KADOKAWA Group
menu
menu

連載

つながりとゆらぎの現場から――私たちはそれでも介護の仕事を続けていく vol.12

六車由実の、介護の未来06 利用者さんが入院する、ということ(後編)

つながりとゆらぎの現場から――私たちはそれでも介護の仕事を続けていく

介護という「仕事」を、私たちはどれだけ知っているのだろう。そしてコロナという未曽有の災禍が人と人との距離感を変えてしまった今、その「仕事」はどのような形になってゆくのか。民俗学者から介護職に転身、聞き書きという手法を取り入れた『驚きの介護民俗学』著し、実践してきた著者が、かつてない変化を余儀なくされた現場で立ちすくんだ。けれどそんな中で見えてきたのは、人と人との関係性そのものであるという介護。その本質を、今だからこそ探りたい――。介護民俗学の、その先へ。

 ◆ ◆ ◆

>>前編はこちら

タケコさんの抵抗

 タケコさんが、スタッフと自分との関係の非対称性を感じ取っていたことは、認知症の進行に対する不安が強くなるにしたがって、タケコさんが私たちスタッフに対して声を荒らげることが増えていったことにも垣間見えるかもしれない。
特に酷かったのは、トイレに促そうと声をかける時だった。タケコさんは、ここ1年くらいは自分でトイレに立つことはほとんどなくなっていたため、昼食の前後や帰りの送迎の前等、定期的に声をかけてトイレへ誘導する必要が出てきていた。
 ところが、スタッフが声をかけると、「行きたくない」と必ずと言っていいほど拒絶する。それでも何とか表現を変えながらトイレへと促そうとすると、「行きたくないって言ってるじゃん」と強い口調で言い、スタッフの手を振り払ったりする。タケコさんの大きな声に、まわりの利用者さんたちも驚いてしまい、デイルームの空気は一瞬凍りつく。もうそうなってはタケコさんは頑なに拒絶するばかりだし、みんなにとってもよくないと、スタッフは「わかったよ。ごめんね」と答え、その場を離れる。本人も落ち着き、デイルームの雰囲気も元に戻った頃に、改めて他のスタッフが声をかけて促してみる、ということを繰り返していた。
 トイレ誘導に対する頑なな拒絶が続いていくと、今度は、スタッフが利用者さんたちとするたわいもない会話に対しても、「何を言っているかわからん!」と大声で批難してみたり、広告紙でごみ箱を折ってくれないかと頼んでみても、「できない!」と言ってやってくれなかったりと、否定的な態度や言動が際立つようになっていった。もちろん、そうでない時もあったのだが、拒絶したり、否定したりする時のタケコさんの言葉があまりに強くきつかったので、私も含め、スタッフ全員が、心を痛め、緊張し、戸惑っていた。
 タケコさんが心穏やかに過ごすにはどうしたらいいのか。タケコさんとの関係をどう続けていったらいいのか。スタッフそれぞれが悩み、みんなで話し合ってみたものの、なかなか先行きは見えなかった。
 タケコさんが強い言葉や態度で拒絶するのは、すまいるほーむばかりではなかった。半年前にすまいるほーむでの様子を見に来た娘さんによると、自宅でも、ご主人や娘さんのちょっとした言葉や声がけに対して、急に怒り出してしまうことが増えてきたというのである。
 でも今から思えば、タケコさんは、今までできていた日常生活の作業や動作ができなくなっていくという受け入れがたい現実を、行動を促すためにかけられる言葉や、実際の介助の場面が増えていく度に、鋭い刃物のように痛烈に突きつけられていたのではないか。そして、自分がそうやって一方的に助けられて生きるしかない人間なんだと、自分には生きる価値がないのではないか、と絶望を深めるようになっていったのではないだろうか。
 トイレ誘導等の介助に拒絶的で、スタッフの言動を強く批難していたのは、自分の存在価値が貶められることへの必死の抵抗だったのではないか、と今は思える。


