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連載

民王 シベリアの陰謀 vol.4

【池井戸潤『民王』待望の続編】ついに新作が始動! マドンナ大臣の乱心はウイルスの仕業か? 『民王 シベリアの陰謀』#2

民王 シベリアの陰謀

あの「民王」が帰ってきた!
新作『民王 シベリアの陰謀』がいよいよ始動! 今秋発売予定の単行本に先がけて、前作のプロローグ試し読みに続き、冒頭部分を4回に分けて特別掲載します。

『民王 シベリアの陰謀』#2

     2

「ウイルス?」
 その一報を受けたとき、泰山は思わず聞き返していた。「いまは七月だぞ、貝原。インフルにかかる季節にしてはおかしくねえか」
「新種のウイルスだそうです」
 秘書の貝原へいのひと言に、むむ、と泰山は眉を動かした。貝原は続ける。「なんでも、いままで発見されたことのない未知のものだそうでして。東京感染症研究所でも首を傾げているそうです」
 東京感染症研究所は、細菌やウイルス研究に関する国内最高の研究所である。
「未知のウイルス……。治るのか」
「わからないそうです。なにしろ──未知ですから」
 じろりと泰山は貝原を睨んだ。
「いまどんな状況なんだ」
「集中治療室に隔離されているそうです」
 メモを貝原は読んだ。「意識は朦朧もうろう。鎮静剤で入眠中。目覚めると暴れる可能性があるのでベッドに固定されている、と」
 貝原の口調が淡々としているだけにかえって生々しく高西の容態が伝わってくる。
「担当のドクターはなんていってるんだ」
「脳神経になんらかの働きかけをするウイルスではないか、と。実際にそういうのが存在するそうですが、推測に過ぎません。東京感染症研究所と連携して治療薬をどうするか検討しているそうです。もちろん、いつ回復するのか、そもそも回復するのかも──」
 また泰山に睨まれ、その後の言葉を貝原は飲み込んだ。
「しかし、どこでそんなウイルス拾ってきたんだ、マドンナは……」
 そうひとりごちる。容態も心配だが、問題は他にもあった。
 高西麗子の環境大臣起用は、第二次内閣の目玉人事である。かねて環境問題の論客として鳴らしていたものの、高西の抜擢は与党・民政党内からも驚きをもって受け止められたはずだ。その高西に万が一のことがあれば、環境問題を重要政策課題のひとつとして掲げる泰山の政権運営に支障をきたすことになる。野党からも様々な追及があるだろう。
「実は、そこが問題でして」
 貝原がいい、泰山は秘書を見た。
「人事が、か」
「いえ、そうではなくどこでウイルスを拾ってきたかです」
「そっちか」
 聞き流そうとした泰山に、「高西大臣と濃厚接触した方は全員、検査を受けてほしいと保健所から言われております。感染の疑いがあるとのことで」
 そう告げる。
「オレもか?」
「三日前に環境省内で面談されています」
 貝原の指摘に、そうだったな、と思い出した。「そのとき、すでに高西大臣は微熱があったとのことで。会議室で数メートル離れていましたから、大丈夫かとは思いますが」
「あのとき、お前もいたな。カリヤンもだ」
「はい。面談は十分程度で切り上げたはずですが、感染していないとも限らないとのことです」
「もし感染してたら、ヤバいな。『感染内閣』だ」
 秘書の目に密かなべつの色が浮かんだが、それに泰山が気づかないよう、「『感染解散』なんてのもあるかもしれません」、という言葉で誤魔化された。
「お前も城山しろやまのオヤジみたいになってきたな」
 まだ第二次武藤内閣ができたばかりだというのに、派閥のりようしゆうである城山かずひこは、泰山の顔を見るたびに解散を迫る困った老人であった。国民にはまだバレていないが半分ボケて、冗談なのか本気なのかわからないのも始末に悪い。
「これ以上、閣僚に感染が広がることがあっては一大事です、先生」
 貝原は周到に話を元に戻した。「まずは感染の有無を確認することが肝要かと存じます」
「どうもお前にいわれると、ひと言反論したくなるのはなんでかな、貝原」
 意地悪くいった泰山に、
「もしやすでに感染しているかも知れません、先生」
 貝原は真顔で返した。冗談なのか、本気なのかわからない。現実をヤカンに入れて煮出したような男である。
「検査はいつだ」
「いますぐにお願いします」
 手振りで泰山を促して、貝原はいった。「東京感染症研究所で検査態勢を整えて先生の到着を待っております」
 なにやらきな臭い雰囲気になってきたと思いつつも、泰山は悠然たる足取りで官邸執務室を後にした。

