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連載

杉江松恋の新鋭作家ハンティング vol.6

そうだ、こういう作家を見つけたいのだ。『蟬かえる』 杉江松恋の新鋭作家ハンティング

杉江松恋の新鋭作家ハンティング

書評家・杉江松恋が新鋭作家の注目作をピックアップ。
今回は様々な謎解き小説のプロットに挑戦した一冊。

櫻田智也『蟬かえる』(東京創元社)

 エリサワセン。
 エリの字は魚へんに「入」と書く。魚の通り道に仕掛ける竹製の罠をえりというのだ。気になって調べたら環境依存文字だった。
 その字に沢に泉。珍名である。櫻田さくらだ智也ともや『蟬かえる』(東京創元社)の主人公だ。
 ここでは泉と呼ぶことにさせてもらう。だって、名字は変換してくれないんだもの。
 泉の属性は昆虫愛好者だ。きちんとした研究者なのか、それともただ好きなだけなのかは曖昧に書かれている。彼が初登場したのは、二〇一三年に第十回ミステリーズ!新人賞を獲得した櫻田のデビュー短篇「サーチライトと誘蛾灯」である。ホームレスを強制退去させたドングリ公園が舞台の話で、夜になって見回りがやってくると、テントのようなものを設置しようとしている男がいる。あからさまに怪しいので声をかけると、それはテントではなくてカブトムシを採集するための装置だったとわかる、というのが発端だ。作者は、調子はずれな人物としてこの主人公を造形している。見回り隊の男に職業を訊かれ、堂々と「独身貴族」と答えるのである。いい度胸をしている。よく殴られなかったね。
 泉が素っ頓狂な人物であるのは、読者の注意を惹きつけるための仕掛けでもある。夜のドングリ公園では何かおかしなことが進行中なのだが、初めのうちは読者にはわからない。背景に隠れてしまっているためだが、前景で調子はずれなことを言っている虫好き男に気を取られてしまうからでもある。この受賞作は二〇一七年に短篇集『サーチライトと誘蛾灯』として刊行された(本年四月、創元推理文庫化)。収録作は全五篇。二篇目の「ホバリング・バタフライ」と三篇目の「ナナフシの夜」までは同じような手つきで書かれており、後半の「火事と標本」「アドベントの繭」あたりからはちょっと風合いが変わってくる。そのことはまた後で触れるが、とにかく『サーチライトと誘蛾灯』における功績の第一は、G・K・チェスタトンのブラウン神父、泡坂妻夫の亜愛一郎などの系譜に連なる、コミカルな探偵を創造したことだった。
 で、『蟬かえる』だ。
 こちらも五作が収録された短篇集である。櫻田にとっては二冊目の著書だ。『サーチライトと誘蛾灯』と同様、泉が謎解き役として登場する。
 表題作の舞台は山形県内に設定されている西溜村という架空の場所だ。そこに修験道の霊場だった森がある。十六年前、山形県中部に大規模な地震が発生し、西溜村でも山の斜面が広範囲にわたって地滑りを起こすなど、甚大な被害が生じた。その際、ボランティアとして村にやってきていた糸瓜京助という人物が本篇の語り手だ。思い出の場所を訪ねている彼の前に、二人の男女が現れる。一人は大学で非常勤講師をしている鶴宮逸美、もう一人は彼女の講演を聞いて関心を抱き、くっついてきた泉だ。鶴宮は民俗学者で、研究分野の一つに昆虫食を含むのである。いきなりセミを食う話を始めた二人に調子を奪われつつも、糸瓜は自分が西溜村を再訪した理由を語り始める。十六年前、彼は幽霊を見たようなのだ。
 二篇目の「コマチグモ」は第73回日本推理作家協会賞短編部門候補にもなった作品である。団地の一室で倒れている人がいるとの通報を受けて救急車が現地に向かう途中、交差点で車にはねられ、倒れている中学生に遭遇する。それは後続に託して救急車は通報先に向かったのだが、後に団地の事件と交差点の事故には共通項があったことが判明するのだ。しかし、事実関係を整理していくと一つの謎が浮かび上がる。ある人物のとった行動に説明がつかないのである。刑事が聞き込みをしていくと、ある男が車にはねられる寸前の中学生と話していたことが判明する。それが泉だ。彼は刑事に、中学生に話しかけた理由を「トンボの飛んでいる水たまりに石を投げていた」からだ、と告げる。
「蟬かえる」「コマチグモ」の二篇とも、泉は前景から退き、読者に見えていたことの背後で何が起きていたのかという解釈をするための役回りとして登場する。これは前作『サーチライトと誘蛾灯』の後半、「火事と標本」「アドベントの繭」あたりから見えていた傾向で、作者は泉という個性的な探偵を生み出しただけでは満足せず、さまざまな謎解き小説のプロットを試そうとしていたのである。
 本書の三篇目、「彼方の甲虫」は前著に収録された「ホバリング・バタフライ」の登場人物を再出演させ、不可解な状況下での死を題材として扱っている。収録作中では最も謎解き小説として優れており、容疑者のばら撒き方、二重に意味を読み取ることができる証言、1+1=2で答えを出せる手がかりなど、用いられた技巧がどれも冴えている。その次の二篇、「ホタル計画」と「サブサハラの蠅」では泉の描写から滑稽味がほとんど消され、血肉を備えた人間として物語に登場してくる。彼がどのような半生を送って現在の状態になったかが明かされる点も興味深い。話を進行させるために必要な狂言回しから、奥行きを備えた人間へと変化したのだ。でありながら、読者に気取らせずに事態が水面下で進行していくという前作の特徴もそのまま残されている。
 二冊を比べると作者の変化が読み取れる。別に人間が書けているか否かでミステリー作家の良い悪いを決めつけるわけではないが、前作とはまったく手を変えて同じ品質の物語を提供しているというのは、成長の証しと考えていいだろう。これはおもしろい。まったくもっておもしろい。櫻田智也はどんどん居場所を変えて、新しいことに挑戦しようとしている。次に書くのがこの珍妙な名前の探偵の連作になるか、それともまったく違った話になるかはわからないが、私は櫻田智也の名前を見つけたら、期待に胸を膨らませてページを繰ることだろう。そうだ、こういう作家を見つけたいのだ。


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