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連載

民王 シベリアの陰謀 vol.2

【池井戸潤『民王』待望の続編】「笑撃」サスペンス!! 続編始動記念、前作のプロローグ試し読み。新作はいよいよ明日掲載予定。『民王』#2

民王 シベリアの陰謀

あの「民王」が帰ってきた!
新作『民王 シベリアの陰謀』がいよいよ始動! 9月28日発売の単行本に先がけて、前作のプロローグ試し読みを特別掲載します。

▼『民王 シベリアの陰謀』試し読みも公開中!
https://kadobun.jp/serialstory/tamiou_2/entry-41345.html

『民王』プロローグ試し読み#2

 田辺首相辞任をうけ、民政党本部で開かれた臨時役員会で民政党総裁選の実施が決まったのは、日付が変わろうかという深夜のことであった。
 その後、元法務大臣を委員長とする党選挙管理委員会が決定した選挙日程は、九月十日告示、二十二日投開票。
 この告示の日、立候補を表明したのは泰山のほかにふたりいた。派を率いる茂木しよういち、それにはやし派のまつけんせいだ。そうして始まった民政党議員票二百二十五票と地方票三百票を合わせた五百二十五票の争奪戦は、明後日あさつての投票日を前にきようを迎えようとしていた。

「おお、どんな具合だ」
 個人事務所にいて、泰山はさっきから何度も時計を気にしつつ、入室してきた公設第一秘書のかいばらへいに聞いた。名前は古くさいが三十二歳になったばかりの貝原は、政治家志望。いずれ、どこかの選挙区から国政に打って出るであろう男だ。
「地方票の過半数はまず堅いでしょう。問題は議員票ですが、いまだたけ派の動向が読めません」
 こうした選挙戦で、民政党議員および党員らの票読みは、当落を左右するだけに最後の最後まで気の抜けない作業だ。
 誰がいったか、ながちようには〝火事は最初の五分、選挙は最後の五分が勝負〟という格言がある。しかも、誰がどの候補者を支持するかは、かく時の人事にも影響してくる重大事であるから余計に目が離せない。その点、貝原が優秀なのは、こうした選挙のに通じ、実に的確な読みと考察を展開することができるからであった。選挙参謀としててんの才能を持つ貝原は、その歳の割に、泰山がいままで会ったどの政治家よりも票読みがうまい。
「松田先生は敵ではありません、先生」
 その貝原は続けた。「私の聞き込み調査では、松田先生に入る議員票は二十票そこそこ。地方票は入って十票といったところで相手になりません。そもそも松田先生にしてみれば今回の総裁選は、あくまで顔を売るためだけの位置づけであって、ご本人も当選するとは思っておられないでしょう。問題は、茂木陣営です」
「議員票で六十票ぐらいいきそうか」
 だとすれば、かなりの接戦になる。
「獲得するでしょう」
 貝原は断言した。「地方票の獲得予想もほぼきつこうしていますから、議員票の勝負になるかと。その議員票ですが、先生の獲得予定票数はいまのところ八十五票。松田先生に二十票いくとして、残る六十票弱が当落を決するに違いありません。つまり、竹田派の票が問題です。ここはしろやま先生のご威光におすがりするしかないかと」
 城山かずひこは民政党の大物議員で、泰山も所属する城山派のボスだ。
「竹田先生は、そう簡単なお方ではない」
 泰山の言葉に、貝原は重々しくうなずいてみせた。
「ほんとうはご自身の派閥から総裁候補を出したいとお思いになっているでしょうから」
 竹田こうぞうは民政党のご意見番といえば聞こえはいいが、いまや老害と陰口を叩かれる始末に負えない政治家であった。もともと泰山と同じ二世議員で、政界では名門の出自。かつて首相経験もある竹田は、ああいえばこういうの竹田節で知られ、テレビウケはするものの、実務となるとうるさくてかなわない。そのせいか、かつて竹田派にいた有望議員の多くがくらえして、いま竹田のもとに集う議員に首相が務まりそうな者などひとりもいない。かくいう泰山もかつて竹田派の門を叩いたが、その後城山派に乗り換えた口だ。
 城山派でなければ八十五票もの組織票を獲得することは難しかったろうが、ここに来てたもとを分かった竹田の顔色をうかがわなければならないというのも、ばつの悪いことこの上ない。
 案のじよう、票を回してくれと頼みにいった泰山に、竹田が過去を持ちだしてああだこうだというものだから、城山が一肌脱いでちゆうさいに出るという話になっているのであった。
 さっきから泰山が時計ばかり気にしているのは、午後七時過ぎからあかさかの店で行われていた話し合いがそろそろ終わろうかという頃だからだ。会談の結果次第で総裁選の行方は大きく左右される。
 竹田がへそを曲げれば、茂木に入れるといいかねない。そうなれば、泰山が民政党総裁、つまり総理大臣になれる機会は少なくとも、数年先までお預けだ。
「実は、少々気になることを耳に挟みまして」
 貝原が表情を曇らせていった。「茂木先生がここのところ、竹田先生と何度か密会されていたとのことで」
「ほんとうか」
 泰山は思わずソファから体を乗り出した。「なんでそんなことがわからなかった」
「わからないから、密会なんです」
 貝原にいわれ、「あ、そうか」と納得した泰山は、「で、会談の内容は」、と聞いた。
「わかりません。ただ、話がまとまったのであればなんらかの情報は流れてこようかと思います。なにもまとまらなかったから、なにも聞こえてこないのだと思います」
「それもそうか……」
 長い嘆息をらした泰山は、めいもくして腹の前で指を組んだ。
 イザ選挙となれば日本中を駆け回ってきたである泰山にとって、待つことほどつらいものはなかった。
 オヤジ、頼むぞ。
 そう心の中で城山の説得に期待するものの、相手が相手だけにそれが容易でないことは想像がつく。
 辛抱して待ち続けた泰山の携帯電話が鳴りだしたのは、午後九時をとうに過ぎた頃であった。
 画面に表示された城山の名前を見て、泰山はごくりとなまつばみ込んだ。
「おお、話してきたぞ」
 クルマの中から電話をかけているのか、城山の威勢のいい声もくぐもって聞こえる。
「お疲れさまです」
 真っ先に内容を問いたいのをこらえ、泰山は神妙に、ねぎらいの言葉を口にした。
「ちょっとお前に話がある。これから私の事務所まで来てくれないか」
 にわかに緊張を覚えながら、「せ参じます」と泰山は通話を終えた。
「行くぞ、貝原」
 泰山の様子から相手が城山だと悟っている貝原はすでに立ち上がっていた。
「いい話ですか」
「わからん」
 難しい顔で泰山はいった。「それを確かめに行くんだ」
 いま泰山ができることは少ない。城山を信じ、天命を待つ、ただそれだけだ。

