを口走るか。「藤村京です。京だけど無宗教なのでミサとか行ったことないんですけどね。あははははは」俺の空虚な笑いが七十九名の同級生と壇上の教官の頭上を滑り、反応に困った皆の「配慮の笑い」が春の野に咲くハキダメギクのように散発的にぽつ、ぽつ、と波紋を広げるのだ。そして困ったように立つ次の人。俺には「無理して面白いことを言おうとしてすべった奴」という一生消えない刻印が残る。もう駄目だ。俺は誰とも視線が合わないようぎりぎりまで下を向きつつ立ち上がる。嫌だ。無数の目がこちらを見ている。「弁護士志望の藤村京です」あっ、出身地と順番が逆になった。「あの、ち、千葉出身です。香取市です。よろしくお願いします」マニュアルのあれもこれも飛ばして決め台詞の「よろしくお願いします」を言ってしまった。とっさに座りかけるがさすがにこれは短すぎると思い空中で尻を止め、さりとてとっさに付け加えるべき何も思いつかず、急いで俯いてガタリと座る。一瞬中腰で止まったあれは何だったのかと思われているに違いなかった。そしてあまりの短さと内容の乏しさに「なんだよ」と思われているに違いなかった。
でも、しょうがないじゃないか。俺はコミュ障なのだから。
隣の人に視線が当たらないように気をつけながら横を向き、窓の外を見る。今春の千葉は異常気象で、今日も天気予報で言っていた通り、朝からずっと雪が降っている。夕方には雨になるそうだが。
人との会話が苦手だった。テーマのある会話ならまだしも、とりとめのない雑談、というやつが特に苦手だった。話している間どこに視線を置いたらいいのか分からない。相槌をどのタイミングで入れればいいのか分からない。声が小さいとよく言われるが音量調節が苦手で、聞き取りにくい小声か相手をぎょっとさせてしまう大声のどちらかしか出ない。ボリュームの目盛りが二つしかないのだ。そもそも話題にできるようなとりとめのないトピックがとっさに思いつかない。そして人に話しかけることができない。何と言って声をかければ常識的なのか分からない。同じクラスの顔見知りの人に廊下ですれ違った時、声をかけるべきなのかそうでないのかでいちいち悩む。挨拶の言葉もどれがいいのか分からない。後ろの列の人が自己紹介を続けている教室で、俺は机に伏せるようにして存在をできる限り消した。もともと、自己紹介というシチュエーションが苦手で嫌いで仕方がなかった。人前で自分だけ立ち、周囲すべての人間から注目されながら気軽に何か面白いネタを交ぜつつ一席ぶつ。しかも台本なしでだ。神業だと思う。だいたいどうしてこんな目に。大学の新入生ガイダンスなのに。シラバスだけ配って終わるものだと思っていたのに。高校を卒業して、ようやっとこういうイベントからは解放されたと思ったのに。だがこれでもう、さっきの十秒ほどの発言でもう、俺が気持ち悪いコミュ障だということが七十九人全員に知れ渡ってしまった。それともこれは、わざとか。使えないコミュ障をいち早くあぶり出して排除し、コミュニケーション能力のある、就活で使える学生だけに効率よく資源を割くつもりなのか。
自己紹介の順番は最後の方になっていた。俺は喋る人の方を振り返らず、机にしがみつくようにして耐えていた。兵庫県神戸市出身の大西康隆君。千葉市稲毛区出身の林倫太郎君。皆、なぜ平気で人前で喋れ、なおかつその場の流れに応じて、ほとんど持ち時間がゼロな中で適切な答えを返せるのだろうか。これまで同級生だと思っていた七十九人の学生たちの背中が、急に得体の知れない怪物のように見える。そうしているうちに自己紹介の時間が終わる。壇上の教官が「ではみなさん、メールアドレス……いや今はメールじゃないのか。SNS? ですか? の番号なども是非お互いに交換しあってください。友達を作るチャンスですからね」と笑顔で言い、解散を指示した。
全員なんとなく頭を下げて礼をし、一瞬の静寂ののち、教室全体が崩落を始めたかのようなざわめきに包まれた。右前の人も左の人も携帯を出し、近くの人に話しかけて皆一斉に、賑やかにIDを交換しあっている。「すいませんアドレス交換しませんか」「あっ俺も埼玉です。どのへんですか?」「うちら、こっちの二人は高校が一緒で」「あっ、受信しました。ありがとうございます」