私たちはタケコさんに助けられていた

 けれど、タケコさんの強い拒絶と否定的な言動に酷く傷つけられ、精神的に消耗していた私たちは、そうしたタケコさんの思いに気づくことはできなかった。そればかりでなく、タケコさんが入院したということについても、予想外の出来事にショックを受けたと同時に、またいつ声を荒らげて拒絶されるかもしれない、とビクついたり、緊張したりすることから一時的ではあれ解放されたことに安堵する気持ちもなかったとは言えなかった。
 ところが、タケコさんが入院してから一週間も経たないうちに、今度は、タケコさんが不在であることが急激に寂しく感じられるようになってきて、スタッフ同士でも、利用者さんとの会話でも、みんなが一様に「タケコさんがいなくて寂しい」と口にするようになっていた。ほぼ毎日利用していたタケコさんは、もはや、すまいるほーむにはなくてはならない存在になっていたのである。声を荒らげたり、拒絶したりする場面でさえも、それがないと物足りないような、そんな気さえしてくるから不思議である。
 そして、タケコさんがすまいるほーむに居なくなって、スタッフみんなが改めて実感したのは、「私たちは、タケコさんに随分と助けられていた」ということだった。
 すまいるほーむには、認知症の方が何人も通ってきている。その中には、認知症の進行により、意思疎通が難しくなった方たちもいる。いずれもお話好きで、誰か傍にいればいつも話しかけるのだが、何を言わんとしているのか理解するのは難しく、他の利用者さんたちは話しかけられてもどう対応していいのかわからず、隣に座るのを嫌がる方が多い。
 ところが、タケコさんは、そうした認知症の方に話しかけられることを一度も拒絶したことがなかったのだ。しかも、話しかけられたことに対して、時々相槌を打ちながら、根気強く耳を傾けて、一生懸命理解しようとしてくれていた。そして、私たちスタッフ以上に、その方たちの言葉を理解しているように思えた。でも、やはり時々、理解できないこともあって、そういう時には、怒り出すのでも、拒絶するのでもなく、私たちスタッフを手招きし、「何か言っているけど、私にはわからないから、聞いてあげて」と穏やかに助けを求めてくれたのである。
 また、認知症の方が、テーブルの中央に置いたティッシュペーパーのボックスから、ペーパーを何枚も取り出しては入れ、入れては取り出しているのを、他の利用者さんたちが強く咎めて、本人が怒り出してしまい、慌てててスタッフが間に入って、おさめることがよくある。ところが、タケコさんの場合は、「これはみんなで使うものなんだよ。一枚取ったら、箱はそこに置いときな」とやんわりと伝えて、見守っていたので、認知症の進行した方も安心していたように思う。
 自分の認知症の進行に絶望し、介護されることに拒絶的だったタケコさんが、認知症の重度の方に対して、なぜそんなに優しく関われたのか、それはわからない。もしかしたら、タケコさんには、祖母や母親を介護した経験があったからかもしれない。いずれにせよ、多くの利用者さんたちが、特に、軽度、中度の認知症の方が、重度の認知症の方に対して、「わけがわからない」「あんなふうにはなりたくない」と拒絶的になるのに対して(そういう発言は私たちにとってとても哀しいことであり、重度の認知症の方の存在もまるごと受け入れていく雰囲気を作っていきたいと思っているのだが)、優しく見守れるタケコさんは稀有な存在なのであった。
 そんなタケコさんが不在となったことで、重度の認知症の方と他の利用者さんとの間のトラブルも増えていった。そのため、毎日、トラブルが起きないように、みんなが嫌な思いをすることがないようにと、席順にも今まで以上に配慮が必要になった。また、できるだけスタッフが重度の認知症の方の隣に座り、関わる時間を増やしていく必要があった。
 そうしてみると、今まで、あまり意識したことはなかったが、どれだけタケコさんに私たちが助けられてきたのかがわかる。タケコさんには、認知症の方を優しく見守り、寄り添う、そういうすごい力があったのだ。それにもっと前にちゃんと気がついていたら、タケコさんを絶望から少しでも救えたかもしれない。私は、タケコさんのいない寂しさとタケコさんを救えなかった後悔を噛みしめていた。


引き裂かれる心、でも前に進んでいく

 日が経つにつれ、タケコさんの不在の寂しさが身に沁み、タケコさんへと思いを馳せる時間が増えていく。でも、哀しみに耽ってばかりいるわけにはいかなかった。私は、すまいるほーむというデイサービスの運営に責任を持つ管理者であるからだ。
 利用定員10名という小規模のデイサービスにとって、毎日来ていた方が利用中止になるということは、入ってくる報酬が大きく減額することを意味する。しかも、今年は新型コロナウイルスの感染拡大を予防する観点から、各曜日の利用定員を8名まで減らしていた。だから、経営的な打撃は更に大きいのである。
 また、不思議なことに、10月から12月という寒くなる時期は、毎年、何人もの利用者さんが、まるで連鎖反応するかのように、転倒や病気のために入院したり、施設に入所したり、家族の都合で転居したりして、利用を中止されるケースが重なるのである。実は、今年も、タケコさんを皮切りに、一人はやはり転倒して入院され、一人は末期がんであることがわかり自宅で療養することになり、一人は体調不良で来られなくなった。いずれも、タケコさんと同様に、すまいるほーむの仲間にとって、既にそれぞれが大切な存在になっていた人ばかりだ。だから、その別れは本当に哀しいし、残念でならない。
 そんな心残りを胸に抱きながらも、私は管理者として、新しい利用者さんを紹介してもらえるように、お世話になっているケアマネジャーさんたちに対して、営業活動をする。電話をかけたり、ファックスを送ったりして、空いている曜日と人数をお知らせし、是非、また利用者さんを紹介してください、とお願いする。
 タケコさんについても、リハビリを頑張って、またすまいるほーむに戻ってきてほしいと心から願う一方で、いつ戻ってこられるのか、本当に戻ってこられるのか全く先行きが見えない状態の中では、タケコさんのための利用枠を毎日一つずつ何か月も確保しておくことは、経営上できないのもまた現実である。経営状態が悪化すれば、すまいるほーむの存続は難しくなる。それは、ここを頼りに来てくれている利用者さんや、家族、そしてスタッフたちの期待や希望に沿えないようになることを意味する。
 何としても、すまいるほーむを存続させなければならない。
 私の心は、タケコさんたち、すまいるほーむに不在となった仲間たちへと馳せる思いと、新しい利用者さんを獲得しなければならないという管理者としての責任感との間で引き裂かれる。引き裂かれた心に鈍い痛みを感じ続けながらも、前に進んでいくよりほかない。
12月から、新しい利用者さんが2人、通うようになった。すまいるほーむに集うみんなにとって、明るい希望が見えてくることを私は祈る。



※次回は1月30日(土)に掲載予定


MAGAZINES

小説 野性時代

最新号
2025年5月号

4月25日 発売

ダ・ヴィンチ

最新号
2025年5月号

4月4日 発売

怪と幽

最新号
Vol.019

4月28日 発売

ランキング

アクセスランキング

新着コンテンツ

TOP