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連載

民王 シベリアの陰謀 vol.3

【池井戸潤『民王』待望の続編】ついに新作が始動! 第二次泰山内閣発足直後、目玉のマドンナ大臣が乱心し……。『民王 シベリアの陰謀』#1

民王 シベリアの陰謀

あの「民王」が帰ってきた!
新作『民王 シベリアの陰謀』がいよいよ始動! 今秋発売予定の単行本に先がけて、前作のプロローグ試し読みに続き、冒頭部分を4回に分けて特別掲載します。

『民王 シベリアの陰謀』#1

  プロローグ

 夢の中で質問に立っているのは、憲民党のくらもとろうであった。党首自ら質問に立ち、たいざんに真っ向勝負を挑むつもりらしい。
 ──総理にお伺いします。現在、我が国はかつてない地政学的リスクに直面し、国防戦略の抜本的見直しを迫られる状況をどう考えておられるのか。また、いまや全世界的に取り組みが本格化している脱炭素、温暖化対策の遅れによる国際社会からの批判をどう受け止めておられるのか、お尋ねいたします。国際社会での我が国の地位向上に向けて、どのような政策を取られるおつもりなのか、この場で明確な方向性を示していただきたいと思います。
 そんなものがあるのなら答えてみろ、といわんばかりの態度である。
 相変わらず憎たらしいヤツだ、と泰山は思った。
 だが、負けるわけはない。この手の論戦は得意中の得意とするところで、予算委員会の答弁と辻説法で、泰山に並ぶ論客などいないのだ。
 ところが──。
 ──内閣総理大臣、とう泰山くん。
 答弁に立ったのは泰山ではなく、どういうわけかバカ息子のしようであった。けいせい大学付属小学校から大学までエスカレーター式に上がり、遊び呆けて大学では二度留年。根性もなければ学力もない。情熱を燃やすのは、女の尻を追いかけ回すことぐらいだ。
 指名された翔は答弁を渋り、ダダをこねているように見える。
「なにやってんだ、翔。早く答弁しないか」
 泰山は焦りつつもそれを見守るしかない。
 ──武藤泰山くん。
 発言を促されても、なかなか翔は立ち上がらなかった。ついに官房長官のかりに背中を押され、答弁用の原稿を手にしたままブリキのロボットよろしくマイクの前に歩いて行く。緊張でガチガチだ。
 ──た、た、ただいまの質問にその──おっ答えシマース。
「外国人か、お前は」
 頭を抱えた泰山の耳に翔の答弁が聞こえてくる。
 ──ええっと、アジアにおけるわが国の、その──なんだこりゃ。チマサ学的なミチから──。
 思わず後ろに控えている秘書のかいばらを振り向いた。
「な、なんだ、あの原稿は」
「たぶん、〝地政学的な見地〟、じゃないですかね」涼しい顔で貝原がこたえる。
「も、もうダメだ」
 ──アジアにおける戦争のニョウイをミカするなど、私のコカンにかけてあってはならないと──。
 よりによって、コカンのところを強調して翔は読んだ。
「か、貝原──」
「戦争の脅威を看過する、と言いたかったんでしょう」といった。「コカンはきっとけんですね」
「アホか」
「アホですよ。翔ちゃんですから。あっ、すみません」いつもひと言多い貝原は押し黙る。
 収拾のつかない騒ぎになった。閣僚たちは啞然呆然。野党議員のヤジが飛び、蔵本までもが腹を抱えて笑っている。
「オレはもう死にそうだ、貝原」
 泰山は青息吐息で、呼吸困難に陥っていた。「ダメだ。もう息ができない。泰山死すとも、自由は死せず──うわっ」
 と──そこで目が覚めた。
「夢、か」
 全身にべっとりと冷や汗を搔き、起き上がるとエアコンの吐き出す風がひやりとした感触を運んでくる。胸の鼓動が速い。きっと血圧も上がっているに違いない。たたでさえ血圧高めである。
「ひでえ夢だな」
 次にまたこんな夢を見たら、どこか脳の血管が切れるに違いない。
 枕元の時計は午前三時を指している。水差しからコップ一杯の水を喉に流し込み、気分が落ち着くまで静かに待った。
「いや──夢で良かった」
 そう泰山は思い直した。
 夢は所詮、夢である。
 そして、悪夢はもう覚めた──はずであった。