突如出現した会話の奔流の中で、俺は一人、完全に砂州状態で取り残されていた。位置的に最も話しかけやすかったはずの右隣の人は右を向き、左隣の人は左を向いてしまっている。まあそもそもどちらも女子なので俺からは無理だ。前の人は右斜め前の人たちと携帯を出している。後ろの人はどうだろうかと思ったが、振り返ってまともに目を合わせでもしたら、誰にも話しかけることができずに仕方なく後ろを向いたのがもろにばれて鼻で笑われるに決まっている。かといって今の状況はどうなのだろうか。傍から見れば「あっ、あいつ乗り遅れたな」というのが明らかだ。それとももうすでに誰かに見られて笑われているのだろうか。あいつ固まってる。話しかけてもらいたそうにチラチラ見てる。コミュ障だ。可哀想。あははははは。物欲しそうな顔をしてすでにあちこちできかけている小集団に近寄ればますます笑われる気がするので席を立つことすらできない。だがこのままきょろきょろしつつ座っているだけも痛々しすぎる。誰か、話しかけてくれればいいのに、困ったことに前後左右はもう俺に背中を向けてグループを作り始めている。あれの背中に話しかける勇気はないし、振り向いてもらうためには相当大声を出さねばならず、そんなことをすればぎょっとされるし「必死だな」と心の中で笑われる。席を立とうか。立って、同じようにグループに入れずうろうろしている遊星を探そうか。しかし皆は行動が早く、すでにいくつかのグループは談笑しながら教室を出ていき、気がつけば教室内の人数も減り始めている。遊星は。お客様の中に遊星はいらっしゃいませんか。一人見つけたが遠い。もう一人、は女子なので無理だ。俺は周囲を見回し、ぞっとする状況に気付いた。誰とも話さず一人でぽつねんと座っているのはもう、俺だけだった。
この状況には既視感がある。というより何度も経験している。中学校でも高校でも。入学式というものがあるたびにこうして出遅れ、どこのグループにも入れてもらえず、楽しそうにやっているまわりの人たちを横目で見つつ一人、話し相手もないまま過ごすのだ。またそれなのだ。ひどいことに今回は一日目で決まってしまった。いや、大学生にもなれば他の人たちも経験豊富になってきて、一日目のこういう時間こそが勝負なのだと理解しているからこそ、これほどまでに早く大勢が決したのだろうか。
口の中に粘液めいた苦味が広がる。今、傘立てからそれぞれ傘を抜き取りつつ出ていったグループは笑っていた。きっと一人だけ白い顔をして座っている俺を見て「あー可哀想」と笑っているのだろう。俺は自分が可哀想ではないことを表現しようと、ガイダンスの間に出していたペンケースや、結局何も書かなかったルーズリーフをリュックにしまう。しかしそれ以外にやることがないので携帯を出し、「友人からメッセージが来ていた」という設定で演技をしつつスマホゲームを起動して画面を眺める。だがそんな必死の演技も、周囲で談笑しているグループの人たちにはとうにばれていて「あいつ一人だ」「平気な演技をするのに必死だ」とクスクス笑われている気がする。俺はコートを着たものの立ち上がる決心がつかず、背中を丸めてますます携帯に集中するふりをする。席を立って出ていきたかったが、入口近くには四、五人のグループが留まっているから「あ、すいません」と言ってどいてもらわなければ出られない。だがその声かけがそもそも億劫だし、グループの人たちにどいてもらった上で、一人ですごすごと出ていく姿を見られる、というのは辛すぎる。どうせこの後の予定などろくにないのだ。最後までここに根を張っていてもいいかもしれない。それにしても、俺は何をしているのだろうか。頰杖をついて携帯を見ていたら、暖房とコートの暖かさで眠くなってきた。
*1 茨城県南部に位置する湖。面積は琵琶湖に次いで日本二位だが平均水深は四mしかなく、最大水深でも七・三m。ワカサギやシラウオ等が獲れるが、冬場に行くと風が吹きわたって大変寒い。
*2 Amazon社提供の音声認識アシスタント。「Amazon Echo」に搭載されているAIで、口で言うだけで音楽を流したり家電を動かしたりと未来な生活が可能になる便利アイテム。頑張って冗談を言ってくれたり突然笑いだしたりと色々なエピソードが噂されるが、このようなバグり方をしたという情報はない。
*3 香取市民に失礼である。
*4 誤解している人がはなはだ多いが、ディズニーリゾートがある浦安は千葉県である。
*5 失礼である。
*6 ナマハゲは男鹿のあたりなので、他地域の秋田県民はそれほど自分のところのものだとは思っていない。
▼単行本になりました!
https://www.kadokawa.co.jp/product/321903000375/