 さんばんちようにある事務所の応接室に駆け入ると、すでに城山が先に入って待っていた。
 白いYシャツ姿の城山は、酒で赤くなった顔の前でせんをぱたぱたさせている。泰山の顔を見るなり立ち上がり、まあ座れ、とふたりにソファを勧めた。
「いま竹田さんと会ってきた」
 泰山は息を止め、言葉の続きを待った。こうして当たり前の前振りをするところが、城山の芝居がかったところで、悪い癖だ。交渉がかなりなんなものであったことは、濃い疲労のにじんだ表情が物語っている。
「なんでも茂木さんはすでに三度、竹田さんのところに足を運んだそうだ。だが、俺と竹田さんの間だ、三度も必要ない。話は一度で十分だ」
 果たしてその言葉がなにを意味するのか。貝原が隣でごくりとつばを吞み込む。
「いいか泰山、よく聞け。明後日の総裁選、竹田派の票はお前に入る」
 緊張したおもちで城山を見つめる泰山の表情の中で、満面の笑みが咲いた。
「ありがとうございます」
 深々と頭を下げた泰山に、城山は道路族議員の首領ドンらしい大きな手を差し出した。
「おめでとう泰山。君は明後日、民政党総裁になる。次の首相は、君で決まりだ」

    * * *

 こうこうと照明がともった室内は、密談には明るすぎた。窓の外にはライトアップされた国会議事堂のシルエットが浮かんでいる。午後から吹き荒れた強風が掃いた空には、都心では珍しく美しい星が震えきらめいていた。
 午後九時を過ぎているというのに、室内は昼間のオフィスのように人が出入りし、落ち着かなかった。ひっきりなしに電話や携帯が鳴り、絶えず話し声がしている。そのどれもが、民政党総裁選の行方に関する情報であることは、断片的に洩れ聞こえてくる言葉でわかる。武藤、林田派、城山……。こんとんとしていた民政党総裁選も大詰め、どうやら武藤泰山の次期総裁選出が確実な情勢だ。
 ひじけ椅子に座っている男もさっきから携帯を握りしめて誰かと話していたが、通話を終えると、携帯電話をまじないでも書いてある札かなにかのように見つめてから、顔を上げた。
「おおかたの予想通り、次期総裁は武藤泰山になるだろう」
 低い声でそこまでいった男は、いつたん言葉を切ってにらみをきかせた。「ついに君の出番だ。武藤らの動きを報告してもらいたい。我々の手で日本を変えるんだ」
「力になれるのなら」
 ソファにかけていた人物は、少し考えてこたえた。「ですが、ほんとうにそんなことができるんですか? その、あなた方の計画のことですが」
「もちろん」
 男はいった。「妄想でも空想でもない。現実的な計画だ。君には迷惑はかけん。君はただ、情報を伝えてくれるだけでいい」
「私じゃなくてもいいんじゃないですか?」
 戸惑いやしゆんじゆんは、疑問になって口から出た。
「我々の賛同者で怪しまれずに武藤らの情報を得られるのは君だけだ。日本を変えるんだ」
 繰り返された男の言葉は、有無をいわせぬ説得力があった。
「わかりました」
 しばしの再考の後、こたえた。「可能な範囲で、協力します」

(『民王 シベリアの陰謀』につづく)



民王
著者 池井戸 潤
定価: 704円(本体640円+税)

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