     3

「あっ、あや。こんなとこでなにやってんだ」
 泰山らの待合用に確保された研究所の一室に行くと、驚いたことに妻の綾がいた。
「なにやってんだはないでしょう、あなた」
 泰山の妻はコーヒーカップをソーサーに戻し、「あなたがヘンなウイルスに感染したかも知れないから、念のため私も来てくれってさっき連絡があったのよ。私、お芝居観にいくつもりだったんですけど」
 と不満の表情である。
「そりゃ悪かったな」
 さして悪いと思っているふうもなく泰山はいうと、「ところでどんな検査だった」、ときいた。
「痛かったわよ。いままでこんな痛い検査は初めてね」
 よく聞いてくれたといわんばかりに、綾は大げさにいった。「太い注射針をお腹に刺されて、牛乳パック一個ぐらいの血を抜くのよ。なんでも未知のウイルスだからって。死んだ方がマシなくらいよ」
「ギエッ」
 というが鳴くような声を上げたのは、狩屋孝司であった。ムンクの「叫び」を思わせる表情である。
「冗談に決まってます、官房長官」
 貝原に小声で諭されても、狩屋は震えが止まらないようであった。大の医者嫌いなのである。そんな官房長官に哀れな眼差しを向け、
「で、検査結果はどうだったんだ」
 泰山がきくと、
「陰性よ」
 当然のように綾はこたえた。
「やっぱり、神経が図太いやつは感染しないと見える」
「ならあなたも陰性だと思うわよ。カリヤンは知らないけどね」
 綾は狩屋をからかった。
 そのときノックの音とともに防疫服を着込んだ看護師が顔を出した。
「総理、お迎えに参りました」
「ぶっとい注射針だからね、あなた」
「黙れ」
 そういいながら部屋を出た泰山だが、ものの五分もしないうちに検査を終えて戻ってきた。
 ひどく深刻そうな表情に、
「た、泰さん、どんな検査でした」
 すがるように狩屋がきいた。
「諦めろ、カリヤン。太い注射器だ。イテテテッ」
 腹のあたりを押さえて泰山がうずくまると、狩屋の顔面から音がするほどの勢いで血の気が引いていく。
 ノックがあった。
「官房長官、お願いします」
「い、いやだ」
 狩屋が取り乱して傍らの貝原にしがみつくと、やはり防疫服姿の屈強な男たちが三人で引き剝がし、検査室へと連れ去っていった。
「カリヤンって、おもしろい人よねえ」
 狩屋の姿がドアの向こうに消えると、綾がカラカラと笑い声を上げた。
「オレの女房は、そんな底意地の悪い女だったかな」
「意地の悪さではあなたには負けますよ」
 綾が言い返した。「行ってカリヤンの手でも握ってあげたら」
「たかが綿棒を鼻に突っ込むだけじゃねえか」
 そのとき、
「鼻に──突っ込む?」
 貝原の顔つきが変わった。「鼻に突っ込むんですか、先生」
「どうした、貝原」
「私、極度の鼻の穴恐怖症なんです。小学生の頃、授業中に居眠りして鉛筆が鼻に刺さりまして。考えただけでも心臓が止まりそうになるんです」
「そら気の毒だったな、貝原。今回は綿棒が刺さるだけだ。気にするな。心臓止まるかもしれんけどな」
 貝原が愕然と立ち尽くしたとき、ノックとともにしようすいしきった様子の狩屋が戻ってきた。
「泰さん、ひどいじゃないですか。鼻の穴に綿棒ぶっ刺すだけでしたよ」
「次、貝原さん、どうぞ」
 もはや貝原は硬直し、歩きだそうとしているらしいが脚が上がらず、び付いたブリキ人間になってしまったかのようだった。
「どうしたの、貝原くん」
 事情を知らない狩屋はポカンとしている。「心配しなくても大丈夫だって、綿棒がこう、ぐぐっと鼻に入るだけだから──」
 短い奇声が放たれたかと思うと、突如、貝原の体がぐらりと揺れた。気絶したらしい。 倒れる前に手際よくその体を受け止めた看護師たちが、丸めた絨毯じゆうたんでもかつぐ要領でさっさと貝原を連れ去っていく。それを見て、
「貝原君も意外に臆病なんだから。ねえ、泰さん」
 自分のことは棚にあげて、狩屋はいまや余裕の表情を浮かべたのであった。

(つづく)



民王
著者 池井戸 潤
定価: 704円(本体640円+税)

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