 第一章 マドンナの乱心

   1

 パーティは佳境を迎えようとしていた。
 有楽町にあるホテルイースタン。日比谷公園にほど近いこのホテルで最大の宴会場、ほうおうの間には新大臣の誕生を祝おうと千人近いパーティ客が駆け付け、低めに設定された空調にもかかわらず汗がにじむほどの熱気が漂っていた。
 人いきれのする会場の正面には、「たか西にしれい大臣を励ます会」の横断幕。ここに詰めかけているのは、高西の地元北海道から大勢かけつけた支援者をはじめ、各企業の代表、民政党関連議員、そして多くのマスコミたちだ。
「それではここで、高西麗子大臣より、本日この会にお越しいただいた全ての皆様に、ひと言、ご挨拶申し上げます」
 司会進行役の案内に、拍手と歓声が沸き起こった。
 照明が暗転し、ちょうどパーティ会場の中央にいた高西にスポットライトが当たると、筋肉質の堂々たる体格がモーセのごとく人垣を割って壇上へ近づいていく。
 高西麗子は、北海道出身の四十五歳。元プロレスラーというユニークな経歴ながら、環境問題で頭角を現し、いまや国会内で並ぶ者のない論客として存在感を放っている。
 その高西を環境大臣に起用したのは、昨年発足した第二次武藤泰山内閣の、いわばサプライズというやつだ。
「よっ、マドンナ!」
 威勢のいい掛け声があちこちから上がった。「マドンナ」は、高西のリングネームだ。いまでも親しい者たちは高西のことを「マドンナ」と呼ぶ。
 〝泰山内閣のマドンナ〟となった高西には、新環境大臣としての豪腕を期待され、ゆくゆくは初の女性内閣総理大臣になるやも、という気の早い衆望すらあるほどである。
 さて──いまその高西が堂々たる足取りで舞台中央に立ち、ふいにまぶしそうにスポットライトを見上げたところであった。
 それも束の間、自分に注目するパーティ参加者に向かって、「皆様のマドンナ、高西麗子でございます」、という第一声を放った。
「私はこれまで、この地球を巡る様々な環境問題にスポットライトを向けてきました。いま浴びているこのスポットライトより、まぶしく強い、正義のライトです」
 とスポットライトへ手をかざし、「──ちょっと。これどうにかならないの。私にまたリングに上がらせるつもり?」。
 笑いの中、舞台袖にいた秘書が駆けだしていったが、気の利かない照明係のせいで一向にスポットライトは消えなかった。
「我が国の環境問題、とくに脱炭素の取り組みは、欧米の取り組みと比べて相当の後れを取っています」
 高西は続ける。「フクシマの原発事故以後の原子力発電への不信感。それを補う火力発電の──」
 といったところで、どよめきを誘う異変が起きた。
 高西の巨体が見えないエルボーでも食らったようにぐらりと揺れたのである。
「おい、大丈夫か。マドンナ」舞台前にいる支援者たちが駆けより、体を支えようとしていた。
「おい、早くスポットライト消せ!」
 誰かが叫んだが、それを制するように高西は体勢を立て直した。だが、その表情は歪み、体調の異変は誰の目にも明らかだ。
「ああ、大丈夫です。ちょっとその──まいが、した、だけですから」
 途切れ途切れにいった高西は再びライトを見上げる。そして続ける。一語一語を刻むような口調であった。「──原発事故、以来、火力発電の、増加で、電力構成は、変動を、余儀なくされ、脱炭素の、構造は、むしろ──後退しています。じゃあ、どうすれば、どうすればいいでしょうか」
 何が起きているのかはわからない。
 突然の体調の変化にもかかわらず、演説を続けようとする高西のはくに会場が飲み込まれようとしている。だが──。
「いったい私たちはどうすれば──」
 高西の膝ががくりと折れたのは、まさにそのときである。
 息を詰めて見守っていた秘書たちが壇上に駆けより、会場は騒然となった。もはや挨拶どころではない。舞台に両膝をついた高西を両側から抱え上げようとするが、なにしろ巨体である。
 しかし、このとき信じられないことが起きた。
 高西の太い腕が一閃したかと思うと、取り囲んでいた者どもがのごとく吹き飛ばされたのだ。
 ゆっくりと立ち上がった高西の目に、何か得体の知れない光が宿っている。
 まえかがみになり、両手を突き出して立つ様は、タックルを狙うプロレスラーのようだ。
 高西から、低く獰猛な声が漏れ始めた。
「落ち着いてください、大臣。うわっ」
 再び高西に近寄った秘書が、強烈な拳の一撃とともに吹き飛ばされた。さらに数人が、すさまじいりよりよくの前になすすべもなく蹴散らかされていく。
 もはやプロレスの場外乱闘だ。
 パーティ会場は混沌とし、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていく。
 前途洋々だったはずのマドンナの政治家生命は、もはや絶たれたも同然であった。

たいさん、泰さん。えらいことですよ」
 官房長官の狩屋こうが、総理大臣執務室に飛び込んできたのは、高西が会場から運び出されて間もない頃であった。
「どうした、カリヤン。財布でも落としたか」
 のんきな声で泰山は爪を切っている。
「冗談いってる場合ですか。いまね、マドンナの秘書から連絡があったんですが、パーティ中に体調を崩して病院に運び込まれたらしいんですよ」
「誰が」
「だから、マドンナですよ」
 泰山はようやく顔を上げた。
「鬼のかくらんってやつか」
「そんな悠長な話じゃありませんって。パーティで突然暴れ出したらしいんですよ。みんなで押さえつけてとりあえず救急車で病院に運んだそうです。そもそも微熱もあったそうで」
「いったいなにを食ったんだ、マドンナは」
「昼に鯛焼きを食べたそうです」
「どこの鯛焼きだ」
 鯛焼きには目がない泰山はきいた。
「浅草網元の鯛焼きです」
「あそこのなら大丈夫のはずだがな」
「三十個食ったそうです」
「三十個……」
 腕組みして泰山は片目を少し細めた。「マドンナにしては少なくねえか」
「言われてみれば。微熱のせいですかね」
「かも知れん。だがマドンナのことだ。病院で正露丸でも処方してもらってすぐに出てくるだろうよ」
 さして気にも留めなかった泰山であったが、それが楽観的に過ぎたと知ったのは翌朝のことであった。
 精密検査に回された高西が、謎のウイルスに感染していることが判明したからである。

(つづく)



民王
著者 池井戸 潤
定価: 704円(本体640円+税)

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